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Right Cylinder ルーザーズ・マーチ Losers March・半端者たちの行進

 彼は、無駄を自覚しながら、無気力に働き、自堕落に生きていた。

 怠惰と、臆病の鎖に縛られて。

 そんなある日、彼は、裏路地で、中高で憧れていたあいつに出会う。

 あの頃、憧れて、見惚れていたあいつは、地べたに座り込んで、うらぶれて、泣いていた。

 そんなあいつを見た彼は、怠惰と臆病の鎖を引きずりながら、あいつに向けて歩きだした。

 そして、2人の想いが交わった時、止まっていた時間が動き出す。

 「……ふざけんなよ」

 その声を聞いただけで、そこにいるのが誰だか分かった。

 あいつだ。


 金曜日の22時すぎ、俺は最寄の駅前にある、いつもの立ち飲み屋を出た。

 ここには、月に2、3回、金曜日に顔を出す。

 俺のささやかな楽しみだ。

 ここの客のほとんどは俺より歳上で、運が良ければ奢ってもらえることもある。

 それに、ここにたむろするおっさん達は、自分の苦労話を語る事は好きでも、俺の身の上にはほとんど興味を示さなかった。

 俺にはそれが、逆に心地よかった。

 「泰斗くん。また来なよ〜」

 「はいっ、今日はご馳走様でした!」

 今日も馴染みのおっさんに奢って貰って、少し上機嫌で店を出た俺は、店の脇の細い路地にある灰皿に向かった。

 そこで俺は、灰皿の陰にだれかの気配を感じて足を止めた。

 その誰かのライターはガス切れみたいで、何回もヤスリを回す音と一緒に、声が聞こえてきた。

 それを聞いて、すぐに分かった。

 俺とあいつは、中高で同学年だった。

 俺たちは、別に友だちじゃなかった。

 それでもその声は、俺にとって、忘れられない声だった。


 丁度バブルが弾けた頃に、俺は生まれた。

 小学校までの俺は、人見知りで運動は苦手だったけれど、勉強も友達も勝手に出来ていた。

 だから、大人になったら勝手に就職できて、お嫁さんも自然とできると思っていた。

 その頃から俺は、妙に偏屈で斜に構えた物の見方をする奴だったけれど、小学校ではそれが逆に周りに面白がられていて、クラスで俺はそこそこのポジションにいたと思う。

 でも、中学校に上がると状況は一変した。

 まず、自習する習慣の無かった俺の成績は、最初は上の方だったけれど、2年生からは中くらいに落ち着いた。

 それに、対人関係が常に受け身だった俺は、別の小学校から来た奴らと上手く馴染めなくて、もたもたしているうちに、同じ小学校を出た奴らとも段々疎遠になっていった。

 周りの奴らは、運動が出来なくて、勉強だって大した事がない上に人見知をする俺に、積極的には関わってこなかった。

 学校に居場所がなくなった俺は、授業が終わるとすぐ家に帰って、パソコンでネットサーフィンに没頭する様になった。

 そういう時の俺は、政治とか社会問題とか、そういう難しそうなサイトを見ていた。

 今思えば、あの頃の俺はそうやって、周りの奴らが気にしてない価値のありそうな事を考えながら、自分は周りの奴らとは違うと思い込んで、プライドを守ろうとしていていた。

 俺はそれだけで、自分が学校の奴らよりも、もしかしたらそこら辺の大人よりも賢くなったつもりでいた。

 そうは言っても、そういう事をきちんと勉強した訳ではない俺は、自分の知ったかぶりが他人ばれて批判される事が怖かったから、周りとそういう話しをしようとはしなかった。

 でも、あいつは違った。

 あいつは、俺が考えているのと同じ様な事を、周りの奴らに堂々と語っていた。

 あいつは俺と違って運動が出来たし、明るくて社交的な性格だったから、友達も多かった。

 それでも、あいつの周りの奴らは、あいつが、今の政治はここがおかしいとか、今の社会であれが間違っているとか語り始めると、いつも、半分馬鹿にした様な態度でそれを聞き流していた。

 あいつはその事で周りに煙たがられて、陰口を叩かれていたし、多分、本人もその事に気がついていた。

 それでもあいつは、そんな事は全然気にしていない様子で、堂々と、偉そうに語っていた。

 俺も周りの奴らと同じく、空気が読めないあいつを馬鹿にしていた。

 それでも心の中では、あくまで堂々としているあいつの事を、羨ましくも思っていた。


 俺とあいつは、同じ高校に進学した。

 あの頃の俺にとって、あいつが政治や社会問題について語り始める事は、学校での唯一の楽しみだった。

 俺は、自分で直接あいつに話しかける事はできなかったから、いつも、あいつが語り始めるのを密かに待っていて、それが始まると、ただ聞き耳を立てて、横目であいつを見ていた。

 周りの奴らは、いつも適当な態度でそれを聞き流していたけれど、俺は、自分が相手なら、もっと深い話しが出来るのに。

 なんて思いながら、いつもただ、あいつに見惚れていた。


 そんな事を思い出しながら、俺は、灰皿の陰のあいつを見下ろした。

 あいつは、よれたグレーのパーカーにジーンズを履いて、路地のアスファルトに座り込んでいた。

 一目見て、健全とは言い難い様子だった。

 何かあったのか、すぐにそう思った。

 第一、俺の知る限り、今のあいつは、東京で結構いい暮らしをしているはずだ。

 それがこんな時間に、みすぼらしい格好で、裏路地の地べたに座り込んでいる。

 あいつは、時折嗚咽を漏らしがら呟いていた。

 「……あぁ……くそ……ふざけんなよ……」

 東京から地元に帰ってきて、みすぼらしい格好で、こんな時間に、こんな裏路地でうらぶれている。

 それだけで、今のあいつが何かしらの問題を抱えている事は、容易に想像がついた。

 ……だとしても、中高でもほとんど話した事がない俺が、今あいつに声をかけた所で、してやれる事なんて何もない。

 ましてや、それで面倒事に巻き込まれたくもない。

 そう思った俺は、そのまま帰路についた。


 高校を出た俺は、東京の大学に進学した。

 周りの雰囲気が変わったせいなのか、そこでの俺は、中高の頃よりはかなり社交的になったと思う。

 そこで俺は、中高までの自分が人間関係において、臆病な上に、とても怠惰だった事に気がついた。

 あの頃の俺は、自分の事を他人に知られたくなかったから、他人の事にも興味を持っていなかった。

 自分の弱みを他人に知られて、見下させる事が怖かった。

 そして、それから逃げるために偉そうな事を考えて、そこに逃げこんで、他人に興味を持つ為の努力を自ら放棄していた。

 でも、大学で気がついた。

 周りの奴らは、誰も、そこまで俺の中身に興味を持ってはいない。

 みんな、周りの奴らとの人間関係を良くする為に、お互いにとってそこそこ心地いい距離感を保とうとしている。

 つまりそこでは、臆病で怠惰な自分を隠しながらでも、他人にそれなりに興味があるふりをしておけば、それなりの生活を送ることができる。

 だから俺は、初めは他人に興味があるふりをしているだけだったのに、いつの間にか、本当に他人に興味が持てるようになってきた。

 さらに、そんな俺に興味を抱いてくれる人にも出会えたし、そんな生活を送っているうちに、臆病で怠惰な俺でも受け入れてくれる友だちとも出あえた。

 そいつらとは、一緒にいるだけで、何となく心が通じあうような気持ちになれた。

 そしてなんと、そんな彼女まで出来た。

 でも、三年生の中頃から周りの雰囲気が本格的に就活モードになってくると、俺はなかなか友達や彼女と遊べなくなって、だんだんと苛立っていった。

 俺は、自分にいい企業に就職するだけの能力がないことは分かっていたから、みんなの様に就活に必死になる事なんて馬鹿馬鹿しいと思っていた。

 あの頃の俺は、就活に必死になっているみんなに苛立っていたし、自分の就活の為に、無駄にも思える時間と労力を費す事を、とんでもない苦痛に感じていた。

 だから俺は、四年生になってからやっと大手の就活サイトに登録して、給料はそこまで重視せずに、東京で、休みが多くて、残業が少なそうな企業を中心にエントリーしていった。

