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大正夫婦と猫とお団子

掲載日:2026/08/15

「あの、旦那様……」


朝の支度を終え、玄関で靴を履く夫、清二に対して、小梅は思い切って声をかけた。


「……どうしましたか?」


振り返る清二。その鋭い眼光に、小梅の肩は小さく跳ね上がるが、怖気づいている時ではない。


「あの、明日は、お休みですよね?」


「はい。非番ですが」


「でしたら、あの……」


小梅は覚悟を決めて顔を上げ、清二をまっすぐに見つめた。


「お団子を持って、桜を見に行きませんか?」


少しの間、広がる沈黙。

その後、清二は小さく「……それはつまり、花見の誘いですか?」と尋ねた。


「そ、そうです。い、いかがでしょうか?」


小梅は、早鐘を打つ心臓を何とかなだめながら、冷静さを装って、尋ねる。

清二と籍を入れて二週間。

未だ二人で外出をしたことがない小梅は、思い切って自分から、夫を誘ったのだ。


しばらくにらみ合う構図となる二人。振り子時計だけがカチカチと一定の速度で音を刻む。


――この沈黙は……やっぱりダメってことなのかな。

そうだよね。お仕事で疲れていらっしゃるのに。休日くらいは、やっぱり家でのんびりしたいよね。

それなのに私、なんで旦那様をお花見に誘っちゃったりしたんだろ。

あぁ、もう、私の馬鹿!


清二の顔を見つめながら、小梅の心の中はすでに後悔の念で溢れていた。

そして、清二と仲良くなるためのこの作戦が、彼の返事の前から失敗に終わることを予想した。


そもそも、小梅がいきなりこれを切り出したことには訳がある。

小梅は、未だに他人行儀な清二との生活に、焦りを覚えていた。

夜の営みはおろか、手さえもまだ、繋いでいない。

そんな自分たちの関係を、通常の夫婦に近づけるべく考えたのが、今回の「お花見作戦」だった。


桜の下でお団子でも食べれば、きっと心もほぐれて、仲良し夫婦になれるだろう。


そう(安易に)思いついた小梅は、一応考え抜いた末に今朝、今しがた清二を花見に誘った。


しかし、困惑するような清二の表情を見て、今更ながら、この作戦が清二の都合を全く考慮していないものだったことに気づいたのだ。


黙り込む清二を見つめ、小梅の手は微かに震えだす。


――あぁ、もう、嫌なら嫌、ダメならダメと、早く断ってください! この沈黙、一層不安になるではないですか!


心の中でそう叫んだ瞬間、清二が口を開いた。


「そ、それは、なんというか……、良い提案、ですね」


思いがけない言葉に、小梅の口から、思わず「へっ」と間抜けな声がこぼれる。


「私は、桜も団子も好きです。行きましょう。ぜひ。明日、ですね」


「は、はい」


「わかりました。失念しないよう、善処します。では」


そう言って清二は立ち上がる。

小梅も慌てて腰を上げ、「いってらっしゃいませ!」と頭を垂れた。


ピシャリと玄関の引き戸が閉まる音を確認してから、小梅はおそるおそる顔を上げる。


――旦那様が、お誘いに、乗ってくれた……?


