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第5話 切り替わり

 定休日明けの朝は、だいたいいつも同じだ。


 まずは、事務所の換気をする。

 昨日までの空気が抜けて、ようやく仕事モードに切り替わる。


 特別なことは、何もない。

 少なくとも、俺の認識では。


 ドアの前に置かれた封筒に気づいたのは、そのときだった。


「……?」


 差出人はない。

 宛名だけが、やけに丁寧な字で書かれている。


 能力相談所 レイジ様。


 開封する前から、嫌な予感がした。

 こういう勘だけは、昔からよく当たる。


 中に入っていたのは、一枚の紙だけだった。


「……白紙?」


 俺は小さく息を吐く。


「まずいな、これは」


 さすがの俺でも、これがただ事ではないことくらいは分かる。


 昔なら、まだよかった。

 だが、今の俺にはシオンがいる。


「表か、裏か……」


 どちらにせよ、ろくな話ではないだろう。


 今日の能力は『幸運』のはずだったが。


 俺は身だしなみを整え、外出の準備を済ませる。

 はっきり言って、運を操る能力は当たりだ。

 俺一人なら、生き延びることぐらいはできる。


「レイジ……仕事は?」


 シオンの低い声。


「今日から臨時休業だ。直近の予約客は、全員キャンセルになっていた。幸運なことにな」


 俺は度の入っていない眼鏡をかける。

 そして隠し棚から、小さな金属製のケースを取り出した。


「シオンは留守番だ。大家さんには、もう話をつけてある。飯の心配はするな」


 これからやることは決まっていた。

 俺に干渉してきた連中を、排除するだけだ。


 だからこそ、急がなければならない。

 幸運が続いているうちに、事を終わらせる。


 時間は限られている。

 明日の俺が、どうなっているかなど分からない。


 上着を羽織り、急ぎ足で玄関へ向かう。


 だが、小さな重みで引き留められた。


「よかった。死ぬ気はないんだ」


「それ、どういう意味だ?」


 腹に回された腕をほどきながら言う。


「レイジは死なない。私がいるから」


「……それ、どういう意味だ……」


 本当に意味は分からないが、まあ、この際どうでもいいだろう。


 そのとき、玄関のドアを叩く音がした。


 一瞬身構えるが、すぐに正体が分かり、緊張を解く。


「大家さん。ちょうどよかった。シオンのことを頼みます。明日の朝には帰ると思うので」


 ドアを開けて入ってきたのは、金髪の女性だった。

 今日も今日とて、胸元を大きく開いた、目の向けどころに困る服装をしている。


「おうよ。任せときな」


 親指を立て、俺を送り出してくれた。


 遠い友人が事故に遭った、という心苦しい嘘だったが、それでも信じてくれた。

 そういう人なのだ。


 さて、あまり乗り気ではないが、やることをやろう。

 仮初の平和でも、維持するには苦労がいる。




 俺は電車を乗り継ぎ、能比(のうび)という駅で降りた。


 すべてが、噛み合いすぎていた。


 ホームに着いた瞬間、ちょうど電車が滑り込んでくる。

 乗換駅では、降りた途端に向かいのホームへ誘導され、階段を上り切った瞬間、次の電車が到着した。


 待ち時間は、ほぼゼロ。

 歩調を乱す必要すらない。


 これは、あまりにも不自然だ。


 今日は信号機の不調で、ダイヤがわずかに乱れていると、車内アナウンスで聞いた。

 通常なら、遅延や混雑が起きるはずだ。


 だが、その”乱れ”の隙間を、俺だけが都合よく通り抜けている。


 だからこそ起きた幸運。

 そう理解はできるが、納得はできない。


「……面倒だな」


 小さく、ため息をついた。


 ここは、能比という街。

 現実と想像が入り混じった、混沌の街だ。


 表向きは物流の街。

 世界中の珍しいもの、曰く付きの品、出所不明の部品や情報が集まる。

 ここで手に入らないものはないと噂されるほどだ。


 駅前の繁華街は今日も賑やかだったが、視線は向けない。

 目的地は、もっと外れだ。


 郊外を目指し、ひたすら歩く。


 信号はすべて青。

 横断歩道に人はなく、車は寸前で止まり、風はなぜか俺の背中を押すように吹いている。


 まるで、街そのものが俺を急かしているようだった。


 喧騒を離れ、辿り着いたのは、(つた)に覆われた一軒のアパート。


 壁の色は判別できないほど古く、窓ガラスもところどころ曇っている。

 だが、崩れる気配はない。

 必要なだけ、ここに在り続けている建物だ。


 俺は一階の角部屋、そのドアを叩いた。


「やあやあ、レイジ君。久しぶりだね」


 返ってきたのは、気だるげな声。


「……汗臭いな。最後に風呂に入ったのはいつだ?」