 何社かの試験を受けた後、条件に合いそうな中小から内定が出たから、俺はそこに即決した。

 そこは俺の希望する条件にあっていたし、何より社長にカリスマ性を感じた。

 初めて出会う人種だった。この人に付いていきたいと思った。

 そして彼女の方は、やりがいを感じそうだと言う、俺とは別の東京の中小に就職した。

 大学を卒業した俺と彼女は、結婚を視野に入れて同棲を始めた。

 でも、この辺りから、俺と彼女の関係がおかしくなってきた。

 俺の会社は、確か休みは多かったし、社長にはカリスマ性と経営能力があったけれど、その人は実際には酷いパワハラのワンマン社長で、その怒鳴り声が絶えない職場だった。

 社長の口ぐせは、残業しないで定時に帰れだった。

 なのに、社長が回してくる仕事の量は、定時までには到底終わらない物ばかりで、周りはみんな、タイムカードを切ってから残業をしたり、仕事を家に持ち帰ったりしていた。

 俺も本当は嫌だったけど、社長に怒鳴れるのはもっと嫌だったから、仕方なくそうしていた。

 そのとき俺は、自分の人生経験の少なさと、人を見る目のなさに後悔したけれど、入社してしまってからではもう遅かった。

 さらに、彼女の会社の方は典型的なブラック企業だったから、彼女はサービス残業で会社に泊まりこむことが多くなった。

 大学時代の俺たちは、そこ特有のモラトリアム的な雰囲気の中で、そこそこ上手くやれていた思う。

 でも、2人が社会人になると、状況は一変した。

 大学生の頃の俺は、特に苦労しないでも、それなりの生活が出来ていた。

 でも、就職してから前と同じ生活をしようとすると、毎月の給料はほぼ全部消えてしまう。

 だけど俺は、その環境の変化を受けいられなくて、前と同じ生活に固執していた。

 でも、彼女の方は俺より一歩先を行っていたみたいだ。

 同棲を始めて半年くらいたった辺りから、彼女は若い妻子持ちの男の上司に心酔し始めて、たまに帰って来ても、そいつと俺を比べた自慢話ばかりをする様になった。

 そして、二人が同棲を初めて一年位経った頃、彼女は、今の俺の給料だとこれからの生活が不安だから、俺に酒と煙草を控えるか、もっと稼げる企業に転職しろなんて言い出した。

 それに対して俺は、いやいやでも働いている以上、そういう物を我慢したくないし、今の仕事を続けながら転職活動をするのもキツいと反論した。

 そして何より、仕事以外の時間、特に彼女との時間を大切にしたいと主張した。

 だけど彼女の方は、それだと子供が欲しい私との将来を真剣に考えていないと言い張って、一歩も譲らなかった。

 その頃の俺は、子供の事を考えるのは、まだ先の事だと思っていた。

 でも彼女は、子供にかなりのお金がかかる今の時代に、今からその為の貯蓄をしようとしない俺の考え方は甘いと罵って、俺にその気がないのなら別の高給取りの男と結婚すると言い放った。

 その彼女の言い方で頭に血が上った俺が、その高給取りの男というのは彼女の上司の事かと問い詰めて、そいつなんて、ブラック企業に騙されて、人生を無駄にしている馬鹿な奴だと罵り返したら、彼女は俺と口を利かなくなった。

 そして、それが決定打になって、俺たちは同棲を解消することになった。

 その頃の俺は、いい加減、いつ社長に怒鳴られるかびくびくする生活にも嫌気がさしていたから、そのタイミングで地元に帰って転職する事にした。

 丁度、転職市場が売り手有利だったおかげで、俺は運よく、すぐに地元の倉庫管理の会社に転がり込む事が出来た。

 俺の地元の街は幕末から港湾都市として栄えた所で、今でも港湾関係の倉庫がそれなりに残っている。

 そんな今の仕事は、パソコンを使った在庫管理がメインだ。

 給料は安いけれど、休みが多くて残業もほとんどないし、福利厚生もそれなりにしっかりしている。

 仕事自体は単純なものがメインで、やりがいなんて感じようのない。

 つまり、今流行りのゆるブラックって奴だと思う。

 確かに、この仕事で酒や煙草に金を注ぎこんでいたら、彼女が言っていた様に貯蓄をする事は難しい。

 ……でも、それの何が悪い。

 俺は、ゆるブラックとか言い始めた奴らに、逆に言ってやりたい。

 奴らに言わせれば、やりがいのある職業に就いて、自分の能力を社会で最大限に発揮することが、唯一の正しい生き方らしい。

 そして奴らは、やれスキルをつけて給料のいい会社に転職しろだの、やれ老後には何千万の貯蓄が必要だのと言ってくる。

 でも俺に言わせれば、人生で何にやりがいを感じるかなんて、その人の自由なんだ。

 それは別に仕事じゃなくてもいいし、第一、奴らに指図される事でもない。

 大体、成功者なんて呼ばれる奴らは、生まれつき才能があるか、自分の成長に適した環境や経験に恵まれていた事が多い。

 けれど世の中には、それに当てはまらない成功者も山ほどある。

 それは分かっている。

 それでも言わせてもらえば、そいつらには、辛さに耐えて能力を身につけるために努力する才能が、元々あったはずだ。

 そして俺が知る限り、世の中でいい思いをしているのは、結局そういう”出来る”奴らだ。

 今まで生きて来た経験上、俺はそういう運もなかったし、努力する才能もない”出来ない”奴である事は分かりきっている。

 ゆるブラックという言葉を流行らせた奴らなんて、さも優しげに、あなたには可能性がある。

 なんて言いながら、結局は、俺みたいな”出来ない”奴を騙して、楽しみを奪いとって、それで浮かせた金を自分たちが掠めとりたいだけだ。

 俺は奴らの言いなりにはならない。

 例えゆるブラックと言われようと、今の仕事で十分だ。


 でも、あいつは”出来る”奴だったみたいだ。

 俺とあいつは別々の東京の大学に進学して卒業以来会っていなかったから、俺はその後のことを詳しくは知らない。

 だからSNSで見ただけだけど、大学を出てからのあいつは、大学を中退して中古バイクを売買する事業を初めて、かなり儲けてる様子だった。

 あいつのSNSにはいつも、俺の給料じゃ到底手がだせない様なバイクとか、高そうなレストランとか、海外旅行の画像が載せられていた。

 俺は、本人の力で金持ちになったあいつみたいな奴のことは、素直に凄いと思うし、憧れもする。

 憧れはするけど、”出きない”奴の俺にそれと同じ事をしろと言われても、どうしようもない。

 俺なんて、他人にゆるブラックと言われる今の仕事でも、毎日気疲して、クタクタになって帰宅している。

 だから、金曜日以外の俺は、帰宅してすぐに入浴と食事を済ませると、酒と煙草を飲みながらゆっくりと過ごして、24時にはベッドに入る。

 そしてそんな時に、したり顔で、仕事終わりにスキルアップの勉強をしろだの、休日に転職セミナー開催だの、隙間バイトだの言ってくるネット広告を見かけると、作った奴らをぶん殴ってやりたくなる。