そう改めて認識した瞬間、心の奥底から桜色の歓喜があふれ出す。


「旦那様と、お花見に行けるぅ~!!!」


思わず叫び、バンザイの姿勢で小躍りをする。

あまりに大きな声だったのか、隣に住んでいる腰の曲がった老婦が

「小梅さん、何事かね?」と、そっと引き戸を開けた。


小梅は、手を上に掲げたまま、「山田さん……あ、いえ、なんでもありません」と、顔をひきつらせた。


***


「へぇ~。初めての外出ねぇ」


山田と呼ばれた老婦は、自分の庭の縁側に小梅を座らせると、温かい緑茶を差し出した。


四月上旬の今の時期は、すでに春ではあるが、朝はまだまだ肌寒い。


少し冷えていた小梅の指は、湯飲みから伝わる熱で、徐々にほぐれていった。


「確かに、清二さんは昔から堅物というか、なんというか、

浮いた噂を一つも聞かないお人やったからねぇ。

自分から誘いとうても、誘い方が分からんかったんじゃろう。

あんたから誘ったからこそ、清二さんもそれに乗ることができた。

小梅さん、ようやったのう」


そう言って山田は、歯を見せてにんまりと笑った。


歯が数本抜けているため、隙間だらけの笑顔ではあったが、

そんなことを全く気にせず笑う山田が、小梅はとても好きだった。


「山田さんは、清二さんのことを小さい頃からご存じなんですね」


縁側に腰かけ、足をプラプラと揺らしながら小梅は尋ねる。


山田はゆっくりと頷いた。


「そりゃそうさね。なにせお隣同士だからねぇ。

特に清二さんは、尋常小学校卒業くらいで、両親共々亡くなっておられるから、

私らも気にかけておったんじゃよ」


そう言いながら、山田は、湯飲みを持ちながら遠くに目をやる。


目線の先には、青々と佇む山の峰々があった。


「あの子は、おっ父さんが死んでも、おっ母さんが死んでも、涙一つ見せんかった。

唇を真一文字に結んで、ただ、悲しみを耐えとった。

感情がないわけじゃない。こらえとるんだよ。あの子は。

人に迷惑をかけんために」


「人に迷惑をかける……?」


小梅が首をかしげると、山田は「あぁ」と深く頷く。


「自分が悲しい顔をすると、他人が心配するじゃろう。

だから清二さんは、あまり自分の感情を表に見せん。

それを知らんよその者は、

あの子のことを『仏頂面」じゃとか『不愛想』なんて言いよる。

でも違うんじゃ。顔に出さんのは、あの子の優しさの表れ。

実際、葬式が澄んだ後に、一人、家の裏でぼろぼろと涙を流す姿を、

私は知っとる」


「だからのう、小梅さん」と、山田は小梅に向き直る。


「どうか、あの子を誤解せんでやってくれ。

あの子は実に繊細で、臆病で、でも優しい子なんじゃ。

あんたのような、快活でカラカラ笑う子が、あの子にはお似合いじゃ。

どうか、あの子を、支えてやっとくれ」


そう言って山田は、しみじみと小梅を見つめた。

その潤んだ瞳が、小梅の心を揺らす。


「任せてください! 山田さん!」


小梅は突如として立ち上がり、自身の胸をトンと叩いた。


「清二さんのことは、任せてください!

旦那様をしっかり支える、理想の妻となりますので!」


そして、遥か前方にある山々を人差し指で指し、宣言するように高らかに告げる。


「そう、あの寄り添うように佇む、二つの山のように!」


「あ……あぁ、小梅さん、その山は」


山田は気まずそうに頬を軽く掻く。


「喧嘩山、と言う名で……寄り添ってるのではなく、

自らの高さを競い合って、いつも喧嘩をしてる、という言い伝えがあるんじゃ」


「あ、そうなんですね……」


小梅の声は、急速にしぼんでいった。


***


一方で、清二の方は、仕事中も「週末の花見」のことで頭が一杯になっていた。


――花見……しかも、女性と二人きりで……。

そのような場合、一体どうのように振舞えばよいのだろう。

夕飯時は大抵、小梅さんが今日一日の話をして、それに私が頷くだけで乗り切れているが、

二人で朝から外出となると、それだけではいかんだろう。さすがの小梅さんでも話題が尽きる。

しかも、外出してしまえば、家事も庭仕事もない。用があると逃げることもできない。

と、いうことはつまり、こちらからも、なにか話題を振らなければならないということだ。

でも、何を? どんな話をすれば、小梅さんは喜んでくれるんだ?