 長い髪をぼさぼさに伸ばし、目元に特大のクマをつけた女。

 身長は百八十半ば。

 着古したジャージは、ところどころ色褪(いろあ)せている。


「レディーにひどいこと言うなあ。さっき筋トレしてたんだよ。まあ、入りな~」


 特徴的なギザギザの歯を見せ、へへへと笑う。


 味原(あじはら)しずく。

 俺が相談員を始めるきっかけになった人物であり、最初の客だ。


 アパートの中、ドアを開けると四畳半。

 小さな部屋に、懸垂台とダンベル、腹筋ローラーが無造作に置かれている。


 生活感は、一切ない。


「最近、腹筋にハマっててね」


 味原はそう言って、ジャージをまくり上げる。

 無駄のない腹直筋が、はっきりと浮かび上がっていた。


「少しは外に出ろ」


「それは嫌だよ~」


 味原は、部屋の奥にあるドアを開ける。


 その先には、広い空間が広がっていた。

 広いだけで、書類と機械、正体不明の器具や部品が乱雑にばらまかれている。

 整理という概念を、途中で放棄したような部屋だ。


 奥には、さらに上へ続く階段が見える。


 ──そう。このアパート全体が、彼女の住処だ。


「ちょっと待ってて。うちに来る人なんて、レイジ君くらいだからさ。全然用意できてなくて」


「いや、大丈夫だ。今日は依頼があってきた」


 俺は勝手に椅子に座り、鞄から封筒を取り出す。


「これを、食ってくれ」


 味原は、封筒と俺を見比べてから、ニヤリと口角を上げた。



 *



 レイジが家から出た後、シオンはリビングのソファに座り、大家と対峙していた。


 大家が彼女の額に突き付けているのは、銃口。


「さて、シオンちゃん。キミの正体を教えてもらおうか」


「私はシオン。それだけ」


 シオンは、何も感じない。

 恐怖も、緊張もない。

 ただ静かに、大家の目を見返している。


「“シオン”ってのは、レイジがつけた名前でしょ。キミは、なぜレイジに近づいた?」


「レイジが、私を見つけてくれた」


「……なるほどね」


 大家は肩をすくめる。


「確かに、それはありえる。一か月前、あいつは急に“裏”に向かっていった。あの日の能力は……確か『手のひらから泡を出す』だったか。その前日が、予知系だった可能性もある」


 まるで、日記でもめくるような口ぶりだった。


「大家。レイジは危険じゃない。その日が来ても、レイジなら大丈夫」


 その言葉に、大家は鼻で笑った。


「はは。随分と信用してるね」


 銃口は、下がらない。


「でもさ、それは“今まで”の結果論だよ」


 大家の声が、少しだけ低くなる。


「レイジは、もう九千種類以上の能力を経験してる。しかもその中には、この世界でまだ確認されていない能力も含まれている」


 シオンは、黙って聞いている。


「分かるかい? それが何を意味するか」


 大家は、指で銃を軽く叩いた。


「いずれ、世界を壊せる能力を引く可能性があるってことさ。本人の意思とは無関係にね」


 沈黙。


 世界が見て見ぬふりをするように、太陽が雲に隠れる。


「だから私は、あいつを見張ってる。ヒーローとしてね」


 大家は、にやりと笑う。


「世界が滅ぶ前に、止める役目だ」


 シオンは、ようやく視線を外し、ソファの背にもたれた。


「……分かってない」


「うん?」


「レイジは、すべて分かってる」


 淡々とした声。


「だから逃げてる。戦わない。目立たない。それでも近づいてくる人を、助けてしまう」


 大家は、黙ったまま聞いている。


「レイジは、世界を壊さない。壊れるなら、それはレイジのせいじゃない」


 シオンは、ゆっくりと大家を見る。


「あなたは、ただ怖いだけ」


 銃口が、わずかに揺れた。


「……ほう?」


「責任を“ヒーロー”って言葉で包んでるだけ」


 シオンは、静かに言い切る。


「痛い人」


 その一言で、部屋の空気が止まった。


 数秒後、大家は大きく息を吐き、銃を下ろす。


「……やれやれ」


 苦笑が、浮かぶ。


「手厳しい評価だね。まあ、この銃が脅しにもならないことくらい、分かってるさ。シオンちゃんに出会った日、撃たなかった時点で……私の負けだ」


 シオンは立ち上がり、まっすぐに大家を見た。


「あなたは、レイジが死んでもいいと思っている」


 感情の見えない声。


「無防備なレイジを殺さないのは、“ヒーロー”としての美学。世界のためなら、切り捨てられる」


 少しだけ、間を置く。


「でも、レイジは違う」


 シオンの瞳に、迷いはない。


 そして、静かに告げた。


「レイジは、本物のヒーロー」

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