 あいつを見かけた次の週からも、俺は今まで通りに出社した。

 俺の仕事は、基本的に一日中一人でパソコンとにらめっこだ。

 正直退屈だけど、それでも喫煙所では上司や先輩が話しかけてくれるし、その人たちがたまに、仕事終わりに食事や飲みに誘ってくれることもあったから、特段孤独を感じることはなかった。

 今の生活で、俺には充分だ。

 そう思いながら、俺は今まで通りり働き続けた。

 それでも、ふとした時にあいつの事が頭をよぎる。

 なぜあの時、俺はあいつに声をかけなかったんだろう。

 面倒事に巻き込まれたくなかった。

 俺なんかが話しかけた所で、してやれる事なんて何もない。

 ……いや、それは言い訳じゃないか?

 よく考えてみれば、ちょっと話したくらいで、俺まで面倒事に巻き込まれるとは思えない。

 してやれる事なんて、まず話しかけて、一緒に煙草を吸うくらいでもよかったんじゃないか。

 じぁあ、何でだ。

 そうだ、もしあいつが、中高の頃の俺を覚えていたら。

 そうしたら俺は、嫌でもあの頃の自分に向き合う事になる。

 捨てさりたい、あの頃の自分に。

 だとしても、ここであいつを放っておいたら、あの頃あいつに抱いていた憧れも、大学に入ってから身につけたはずの自信も、全部偽物になってしまう気がした。

 そう思いだすといても立ってもいられなくなって、俺はあいつを見かけた次の週の木曜日、定時で仕事を切り上げてすぐ、いつもの立ち飲み屋の脇の灰皿に向かった。

 あいつはいなかった。

 仕方がないから俺は、店で軽く飲みながらちょくちょく煙草を吸いに行って、あいつが現れるのを待つ事にした。

 前回と同じ22時すぎに灰皿を見に行くと、その傍らに座り込んでいる人影があった。

 あいつは先週と変わらず薄汚れた格好で、ガス切れのライターのヤスリを、何回も虚しく回していた。 

 でも、いざあいつを見つけたら、緊張してかける言葉が出てこなかった。

 それでも俺は、一度深呼吸してから、灰皿を挟んであいつの右側に立つと、意識して低くした声をあいつかけた。

 「……よう、久しぶり」

 「あ?」

 あいつはそう言って、俺の顔を睨みつけた。

 「お前、上田和真だよな」

 「は?なんだてめぇ」

 「てめぇって事はねぇだろ。一応俺ら、マル高の同学年だせ?」

 「……は?」

 「ははは。まあ、覚えてねぇか。それよりお前、そのライター、ガス切てんのか?」

 「ああ」

 いざ話しかけてしまえば、意外と言葉はスムーズに出てきた。

 俺は黙ってライターを取り出した。

 「おう。サンキュ」

 上田がそう言って咥えた煙草の先端を、俺はライターで炙った。

 煙草の先端に赤く火種が点ると、俺は上田の隣に立って、自分の煙草に火をつけた。

 「……なあ、お前……」

 上田は、ときどき何か言いかけたけど、俺はそれを聞こえないふりをしながら、さり気なくあいつに横目で視線を送った。

 正面から上田に向き合っていない所はあの頃と同じだけど、今日の俺はあいつと言葉を交わして、灰皿を挟んであいつと並んできる。

 俺の中に、奇妙な達成感みたいな物がこみ上げてきた。

 それからしばらく、俺達は無言で煙草を燻らせていた。

 やがて上田は、煙草を足元のコンクリートで揉み消して、俺の方に向き直りがら言った。

 「……なあお前、もしかして……」

 その言葉を聞いて、心臓が跳ね上がった。

 途端に、捨て去りたい過去の過去の記憶が脳内を駆け巡る。

 俺はビジネスバッグから予備の使い捨てライターを取り出して、上田に押し付けた。

 「これ、やるよ」

 そう言った俺の顔を不思議そうに見上げながら、上田は呟いた。

 「え、あ、いや……」

 「いいって、家にも予備あるし」

 俺はそう言って吸いかけの煙草を灰皿に捨てながら、表通りに足を向けた。

 「いや、お前……」

 「悪りぃ、俺、明日も早いから。また今度、一緒に飲もうぜ」

 「おい待てよ。もしかしてお前、3年でクラス同じだった吉川か?」

 背中に聞こえてくる上田の声を、俺は聞こえないフリをした。

 

 その日、帰宅した俺は普段通りに過ごして、普段通りの時間にベッドに潜り込んだ。

 でも妙に興奮して、なかなか寝付けなかった。

 ベッドの中で、俺は考えた。

 今晩俺は、上田に話しかけて、ライターまで渡した。

 自分としては、良くやった方だ。

 ……でも、本当にそうだろうか?

