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第四話

「……レオ」


私は、その名前を繰り返した。


嬉しかった。


同じくらいの年の子と話すのは、久しぶりだったから。


「レオ」


私はそっと隣の地面を叩いた。


「ここに、座って」


少しだけ、戸惑う気配がした。


けれど、やがてレオは私の隣に座った。


近い。


ばあや以外の誰かが、こんなに近くにいるのは久しぶりだった。


「……レオは、何歳なの?」


「……十二歳」


私は自然と笑顔になった。


レオは私より年上だった。


それだけで、少し安心した。


私は少しだけ胸を張って言った。


「私は、十歳よ」


ちゃんと伝えたかった。


子どもではあるけれど、幼くはないのだと。


「だから」


少しだけ笑う。


「レオは、私より少しお兄さんなのね」


………


「……お兄さんなのね」


私はもう一度だけ言った。


「なんだか、安心するわ」


言ってしまってから、少しだけ恥ずかしくなった。


子どもみたいだと思われたかもしれない。


でも、レオは笑わなかった。


すぐ隣にいる気配が、静かに揺れるだけだった。


私はその沈黙が心地よくて、少しだけ息を吐いた。


それから思った。


見えない私は、目で確かめることができない。


けれど、この人のことを――もっと知りたい。


声の形。


呼吸の間。


そして、すぐそばにある温かいもの。


私は恐る恐る言った。


「……ねえ」


レオが小さく応える気配がした。


私はもう一度だけ息を吸って、続ける。


「手を、出して」


レオは何も言わずに、手を差し出した。


私はその手に触れた。


温かい。


生きている人の温もり。


それだけで、少しだけ安心した。


けれど――硬い。


指先で確かめる。


掌。


指。


骨。


皮膚の上に重なる、わずかな隆起。


何度も何度も、何かを握ってきた手。


守るための手。


戦うための手。


私はそっとその手を包んだまま、小さく息を吐いた。


「……やっぱり」


「やっぱりって?」


レオが静かに聞いた。


私は彼の手に触れたまま、微笑んだ。


「レオは武門家系の貴族令息なのね」


少しだけ驚いた気配がした。


「どうして、そう思ったの?」


私は彼の手を離さずに答える。


「歩き方」


静かに言う。


「無駄がないの」


それからもう一度、彼の掌をなぞる。


「それに、この手」


指先に触れる、硬い証。


「騎士の手だわ」


風が木の葉を揺らした。


私は少しだけ胸を張った。


見えなくても、分かることがあるのだと証明できた気がしたから。


沈黙が落ちる。


風が木々を揺らす。


やがて、レオが言った。


「セレスティアは――」


私は小さく首を振った。


「……私も、ティアでいいわ」


その方が嬉しかったから。


レオは少しだけ笑った。


「ティア」


その呼び方を、確かめるように繰り返す。


「ティアは、騎士の手を触ったことがあるの?」


私は首を横に振る。


「いいえ」


それでも私は確信していた。


レオは、騎士の家に生まれた人だと。


ばあやが迎えに来るまで、私とレオはずっと話していた。


どれだけの時間だったのだろう。


分からなかった。


あまりにも楽しかったから。


こんな風に誰かと話したのは、初めてだった。


やがて、レオが立ち上がる気配がした。


「……また来る」


その言葉に、胸が温かくなる。


「うん」


私は頷いた。


砂利を踏む音が、少しずつ遠ざかる。


「あっ……」


思わず声が漏れた。


足音が止まり、レオがこちらへ振り返る気配がした。


「どうしたの?」


私は首を傾ける。


「僕が騎士の家系の子だと思った理由は分かった。でも、どうして“貴族の家系の騎士”だと思ったの?」


レオの言葉には、少しだけ慎重な響きがあった。


私は胸の前で指を組む。


見えていない目を、まっすぐレオへ向けたつもりだった。


姿勢を正して、堂々とした姿を見せたかった。


「貴族なのは……なんとなく分かるわ」


レオが黙る。


私は続けた。


「私も貴族だもの」


言葉は静かだった。


「お父様も」


「お母様も」


「ばあやも」


ひとつずつ、確かめるように言う。


「みんな、貴族」


風が髪を揺らす。


「商人の方や、農民の方の声も、歩き方も、雰囲気も……領地でも王都でも、見たり聞いたりしたことがあるの」


でも、と私は言った。


「貴族は違うの」


「立ち方も」


「話し方も」


「息の仕方も」


「全部、違うわ」


私はレオのいる方向を向く。


見えなくても、そこにいると分かるから。


「だから分かるの」


少しだけ声を柔らかくする。


「私は、多分……他の階級の人よりも、貴族がどんなものか、一番知っているわ」


沈黙が落ちた。


その沈黙は、さっきとは違った。


レオが何かを考えている気配。


やがて、小さく息を吐いた。


そして静かに言った。


「……そうか」


少しだけ間があった。


風が二人の間を通り抜ける。


それから、レオは続けた。


「……それは」


言葉を選ぶように。


「僕も、同じかもしれない」


私は小さく息を呑んだ。


「僕も、貴族だから」


レオが言う。


「貴族がどんなものかを、よく知っている」


その声には、さっきまでの柔らかさとは違う響きがあった。


少しだけ冷たい声。


線を引くような声。


私は一瞬だけ戸惑った。


どうしてだろう。


同じことを言っているだけなのに、さっきまでとは違って聞こえた。


まるで、急に遠くへ行ってしまったみたいに。


風が二人の間を通り抜ける。


私は胸の前で手を握った。


何かを言わなければ、このまま本当に遠くへ行ってしまう気がした。


けれど、言葉が見つからなかった。


そのとき、砂利が鳴った。


レオが一歩、近づいた。


「……でも」


さっきより、少しだけ低い声。


「ティアが言ったことは、すごいと思う」


私は顔を上げた。


見えないまま、彼のいる方向へ。


「見えなくても」


レオが言う。


「ちゃんと、分かるんだね」


その声は、もう冷たくなかった。


私は小さく微笑んだ。


「ええ」


静かに答える。


「分かるわ」


風が赤い髪を揺らした。


その日、私は初めて、自分の世界の中にもう一人、誰かが入ってきたのだと知った。

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