清二は、机の帳簿を睨みつけながら、悶々と考える。


と、その時、上から声が降ってきた。


「おーい、清二。お前、全然ペンが動いてないぞ」


慌てて顔を上げると、職場の上司が訝し気に清二を見下ろしていた。


ふと、帳簿に目をやる。


それは白紙で、ずっとペン先を下に向けていたからか、

万年筆のインクが数滴落ちていた。


「どーした? 真面目なお前がボーっとして。体調不良か?」


「い、いや、その……」


「まさか、新婚さん特有の悩みか!」


茶化すように叫ぶ上司の声に、清二の頬は紅潮する。


すると、上司は「悩み」を勘違いしたようで、

「寝不足なら、昼休みにちょっと寝ろ」と、見当違いの助言をした。


そして昼休み。

清二が机で弁当を食べていると、同僚男性が声をかけてきた。


「お、愛妻弁当。いいねぇ。でもお前、今日、仕事に身が入ってないそうじゃないか」


この同僚は、丁度結婚して1年が経っていた。

清二はしばらく逡巡した後、恐る恐る、同僚に口を開く。


「……家でのことなんだが、お前はいつも、奥さんとどんな会話をしているんだ?」


あまり自分から話を切り出さない清二から尋ねられたことで、同僚は目を丸くした。


「なんだ? なんでそんなことをいきなり?」


「いや、その、実は……」


意を決し、悩みを打ち明ける清二。

話を聞いて、同僚は声を上げて笑った。


「そんなもん、思い浮かんだことを適当に話したらいいだけだろ!」


「思い浮かんだこと?」


「そうだよ。今日は天気がいいと思えば、『晴れてよかったな』とか、風が強ければ『風が寒いな』とかさ」


「し、しかし、そんなことでは、会話が盛り上がらないというか、

つまらないのでは……」


「何言ってんだよ。

奥さんってのは、客でも取引先でもない。

家族なんだ。家族に気を使ってどうする?」


その言葉に、清二は一瞬、返す言葉に詰まる。


――家族、か。


そして改めて思う。


――そうか、小梅さんは、もう私の家族なんだ。


両親が亡くなって以降、清二は一人で生きてきた。


隣人の山田家は、何かと清二を気にかけ、良くはしてくれていたが、それでも「隣人」の枠を出ることはなかった。


――家族なんて、しばらく、いなかったから、どうも距離感がわからない。でも……。


考えながら清二は、小梅の屈託のない笑顔を思い浮かべる。


瞬間、心がこそばゆく、じわりと温かくなるのを感じた。


――悪くは、ないな。


「なんだー。清二、一人でニヤついて」


同僚の声に我に返り、清二はきゅっと顔を引き締めた。


***


仕事を終え、清二が帰宅すると、小梅はすぐに食卓に夕食の献立を並べた。


小梅の父は体力仕事でもある大工だったため、帰宅時は精魂尽き果てたように、「帰ったぞ〜、飯ぃ〜」と玄関先で叫ぶのが日課だった。


清二は事務員で、父と比べればまだ、体力は残っているかもしれない。


それでも小梅は、帰宅した夫には、早く夕食を提供したかった。

特に清二の場合、父のように本音を叫べ性格ではないので、一層のこと、早くご飯を出したかったのだ。


「いただきましょう、清二さんっ」


パチンと手を合わせる。

そしておかずを口に運びながら、小梅はちらりと清二を伺うように見た。


――顔に出さんのは、あの子の優しさの表れ。


山田にそう言われたことを思い出しながら、清二の表情を観察する。

清二は、無表情のまま黙々と、ご飯を咀嚼していた。


どうすれば、清二に喜んでもらえるだろうか。

小梅は今日一日、そのことばかり考えていた。


今日の夕食準備がいつもより早いのも、その影響だ。


そして、小梅の思考は今週末の休日へと移る。


初めての外出。初めての花見。

絶対に喜ばせたい。成功させたい。


今朝の彼の反応を見る限り、花見も団子も好きそうだった。


――花見は、定番の河原の桜を見に行くとして、お団子はどうしよう?


ふと、思い至った小梅は、箸と茶碗を持ったまま、清二に尋ねる。


「清二さんは、どんな団子がお好みですか?」


すると清二は顔を上げ「どんなものでも好きです」と答えた。


――いや、そういう答えが一番困る!


小梅は内心そう思っていると、清二は続けた。


「……小梅さんの作るものは、なんでも、その……うまいので」


清二は、ちゃぶ台に並べられた皿たちを見て、そうつぶやく。

一瞬、小梅の思考が停止した。


「……それって、私に、お団子を作ってほしい、ということですか?」


小梅はてっきり、団子は和菓子屋で買うものだと思っていた。

しかし、清二は小梅に作ってほしそうな口ぶりだ。


すると、小梅の微かな困惑が伝わったのか、清二がいきなりちゃぶ台に手をつき、身を乗り出す。


「あ。いえ! そういう訳ではありません。

小梅さんは、購入するつもりだったのですね。

すいません。てっきり勘違いをしただけで。

無理に作ってほしいと、頼んだわけではありません。

ただ……、いえ、何でもないんです」


急に口ごもる清二に向けて、小梅も声を張る。


「ただ、何ですか?