 あの時上田は、俺に何か言おうとしたいた。

 それなのに俺は、上田が俺の事を覚えていたら、その事で頭が一杯になって、逃げ出した。

 何が、大学に入ってから身につけた自信だ。

 いざ、上田を前にした俺は、あの頃から少しも成長していなかった。

 あの時胸のなかに沸きあがってきた達成感が、だんだん、とてもちっぽけで、醜い物に思えてきた。

 ……いや、俺はあの時、良くやった方だ。

 そうだ。

 今までいい思いをしてきた上田の事を、何事もそこそこの人生でいいと思ってやってきた俺が、心配してやる必要はない。

 よく思い返しててみれば、中高の俺は、上田に憧れるのと同時に、どこかで妬みも抱いていたんだ。

 確かにあの頃の俺は、堂々と偉そうな事を語る上田の姿を見て、羨ましく思っていた。

 だけど同時に、自分が考えているのと同じようなことを語って、いつも誰かに囲まれている上田に、内心で苛立ってもいた。

 だから俺は、上田が落ちぶれている姿を見て、内心「ざまあみろ」と思ってしまったんだ。

 ”出来る”奴が成功していい思いをするのがそいつの勝手なら、そいつが失敗して、落ちぶれるのも勝手だ。

 そんな物、”出来ない”奴の俺の知ったことじゃない。

 自分の自信のなさ、ちっぽけさに嫌気がさす。

 そんな事を考えていたらなかなか寝付けなくて、寝不足の俺は、落ち込んだ気持ちで出社した。

 それでも、いつも通り会社で過ごしているうちに、俺の気持ちは段々と上向いていった。

 例えゆるブラックと言われようと、俺は人様に恥じない仕事をして、社内でもそこそこに振る舞っている。

 それで一応、自立した生活も送っている。

 それだけで十分かどうかは分からないけれど、少なくとも、中高の頃よりは自信を持っていいんじゃないか。

 そうだ。

 中高の頃の俺は、上田が政治とか社会問題について語っているのを見ていて、自分もあいつとそういう話しをしてみたいと思っていたんだ。

 それならその気持ちを、そのまま上田に伝えればいい。

 昨日の俺は、上田とそこそこ滑らかに話せていたんだから、あいつが中高の俺を覚えていたとしても、そこまで心配する事はないだろう。


 そんな事を考えた次の日、22時過ぎに俺は、密かな期待を抱きながらいつもの店を出て、店の脇の灰皿に向かった。

 「……くそっ……ふざけんなよ……」

 上田は相変わらず、灰皿の脇に座り込んで、一人でボヤいていた。

 俺は、灰皿を挟んで、短く上田

に声をかけた。

 「よう」

 「……吉川。おいてめぇ、昨日は何で無視したんだよ」

 上田は俺の顔をまっすぐ見ながら、低い声で呟いた。

 今度は答えが、自然と出てきた。

 「ああ、それはほんとごめん。俺さ、中高じゃあガチのボッチだったじゃん。だから今でも、中高の奴らはなんか苦手なんだよ」

 俺の言葉を聞いて、上田の表情が少し緩んだ。

 「お前……ガチのボッチって、そんな事自分で言うなよ。聞いてるこっちが悲しくなんだろ」 

 「ははは」

 「いや、笑うとこじゃねぇだろ」

 「ははは、悪りぃ」

 「……ふざけんなよ。大体お前、何で今日は、そっちから話しかける気になったんだよ」

 そう言いながら、上田は俺の顔を見上げて、目を細めた。

 「ああ、そうだな。お前さ、中高でたまに、政治とか社会問題について語ってただろ」

 「ああ、そうだったな」

 「俺も最近、そういう事に興味が出てきてさ。だから一回、お前とそういう話しがしてみたいと思ってたんだよ」

 「ふーん。そんで、俺が落ちぶれてるのを見て、今なら自分と同レベルだと思って、安心して話しかけてきたって訳だ」

 その言葉を聞いて、俺は心臓が跳ね上がるのを感じた。

 考えてみれば、そう言う面が全くなかったとは言い切れない。

 いきなり痛いところを突かれた俺は、顔を引きつらせて早口で反論した。

 これは俺の昔からの悪い癖で、最近はかなり克服したつもりでいたけど、不意打ちにあっては対処のしようもない。

 「ち、ちげーよ!俺だって大学で友達も彼女も出来て正社員にもなれたんだし、もう中高の頃みたいなガチのボッチの陰キャじゃ……!」

 「ははは。分かった分かった。分かったから、落ち着いて話せ」

 そう言われて俺は、一度大きく息をついてから、ゆっくりと話し始めた。

 「……だから、俺だってちょっとは成長したんだし、せっかくお前に会ったんだから、政治とか社会問題の話しを……」

 「なあお前、さっきから政治とか社会問題の話しって言ってるけど、具体的に何の話しをしてぇんだ?」

 そし来た。

 そういう事なら、いくらでも語れる。

 「ああ、話したい事ならいっぱいあるけど、まず一番目は、少子化対策についてだな。大企業の新卒の初任給なんか俺よりも高い位だけど、学歴もスキルもなくて、中小で働いてる俺みたいな奴の給料なんて、ちっとも上がらねえ」

 「ああ、それはそうかもな。でもそれが、どう少子化対策につながるんだ?」

 「だから、今の育児には金がかかりすぎるんだよ。今の時代、子供を大学に行かせたいなら、予備校費とか学費とか、俺の給料じゃあ到底払えないだけの金がかかるわけだろ?」

 「まあ、確かにそうかもな」

 「だよな?でさ、俺が思うに最近の日本に蔓延しているこの子供を大学に上げられなきゃそもそも子供を持っちゃいけないみたいな風潮が……」

 「まてまてまて」

 また捲し立てようとした俺を、上田は右の手のひらを振って制した。

 「だから、落ち着いて、ゆっくり話せって」

 「あ、悪りぃ」

 「大体お前、そんな風潮あるか?」

 「ああ、あるね!俺なんか彼女と結婚直前まで行ったのに給料少な過ぎて子供が持てないって振られたんだからな!」

 「……っっ!!」

 上田は一度口元を抑えて俯いてから、まだ半笑いの顔を俺にむけてきた。

 「……だからお前、ふざけんなって。それ、威張ることじゃねぇだろ」

 「いーや、俺の親らの時代なんて高卒とか専門卒でもそこそこの給料貰えて子供だって一人前になるまで育てられたんだからな」

 「ああ……まぁ、それはそうかもしれねぇけど、その頃と今とじゃ時代が違うんだからさ、俺らはもう、頑張ってバンバン稼ぐしかねぇだろ」

 「そんなこと言ったってさ、給料がいい企業は俺みたいな学歴もスキルもねぇ奴を雇ってくれねぇじゃん」

 「バーカ。今の時代、学歴もスキルもねぇ奴がこの歳で女と付き合いてぇなら、残業とか休日出勤しまくってでも金を稼ぐしかねぇんだよ。もちろんその上で、タバコもやめて、金を貯めてな」

