表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

第4話 出張

 話はしばらく続いた。

 途中からは、能力とは関係のない、他愛のない話になっていた。


 近くのスーパーが閉店したこと。

 この辺りは夜になると街灯が少ないこと。

 赤ん坊が生まれてから、時間の流れが急に早くなった気がすること。


 俺は相槌を打ちながら、能力というものに対する向き合い方を、いつも通りに伝えた。

 特別なことは言っていない。


 焦らないこと。

 比べないこと。

 能力に振り回されず、生活の中に置くこと。


 何の変哲もない、ただの出張相談だった。


「すみません。休日にお仕事をさせてしまって」


 区切りのいいところで、旦那が申し訳なさそうに言った。


「気にしないでください。こうやって自分の相談で、他の能力者の悩みを少しでも和らげられたら、それで十分です」


 本心だった。

 こういう瞬間のために、この相談所を続けている。


 途中から、シオンの姿が見えなくなっていた。

 外を見て回りたい、と言っていたから、近所を散歩しているのだろう。


 何が久しぶりなのかは分からない。

 だが、記憶の手がかりでもあるのかもしれない。


「本日はありがとうございました。代金は……」


「いえ、大丈夫です。今回は旅行のついでだと思ってください」


 財布を取り出しかけた旦那の手を、軽く制した。


「あはは。レイジさんには敵わないや」


「ははは。奥さんには、よろしくお願いします」


 俺は立ち上がり、帰り支度をする。

 奥さんの体調がよくないという話だった。

 長居は無用だろう。


 出産直後にもかかわらず、わざわざ事務所まで足を運んでくれた。

 それだけで、この仕事をやっていてよかったと思える。


「お気遣いありがとうございます。あの、レイジさん」


 旦那の声色が、わずかに変わった。


「ひとつ、お願いしてもいいですか?」


「なんです? 私にできることでしたら」


 彼は一瞬、言葉を探すように視線を落とし、意を決したように続けた。


「レイジさんの能力を、見せていただきたいのです」


 その瞬間、室内の空気がぴんと張りつめた。


 俺は、言葉を失う。


 ――まずいな。


 俺が普段使っている能力は、『他人を落ち着かせる』。

 もちろん、表向きの設定だ。

 輪郭が曖昧で、反証しづらい能力ほど、人は勝手に納得してくれる。


「今も、使っていますよ」


 とりあえず、そう伝える。


「いえ……レイジさんの、本当の能力を」


 旦那の目は、冗談ではなかった。


 沈黙。

 逃げ道は、ない。


 俺は諦め、旦那の背後――ほんの一瞬だけ、空気を動かした。


 ぱさり、とカーテンが揺れる。

 首筋を撫でる、弱い風。


 不意の感触に、旦那は小さく身震いした。


「くだらないでしょう?」


 笑顔を作って言う。


 一瞬の間。

 それから旦那は、深く息を吐いた。


「あ、ありがとうございます。やっぱり……気のせいでした」


 そう言って、無理に笑う。


 なにか勘違いをされている気はするが、それでいい。

 微風を起こす程度の能力など、説明されなければ分からない。

 気のせいで済ませてもらえるなら、その方が楽だ。


「では、本日はこれで」


「はい。また、お願いします」


 どこか張りつめた空気を残したまま、玄関を出る。


 外では、シオンが待っていた。

 彼女は俺ではなく、家の中――旦那の方を、じっと見ている。


「レイジ、帰ろう。お腹が空いた」


「そうだな。飯は?」


「親子丼」


「今日も丼ものか。まあ、いいか」


 家を離れ、バス停へ向かう。

 背後では、最後まで旦那が頭を下げていた。


 ――なぜか、必要以上に。



 *



 玄関の扉が閉まる音が、家の中に残った。


 外の足音が遠ざかり、バスのエンジン音が聞こえなくなってから、しばらく誰も動かなかった。


「……行ったか」


 男は、ようやく息を吐き、リビングに戻る。


 その瞬間、ベッドの上で眠っていたはずの赤ん坊が、ゆっくりと身を起こした。

 小さな身体が、呼吸ひとつの間に歪み、伸び、形を変える。


 赤子は、女へと戻った。


 白い肌。

 年齢の定まらない瞳。

 時間そのものを拒んだような、静かな存在感。


「……お疲れさま、倉井(くらい)


 女は、何事もなかったかのように言った。


「い、いえ……こちらこそ」


 男は深く頭を下げる。

 その額には、薄く汗が滲んでいた。


「正直に言いなさい」


 女はベッドから降り、窓辺に立つ。


「どうだった?」


 男は一瞬、言葉を選ぶように黙ったあと、慎重に口を開いた。


「……威圧、でした」


「威圧?」


「はい。能力を見せろと言った瞬間、空気が……変わりました」


 男は、自分の首元をなぞる。


「触れられたような感覚です。あれは能力ではありません。あの人は、威圧だけで……」


 女は、わずかに目を細めた。


「それで?」


「……殺されなかった」


 男の声が、低くなる。


「気まぐれなのか、見逃されたのか……いずれにせよ、私は“生かされた”と判断しています」


 沈黙。


 窓の外では、穏やかな風景が流れている。


「あなたの幸運が、働いたのね」


 女は、くすりと笑った。


「え?」


「あなたの能力よ。倉井」


 幸運を呼ぶ能力。

 本人ですら、結果からしか実感できない、不確かな力。


「……あの人を見つけられたのも、今回生きているのも」


 女は、振り返る。


「すべて、あなたの“運”」


 男は、思わず拳を握った。


「では……やはり、あの人は」


「ええ」


 女は、確信を込めて言う。


「本物ね」


 彼女の視線が、玄関の方へ向く。


 そして、ふと別のことを思い出したように、呟いた。


「それよりも」


「……?」


「あの白い少女」


 男は、はっとする。


「……気づかれましたか」


「ええ。あの目」


 女は、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「どこかで見たことがある気がするのよ。記録にも、記憶にも……はっきりとは残っていないのに」


 女は指先で、自分の瞼をなぞった。


「探りましょう」


 女は、静かに告げた。


「能力相談所の男――レイジ。そして、白い少女――シオン」


 男は、深く頷いた。


「私の運が、導くはずです」


 女は微笑む。


「ええ。期待しているわ」


 その“幸運”が、すでに何重もの勘違いの上に成り立っていることを、誰も知らないまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