何か言いかけませんでした?」


清二の瞳に、目線を合わせる小梅。

その眼差しと強い口調に押し負けたのか、清二は目をそらしながら、そっと口を開く。


「幼い頃、花見の際はいつも母が、

団子を重箱いっぱいに作ってくれていたので、

それが当たり前なのかと思っていたのです」


そう言われてしまえば、小梅も黙ってはおけない。


「つ、作ります! お団子! お重いっぱいに!」


清二がはっとした表情で顔を上げる。


「しかし、小梅さんの負担になりませんか?」


「負担など、全くもってなりません! 安心してください!」


小梅は自身の胸をトンと叩いた。


***


そして、週末の朝。

小梅は早起きして、団子を作った。

しかし、突然のことだったので、材料はそれほどない。

とりあえず白玉粉があったので、団子自体はそれで作るとして、

問題はその種類だった。


――お花見の時のお団子といえば三色団子だけど……、

白はそのままで、緑はヨモギの代わりに抹茶を入れて、で、桜色はどうしよう?


いきなりのことだったので、調べる間がなかった。

嫁いできてまだ二週間ということもあり、小梅はあまり料理本を持っていない。

お菓子の本にいたっては、一冊もない。


梅干しの汁を入れれば、ほんのり桜色には染まるかな、とも考えるが、

期待されている味にはならないだろう。


――とりあえず、三色団子は後にして、きな粉の団子と粒あんの団子を先に作ろう。


このように試行錯誤しながら作っていたためか、順調には進まない。


慌ててきな粉をぶちまけたり、白玉を茹ですぎたり、

様々な失敗があった。


「やっぱり、初めてのことは手際よくできないなぁ」


小さくこぼしながらも、重箱を開けた時の清二の笑顔を想像しながら、

小梅は奮闘した。


「おはようございます。小梅さん」


後ろから声がかかり、小梅の肩が、小さく跳ねる。


「……申し訳ありません。こんな朝早くから、台所に立たせてしまって」


清二は、いたずらを詫びる少年のように、小さく頭を下げる。


「いえ、全然。全然大丈夫です! 私、早起き得意ですから!」


「いつも休日は、私が先に起きていますが」


「えっ、そうでしたっけ。いえ、と、とにかく大丈夫です」


そして、くるりと見返り、清二を見上げる。


「今日のお花見、楽しみですね!」


すると清二は、一瞬頬を赤らめる。その顔が見られたくないのか、すぐさま俯くと、

「えぇ」と小さく答え、そのまま台所を出ていった。


***


玄関の引き戸を閉める。

鍵をかけ、戸締りを確認する小梅の背中を見ながら、

清二の心臓はいつもより早く脈打っていた。


(二人きりの、初めての、外出)


昨日、同僚からは、「思ったことを話せばいい」と言われていた。

清二は、天を仰ぐ。青く澄み渡る空に、白い雲。

今日は絶好の花見日和だ。


(よし、最初は、天気の話をしよう)


そう決意したところで、小梅が「お待たせしました」と、

風呂敷を抱えながら、小走りでやってくる。


その嬉しそうな顔を見ていると、清二の心も少しほぐれる。


――今日のお花見、楽しみですね!


今朝、満面の笑みでそう、自分に微笑んだ彼女。

清二は小梅の、そういう天真爛漫なところが好きだった。

その瞳が合った瞬間、なんて可愛らしいんだ、と、素直に思った。

自分の頬が瞬時に熱を帯びるのを感じ、思わず顔を背けてしまった。


「風呂敷、持ちますよ」


「いえ、大丈夫です。この中にはお重が入っているので。

お団子は、私が死守します!」


「そんな大げさな……」


清二は小さく笑みをこぼす。

小梅の、「それでは、行きましょう」の言葉を号令に、二人は歩き始めた。


「……き、今日は、晴れてよかったですね」


清二が遠慮がちに話を切り出すと、小梅はこちらを見ずに答える。


「ほ、本当に! 最高のお花見日和です!」


「け、今朝は、朝早くから団子を作ってくださって、本当に、ありがとうございます」


「いえ! そんなの、おちゃのこさいさいですよ!」


そこでピタリと、会話が止まる。


清二は少し、不審に思った。


夕食時であれば、もっとおしゃべりなはずの小梅だが、

今日はいつもより口数が少ない。


(どうしたのだろう。小梅さん、まさか、具合でも悪いのか?)


横目でちらりと小梅をうかがい見る。


小梅は、風呂敷を抱え、真正面を見据えながら黙々と歩いていた。

今朝、団子を作っていた時より、心なしか表情が固く見える。

しかし、歩く速度や息遣いからみても、体調不良のようには見えない。


そこで、清二ははたと思い至る。


(まさか、小梅さんも、俺との初めての外出に、緊張、しているのか……?)


