第13話 流星と名前の意味
「にゃ~」
アルは口の端をぺろりと舐め、満足そうにノックスの隣の椅子に丸くなった。
尻尾を気まぐれに揺らし、場の殺気などまるで気にしていない。
「……アルって、本当にノックスに懐いてるね。」
アリアンは笑みを含ませて背を撫でながら、そっと話題を変えた。
ノックスは視線を落とし、淡々と答える。
「懐いてるんじゃない。俺を子分だと思ってるだけだ。」
「えっ?!」
アリアンがぱちくりと瞬きをする。
「それ、どういう意味?」
「俺が生まれた時には、もうこの家にいたからな。」
ノックスは火ばさみを置き、手でアルの毛並みを整えながら続ける。
「俺より“先輩”だ。」
「はぁ?」
セレナが紅い瞳を細め、眉を跳ね上げる。
「まさか……その猫、カルマが魔界から連れてきたとか?」
ノックスはほんの一瞬だけ間を置き、静かに首を振った。
「知らない。ただ、魔獣じゃないことは確かだ。」
「ふぅん……」
セレナは肩を竦め、口を尖らせる。
「でもさ――」
アリアンは視線を二人と一匹に移し、ふっと笑った。
「並んでると……ほんと、兄弟みたい。」
「兄弟? どこが?」
セレナがすかさず噛みつくように返し、声に微妙な棘を乗せる。
アリアンは一瞬考えてから、ぱっと言った。
「だって、二人とも“翼”あるでしょ?」
ノックスは口の端をわずかに上げ、低く呟く。
「兄弟ね……でもアルは霊獣だ。魔族じゃない。」
「霊獣?」
セレナの声に嘲りが混じる。
「冗談。どう見ても、肉泥棒なデカ猫じゃん――」
「にゃう。」
アルは顔を上げ、金緑の瞳でちらりとセレナを一瞥し、すぐにまた優雅に前足を舐め始めた。
――“信じるかどうかは勝手にしろ”、そんな風に見える仕草で。
「……」
セレナの眉間がぴくりと動く。
「ちょ、ちょっと、なにその余裕……!」
アリアンは吹き出した。
「ふふっ、完全に気にしてないよね!」
「チッ。」
セレナはそっぽを向き、肉を乱暴に噛み切ったが、心のどこかで妙に負けた気分になっていた。
「でも、なんで“アル”なの? もっとこう、強そうな名前じゃなくて?」
アリアンが首を傾げる。
「母さんが付けた。」
ノックスの声は淡々として、最後の肉をひっくり返す動きと重なった。
火の光が翡翠の瞳にきらりと宿る。
「へぇ、可愛いセンスじゃん。」
セレナは顎を片手で支え、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あの人、あんたのこと“ヨルちゃん”って呼ぶのも好きだしね?」
ノックスは軽く「……ああ」とだけ応え、それ以上は何も言わない。
アリアンはふと、空を仰いだ。
夜の天幕は黒藍に沈み、星がまるで銀砂をまき散らしたように瞬いている。
(……アル、ノックス、夜――)
胸の奥で、何かが繋がる。
「ねぇ……“ノックス”って名前、カルマさんが決めたの?」
「二人で。」
短く答えたあと、ノックスは小さく息を吐き、ぽつりと続けた。
「……名付けは、得意じゃなかったみたいだ。」
「え? どういうこと?」
アリアンが首をかしげる。
ノックスは外套の裾を軽く指で払いながら、夜空を見上げる。
「アルって名前も、母さんが付けたんだ。――たぶん、その流れで俺も“ヨル”にしたかったんだろう。夜って意味だ。」
わずかに間を置き、低く続ける。
「でも父さんは反対して……結局、アイデンに頼んで今の名前になった。」
「(ヨルちゃん……)」
アリアンの脳裏に、カルマの茶目っ気たっぷりの笑顔が浮かぶ。
その響きは、どうにもくすぐったい。
「あとで知ったんだが――“ノックス”も古い言葉で“夜”を指す。」
声が夜風に溶け、淡く揺れる。
ノックスはそこで一度視線を動かし、セレナを見た。
「……それと、“ソレイア”。“太陽の照らす場所”って意味だ。」
一瞬で、空気が静まり返った。
風の音さえ、遠くなる。
アリアンの指が膝の上でぎゅっと丸まる。
胸が、なぜか苦しくなる。
セレナは紅瞳をかすかに震わせたが、すぐに顔を背け、いつもの調子を装った。
「……へぇ。ベタすぎて笑える組み合わせじゃん。」
ノックスはそれ以上言わず、ただ軽く「そうだな」と呟き、スマホに目を落とし、何かを確認するように指先を滑らせる。
画面を閉じると、低く呟いた。
「……頃合いだ。片付けるか。」
そのときだった。
「わっ!」
アリアンが突然声を上げ、空を指差す。
「見て、流れ星!」
夜空を切り裂くように、一筋の光が尾を引く。
続いて二つ、三つ……やがて無数の光が降りそそぎ、天を銀の雨で満たした。
「……すごい……!」
アリアンは思わず立ち上がり、両手を胸の前でぎゅっと握る。
瞳に星を映し、顔いっぱいの笑みを浮かべて――
(こ、これ完全に……恋愛イベントじゃん!!)
けれど、セレナは星を見なかった。
彼女の視線は、ただ一人――ノックスに向いていた。
ノックスは、空を仰がない。
炎の後始末をする指が止まらず、その横顔には感情らしい影がない。
ただ、静かに、背中で夜を背負っているだけ。
(……この景色も、この時間も、全部あんたが用意したのに。)
胸の奥が、妙にきしむ。
理由は、まだ言葉にならないまま。
「ねぇねぇ、あれ見て! すっごく明るいの!」
アリアンのはしゃいだ声が、張りつめた空気を軽く弾く。
ノックスはただ、淡々とグリルを片付け、椅子を整えた。
背中に、銀の光が降り注ぐ。
その影を見ながら――セレナの唇が、わずかにきつく結ばれた。
(……あんた、一体なに考えてんのよ。)
夜風が頬をかすめ、遠くでアルの喉が心地よく鳴る。
流星群はまだ、降り続いていた――。




