未来のことを考えよう~オボロアナグマの肉うどんを添えて~8
塩胡椒でシンプルに味つけしたオボロアナグマの肉を、ひょいと指先で摘み上げて口に入れる。
すると、香ばしい肉の香りが鼻腔に広がった。続けて、上質な脂の味が舌に広がる。肉は蕩けるようにして、口内からすぐに消えてしまった。
──なるほど、上質だ。
しかしやはりというか、これは中年の胃には重たい脂だ。翌日を待たずにもたれる確信がある。残念だが、俺はたくさんは食べられそうにもないな。
「あっ、ずるい」
俺のつまみ食いを目ざとく見つけた椛音が、こちらを指差しつつ抗議の声を上げた。
……人を指差しちゃダメだって、小さい頃から教えてるんだがなぁ。椛音のことは素直ないい子に育てた自負はあるが、礼儀の面はいささか自信がない。
「調理のためにどんな味か確認しておきたいだろ」
「ずるいずるいずるいずるい!」
「ああもう、うるさいな。仕方ないから椛音も一口食っとけ」
「わぁい!」
椛音の『ずるい』コールに根負けして、小皿に肉を分けてやる。すると椛音は嬉しそうに『にしし』と笑ってから、肉を指で摘んでから口に放り込んだ。そして数度咀嚼したあとに、むふんと息を吐いてから目を瞠る。
「美味しい! 濃厚な脂がお口の中でとろっと蕩けるね。いくらでも食べられそう!」
「……椛音。お前、若いなぁ」
「十六歳だもん。そりゃ若いに決まってるでしょ」
思わず漏れ出た俺のつぶやきを聞き、椛音は不思議そうに首を傾げる。十代の姪は『胃もたれ』なんて言葉とは無縁なのだろうな。
「若い胃袋……。羨ましいな」
中年の哀愁に満ちた独り言を漏らしながら、俺はパルメダさんを探して周囲に視線を走らせる。食べることが大好きな彼の反応が少しばかり見たいと思ったのだ。
無事にカトラリーを手に入れたらしいパルメダさんは調理台の前に椅子を用意し簡易の食卓を整え、オボロアナグマの肉にナイフを入れて切り分けているところだった。おお、さすが貴族。お手本みたいに上品な所作だ。指で摘んで口にぽいの我々とは大違いである。
パルメダさんはフォークに刺した肉の一切れを、しばらくの間目を細めつつ眺める。これは、食事を目で楽しむというやつだろう。肉の見た目をたっぷりと楽しんだパルメダさんは、恍惚の表情で口を開く。その様子からはちょっと危ういくらいの色香が漂っており、彼を見守る料理人の中にはごくりと生唾を呑む者たちもいた。
──パルメダさんに『癖』を狂わされた人間も、きっといるのだろうなぁ。
「んっ」
肉を口に含んだ瞬間。パルメダさんの目がカッと見開かれる。彼はしばらくの間無言で肉を噛み締めたあとに、ふうと小さく吐息を漏らした。そして上品な仕草で、ハンカチを使って唇の脂を拭う。
「素晴らしい。濃厚な旨味が詰まった肉と、舌の上で柔らかく解ける脂。これはいくらでも食べられてしまいますね。ええ、いくらでも食べたいです」
パルメダさんは頰を紅潮させ、片頬を手で押さえながらうっとりと言う。
──パルメダさん、貴方も『そちら側』の胃袋の持ち主なのですね。
俺よりも十以上若いのだから、当然と言えば当然なのだが。なんだか悔しい気持ちになってくるな。
そんなことを思いながら、俺は調理を再開したのだった。