 「はぁ? やだよそんなん生きてる意味ねぇじゃん」

 「ははは、お前、意識低すぎんだろ。そんなんだから、セカンド童貞になるんだよ」

 「はぁ!?」

 「だってお前、考えてみ?彼女持ちが金曜の夜に、一人でこんな立ち飲み屋に来るか?」

 「な、それは……」

 「ははは、ほら、またキョドってる」

 「……うっせーな」

 「ははは」

 機嫌良さそうに笑う上田の様子を見て、俺は本題を切りだした。

 「てかお前さ、先週もここに一人で居ただろ。確かお前、今は東京に住んでると思ってたけど、いつこっちに帰ってきたんだ?」

 それを聞いた途端、上田はさっきまでと打って変って、低い声で呟いた。

 「……てめぇ、ストーカーかよ」

 「バ、バーカ、違げぇよ。誰がお前みたいなむさい男のストーキングするか。するんならもっと可愛い女の子にしてるわ」

 「……お前、さっきからふざけんなよ」

 上田は、太い声でそう言いながら立ち上がった。

 そのまま上田は表通りに体を向けたから、俺は慌ててその前に立ちふさがった。

 「ちょ、待てって」

 「……どけよ」

 険しい視線で俺の目を睨みつけながら、上田はさらに太い声でそう言った。

 ……しまった、ふざけすぎた。

 大学時代は、話がシリアスになりかけると、たいてい誰かがおどけて場を和ませてくれたけど、それは俺の役割じゃなかった。

 大事な局面で、いきなり慣れない事をするもんじゃないって事か。

 正直怖い。

 でもここで逃げ出したら、せっかくここまで上田と話せた事が、全部無駄になってしまう気がした。

 そうは言っても、こういう時どうすればいいかよく分からない俺は、とりあえず目を伏せて、低姿勢であいつに謝る事しかできなかった。

 「……ごめん。おまえと話せたた事が嬉しくて、俺、はしゃぎすぎてた。嫌な思いさせて、ごめん」

 「くそっ、ふざけんなよ」

 上田はそう吐き捨てて、手にした煙草を灰皿に捨てながら、立ちすくんだ俺の脇をすり抜けた。

 それでも俺は、表通りに向うその背中に言葉を投げかけた。

 「……ほんとごめん。俺……クラスで……堂々と……政治とか社会問題の事を語れるおまえの事が羨ましくて……だからずっと……おまえとそういう話が……」

 「……おいお前、なに泣いてんだよ」

 「……へ?」

 そう言われて目元を拭った人差しに、生暖かい感触が触れた。

 確かに視界がいつもよりぼやけていて、少し鼻も詰まっている気がする。

 「は……ははは……悪りぃ、何だこれ……俺だせぇ……」

 そうしたら上田は、小さくため息をついてからこっちに戻ってきた。

 何も言えず、俺はただ、黙ってそれを見ていた。

 上田は元のように灰皿の脇に座り込んで、右手を俺に差し出した。

 「……なにボーと見てんだよ。一本よこせ」

 「あ……ああ」

 俺は慌てて煙草を取り出して、上田に差し出した。

 「火」

 「ああ」

 俺は言われたとおりにした。

 煙草の先端に火種が灯ると、上田つは一度、大きく煙を吸い込んで、長く吐き出しながら言った。

 「……くそっ……ふざけんなよ。しゃあねぇ、もうちょっとだけ話しに付き合ってやんよ」

 そう言われても、すぐに言葉は出てこなかった。

 俺が馴れ馴れしくしすぎたせいでで上田を怒らせて、でもあいつは戻ってきてくれて……。

 「馬鹿野郎。そっちから話がしたいって言ってきたんだから、とっとと話せよ。ほら、少子化と低賃金の話しだろ」

 そう言われて俺はやっと、自分が今、どうするべきかを認識した。

 「あ……ああ、結論から言うと、そうだな。物価高を上回る賃金上昇が無理なら養育費の上昇を上回る賃金上昇なんてもっと無理じゃねぇかって話だな」

 「はぁ?それはお前、結論じゃねぇだろ。お前は結局、少子化対策はどうすれば良いと思ってんだ?」

 「え? あ、そうだな。だから行政は養育費支援をもっと充実させた上でさ、子供を大学まで通わせられないならそもそも子供を作るべきじゃないみたいな風潮を……」

 「お前、さっきもそう言ってたけど、大体、自分は親に大学まで上げて貰っておいて、そんなこと言っても、説得力ないと思わないのか?」

 「あ、そ、それはそういう面もあるだろけどさ、さっきも言ったけど俺らの親世代と俺ら世代じゃ子育てに関する考え方とかかる金が大分違ってるだろ。だからこそ今は行政が主体になって大学に進む以外にも社会的に活躍出来る道が沢山ある事を周知してそういう道を増やしていく事が大事なんじゃないかな」

 「まあ、それはそうかも知れねぇな。でも今の時代、大学中退とか、そもそも大学に行ってねぇと奴にも、社会的に成功してる奴なんて山程いるだろ」

 「あ、確かにそう言う例もあるよな。でも俺が思うにそういう奴らは元々才能があったか自分の能力を高めるのに適した環境にいたかそう言う経験をしてきたかその為に努力する才能が……」

 そこで上田は立ち上がって、タバコを灰皿に捨てながら声を発した。

 「……だから、落ちついて話せって」

 「あ、ごめん」

 「……でもまあ、分かったよ。お前、結構話せる奴見てぇだな。よし、話の続きはお前ん家でしようや」

 俺の語りが、上田に認められた。

 中高では、ただ、見ていただけだったのに。

 俺は、湧き上げてきた高揚感で思わず弾んだ声を上げそうになったけれど、さっきの二の舞はもう御免だと咄嗟に思いなおして、意識して低い声で上田に答えた。

 「おう。それなら、俺の部屋にある酒、好きなだげ飲んでいいからな」

 「お前、自分でそう言うけどよ、そもそもお前ん家に、まともな酒なんてあんのか?」

 「まともな酒ってお前……まあ、ビールと日本酒と白ワインと芋焼酎とウイスキーと……あ、今ならジンもあるな」

 「ジン?」

 「ああ、クラフトジンとか言う、ちょっと高めの奴」

 そこで上田は小さくため息をついてから、呆れた様な声を出した。

 「……お前、バーでも始めるつもりか?」

 「ああ、一時期本気で部屋にバーカウンターつけようと思ったこともあったんだけど……」

 「馬鹿野郎、真に受けてんじゃねぇよ。酒に金かけすぎだっつってんだ」

 「そりゃお前、酒とタバコは俺の生き甲斐だかんな」

 「……生き甲斐って、お前……」

 上田は、そう呟いて歩きだしながら、隣の俺に右手を差し出してきた。

 「なあ、タバコもう一本くれねぇか」

 「おいお前、路喫とかふざけんなよ。お前みたいな奴がいるせいで、喫煙者の肩身がますます狭くなるんだよ」

 「何だお前、変な所で真面目だな」

 「おい、なにが変な所だ。ふざけんなよお前……」


 それから俺達は、軽口を叩きあいながら俺のアパートにむかって歩いて行った。

 俺のアパートは、駅から実測徒歩20分くらいにある、鉄筋コンクリート造だ。

 駅からは少し遠くて、冬は寒くて夏は暑いけど、防音性がしっかりしているところが気に入っていた。

 俺はゲームをやったり音楽を聴く時にあまりヘッドフォンやイヤフォンを付けたくないので、ここが重要なポイントだった。

 家賃は月7万円で、俺の給料から見れば少し高めかもしれないけど、それはまあ、仕方がない。

 

 上田と話しながらだと、徒歩20分は意外と短かった。

 部屋についた俺は、ドアを開けながら上田に声をかけた。

 「ほら、上がれよ」

 「ああ、お邪魔します」

 「なんだお前、意外と礼儀正しいじゃねぇか」

 「意外とってなんだ、お前ふざけんなよ」

 「ははは」

 上田が部屋に上がるのを待って、俺はキッチンの冷蔵庫の前で声をかけた。

 「ビールでいいか?」

 「おう」

 俺は、二人分のコップと缶ビールを用意して、キッチンと寝室をしきるガラス戸に手をかけた。

 寝室は8帖フローリングの洋室で、中には二人がけのソファ、テーブル、電動リクライニングベッドと、その足元のキャビネットにはオーディオとテレビとゲーム機が置いてある。

 休日にはちゃんと掃除機もかけているし、床にゴミも落ちていない。

 俺がガラス戸を開けた時、上田はなぜかそこで立ち止まった。

 俺は、上田が立ち止まったのは、俺の部屋が思ったよりきれいで、娯楽も充実している事に驚いたからだと思って、ちょっと自慢してみた。

 「どうだ、思ったより豪華だろ?」

 「……ああ、そうだな」

 上田は、なぜか小さい声でそれに答えた。

 その素っ気ない反応はどこか気になったけれど、取りあえず俺はビールとコップをテーブルに並べて、あいつにソファを勧めた。

 上田がソファに腰掛けると、俺はクローゼットに向かってネクタイを外しなら言った。

 「まずスーツから着替えるわ。乾杯するんだから、先に飲むなよ」

 俺の軽口に、上田はなんだか不機嫌そうな声で答えた。

 「……お前、何言ってんだよ」

 さっきから、上田の様子がおかしい。

 俺、何かあいつを不機嫌にするような事言ったか?

