第7話 覚悟の味
俺は味原の所まで戻り、端的に伝えた。
「トイレにメモ紙があった。深夜の能比港。その端で、取引が行われる」
味原は、驚くことなく俺を見ていた。
まるで、最初からそう言われるのを待っていたみたいに。
「……食べようか?」
「問題ない」
即答する。
「これで確定だ。味原、すまないが今日はここまでだ。引っ越し先が分かったら、また教えてくれ。埋め合わせは必ずする」
線を引くつもりで言った。
彼女を、これ以上巻き込む理由はない。
「僕も行くよ」
間髪入れず、味原は言った。
ハッキリとした声音だった。
「『端』がどこか、分からないでしょ」
「そもそも、俺の目的は取引を止めることじゃない。俺を誘い出した奴を見つけることだ。港に行くだけで、会える」
「なら、なおさら僕が必要だね」
「どういう意味だ?」
味原は、ゆっくりと周囲を見回した。
人の視線。音。匂い。
さっきまで苦手そうにしていたはずの情報を、意識的に拾っている。
「レイジ君。今日の能力はなに?」
「それがどうかしたか?」
味原には、俺の能力の正体が知られている。
隠す意味は、ない。
「僕はね、必要以上の情報を、レイジ君に伝えないようにしてるんだ」
淡々とした声。
「特定の能力って、意識で変わるから。知っているだけで、偏ることもある」
「気遣い感謝する」
実際、助かっている。
「味原の言う通りだ。今は、言った方がいいのか?」
こと情報においては、俺は味原頼りだ。
思考リソースの一部を、完全に外注していると言っていい。
「お願い」
一拍、間が空く。
「幸運、だ」
短く答える。
少しの沈黙。
「……やっぱりね」
味原は、納得したように頷いた。
「相手の能力も……“幸運”だよ」
予想は、していた。
していたが。
俺は天井を見上げ、思わず呟く。
「面倒だ……」
ぐう、と腹が鳴った。
こんな時でも、身体は正直らしい。
「午後二時か。港までは一時間としても、まだ余裕はあるな」
俺は、少し焦っていた。
運には抗わない。それが鉄則だ。
分かっているのに、頭のどこかが先へ先へと急いでいる。
「飯でも行くか?」
「やったあ。い、行きたいところがあったんだあ。へへへ」
いつもの、少し卑屈で間延びした声。
それを聞いて、胸の奥の張りがわずかに緩む。
いつの間にか、フロアにはまばらに客が戻っていた。
俺たちが動き出す、そのタイミングでだ。
昼食を終えた人たちが、買い物に戻ってきたのだろう。
エスカレーターに乗り、二つフロアを上がる。
飲食店が立ち並ぶエリア。
油と甘味と香辛料の匂いが混ざる中で、味原が足を止めた。
サラダ専門店。
「……健康的、だな」
「ここ、有名なんだ。ネットで見ただけだけどね」
へへへ、と照れたように笑う。
「丼以外の昼食か……悪い教育をしちゃったな、俺」
「それはさすがに、レイジ君のせいじゃないよ」
俺は苦笑しながら、彼女の後について店に入った。
もちろん、俺たちが入った瞬間、ちょうど席が空く。
幸運は、相変わらず都合がいい。
食事は簡単に終わり、買い物は続いた。
今日はこのまま、夜まで適当に過ごす。
それが、今の最適解だ。
場所を変え、スポーツ店の出入り口。
男物のジャージを着た味原が、満足そうに頷いている。
「やっぱり、これが落ち着くなあ」
隠れる。
動きやすい。
視線を受けにくい。
彼女なりの、生存戦略だ。
時刻は午後5時28分。
「少し、寄りたいところがある」
「いいよ。レイジ君の買い物だよね」
俺は軽く頷き、歩き出した。
ここは能比。
表と裏が、曖昧に溶け合った街だ。
表の物流に紛れて、裏の商品も流れる。
情報。薬品。違法デバイス。
そして、能力者が生み出す“もの”。
能力には、本人が望まない形で発現するものもある。
世間的には、ただの厄介事。
触れれば危険で、扱えば忌避される。
毒性のある体液を分泌する能力。
強烈な悪臭を放ち続ける能力。
無意識に、周囲の生物を衰弱させる能力。
使い道がないのではない。
使い道しかないからこそ、表には出てこないのだ。
能比の裏では、そういう能力が、静かに値段を付けられている。
俺は、港の方角を意識せずに歩きながら、思った。
――今夜の取引も、その類だろう。
幸運が二つ、同じ場所に集まる。
ろくなことにならない。
目的地の古びたビル。その地下には、小さな商店が並んでいる。
ほとんどがシャッターを下ろしていたが、そのうちの一店舗だけが、薄暗い明かりの中で営業していた。
俺はポケットから、小さな金属製のケースを取り出し、店先で新聞を読んでいる老人に声をかける。
「針が欲しい」
「何本?」
「おまかせで」
いつものやり取りだ。
老人は、無言で俺の手からケースを受け取る。
そのまま、店内へと促された。
背後で、シャッターが静かに下ろされる。
「おや、しずくちゃんじゃないか。久しぶりだね」
俺に対してはいつも強面の彼も、味原がいると、露骨に表情を和らげた。
……やはり今日は、幸運らしい。
「ミツオさん、お久しぶりです」
味原は、丁寧に頭を下げる。
「ゆっくりしていきな。今、茶でも出そう。もちろん、オーガニックじゃよ」
そう言って、曲がった腰を叩きながら奥へ消えていく老人。
通称、ミツオさん。
本名は、誰も知らない。
「対応が段違いだな……」
俺が来たときは、いつも『金だけ置いて、さっさと消えな』なのだが。
「会うのは二年ぶりですから。ここも、久しぶりだなあ」
そういう問題ではない気がするが、今は黙っておこう。
俺は、寂れた店内を見渡した。
古いミシン。
数の少ない糸。
ショーケースに並ぶ、各種の針。
ミツオ裁縫店――それが、この店の名前だ。
しばらくして、ミツオさんが奥から戻ってきた。
「はい、しずくちゃん。お菓子も食べていきな」
ショーケースの上に、茶と菓子が置かれる。
「レイジ、金だけ置いて、さっさと消えな」
俺は、投げ渡されたケースを受け取った。
「茶はないのか?」
「野郎に飲ませる茶なんぞ、ないわい」
「まあまあ、ミツオさん。三人で、ゆっくりお話ししましょうよ~」
「そうかのう……しかたないのう。レイジ、座れ」
味原の一言で、俺はようやく椅子に座ることを許された。
茶はないが、俺は一息つき、話を振る。
「最近はどうだ?」
「間宮とかいう特能のおかげで、平和じゃわい」
普段は多くを語らないミツオさんだが、今日は機嫌がいいらしい。
「裏の能力者も、表立って動けなくなった。悪くない」
「商売は、上がったりだがのう」
「その間宮さんが、悪い能力者を全員やっつければいいんじゃないですかあ?」
「それは無理だ」
「ですよねえ」
味原は、即座に納得した。
――彼女なら、分かっている。
裏社会というものは、すでに完成している。
壊しても、別の形で必ず生まれ直す。
能力という不確かな力が存在する以上、表があるなら、裏も必ず発生する。
だから警察も、能力持ちの捜査官も、必要以上に踏み込まない。
裏は裏で勝手にやれ、という距離感だ。
俺も、正義のヒーローではない。
裏でも、表でも。
使えるものは、使う。
仮初でも、平和が維持されているなら――
それで、十分だ。




