第16話 離れてしまう前に
翌朝――。
俺はいつも通り、朝ごはんを食べていた。
……いや、実際には、食べている「ふり」をしていた、のほうが正しいかもしれない。
目の前には焼きたてのパンとスープ、そしてベーコンエッグ。いつもなら母さんの作る朝食は、うまいって思いながらかきこむのに、今日に限っては味がしない。
頭の片隅には、昨日の「スキルなし」宣告が、しつこいぐらいに居座っていた。
一夜明けたら何か変わるかと思ったけど、そんなことはなかった。目が覚めても、昨日の俺と何も変わらない。
――スキル、なし。
たった三文字のその言葉が、やけに重くのしかかる。
「ヨウマ、ちゃんと食べてる?」
母さんの声が飛んでくる。
「うん、まあ……」
適当に返事をしつつ、パンをちぎって口に運ぶ。だが、やっぱり味がしない。モソモソとした食感だけが、妙に気に障る。
そんな俺の様子を見てか、母さんが少し言いにくそうな顔をしながら口を開いた。
「……そう。それならいいんだけど、大事な話があるの」
大事な話?
なんとなく嫌な予感がして、俺はゆっくり顔を上げた。
母さんの表情は、いつもの穏やかなものではなく、ほんの少しだけ申し訳なさそうな雰囲気が滲んでいる。
「リリアね、今日、街へ行くの」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
リリアが、街へ?
俺の中で、ぐるぐると考えが巡る。
「昨日の鑑定の結果、ユニークスキルがすごいものだったみたいでね。冒険者ギルドの偉い人が直接声をかけてきたのよ」
「マジで?」
「マジよ。で、本人もやる気みたいだから、今日出発することになったの」
今日、出発?
唐突すぎて、頭が追いつかない。
昨日、あんなに楽しそうに話してたじゃないか。スキルの話をして、「ずっと一緒だよ」なんて言って――。
まるでそんな約束なんてなかったかのように、話が進んでいることに、俺は言いようのない違和感を覚えた。
「昨日の夜、ギルドの人がわざわざ来て話をしてね。正式に才能を認められたのよ。すごいわよねぇ」
母さんはどこか誇らしげに言うけど、俺には素直に喜べる気持ちなんて、欠片もなかった。
「……そっか」
絞り出すように、それだけを言う。
胸の奥が、ズンと重くなる。
「お昼過ぎには出るって言ってたから、ちゃんと見送りなさいね?」
母さんはそれだけ言って、食器を片付け始める。俺は、食べかけのパンを見つめたまま、動けなかった。
昨日、あんなに明るく「ずっと一緒だよ」なんて言ってたのに。なのに、もう行くって決めてたのか? それとも、本当に昨日の夜、急に決まった話なのか?リリアの気持ちがわからない。
いや、俺が知りたくないだけなのかもしれない。スキルなしの俺と、才能を認められたリリア。昨日までは並んでいたはずなのに、もう道が分かれようとしている。
「……くそっ」
思わず、手の中のパンを握りしめてしまう。指の間からパンくずがポロポロとこぼれ落ちるが、気にする気にもならなかった。
このままじゃ、本当に“違う世界”になっちまう。
俺はどうすればいい? どうすれば――。
答えの出ない問いが、胸の奥で渦を巻く。
焦燥と苛立ちを押し殺しながら、俺は黙ってパンをかじった。
やっぱり、味がしなかった。
このままじゃ、リリアは遠くへ行ってしまう。俺だけが取り残されてしまう。そんな焦燥感と苛立ちが、胸の奥でぐるぐると渦を巻いている。
「……はぁ」
深いため息をついて、気を紛らわせようとベッドに倒れ込む。
このまま考えていても答えは出ない。リリアが出発するまでには、まだ時間がある。少しだけ横になって、気持ちを落ち着けよう――。
そう思ったのが、間違いだった。
「――!!」
俺は息を切らしながら、ガバッと飛び起きた。
「はっ、はぁ……」
なぜか、心臓が早鐘のように打っている。――そうだ、リリアの見送り!俺は慌てて窓の外を見る。太陽はすでに高く昇っている。時計を見ると、昼を少し過ぎた頃だった。
「……嘘だろ」
全身の血の気が引いていく。
ガタッと椅子を倒しながら、俺は部屋を飛び出した。
俺は全速力で、俺は全速力で村の出口に向かって走った。リリアがまだ見える距離にいることを祈りながら。
「リリア!!」
俺の叫び声に、リリアが振り返る。リリアは少し驚いていた。
「ヨウマ…」
「まだ行かないでくれ、リリア。まだ別れの挨拶を言ってないよ」
リリアは少し微笑んで、俺の方に歩み寄ってきた。
「ヨウマ、ありがとう。気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
「リリア...。本当に行くんだね。」
「大丈夫だって。私たちはまた会えるよ。ヨウマが強くなって、冒険者ギルドに入る日を楽しみにしてるから」
リリアの言葉に、俺は少しだけ安心した。彼女の笑顔は、俺にとって何よりの励ましだった。
「わかった。俺も頑張るよ。必ずリリアに追いついてみせる。」
「...その言葉、忘れないでよね」
リリアは最後にもう一度微笑んで、村の外へと歩き出した。俺はその背中を見送りながら、
その背中を、ただじっと見つめていた。