 まあ、今は取り敢えず乾杯だ。

 酒が入れば、上田の機嫌も直るかも知れない。

 俺は急いで部屋着のスウェットに着替えて、上田の向かいに座った。

 俺が上田のコップにビールを注ぐと、あいつも同じ様にしてくれた。

 「じゃあ、乾杯」

 「乾杯」


 それから俺たちは、ビールを酌み交わしながら、さっきの少子化と低賃金の問題について語りあった。

 でも俺の予想は外れて、酒が入っても、上田はなぜか不機嫌そうだった。

 それでも話題はどんどん移り変わって、やがて二人共飲み物をビールからクラフトジンのロックに切り替えた。

 そしてその辺りで、政治や社会問題も尽きてきた。

 酒が入っても変わらない上田の態度を柔らかくしたいと思った俺は、またバカ話をするつもりで、愚痴を呟いてみた。

 「……あぁ……お前みたいな野郎じゃなくて、女の子と飲んでみたいな」

 「は? お前はそのために、何か努力してんのか?」

 「え……」

 何気なく言った愚痴に思いも寄らない正論を返されて、俺は黙り込んだ。

 そんな俺に、上田は諭すような調子で語りかけてきた。

 「いや、お前が今の生活のままでいいと思ってんなら、俺はなんにも言わねぇよ。でも、お前が本気で誰かと付き合いたいと思ってんなら、俺には今のお前の生き方は、なんか違う気がするんだよな」

 予想外の上田の言葉に調子を狂わされた俺は、テーブルの吸いかけのタバコに手を伸ばして、一度大きく燻らせてから、あいつに答えた。

 「……ああ、それは確かに思ってるよ。でもさっきも言ったけど、今のこの年で女子と付き合おうとするとどうしても結婚の話が出てくるだろ。そうなると俺の給料じゃ中々難しいって言うか……」

 「まあ、それはそうかも知れねぇけど、一旦金の問題は置いといて、そもそも自分から積極的に出会いを求めていかねぇと、彼女なんて一生できねぇぞ。結婚の事を考えるのは、それからでもいいんじゃねぇか」

 「それは……そうかもな」

 「だろ?それならまずあんな安い立ち飲み屋をやめて、女子が入りやすい様な、スポーツバーとか、カフェバーとかバルみたいな店で飲むようにしてみたらどうだ?」

 「え……。こんな田舎に、そんなおしゃれな店あるかな」

 「いや、最近は、意外と地方にもそういう店はあるんだよ。食べログとかで調べてみれば、結構見つかるぞ」

 「そうなのか?」

 「ああ。1回、騙されたと思って調べてみ?」

 「……だとしてもさ、俺そういう店に着ていく服とか分かんねぇし」

 「馬鹿野郎。服なんて仕事帰りならスーツでいいし、それ以外なら、ネットで調べりゃ幾らでも出てくんだろ」

 「……でも俺そういう店に行った事ないし、そもそも初対面の女子にどう話しかければいいのかなんて分かんねぇよ」

 「は?お前、昔彼女いたって言ってたよな」

 「……そりゃ、いた事はいたけどさ、あの時はむこうから話しかけてきてくれたし。それに、あの頃はほら、大学特有の雰囲気的な物があったからって言うか……」

 「ふざけんなよお前、そうやって日和ってるから、セカンド童貞になるんだぞ」

 「……うっせえよ。ナンパなんて俺にはハードル高すぎんだろ」

 「馬鹿野郎、そこを自覚した上で本気で女子と付き合いてぇんなら、必死こいてでもそこを何とかするしかねぇんだよ。基本的な事はネットに書いてるし、そっから先は俺がいくらでも相談に乗ってやるよ」

 「……分かった。やってみる」

 「ああ。そんで、一つの店に通い続けてもだめだ。色んな店を回って、出会える女子を増やすんだぞ」

 「色んな店を回るってお前、俺にそんな金ねぇよ」

 そこで上田は、手にしたタバコを揉み消して、新しい一本に火をつけた。

 そして大きく煙を吐き出すと、ゆっくりと話し始めた。

 「じゃあ、趣味の社会人サークルにでも参加してみろ」

 「へ……?」

 「お前、どんな趣味がある?」

 「……え?あぁ、酒とタバコは趣味に入んねぇよな。ははは……そうだな。趣味らしい趣味って言ったら……城とか寺社とか、そういう歴史系巡りとか、小説読んだりゲームやったりとかかな」

 「よし。それなら、どの趣味にもそれなりにサークルがあるだろ。じゃあ、そういうサークルをネットで調べて、1個の趣味で2、3個くらいずつのサークルに参加してみろ」

 「えー……こんな田舎に、そんなサークルあるかな」

 「この街にねぇんなら、東京とかもっと都会で探してみろ。まずはネットで探してみて、気のあいそうな奴を見つけたら、そこから小まめに連絡して、いつかリアルで会える様に……」

 「えー、やだよそんなん。ネッで知り合うなんてなんか怖いじゃん。俺に向いてねぇよ」

 「ふぅ……」

 小さくため息を吐いてから、上田は吸っていたタバコを揉み消した。

 そして、新しい一本に火をつけながら、黙って黒い瞳を俺に向けて来た。

 どうやら、今の話題に入ってからの俺の消極的で曖昧な態度のせいで、上田の機嫌が更に悪くなってきているらしい。

 俺は、上田に機嫌を直してほしくて、神妙そうな声をあいつにかけた。

 「……まあ、お前の言う通りかも知んねぇよ。でも俺さ、基本対人関係苦手だし。大学ではそこそこにやってるうちに勝手に友だちと彼女も出来たんだけど、今じゃそもそも接する人自体が少いって言うか……」

 「……お前、大学時代に出来てた事を、なんで今やんねぇんだよ。そうやって、周りの環境を言い訳にて自分の苦手な事から逃げてたら、彼女なんて一生出来ねぇぞ」

 上田は、声を低くしてそう言った。

 「え……そんなん…」

 俺は、一段と厳しくなった上田の態度に気圧されて、曖昧な返事しかできなかった。

 そんな俺の態度を無視して、上田つは低い声のままで言い放った。

 「……なあお前、自分で給料が低いってボヤいてたよな。そんな給料で、どうしてこんな生活ができるんだ?」

 「……あ」

 その言葉を聞いて、俺は咄嗟に言葉が出なかった。

 それは自分でも自覚していて、一番人に言わたくない言葉だった。

 あ然としている俺をじっと見つめて、上田は言葉を重ねた。

 「お前、タバコ月何本吸ってる?」

 「……2カートン」

 「じゃあ、月9200円だな」

 「…………」

 「それプラス、そこにあるオーディオ。新品なら10万超え、中古でも最低5万以上はするだろ。電動ベッドと、そっちのテレビとプレステ4も、それなりにしただろ。それに、酒とタバコ」

