第14話 無法の前
昼寝をしていたら、すでに夕方だった。
結局、当日客は来なかった。
「シオン、勤務時間中に外に出るのは、あまり感心しないな」
「レイジは寝ていた」
「それは、そうだな」
陽が落ちるころ、事務所に戻ってきたシオンと二言三言交わす。
いつも通りだ。
「で、どこ行ってたんだ? 珍しいな」
「商店街。今日はお肉の特売やってた」
シオンはチラシと一緒に手提げ袋を掲げてみせた。
「牛丼の再現……か」
「再現ではない。私は、超える」
妙なところで闘志を燃やしている。
あの炭火焼牛丼を食べてから、ずっとこんな調子だ。
「で、炭は……あるのか」
シオンがリュックを下ろし、中身を見せてきて、俺は観念した。
「100均は便利。なんでも売ってる」
小型のバーベキューセット。
炭。網。火起こし用の道具。
数百円で揃う文明は、時々、怖い。
「レイジ、屋上使っていい?」
「別にいいぞ。そこまで本気なら応援はする。ただ、火だけは気をつけろよ」
シオンはリュックを背負い直し、事務所を出ようとして――止まった。
「忘れてた。これ、商店街のガラガラで当たった」
「福引か。何が当たったんだ?」
差し出された封筒を何気なく開く。
「あー、ここね……って……え?」
二度、見た。
温羅島行きフェリー・ペアチケット。
「シオン、ちょっと待て」
両手いっぱいに荷物を抱え、屋上へ向かおうとするシオンを止める。
「これ、本当に商店街の福引か?」
「そう。ラストワン賞だって」
「いや、待て。それ、違くないか?」
商店街の福引に、島行きフェリーのペアチケット。
しかもラストワン賞。
……聞いたことがない。
「レイジは、こっちの方が欲しかった?」
シオンは観念したような顔で、ポケットから別のものを取り出した。
「ごめん……」
渡されたのは、大手牛丼チェーンの商品券だった。
「まあラストワンって、最後に引いた人のおまけだからな……って、それはどうでもいい。いや、少しうらやましいけど」
俺は膝に手をつき、ため息をつく。
「いいよ。それはシオンのものだ。でも牛丼ぐらい、いつでも食えるだろ」
「違う。これは野望のための布石」
「なんか格好いいな……で、何をするんだ?」
「トッピング、全部乗せ」
シオンは胸を張った。
「神への冒涜だ……」
俺は素直に困惑した。
シオンが屋上で肉を焼いているころ。
俺は閉店作業を終え、自宅のある二階で改めてチケットを眺めていた。
「……やっぱり、おかしいよな」
さっきは牛丼の話で流されたが、冷静に考えれば異常だ。
「罠、か」
可能性は高い。
だが考えるべきは、そこだけではない。
俺の身元は、おそらく割れている。
本気で恨みを持つ相手なら、寝首を掻きに来る方が早い。
俺は弱いし、普通にやられる。
――まあ、それなりの対策はしているが。
スマホを取り出し、あるアプリを起動する。
画面には家の侵入口。
窓、ドア、屋上。
映像の中で、シオンが飯盒で米を炊いていた。
そこから始めるのか……
これは登録者以外が映ると即座にアラートが鳴る仕組みだ。
家ごと吹き飛ばされたら、その時は諦めるしかない。
味原特製・我が家防犯機構。
彼女には、与えられてばかりだ。
引っ越し費用も、結局請求されていない。
「……なら、お土産でも買って帰るか」
島の噂は、耳にしていた。
味原はそこで作られる温泉饅頭を食べたがっていた。
俺は気持ちを切り替え、立ち上がる。
罠だと分かっている。
だが、これに乗らなければ次はもっと露骨な手段が来る。
今は、相手を探る段階だ。
あの日、港湾倉庫で会った幸運の男。
彼の正体を知るために。
俺は別のアプリを起動する。
フォームに必要事項を入力し、隠し口座から送金を済ませた。
表とは切り離した金。
だからこそ、使うべき時は今だ。
偶然なのか、この国の都合なのか。
暑さが顔を出し始めるこの季節、この国には連休というものがある。
毎年この時期と年末年始だけは、相談所を一週間ほど休みにしていた。
予定を整理し、日程を確認する。
温羅島へのチケットは、やはり少し特殊だ。
行きのチケットしか存在しない。
帰りの分は、ない。
帰りたい時は、停泊しているフェリーに乗ればいい。
――帰れたら、の話だが。
「奮発したんだ。当たりが来てくれよ……」
小さく祈りながら、そろそろ牛丼が完成しているであろう屋上へ向かう。
炭の焼ける匂い。
俺は、嫌いじゃない。
屋上では、シオンがすでに料理の最終段階に入っていた。
網の隅で、小さなフライパンを使い、タレを作っている。
ご飯はすでに炊き上がっているらしく、飯盒は火から離され、静かに蒸らされていた。
「しょうゆ、みりん、砂糖は少な目。あと、新鮮な牛脂」
真剣な顔で語るシオンは、もう立派な職人だった。
「へえ。それ、どこで覚えたんだ?」
「味」
一言だけ。
だが、その目を見れば、十分すぎるほどだった。
網の上で、ついに肉が焼かれる。
薄切りの赤身肉。
「焼くと脂が落ちる。だったら、最初からいらない。合理的」
両面に軽く焦げ目がついたところで、肉はタレの入ったフライパンへ移される。
肉が、音を立ててタレに沈んだ。
飯盒からご飯を丼によそい、二人分に分ける。
あとは、肉をかけるだけだ。
「はい。レイジの分」
「初任給でプレゼントとは、とんだ孝行娘だな」
俺は、給料という形でシオンに金を渡していた。
額は小遣い程度だが、負い目を持たせないための、俺なりの言い訳だ。
シオンは、少しだけ嬉しそうな顔をして、自分の丼に向き直る。
「いただきます」
「いただきます」
どちらからともなく手を合わせ、屋上での食事が始まった。
「……うまいな。ああ、うまい」
一口で、言葉が漏れた。
すべてが計算されているのに、どこか野性的で、炭の苦みがしっかり主張している。
間違いなく、今まで食べた牛丼で一番だった。
昼は寝ていただけ。
昼飯も牛丼だった。
欲はないはずなのに、箸が止まらない。
シオンも満足そうに食べている。
気づけば、俺は先に食べ終えていた。
少し遅れて、シオンも箸を置く。
その直後。
「……玉ねぎ、忘れてた」
薄暗くなった空の下、その声が、やけに静かに響いた。
俺たちは、しばらく無言になる。
そういう牛丼だと思って食べていたが、普通に忘れていたらしい。
「……また次回、だな」
俺はシオンの頭を軽く撫で、立ち上がる。
「そうする。でも、これはこれであり。私は天才」
自信を取り戻したシオンは、俺に続いて後片付けを始めようとした。
その時だった。
――ドタドタ、と。
階段を駆け上がる足音。
「焼肉するなら言ってくれよ! 肉と酒、急いで買ってきたぞ!」
正体は、大家さんだった。
両手いっぱいに袋を提げ、満面の笑みを浮かべている。
「シオン、炭はまだあるか?」
「問題ない。念のため、たくさん買った」
「それじゃあ、続きだな」
腹はすでに膨れている。
だが、せっかくだ。
こういう日も、悪くない。




