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第38話 予知夢

 俺は思わず口を閉ざした。


 相談者の口から出た『午前零時』という単語。


 それだけで、嫌な予感を生むには十分だった。


 静まり返った部屋の中で、時雨が口を開く。


「やはりな」


 どこか納得したように、小さく頷く。


「時雨さん、何か知っているのですか?」


「ああ。いくら私でも、他人の相談を邪魔するつもりはなかった」


 時雨は胸元から警察手帳を取り出した。


「改めて。特別能力捜査官の間宮時雨だ。捜査に協力してほしい」


 私情の消えた声だった。


 もう、ただの相談ではない。


「問題ありません。間宮時雨さまのお力になれるのでしたら……。ただ、どうして私ごときの情報が必要なのですか?」


 相談者は不思議そうにしながらも、素直に頷いた。


 時雨は少しだけ言葉を選び、答える。


「あまり多くの情報は開示できない。だが、最近、予知夢系の能力に目覚める者が増えていると言えば伝わるだろう。異常な人数だ。本来、後天的な能力の発現は珍しい」


「なるほど……。だから、夢……なんですね」


 相談者は一瞬だけこちらを見たあと、静かに続けた。


「鈴の音がします」


「鈴?」


「はい。遠くからではなく、夢の中で、すぐ近くで。ひとつだけ、鳴るんです」


 夏の明るい相談室には似合わない話だった。


 それでも彼女の口ぶりは真剣で、作り話の気配はない。


 俺は音を立てないように息を吐いた。


 今は時雨に任せよう。


 できれば、俺に関わらない話であってほしい。


 時雨が続ける。


「夢の中で、他に共通点は?」


「……誰かが立っています」


「男か、女か」


「女……たぶん、少女だと思います」


「顔は覚えているか」


 短い問いに、相談者は少しだけためらった。


「最初は見えませんでした」


「今は?」


「いえ、今でもぼやけています。ここ2日くらいで、少しずつ見えるようになってきただけで……でも、まだはっきりとは。逆光みたいで、ちゃんと見えないんです」


 そこまで言ってから、彼女は困ったように息を吐いた。


「変な言い方ですけど、怖い人には見えないんです。立っているだけなのに、少し怖いのに、でも……悪い人だとは思えなくて」


 相談者は、どう説明しようかと迷うように視線を泳がせた。


 そして俺の横――シオンを見る。


「この子に、少し似ています……」


 ぼそりと呟かれた一言。


 相談者は、しまったと言いたげに慌てて首を横に振った。


「すみません! その少女のところは、現実では抜け落ちているので、予知というか、その、ただの夢なのかもしれなくて……」


 早口の説明だった。


 俺は無意識に、手元のメモへ目を落とす。


 相談内容は夢。

 現実との一致あり。

 午前零時。

 鈴の音。

 少女が立っている。


 嫌な並びだった。


 時雨は情報を整理しているらしく、黙り込んでいた。


 代わりに、俺が相談者へ聞く。


「その少女の近くに、他に誰かいましたか?」


 自分でも少し声が低くなったのが分かった。


 相談者はこくりと頷く。


「夢の最後、ノイズまみれの……人、みたいなものが倒れています」


 部屋が静かになる。


 エアコンの音だけが、妙に耳についた。


「生死は分かりますか?」


 俺の問いに、相談者はすぐには答えられなかった。


「分かりません……ただ、血が見えて」


 そこで彼女は、初めてはっきり青ざめた。


「最初は、ただの夢だと思ってたんです。起きたら大半を忘れてしまうような……。でも最近は、夢と現実の境目が分からなくなってきて。倒れていた人の顔も、少しだけ覚えていて……」


 俺は顔を上げる。


 彼女も、こちらを見ていた。


 いや。正確には、俺を見て固まっていた。


「……どうしました」


 そう聞くと、彼女はすぐには答えなかった。


 喉がひくりと動く。


 それから、躊躇いがちに言う。


「すみません。その……似てる、と思って」


「何がです?」


「夢の中で、倒れていた人が……」


 直後、時雨が立ち上がった。


「レイジさん。申し訳ないが、この後の相談はキャンセルでお願いしたい」


 真剣な目だった。


「別に構いません。またお待ちしておりますね」


 俺はできるだけ冷静を装って答える。


 時雨は相談者のほうに向き直り、軽く一礼した。


「貴重な情報に感謝する。もし何か不安を感じたら、第一特別能力捜査隊の間宮時雨まで連絡するといい」


 一拍置いて、時雨はいつもの調子で言った。


「大丈夫。私は最強だ」


 そう言い残し、時雨は玄関から出ていった。


 嵐みたいな人だ。


 だが、おかげで相談者の緊張も少し和らいでいた。


 俺は意識的に思考を切る。


「すみません。色々と、落ち着かない流れになってしまいましたね」


 メモを閉じる。


「まず、現時点では予知夢系の能力の可能性が高いです。断定はできませんが、夢の内容と現実の一致が出ているなら、ただの悪夢として片づけない方がいいでしょう」


 相談者は真剣に聞いている。


「本来なら、夢と現実を切り分けるために、夢の内容を記録してもらうのが有効です。ただ……今回は、少し慎重にいきましょう」


 俺は相談者の目元の隈を見る。


「起きたらまず、部屋を明るくしてください。深呼吸をして、水を飲む。軽く身体を動かすのもいい。考えることから意識を逸らせる方法を、先にいくつか作っておいてください」


「……分かりました」


 彼女は深く頭を下げた。


 来た時より、少しだけ呼吸が整っている。話したことで楽になった部分もあるのだろう。だが、それで終わる相談ではない。俺にも分かる。


「夢の頻度が増える。内容が鮮明になる。現実との一致が大きくなる。このどれかがあったら、すぐまた来てください。話すだけでも大丈夫です。それも立派な対処ですから」


 安心させるように微笑むと、相談者もかすかに表情を緩めた。




 その後は少しだけ雑談をして、彼女の心を落ち着かせた。


 やがて、相談者は帰り際に入口のところで足を止める。


「あの」


「はい」


「夢の中で、倒れている人……毎回、少しずつ顔が違うんです」


 俺は顔を上げた。


「違う、ですか」


「怒っている日もあるし、何も感じていなさそうな日もあって。でも昨日は……すごく、悲しそうでした」


 相談者はそこで言葉を切り、俺の顔をまっすぐ見た。


「ですから……何を言いたいかというと……」


 少しだけ迷ってから、はっきりと言う。


「レイジさんは、違います」


 彼女はそれだけ言い残し、静かに頭を下げて出ていった。


 扉が閉まる。


 ドアに付いた鈴が、ちりんと鳴った。


 聞き慣れたはずの音なのに、今だけは妙に耳に残る。


 まるで、夢のほうから現実に追いついてきたみたいだった。

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