 「……え……あ……」

 「どう考えても、おまえの給料で出来る生活じゃねぇよな。カードか?」

 「いや、ちが……」

 本当は違わない。月々の俺の給料は、前月のカードの返済でほぼ消える。まさに自転車操業。貯金なんて夢のまた夢だ。

 「……ふーん。そうか。でもまあ、低い給料でこんな生活してたら、貯金なんて出来るわけねぇよな」

 「………」

 「さっきお前、給料が少なくて彼女に振られたとか、金がなくて彼女ができないとか言ってたよな?」

 「……なんだよ。お前も楽しみを我慢して自分に投資しろとか言うのかよ!」

 痛い所を突かれて頭に血が上った俺は、強い口調で上田にそう言い返た。

 そしたら上田は、俺にあ然としたような、失望したような視線をむけながら言った。

 「別にそこまでは言わねぇよ。ただ俺には、そういう趣味とか嗜好品で金を浪費しておいて、自分から進んで出会いを求めるのも面倒くさがっておいて、ただ、給料が少なくて彼女が出来ないとか、結婚出来ないとか文句を言うのも、ちょっと、違うような気がするんだよな」

 「そんな事言ってもさ!こっちだってやりたくも無い仕事でいやいや働いて、それでも給料が少ないとか言われてさ!ちょっとくらい贅沢でもしなきゃやってられないんだよ!!」

 こんなに声を荒げたのは、いつ以来だろうか。

 少なくとも、大学を出てからはこんな声を出した記憶はない。

 大声をだして息を切らしている俺を、上田は黙って見つめていた。

 やがて、俺の呼吸が落ち着いた頃、上田は穏やかな声を俺にかけてきた。

 「……なあ、そんな大声だすなよ。今のは、いきなり無神経な事言った俺が悪かった。ごめん」

 俺が怒鳴って息を切らしている間に、吸いかけだった煙草はフィルターまで燃え尽きてしまっていた。

 俺は新しい煙草を咥えて、火をつけた。

 それを見届けて、上田はまた、俺に、静かな、諭すような声をかけてきた。

 「なあ、お前さっき、俺らの親世代は、貧乏でも低学歴でも結婚出来たって言ってたよな」

 「……ああ」

 「確かに、昔はそうだっただろうよ。でも今はもう、時代が変わっちまった。だからさ、今、この時代に生まれちまった俺たちは、今出来る事を、出来る限りやるしかねぇんじゃないのかな」

 「……だからそんなん、生きてる意味ねぇって」

 「でもさ、お前は女と付き合ったり、結婚したいと思ってるんだろ?だったら俺には、そういう物に使う金を少し減らして、ちょっとやる気を出せば挑戦出来るチャンスを、そのせいで諦めるのは、もったいない気がするんだよ」

 「………」

 上田の言葉には、中高の頃に聞き惚れていた時と変わらない、人を惹きつける魅力があった。

 そして、上田の言っている事は全くの正論だった。

 今のような生活は、長くは続かないだろう。

 そしていつか必ず、大きなつけを払う事になる。

 今の上田は、俺よりもはるかに困窮しているはずなのに、俺に優しく、そう諭そうとしてくれている。

 大人が、わがままな子どもにそうする様に。

 ……でも、だからこそ、俺はそれを受け入れる事が出来ない。

 上田が言った俺の生き方のチグハグさには、自分でも薄々気づいていた。

 このままじゃいけないと、自分でも思っていた。でも変えられない。

 ……よりにもよって俺は。

 よりにもよって俺は、その事を上田に諭されるのか。

 中高でずっと憧れていていたあいつに。

 それでも話しかけられなくて、いつの間にか嫉妬していたあいつに。

 東京で失敗して、地元に逃げ帰ってきたあいつに。

 一度成功して、でも失敗して、裏路地で独りで泣いていたあいつに。

 結局俺は、中高の頃から変われていないのか。

 どこまで行っても俺は、上田を横目で見る事しかできないのか。

 「……出ていけ」

 上田に対する憧れと、嫉妬心と、劣等感で頭の中がちゃぐちゃになった俺の唇から溢れ出たのは、そんな言葉だった。

 「……え?」

 不思議そうな声で、上田はそう呟いた。

 でも、そんな事で、溢れ出した言葉は止まらない。

 「失敗した奴が、曲がりにも真っ当に生きてる俺に説教してんじゃねぇよ!どうせお前、バイクの事業に失敗してこっちに逃げ帰ってきたんだろ!!」

 「なっ……」

 「昔見下してた俺に施しを受けて、今どんな気分だ!?」

 「………」

 上田は、しばらくあ然とした表情で俺を見つめていたけど、やがて、穏やかな眼差しを俺に向けてきた。

 「わかった。今日は誘ってくれてありがとな」

 そう言ながら、上田は立ち上がった。

 俺は黙って、灰皿の煙草をくわえた。

 玄関まで行くと、上田は俺を振り返って、独り言のように呟いた。

 「……俺は、お前を見下してたつもりはなかったんだけどな。でもまあ、今日は楽しかったよ。お前、こんな面白い奴だったんなら、もっと早くに話しとけばよかったな」

 俺はそっちを見なかった。

 ドアが閉まる音がした。

 俺がそっちに目を向けたとき、もうそこに、上田の姿はなかった。


 上田が部屋を出ていくと、俺はあいつが座っていたソファに腰かけて、新しい煙草に火をつけた。

 そして、背もたれに頭を乗せながら、深く煙を吸って、長く吐きだした。

 「……ふざけんなよ」

 天井に向けて流れていく煙を見つめながら、俺はそう呟いていた。

 それから俺は、ソファに体を預けたまま、目を閉じた。

 さっき上田が俺に言ったことは、まったくの正論だ。

 つまり今出来ることを、精一杯やれって事か。

 でも、それが出来るのは、”出来る”奴だけだ。

 俺はそうじゃない。

 ……いや、本当にそれだけの問題か?

 城とか寺社巡りをする時には、俺は結構活動的になる。

 小説を読んだり、ゲームをやる時もそうだ。

 じゃあなんだ?俺は、自分の興味がある事にしか気力が出せないって事か?

