第1話 関係のない話
俺の仕事は、能力者の相談に乗ることだ。
そして不思議なことに、大きな事件が起きる前日になると、決まって客が増える。
駅から徒歩二十分。
決して立地がいいとはいえない場所に、俺の事務所はある。
一階が仕事場で、二階が住居。
いわゆる店舗兼住宅だ。
家賃は月七万円。
大家さんの好意で、関東県内では考えられない条件で貸してもらっている。
もっとも、この場所を好んで借りる人間が、他にいるかは怪しいが。
「事前に頂いた相談内容ですが……。くしゃみをすると、能力が暴発してしまう。で、よろしいですね」
「はい、そうです」
若いスーツ姿の男が、俺の前で俯いたまま頷いた。
緊張しているのが、肩のこわばりではっきり分かる。
「能力は心理状態に影響を受けます。以前は、くしゃみ程度で暴発することはなかったでしょう」
「はい。よく分かりましたね」
「最近、仕事の悩みが増えたとか。思い当たる節、ありますよね」
男は少し迷ってから、観念したように頷いた。
それから、カウンセリングが始まった。
職場の人間関係。
評価への不安。
失敗が怖くて眠れない夜の話。
能力の問題であって、能力だけの問題ではない。
そういう相談は、珍しくなかった。
「以上を意識してみてください。暴発は、かなり抑えられるはずです」
「……すごいですね。まるで、実体験みたいだ」
「ははは。それはそれは……」
仕事の悩みか、能力の暴発か。
どちらも経験済みだと言えば、嘘にはならない。
「それにしても、ここに来ただけで、だいぶ楽になりました」
男はそう言って、俺の隣で黙々とメモを取っていた少女に視線を向けた。
白い髪。
白い目。
長い眉に、大きな瞳。
能力の影響で外見が多様になった日本でも、彼女は目立つ部類だ。
だが本人は、周囲の視線を一切気にしていない。
ただ、必要なことだけを書き留めている。
男は代金を支払い、深く頭を下げて出て行った。
「……飯でも行くか」
「牛丼」
即答だった。
「好きだな、それ。まあ、俺も好きだが」
事務所を出て、駅のほうへ歩く。
平日の昼時ということもあって、人通りは多い。
牛丼屋の前には、すでに列ができている。
「……持ち帰りにするか」
少女は何も言わず、頷いた。
注文を済ませ、袋を受け取って引き返す。
駅前の喧騒が遠のくにつれ、通りは元の静けさを取り戻していった。
「お、帰りかい」
建物の前で、声をかけられた。
金髪。
胸が強調される服装。
鋭い目つき。
一見すると、どう見ても近寄りがたい。
だが、この建物の大家さんだ。
「レイジ。仕事は順調かな?」
「まあ、それなりに」
「そりゃ何よりだ。最近、忙しそうだったからね」
俺は、手に下げた牛丼の袋を見下ろす。
「……そうかもしれません」
大家さんは、ふっと笑った。
「まあ、変な客が増えたら気をつけな。あんたのとこ、何か起きる前触れみたいに人が集まるからさ。ほら、この前だって、最近なにかと話題だった犯罪組織が壊滅しただろ?」
「ははは……」
俺は乾いた笑いを返す。
今日はこの後も予約で埋まっている。
忙しいのはありがたいが、嫌な予感しかしない。
「シオンちゃんも、この男の悪運には気をつけるんだよ。はい、これ」
大家さんが、少女に袋を渡した。
彼女の服や日用品は、同じ女性である大家さんが、何かと面倒を見てくれている。
偶然出会った少女――シオン。
その名も、俺がつけた。
彼女は完全な記憶喪失らしい。
今では、俺の遠い遠い海外の親戚で、日本の文化を学ぶために来た、という設定になっている。
超がつくお嬢様で、身の回りのことはすべてメイド任せ。
だから、服すら自分で買えない。
今考えても、無理がありすぎる設定だ。
だが、それでも大家さんは信じてくれた。
そういう人なのだ。
「じゃ、またね。牛丼ばかり食ってないで、もっといいもん食いな」
「ありがとうございます」
「ありがと」
俺とシオンは頭を下げる。
大家さんは、隣の家へ帰っていった。
二階の住居に戻り、テーブルに袋を置く。
「いただきます」
シオンは律儀にそう言ってから、箸を取った。
まず、紅しょうがには手をつけない。
七味も振らない。
彼女は一度、蓋を少しずらし、湯気を逃がす。
次に、箸で牛肉だけを端に寄せ、白米の表面を軽くならす。
「……最初は、何も足さない」
「へえ」
「味を確認しないと、調整できない」
そう言って、彼女は一口だけ、米と肉を一緒に運んだ。
噛む回数は少なめ。
目を伏せ、真剣な表情で味を確かめている。
「少し、甘い」
そう判断すると、今度は七味をほんのひと振り。
紅しょうがは、最後まで取っておく。
「酸味は、後半」
「……通だな」
「合理的」
淡々とそう言って、彼女はまた箸を進めた。
牛丼を食べるだけなのに、妙に無駄がない。
まるで、実験手順でも確認しているみたいだった。
俺は気にせず、最初に薬味を全部かけ、普通に食べる。
紅しょうが、七味、少し多めのつゆ。
順番に混ぜる必要はない。最初から、全部だ。
いつもの味だ。
うまい。
向かいでは、シオンが箸を止め、しばらく丼を眺めていた。
「牛丼は、最初に壊すと、後が単調になる」
淡々とした声だった。
「最初は素材。次に味。最後に、全体」
そう言って、ようやく丼全体に箸を入れた。
やはり通だ。
妙に腹が立つ。
俺はテレビをつける。
昼のニュース。
世界のどこかで、凶悪な能力者が現れたとか。
それを、別の能力者が制圧したとか。
似たような話ばかりだ。
正直、興味はない。
ここ日本は、表向きは治安が保たれている。
能力者が増えた今でも、国家が管理し、取り締まり、どうにか均衡を保っている……らしい。
裏で何が起きているのかは、知らない。
知る必要もない。
能力を悪用する者。
それを能力で取り締まる者。
どちらも、俺の生活とは無関係だ。
二百年前、世界の空が割れた。
あるいは、それは一瞬の幻だったのかもしれない。
記録によれば、それを境に、人は特別な力を持つようになったという。
だが、そんな歴史があろうと、牛丼の味は変わらない。
俺は空になった丼を重ね、立ち上がる。
「午後の予約、確認するか」
シオンは小さくうなずいた。
事務所に戻り、机の上のスケジュール帳を開く。
すでに、いくつも名前が並んでいる。
最近、やけに多い。
「……忙しくなるな」
独り言のつもりだった。
だが、なぜか胸の奥に、嫌な感覚が残る。
何かが始まる前触れのような……
いや、もう始まっているのか。
俺は小さく息を吐き、隣で書類をまとめるシオンを見た。




