第5話 バスルームで、何かが始まりかけた?
午後の陽射しが斜めに差し込み、家の中はしんと静まり返っていた。
時を刻む時計の音が、やけに耳に響く。
アリアンは学院に補講へ行き、ノックスも外出中――行き先は知らない。
残されたのは、セレナひとりだけ。
(……退屈)
ソファに寝転び、ゲームをいじっていたが、ふと、汗ばんだ肌に不快感を覚える。
「……お風呂、入ろっかな」
視線が自然と、二階へ向いた。
三階のゲスト用は狭いシャワールームだけ。
けれど二階のバスルームなら――広々とした空間に、大きな浴槽。
「ノックス、どうせ帰ってこないでしょ」
肩をすくめ、セレナは服を手に、堂々と二階へ。
◆
水音と共に、浴室は白い湯気に包まれた。
銀白の髪が水面に浮かび、彼女は目を閉じ、ゆるやかな吐息を洩らす。
「……ふぅ、極楽」
脚を軽く曲げ、指先で水面をなぞる。
雫が手首を伝い、白い肌に沿って流れ落ちる様は、どこか艶やかで――。
◆
どれくらい時間が経っただろう。
ようやく湯から上がり、雫をまとったまま、タオルを取ろうとした、その瞬間――
「カチャ」
浴室のドアが、音を立てて開いた。
「……っ!?」
セレナの身体が硬直する。
振り返った視線の先――
そこに立っていたのは、見慣れた紅髪の少年だった。
ノックス。
額には細かな汗、深紅の髪は走ったせいか少し乱れている。
手には汗を拭くタオル、黒のジャケットは肩に無造作に掛けられていた。
だが、何より――
彼は、上半身、裸だった。
鍛えすぎない、しかし引き締まったライン。
汗と熱気で輝く肌に、湯気が絡みつく。
翠緑の瞳と目が合った瞬間――空気が、凍る。
「……」
ノックスの動きが一瞬止まり、眉間にわずかな皺。
だが、すぐに視線を逸らし――
「……悪い」
それだけ告げて、背を向け、ドアを閉めようとする。
「――待ちなさいッ!!!」
セレナの声が、鋭く響いた。
タオルを掴み、ばさりと体に巻きつけ、そのまま足音も荒く追いかける。
廊下で、二人は対峙した。
水滴が銀髪の先からぽたりと床に落ち、空気はぴりつく。
「……その顔、何?」
セレナの紅い瞳が怒りを帯び、声が低くなる。
「今の……軽蔑したみたいな目。どういう意味?」
ノックスは顔をわずかに逸らし、肩にタオルを掛けたまま、冷淡な声を落とす。
「――鍵、かけなかったお前が悪い」
「はあ!? ここ、私の家よ?」
セレナの声が鋭くなる。
「風呂に入るのに、侵入者気にしろって? ふざけないで!」
ノックスの眉がわずかに動き、そして――口元が、ごく僅かに弧を描いた。
「……昨日と、同じだな」
淡々とした声。だが、その意味は、あまりに露骨。
「な――っ」
セレナの顔に、怒りと羞恥が一気に広がる。
その瞳がぎらりと光り、声に鋭さを増す。
「開き直る気? それとも――説明する?」
一歩、二歩、セレナが詰め寄る。
「なんで目を逸らすのよ。自分が見せる分には平気? こっちを見たらダメ? 紳士ぶってるつもり?」
ノックスは黙ったまま、視線を床に落とす。
毛巾を指先で握り、無言で唇を引き結ぶ。
その沈黙が、セレナの神経を逆撫でする。
「――それとも、私には見る価値もない、ってわけ?」
ぐっと顔を近づけ、翠緑の瞳を覗き込み――
唇に、挑発的な笑みを刻む。
「昨夜、私、たっぷり見たわよ? だから、これでチャラ。……どう、納得?」
その瞬間。
ノックスの視線が、ぴたりと上がる。
翠緑の瞳がセレナを射抜き――
だが、その奥に走ったのは、怒りでも苛立ちでもなく――
刹那の、影。
彼の視線が、胸元に落ちる。
そこに刻まれた、淡い線――鎖骨の下から、斜めに走る古傷。
薄れてもなお、消えない、死線の痕跡。
ノックスの目が、微かに揺れた。
一瞬、唇を引き結び、言葉を探すように視線を泳がせる。
「……ガキだな」
低く、冷ややかに。それだけ。
セレナの呼吸が、瞬間、止まった。
無意識に、タオルをぎゅっと握りしめる。
そして――顔に、熱がぶわっと広がる。
「……あんた……ッ!!」
――と、その時。
「た、ただいま……?」
おそるおそる響いた声が、玄関から届く。
続いて、階段を上る足音。
二人は、同時に振り向いた。
そこにいたのは――
アリアン。
両腕でバッグを抱きしめ、階段の途中で固まっていた。
視線は、タオル一枚のセレナと、裸の上半身のノックスを往復――
顔が、瞬時に真っ赤に染まる。
「……」
「……」
「……」
空気が凍りつき、三秒の沈黙。
「ア、アリアン! これは違うのよ!!」
セレナが慌てて声を上げる。
ノックスは無言でシャツを掴み、ひとこと。
「……床、拭いとけ」
淡々と告げ、階下へ。
残された空間には――
水音と、少女の心臓が壊れる音だけが響いていた。
◆
アリアンの脳内、小劇場フル稼働。
(ちょ……ちょっと待って!?
なんでセレナ、タオルだけ!? なんでノックス、裸!?
距離、近すぎじゃない!?)
頭の中に、ありえないシーンが次々と流れ込む――
【脳内18禁Ver.1】
セレナ「もう、見たでしょ?」
ノックス「……足りない」
(BGM:やばいピンク色)
「ち、ちが……いやいやいや無理!!」
アリアンは顔を真っ赤にして、バッグを抱えたまま三階へ全力ダッシュ。
ドアを「バンッ!」と閉め、ベッドに飛び込み、枕に顔を埋めて――
「いやああああああああああああああああ!!!」
羞恥と混乱で、頭が真っ白。
ただひたすら、心臓が痛いくらいに跳ね続けていた。