 そんなの、まるっきり子供じゃないか。

 駄目だ。

 そう考えてみると俺は、”出来る”、”出来ない”以前の問題だ。

 25にもなって、でかい図体ぶら下げてもまだ、世の中に拗ねているだけの子どもだった。

 さっき上田は、今は自分の方がずっと困窮しているはずなのに、俺を怒らせて、追い出される危険を犯してでも、俺に優しく、そう諭そうとしてくれた。

 例え落ちぶれても、上田はやっぱり凄い奴だ。 

 俺が見惚れてただけの事はある。

 ……ああ、確かに、目の前のチャンスを見て見ぬふりをしていた俺は、”出来る”、”出来ない”以前に”もったいなかった”な。

 そう思ったとき、俺は玄関を飛び出していた。


 玄関を出て真っ先にアパートの周りを見回したけれど、上田は見当たらなかった。

 駅に行ったのか?いや、この時間、もう電車は動いていない。

 そしてその次に思いついたのは、駅前のあの立ち飲み屋だった。

 俺は駅前に向う道を走った。

 途中何度も上田の名前を大声で呼びそうになったけど、なんとかそれを堪えながら走った。

 行きつけの立ち飲み屋にたどり着いた頃には、すっかり息が切れていた。

 店の脇の灰皿に、上田はいなかった。

 それから俺はその店に入って、マスターと常連さんに、上田が来なかったかを尋ねた。

 みんなは、息を切らしている俺を見て、驚きながら心配してくれたけれど、俺は上田が来ていないことを確かめると、すぐに店を出た。

 それから俺は、駅の周りを上田を探して走り回った。

 でも、いくら探しても上田は見つからなかった。

 久しぶりに長い距離を走った俺は、その頃にはもうすっかり疲れきっていた。

 駅前は、ほとんど探しつくした。

 それでも見つからないという事は、上田は、俺の家から見て、駅と反対の方向に行ったのかもしれない。

 そう思って、俺は来た道をひき返す事にした。

 息を切らして歩きながら、俺は考えた。

 確かに、上田の言うとおりだ。

 こんな俺のままじゃ、一生、彼女も結婚も出来ないだろう。

 ……いや、そもそも上田は、本当にそこまで俺の性格を見抜いた上で、”もったいない”という言葉を使ったのだろうか。

 俺と上田がまともに話したのは今日が始めてだし、あいつが俺の事を思いやってくれていたなんて、ただの勘違いかも知れない。

 もしかしたら上田は、俺の分不相応な生活が気になって、ちょっとケチを付けてみたくなっただけかもしれない。

 そう考えると、つまり俺は、陰キャ特有の気持ち悪い思い込みで、勝手に走り回って、勝手に疲れきっている、ただの痛い奴か。

 ……でも、それでもいいんじゃないか。

 チャンスが見えたなら、まずは走ってみる。

 その道が正しければそれでいいし、まちがっていたら、次は別の道を行けばいい。

 そうしていたら、いつか本当に、チャンスを掴めるのかもかもしれない。

 俺には、上田はそう言っくれていた様な気がした。

 

 そんな事を考えながら歩いていたら、ふと、道路脇の公園が目に入った。

 その中の電灯の下のベンチに、座っている人影が見えた。

 上田だ。

 俺はそこまで歩いて行って、上田声をかけた。

 「なあ、さっきはごめん。でもお前、言い方キツすぎんだろ。いきなり俺のが一番気にしてる所を容赦なく突いてくるとかさ。そりゃあこっちも頭にくるわ」

 上田は反応しない。

 「でも、ごめん。さっきお前が言ったとおりだったよ。俺もこれからは、もっと真面目に生活するよ。高い酒はほどほどにして、煙草も減らして、趣味にも金かけすぎない様にするよ。そんで、ちょっとずつでも貯金するからさ」

 ここまで話しても、上田は反応しなかった。

 不思議に思って、俺は上田の前に回り込んだ。

 上田は、ベンチの背にもたれかかって、頭をうなだれたまま、すうすうと静かに息をしていた。

 「なんだ。寝てんのかよ」

 そう言って上田の肩に手を伸ばしかけた俺は、その足元に、白い物が数本落ちている事に気がついた。

 煙草の吸い殻だ。

 「おい、ふざけんなよ。お前みたいな奴がいるから、俺みたいな善良な喫煙者の肩身の狭くなるんだろ」

 俺はそう言いながら、落ちていた吸い殻って、ポケットに入れていった。

 「おい……」

 俺がもう一度上田の肩に手を伸ばそうとした時、あいつは嗚咽しながら声を漏らした。

 「……くそっ……ふざけんな……」

 「えっ、起きてんのか?」

 俺は、驚いて上田に声をかけたけれど、あいつそれに応えないまま声を漏らし続けた。

 「……くそっ……こんなはずじゃなかったんだ……あぁ、ごめんな……かすみ……かのん……まりか……」

 かすみ、かのん、まりかと言うのは、女性の名前だろうか。

 そんな上田の独り言を聞き続けるのも悪い気がして、俺はさっきより少し大きい声をあいつにかけた。

 「おいって、帰ろうぜ」

 俺がそう言いながら上田に手を伸ばしかけた時、その体が大きく前に傾いて、ベンチから転げ落ちそうになった。

 俺は慌ててそれを受け止めて、ベンチに座らせた。

 「はぁ?お前、ガチで寝てんのか?飲み過ぎじゃね」

 ベンチに戻ると、上田は、また声を漏らした。

 「……あぁ……お前……悪かった……お前はもう気づいてたんだよな……さっきは俺が言い過ぎた……」

 「お前……」

 その時、上田の体が、今度は大きく右に傾いた。

 「……ちょっ!」

 俺が慌ててそれを受け止ると、上田はそのまま、体を俺に預けてきた。

 「ふざけんなよ……」

 そう呟きながら、俺は上田の体を支えながら、その隣に座った。

 上田はそのまま、声を漏らし続けた。

 「……くそっ……俺……もう駄目だ……会社も駄目にして……ダチにもひでぇ事……」

 その言葉を聞いて、俺の口から、独りでに想いが溢れ出した。

 「……なぁ、さっきの事はもう気にしてないからさ。もう駄目とか、そんな悲しい事言うなよ。なあ、お前は憶えてねぇだろうなぁ。中高で一緒だった時、お前がクラスで、政治とか社会問題とか偉そうに語り始めたら、いっつも俺、こっそりお前に見惚てたんだよ」

 上田は時折嗚咽を漏らしながら、俺の肩に体を預けている。

 「なあ、さっきは嘘ついたけど、俺もあの頃からそういう事に興味あってさ。いっつも俺、お前の話しを聞きながら、いつか俺もお前としゃべってみたいって思ってたんだよ」

 上田は、嗚咽を漏らし続けた。

 「だから、さっきはお前とそういう話が出来て嬉しかった。彼女と金の事は、お前が正しいと思うよ。たださっきはなんつーか、図星を突かれすぎてさ。反射的にカッとなっちまったんだよ。確かにお前の言うとおり、俺は真面目に生きてなかった。その事に気づかせてくれて、ありがとう」

 その時、上田が身じろぎをした。

 「……起きたか?」

 そう声をかけても、上田は俺の肩に体を預けたまま、嗚咽を漏らし続けている。

 「……ふざけんなよ……」 

 そう呟きながら、俺はポケットから、上田の捨てた吸い殻を取り出して、ベンチに落ちていた使い捨てライターで点火した。

 「……お前ふざけんなよ。文無しのくせに、もったいない吸い方しやがって」

 上田はやはり、それに応えなかった。

 「……馬鹿野郎お前。もう駄目なんて言うなよ。あのな、中高の俺はな、周りからウザがられても、偉そうに語り続けるお前に憧れてたんだ。そんなお前に見惚れてたんだよ。それがなんだ。あんなに偉そうにしといて、なにがもう駄目だだよ。なあ、これが人生100年時代が来るんだろ?それなら俺達は、まだ25パーセントしか生きてねぇ。まだまだこれからだろ。だからさ、俺もこれからは、自分の人生をもうちょっと真剣に考えるからさ。お前も一緒にこれからやり直そうぜ。大丈夫、お前は一回成功してんだから……」

 そこまで語った時、俺は上田の嗚咽が止まっている事に気がついた。

 「……お前、起きてんのか?」

 上田は、忍び笑いで俺の声に応えてきた。

 「……くそっ。いつから聞いてたんだ?」

 「……ああ、お前が昔、俺に見惚れてたあたりからな。やっぱりお前、ストーカーじゃねぇか」

 「……ちげぇよ」

 俺は、新しい吸い殻に火をつけて、長く煙を吐き出しながら呟いた。

 煙と一緒に出てくる言葉は、一つだけだった。

 「……ふざけんなよ」

 煙は、電灯の光に照らされて、ゆっくりと、棚引いて行った。

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