そう結論づけた瞬間、清二は小さく目を見開く。


(ならば、夫である私が、彼女の緊張をほぐさねば! 何か、何か楽しい話題はないか)


そう思考を高速で巡らしてしている最中。


「あ、あの、清二さん!」


急に立ち止まった小梅が、真剣な表情でこちらを見上げる。


「じ、実は私、清二さんにお伝えしなくてはいけないことがあって、その……」


小梅がそこまで言いかけた時だった。


突然、小梅と清二の間を、茶色い何かが素早く横切る。

小梅は「あっ」と小さく叫ぶと、手に持っていた風呂敷包みを落とした。


「大丈夫ですか?!」


すぐさま小梅の手を取る清二。瞬間「ニャーン」という、低く太い声が聞こえた。


「……猫?」


そこには、丸々と太った大きな猫がいた。

猫は、落ちた風呂敷包みを狙っているのか、こちらに再びにじり寄ってくる。


「こ、これはだめだぞ。私たちの団子だ」


猫を威嚇する清二。と同時に、素早く風呂敷包みを拾う。


「小梅さん、早く行きましょう!」


清二は瞬時に、小梅の手を掴む。

小梅は一瞬、大きく瞼を持ち上げたが、すぐに頷く。


「は、はいっ!」


二人は同時に、駆けだした。


***


こうして、河原までたどり着いた。


小梅は息を切らしながら、清二の方を見た。

清二も疲れたのか、荒い呼吸をしながら、河原の草むらに座り込む。


「しかし、大きなどら猫でしたね」


清二の言葉に、小梅も頷く。


「私、最初、タヌキか何かかと思いました」


「俺もそう、思いました」


清二はふぅーっと、長いため息をつく。

瞬間、小梅は何だかおかしくなって、クスッと笑った。


「可笑しいですね。猫くらいであんなに焦って、ここまで走って逃げるだなんて」


すると清二も口角を上げ、「そうですね」と笑った。

それにつられて、小梅も声を出して笑う。清二も、吹き出すように笑う。


そうして二人でひとしきり笑った後、清二が涙を指で拭いながら、再び口を開く。


「でも、必死だったんですよ。あの猫に、団子が全部取られまいかと思って。

団子を狙うだなんて、犬並みに鼻の利く猫ですよね」


その言葉を聞いて、小梅は不意に、団子のことを思い出す。

清二にそれを告げようとする前に、彼はすでに風呂敷を解いていた。


「走ったので、お腹がすいてしまいました。食べてもいいですか?」


危機を乗り越えた安堵感からか、清二は普段より饒舌だ。

小梅がそれを告白する前に、彼は重箱の蓋を開けた。


「あっ、ちょっと待っ……」


小梅は思わず目を覆う。


「……これは」


恐る恐る瞼を上げると、そこにはぐちゃぐちゃの団子と、

それを唖然とした表情で見つめる清二の姿があった。


「すいません! 私……少ない白玉粉で沢山お団子を作ろうとしたばっかりに、

水が多かったのか、その、かなりべちゃべちゃになってしまって……」


重箱の中の団子は、もはや団子と呼べる代物なのかも不明な状態だった。


きな粉と餡子は混ざり合い、団子は互いにくっつき合って、丸い状態をとどめていない。

初めてとはいえ、とても悲惨な仕上がりだった。


小梅は、そんな団子を見ながら泣きたくなった。


清二は、花見の時は、いつも母が団子を重箱に詰めてくれたと言っていた。

彼が、家族との思い出を話すことなど、初めてだった。

つまり、「お花見の時の団子」は、清二にとって特別な意味を持つもので、

彼と彼の母の思い出が詰まったものだった。


だから、小梅は早起きが苦手であるにもかかわらず、早朝から作った。

清二が満開の桜の下、重箱の団子を食べることで、

かつての幸福だった日々を、その時の思いを、追体験してもらえるようにと。


しかし、実際は追体験どころか、思い出に泥を塗るような仕上がりになってしまった。


小梅は俯き、ぎゅっと唇を噛みしめる。

その時、大声が彼女の耳を揺らす。


「ち、違いますよ! 私が走る途中に乱暴に扱ったせいです。すいませんっ」


「いえ! 違います! この団子は最初から柔らかすぎて……。

だから、せめて形を崩さないように、私が運ぼうとしたのです!」


「違う! 小梅さんのせいじゃない!」


「いえ、私のせいです!」


二人で言い合いになる最中、突如として「ニャーン」と聞き覚えのある声がした。

一緒にそちらに顔を向けると、そこには先ほどの大きな猫がいた。


「おまえ、性懲りもなく……」


