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短編

オタクとダムと兄貴とバイクの盆休み

 齢30にして、恋人すらいない。

 数少ない友人たちは、俺という存在を忘れたかのか連絡の一つも寄越さない。


 安物のソファーに根を張り、乾いた豆を食いながら白球を追う甲子園球児を眺める日々。冷房を付けるほどの暑さではないと自分に言い聞かせ、扇風機の正面に陣取るも額には汗がにじんでいる。部屋中の窓を開けているせいで、ワシワシと健気になくクマゼミの声がやたらとうるさく聞こえる。


 先日の台風で、仕事の予定がきれいさっぱり流れてしまったおかげで、俺は世間様よりだいぶ早い盆休みを堪能していた。しかし、長い退屈は憂鬱を作る。


 地元高校が初戦で敗退する様を見た時、とうとう俺の心が限界に達した。


 こうなっては最早致し方ない。日もまだ明るいうちから酒を空け、健康診断くそくらえと油っこい飯を喰らうばかりだ。だが、暴飲暴食の果てに膨れた腹ともたれた胃に苦しむのは経験上明らかで。自暴自棄になることすら躊躇してしまう自分に、年相応の老いを感じてしまう。そしてそれが、更なる憂鬱が生むのだ。


 そんなとき、兄貴が「ダムはいいぞおじさん」になっていた時のことを思い出した。あれはいつのことだったか。一切の興味を示さず右から左に聞き流している俺に、やたらと唾をとばしてダムの構造や、ご当地ダムカレーの素晴らしさについて力説していた。


 ふと、スマホを手に取り「ダム」で調べるみる。すると、我が地元には九州最大のダムがあるというではないか。


 そうだ、ダムを観に行こう。


 部屋で暗雲低迷としているよりは、幾分か有意義な休日となるかもしれん。そう思いたった俺は、手早く準備を済ませ愛車のセロー225WEに跨りアクセルを思い切り捻った。


 ●


 真夏のツーリングというものは最悪なもので。全身に風を受けるのは気持ちのいいものなのだが、信号に捕まるごとに照りつける日差しとエンジンから沸き上がってくる熱気はたまったものではない。走れば天国、止まれば地獄というわけだ。


 俺は、国道を外れ海沿いへと進路を変えた。信号がひとつもなく制限速度も一般道より速い有料道路なら、気持ちよくバイクを走らせることもできるはずだ。


 だがしかし、久しく街乗りライダーと化していた俺は、我が愛車が高速巡行に向かないことをすっかり忘れていた。時速60キロを超えたごろあたりから、セローのエンジンは力強く震えだし、俺の尻を小刻みに蹴りあげ始めたのだ。


 悲鳴をあげる尻に、たまらず尻の位置を変えてみたり立ち乗りをかましたりしたが然したる効果はなかった。思惑が外れた俺は、思い付きで部屋を出たことを後悔し始めていた。


 有料道路を降り、交通量の少ない田舎道を抜けダムに続く山道に入る。深緑の葉から零れた日差しがゆらゆらと揺れ、山からは先日の大雨のせいか水が滝のように流れ道路を横断している。


 濡れた道路に足元を取られぬよう速度を落としたのがなお良かった。セローは俺の尻を蹴りあげるのをやめ、今はリズミカルにエンジン音を奏でてくれている。


 ほどなくして、目的地である一ツ瀬ダムにたどり着いた。


 駐車場も見当たらなく、道の脇にバイクをとめヘルメットを脱ぐ。走行中は気づかなかったが、山の中はミンミンゼミの大合唱だった。アパートで聞くクマゼミよりも、どこか清涼に聞こえるは何故だろうか。


 木々の青々しい香りと、響くセミの声、そして川から上ってくる冷たい風は俺を少し若返らせてくれた気がした。


 九州最大のアーチ式ダム「一ツ瀬ダム」。


 アーチ式というのがどういう構造の物なのかは、よく知らない。それにアーチ式で無ければ九州最大では? という疑念も残る。


 ダムの上流は、先日の大雨で溜まったのだろう黄土色に濁った水で満ち満ちていた。ダムに近づけば近づくほど香る、その泥の臭いが鼻につく。道中に放流中という電光掲示板を目にしていたのだが、実際にはチョロチョロと水を流しているだけで期待していた「大水の奔流」との落差に少し落胆もした。


 だが、それでも。

 人間が作り出した、その雄大な建築物に俺の心は少しだけグッと来ていた。


 ◆


 道を折り返し、帰路に就く。痛む尻には、たとえ安物のソファーであっても恋しく思えた。


 ふと、途中で思い直しコンビニでビールを3本買う。自宅へ続く国道を外れ、進路を西へと大きく変えた。最高のパフォーマンスを出せていなかったとはいえ、一ツ瀬ダムはなかなか良かった。ならば「ダムはいいぞおじさん」に、一言お礼申し上げにでも行こうと思い至ったのだ。


 3本のビールの内訳は、兄貴と俺、そして祖父の分だ。

 兄貴は祖父と一緒にいる。


 砂利の敷かれた駐車場にバイクを止め、俺は俺の名字が刻まれた墓に向かう。今日は誰か来ていたようで、墓にはきれいな百合の花が供えられていた。ビールを墓前に置き、線香代わりに火のついたタバコを二本備える。


 兄貴はキャスターを好んでいたが、あの甘い香りは俺には向かない。二人とも今日は、メビウスで我慢してくれ。


 思い返せば、俺の趣味は全部兄貴譲りのものばかりだ。バイクも、漫画や映画といったオタク趣味も、そして酒に煙草だって。無知で純粋な俺に、趣味性の高い遊びばかり手ほどきしてどういうつもりだったのだろう。兄貴は、俺にとっての遊びの先生だった。こうしていい歳になっても独りで生きていけるのは兄貴のおかげかもしれない。


 兄貴には嫌なところもいっぱいあった。しょっちゅう俺を小突くしし、金もたくさん貸した。無茶難題をふっかけられることもしばしばで、助けられたことよりも助けた事のほうが多かった。


 だがそれも、この憂鬱な盆休みにダムの良さを思い起こさせてくれたことに免じて許してやることとしよう。


 ★


 アパートに帰りつく。

 空けた時間は僅かだというのに、既に部屋には熱気が立ち込めていた。全ての窓を開け、扇風機を回しソファーに倒れこむ。コンビニで買った俺の分のビールは、既にぬるくなっていた。


 それでもビールはビールだ。プルタブを開け、喉に流し込む。得られた快感は限りなく無限大に近かった。


 ビールを片手にスマホを取り出し、ツイッターを起動する。孤独な俺の外界とのつながりは、もはやこのアプリにしかない。


 俺は、今日一日で得た人生の学びについて皆に伝えることにした。


「みんな、ダムはいいぞ」



 おわり

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