第4話 出張
話はしばらく続いた。
途中からは、能力とは関係のない、他愛のない話になっていた。
近くのスーパーが閉店したこと。
この辺りは夜になると街灯が少ないこと。
赤ん坊が生まれてから、時間の流れが急に早くなった気がすること。
俺は相槌を打ちながら、能力というものに対する向き合い方を、いつも通りに伝えた。
特別なことは言っていない。
焦らないこと。
比べないこと。
能力に振り回されず、生活の中に置くこと。
何の変哲もない、ただの出張相談だった。
「すみません。休日にお仕事をさせてしまって」
区切りのいいところで、旦那が申し訳なさそうに言った。
「気にしないでください。こうやって自分の相談で、他の能力者の悩みを少しでも和らげられたら、それで十分です」
本心だった。
こういう瞬間のために、この相談所を続けている。
途中から、シオンの姿が見えなくなっていた。
外を見て回りたい、と言っていたから、近所を散歩しているのだろう。
何が久しぶりなのかは分からない。
だが、記憶の手がかりでもあるのかもしれない。
「本日はありがとうございました。代金は……」
「いえ、大丈夫です。今回は旅行のついでだと思ってください」
財布を取り出しかけた旦那の手を、軽く制した。
「あはは。レイジさんには敵わないや」
「ははは。奥さんには、よろしくお願いします」
俺は立ち上がり、帰り支度をする。
奥さんの体調がよくないという話だった。
長居は無用だろう。
出産直後にもかかわらず、わざわざ事務所まで足を運んでくれた。
それだけで、この仕事をやっていてよかったと思える。
「お気遣いありがとうございます。あの、レイジさん」
旦那の声色が、わずかに変わった。
「ひとつ、お願いしてもいいですか?」
「なんです? 私にできることでしたら」
彼は一瞬、言葉を探すように視線を落とし、意を決したように続けた。
「レイジさんの能力を、見せていただきたいのです」
その瞬間、室内の空気がぴんと張りつめた。
俺は、言葉を失う。
――まずいな。
俺が普段使っている能力は、『他人を落ち着かせる』。
もちろん、表向きの設定だ。
輪郭が曖昧で、反証しづらい能力ほど、人は勝手に納得してくれる。
「今も、使っていますよ」
とりあえず、そう伝える。
「いえ……レイジさんの、本当の能力を」
旦那の目は、冗談ではなかった。
沈黙。
逃げ道は、ない。
俺は諦め、旦那の背後――ほんの一瞬だけ、空気を動かした。
ぱさり、とカーテンが揺れる。
首筋を撫でる、弱い風。
不意の感触に、旦那は小さく身震いした。
「くだらないでしょう?」
笑顔を作って言う。
一瞬の間。
それから旦那は、深く息を吐いた。
「あ、ありがとうございます。やっぱり……気のせいでした」
そう言って、無理に笑う。
なにか勘違いをされている気はするが、それでいい。
微風を起こす程度の能力など、説明されなければ分からない。
気のせいで済ませてもらえるなら、その方が楽だ。
「では、本日はこれで」
「はい。また、お願いします」
どこか張りつめた空気を残したまま、玄関を出る。
外では、シオンが待っていた。
彼女は俺ではなく、家の中――旦那の方を、じっと見ている。
「レイジ、帰ろう。お腹が空いた」
「そうだな。飯は?」
「親子丼」
「今日も丼ものか。まあ、いいか」
家を離れ、バス停へ向かう。
背後では、最後まで旦那が頭を下げていた。
――なぜか、必要以上に。
*
玄関の扉が閉まる音が、家の中に残った。
外の足音が遠ざかり、バスのエンジン音が聞こえなくなってから、しばらく誰も動かなかった。
「……行ったか」
男は、ようやく息を吐き、リビングに戻る。
その瞬間、ベッドの上で眠っていたはずの赤ん坊が、ゆっくりと身を起こした。
小さな身体が、呼吸ひとつの間に歪み、伸び、形を変える。
赤子は、女へと戻った。
白い肌。
年齢の定まらない瞳。
時間そのものを拒んだような、静かな存在感。
「……お疲れさま、倉井」
女は、何事もなかったかのように言った。
「い、いえ……こちらこそ」
男は深く頭を下げる。
その額には、薄く汗が滲んでいた。
「正直に言いなさい」
女はベッドから降り、窓辺に立つ。
「どうだった?」
男は一瞬、言葉を選ぶように黙ったあと、慎重に口を開いた。
「……威圧、でした」
「威圧?」
「はい。能力を見せろと言った瞬間、空気が……変わりました」
男は、自分の首元をなぞる。
「触れられたような感覚です。あれは能力ではありません。あの人は、威圧だけで……」
女は、わずかに目を細めた。
「それで?」
「……殺されなかった」
男の声が、低くなる。
「気まぐれなのか、見逃されたのか……いずれにせよ、私は“生かされた”と判断しています」
沈黙。
窓の外では、穏やかな風景が流れている。
「あなたの幸運が、働いたのね」
女は、くすりと笑った。
「え?」
「あなたの能力よ。倉井」
幸運を呼ぶ能力。
本人ですら、結果からしか実感できない、不確かな力。
「……あの人を見つけられたのも、今回生きているのも」
女は、振り返る。
「すべて、あなたの“運”」
男は、思わず拳を握った。
「では……やはり、あの人は」
「ええ」
女は、確信を込めて言う。
「本物ね」
彼女の視線が、玄関の方へ向く。
そして、ふと別のことを思い出したように、呟いた。
「それよりも」
「……?」
「あの白い少女」
男は、はっとする。
「……気づかれましたか」
「ええ。あの目」
女は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「どこかで見たことがある気がするのよ。記録にも、記憶にも……はっきりとは残っていないのに」
女は指先で、自分の瞼をなぞった。
「探りましょう」
女は、静かに告げた。
「能力相談所の男――レイジ。そして、白い少女――シオン」
男は、深く頷いた。
「私の運が、導くはずです」
女は微笑む。
「ええ。期待しているわ」
その“幸運”が、すでに何重もの勘違いの上に成り立っていることを、誰も知らないまま。