清二が立ち上がった瞬間、その猫の影から、三匹の小さな猫たちが、ひょこっと顔を覗かせた。


「……子ども?」


清二は足を止める。子猫達は、親猫とは裏腹に、身体が小さく、痩せていた。


「もしかして、この猫は、子猫たちに餌をやるため、重箱を狙ったのでしょうか?」


小梅の問いかけに清二は、


「しかし、猫が団子など狙うのでしょうか。どうせなら、魚とか鶏などを狙いそうですが……」


と、顎をさする。


「もしかして、元飼い猫だったのかも。

ほら、飼い猫なら、余ったご飯をやることもありますし、お米の味も匂いも知っています。

もしかして、この大きな猫は、妊娠を期に捨てられて、自分で餌を取る術もなくて、

出産して、そして、子ども達のために必死で餌を取ろうとしていたのではないでしょうか?!」


「小梅さん、それはちょっと……。想像が過ぎると言いますか……」


清二はそう言いながら、再び草むらに腰を下ろす。

小梅の物語に感化されたのか、もう、猫を追い払う気はないようだ。


小梅は猫たちを眺めながら、「このお団子、猫たちにあげませんか?」と提案してみた。


「そんな、だめです! 私が食べます」


「えっ、でも、べちゃべちゃだし、ぐちゃぐちゃですよ?」


「味に変わりはないでしょう。だって、私は、今日、この満開の桜の下で団子を食べることを、

楽しみにしていたのですから!」


小梅は思わず息を飲む。清二は、はっとした表情で一瞬口を抑える。


「……清二さんも、楽しみにしてくださってたんですね」


小梅の心に、温かい何かが湧き上がる。

清二は、耳たぶまで赤く染めながら、観念したように「はい」と頷いた。


「……それでは、皆で食べましょう! 清二さんも、猫ちゃんも!」


そう言って小梅は、団子を数本取り出し、串を抜いた後、猫たちの前に置いた。

猫たちはそれを待ちわびていたかのように、勢いよく食いつく。


「やっぱり、お腹すいてたんですね」


小梅が微笑むと、清二も静かにうなずいた。


「……では、清二さんも、よかったら、どうぞ。形は悪いですが」


「いえ、喜んでいただきます」


清二が串を手に取った瞬間、強い風が辺りを駆け抜ける。

それは桜の花びらを散らし、そのうちの一枚が、白い団子の上にはらりと乗った。


「これは……三色団子のようですね」


そう言いながら清二は、躊躇することなくそれを口に放り込んだ。


「……やはり、小梅さんの作るものは、なんでも美味しいです」


清二が目を細める。

小梅はその瞬間、この人と結婚してよかったと思えた。


(初めての外出だったけど、これは、成功、した、と言えるかな?)


そう思いながら、小梅は自らの手のひらに視線を落とす。


(……手も繋いじゃったし)


そして、頬に熱が帯びるのを感じながら、空を見上げた。


猫と桜と、夫婦二人。


和やかなこの空気が、今後の私たちの間に、いつまでも流れていればいいな、と、

小梅は内心、そう感じた。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

☆の評価や感想をいただければ大変励みになりますので、どうぞよろしくおねがいします。

*ほかにも短編をいくつか投稿しています。よろしければ作者ページからどうぞ!


なお現在、不遇ヒロインが、ヒーローの献身的な愛情により自分を取り戻していく小説、

「猫にされた薄幸令嬢は、いつまでも呪われていたい」を連載中ですので、

ご興味ある方はぜひお立ち寄りください。https://ncode.syosetu.com/n0783mp/


また、先日に富士見l文庫様から新刊、

「如月夫妻の春夏秋冬」が発売されました。

こちらは、こちらは、架空の京都、大正時代を舞台とした、

頑張る女子と傷心軍人による、じれじれの両片思いな物語です。

雰囲気としては、こちらの短編とかなり似通っておりますので、興味を持っていただければ嬉しいです。

くじょう様の素敵すぎるイラストだけでも、お目に留まれば幸いです。


最後までありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
小梅と清二が少しずつ距離を縮めていく様子が微笑ましかったです。特に、失敗した団子を囲んで猫たちと過ごす場面が温かくて、読後も優しい気持ちになりました。
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