第11話 屋上の洗濯騒動
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋をやわらかく照らしていた。
セレナはクローゼットを開け――そして、動きを止める。
「……は? 服、全部ランドリーバスケット行き?」
ほぼ同時に、アリアンが小走りで駆け込んできた。顔は青ざめ、声は裏返る。
「わ、わたしのも……!!」
指先は服の裾をぎゅっと握りしめ、今にも泣き出しそうな顔。
(うそでしょ……今日、昨日の服をまた着るとか最悪!!)
ドア口に立っていたノックスは、二人をちらりと一瞥し、まるで予想していたように淡々と告げた。
「洗濯機は屋上だ。」
「えっ、えええ?!」アリアンが声を裏返す間に、ノックスはもう二つのバスケットを両腕に抱え、階段を上がっていく。
動作はあまりにも自然で、まるで本を運ぶかのよう。
セレナは眉を跳ね上げ、口の端にいたずらな笑みを浮かべる。
「……へぇ、未来視でも持ってた?」
「放っとけば、お前ら着る服なくなるだろ。」
「……」
短いその一言が、なぜか妙に既視感を呼ぶ――
アリアンの顔がぱっと真っ赤に染まり、心臓がドクンと跳ねた。
(ちょっ……なにその台詞、完全に“夫が家事を仕切るやつ”じゃん!!)
「まだ立ってるのか?」ノックスが肩越しに視線を寄こす。
声は相変わらず平板だが、不思議な圧があった。
「学びたいなら、ついて来い。」
言い捨てるや否や、彼はもう屋上への階段を上がっていく。
セレナは顎を上げ、くすりと笑った。
「ふぅん……今のノックス、ちょっと頼もしいじゃん。」
アリアン:(やめて! そんな目でこっち見るな! わたし何も考えてない!!)
◆ 屋上にて ◆
屋上は思った以上に開放的だった。
太陽は暖かく、風はやさしく頬を撫で、遠くには瓦屋根が幾重にも連なる――まるで小さな空中庭園だ。
ノックスは二つのバスケットを洗濯機の横に置き、手際よく衣類を分け始める。
その動作は無駄がなく、音ひとつ立てずに流れるよう。
「おぉ~悪くないじゃん、この景色。」セレナは額の銀髪をかき上げながら、バスケットを覗き込む。
――が、次の瞬間、動きを止める。
そして、ゆっくりと唇の端を上げた。
「……ほほう? なかなか、ガーリーなの入ってるじゃん?」
「その素材は機械洗いに不向きだ。手洗いだな。」
ノックスの声が無機質に響く。
「……」セレナが目を細めた。
「なにそれ、なんで即答できんの?」
「タグに書いてあるだろ。」
ノックスは視線を落としたまま、極めて冷静に答え、作業を続ける。
アリアンは心臓を握り潰されたみたいに顔を真っ赤にし、叫んだ。
「ノ、ノックス見ないでぇぇっ!!」
バスケットの奥から慌てて自分の服をかき集める。
(ちょっ、そこにあるの全部……わたしの下着だよ?!なんで平然としてんのこの人!!)
セレナはさらに黒レースをひょいとつまみ、にやりと笑う。
「おやおや? これ、前にあんたが一緒に選んでくれたやつじゃん? どう洗うの、先生?」
「手洗い。」ノックスの声は相変わらず機械的だ。
「めんどくさ~」
「なら貸せ。俺がやる。」
「……やれるの?」
「調べればいい。」
「いやいやいや! わ、わたしがやるからっ!!」
アリアンの絶叫が空に突き抜ける。
――と、その時。
セレナの指が、バスケットの底から“何か”を引きずり出した。
指先でつままれたのは、ありえないほど挑発的な黒レース。
「……ほう?」彼女の唇が、いたずらに歪む。
「サイズ、すごくない?」
空気が、一瞬で凍り付く。
「え、えええええっ?! こ、これ私たちのじゃない!!」アリアンが絶叫する。
セレナの目が細まり、声が低く笑う。
「じゃあ誰の? まさか――」
二人の脳裏に同じ名前が閃く。
カルマ。
「いやああああああっ!!!」アリアンは悲鳴を上げ、顔を真っ赤にしたまま下着をタオルでぐしゃぐしゃに隠す。
セレナは肩を震わせ、腹を抱えて笑い転げる。
「はっ……はははは! あいつ、デカいのは翼だけじゃなかったか!」
「言うなぁぁぁぁ!!!」
二人でその“証拠品”をタオルで必死に包み込み、口を揃えて叫んだ。
「このこと――絶対、誰にも言うな!!」
「……何やってる。」
振り返ったノックスの翡翠の瞳が、まるで冷たい湖面のように二人を映し出す。
「な、なんでもないっ!!!」
二人の声が天井を突き破り、屋上の空気は大崩壊した。
◆
朝の陽光が屋上いっぱいに広がり、風は草の匂いを運びながら衣類と髪をやさしく揺らした。
その光景は、まるで映画のワンカット――眩しすぎるほど完璧だ。
セレナは腰に手を当て、銀髪をひと振りして口の端を釣り上げる。
「おやおや~? アリアン、パンツ、飛んでっちゃうよ~?」
「い、言うなぁぁぁ!!!」
アリアンの顔は真っ赤に爆発、耳まで茹で上がったように熱い。
必死に衣類を押さえ込むその横で――
ノックスは、まるで業務用ロボットのような無駄のない動きで、指先を滑らせると、布地をスマートにキャッチ。
声は驚くほど淡々としていた。
「風が強い。しっかり固定しろ。」
「ひっ?!」
その瞬間、アリアンの心臓に雷が落ちた。
目の前に伸びる長い指、無駄のない動作、そして――あまりに自然体な距離感。
(な、なんで……洗濯物干してるだけなのにカッコよすぎるの?!
っていうか、それ……わ、わたしの下着ぇぇぇぇ!!)
「よし、完了。」
ノックスは手を離し、袖口を軽く払う。
その仕草は、雑誌のグラビアよりも洒落ていて、息を呑むほど自然だった。
アリアンの胸はまだドクドクと爆音を鳴らし、頭の中は真っ白。
(あああ……落ち着け、落ち着けぇぇ……!)
セレナがふと横目を向け、にやりと笑った。
「そういえば――私たちの服はここで干してるけど、ノックスのは?」
「……え?」
アリアンの脳内に、危険な赤ランプが点滅する。
「一度に三人分は無理だ。だから先に洗った。部屋のバルコニーに干してある。」
ノックスは、ごく普通の口調で淡々と答えた。
その瞬間――
アリアンの脳内に、超高画質のイメージが炸裂する。
――黒いシャツが風に踊り、陽光を背に結実した肩と背中が透けるように浮かび上がる。
そして……その隣で揺れる“謎の布”。
(っっ!? ダメ、ノックスのパンツ考えたら死ぬ!)
「おやおやぁ~?」
セレナがその顔を見逃すわけもなく、悪魔のように笑う。
「残念だねぇ、ノックスのパンツ、洗うチャンス逃したじゃん?」
「だ、だだだ誰が洗うって言ったのよぉぉぉ!!!」
アリアンは耳まで真っ赤にして炸裂、全身の毛が総立ちになったかのよう。
(この人……わざとだ! 絶対わざとからかってるでしょ!!)
衣類が風に揺れ、陽光を受けてやわらかな輝きを放つ。
セレナは最後の洗濯物をピンチに留め、欄干に軽く寄りかかった。
赤い瞳が空を見上げ、口から落ちた声は何気ない響き――だが妙に熱を孕んでいた。
「なぁ、ここ――夜になったら結構いいんじゃない?」
「どこが?」
ノックスは振り返りもせず、短く問い返す。
「決まってんじゃん。この屋上だよ。」
セレナは指で足元を示し、唇に意味深な笑みを浮かべる。
「バーベキュー、星空、夜風――完璧でしょ?」
――その瞬間。
アリアンの脳内で警報が鳴り響いた。
(ちょ、ちょっと待って!!
それ、完全に恋愛フラグじゃん!!)
ノックスは……淡々とスマホを操作しながら、驚くほど無感情に口を開く。
「夜は冷えるな。やるなら準備しておけ。……明日でいいだろ。コンロはある。」
「……」
セレナの胸の奥で、何かがコトリと音を立てた。
そして――小さく笑う。
「ふぅん……やるじゃん。気が利くじゃん?」
アリアンはその場で崩れ落ちそうになり、両手で顔を覆った。
(なんで……なんで普通の提案が、ここまで破壊力あるの?!
やばい、息できないぃぃ!!)
風が洗濯物をさらさらと揺らし、柔らかな洗剤の香りが漂う。
夕陽はゆるやかに空を染め、三つの影を長く伸ばして――
静かに、新しい修羅場の幕を上げようとしていた。




