人と竜
それからフェレスは世界を守る竜の元へとザフィリカルスに連れられて向かった。
世界を巻き戻すには5頭の竜全ての了解がいる。
頻繁に巻き戻しが行われるのはよろしくないし、なにより変わってしまう物事の管理もしなければならない。
時間が戻っても人は大抵同じ行動を繰り返すが、大きな出来事が変わればその先の未来も変わってしまう。
それが世界に与える影響を管理するのが竜達の仕事のひとつであった。
幸い、ザフィリカルス以外の竜はそれぞれ夫婦となって一緒に暮らしている。
行き先は2つだけで済んだ。
時間を巻き戻したさいの影響は多岐に渡る。
その全てが記憶を持って遡行した存在から発生するものだ。
時間遡行の記憶を持つ事ができるのは神の力を持つ者に限られており、さらには地上での出来事を変更する事ができるのは竜と時間遡行の請願者のみに限られていた。
ザフィリカルスは今回、フェレスのお目付け役を任されている。
竜ではないものが時間を遡り、間違いを犯すことのないよう監督せねばならないのだが、普段なら面倒だと感じるはずのそれをザフィリカルスは特に不快には感じていなかった。
無事他の竜達の協力を取り付けたフェレスは、時を巻き戻す前にザフィリカルスと山で肉体の扱い方を覚えた。
人の枷を外した新しい体は何もかもがこれまでとは違う。
見えるもの、感じるもの、触れるもの。
呼吸の仕方ひとつをとっても同じものではなかった。
大きな力を制御するための心の訓練。
指先に込める力のわずかな配分。
それらをザフィリカルスから学びながら、世界の理についても理解を深める。
そうして地上ではたちまちのうちに数年が過ぎた。
フォルミラカ王国では中立派と貴族派が半ば隠居していた王弟を旗頭に国王派に対抗、内紛状態となっていた。
女神を祀る4つの神殿は無言のうちに国と距離を置き、高い治癒能力を持つ者を聖女と担ぎ上げて権力に擦り寄るフォルマ教と他の2つの教会ははっきりと対立している。
他国からの干渉もあり、状況はけしてよくない。
エフティヒア侯爵領も、新しく爵位を引き継いだ親族の勝手気ままな経営で領民は苦労をしていた。
国王はあのときの静観の判断を後悔しているようだが、婚約破棄が起こった時点で行動しても無駄であっただろう。
それよりも前、いっそ婚約自体を押し付けたりしなければ、問題は起こらなかったかもしれない。
だが結局は他の貴族家で同じ事が起こっていた可能性が高いが。
フェレスは数年をかけて自らを鍛え上げ、そして時間の許す限り王国を探り、より良い結果に導く手立てを考えた。
ザフィリカルスはそんなフェレスと毎日を過ごすうち、彼女と一緒にいるのが当たり前になり、できる限りのことをしてやりたいと思うようになる。
そして、これが竜と人とが一緒に暮らせない理由なのだと思い至った。
竜は世界に影響を与える力を持つ。
それを自覚して行動を律する。
だがそこに人が関わったとき、竜は愛する者のため自身を揺るがしてしまうのだ。
竜は竜、人は人で生きなければならない。
突き放し、それでも見守ることができなければ、竜は人とは暮らせないのだ。
いよいよ時間遡行を開始するその前日。
フェレスは1人で夜空を見上げていた。
ザフィリカルスはその隣に立って訊いた。
「眠れないか」
言って、陳腐な質問だと思う。
けれど他に何を話せばいいか思いつかない。
「眠りたくないのです。何か見逃していないか不安で、あれこれ考えずにはいられません」
「いらぬ心配だ。何かあっても我らに片付けられぬことなどない」
フェレスは小さく笑った。
言いたいことは言い辛く、必要のない言葉ばかりが口をつく。
もう少し言い方はないものかとザフィリカルスは己が情けなくなった。
「全てが終わったらどうするのだ」
「……まだ決めておりません。精霊達は森で女神の仕事をしながら一緒に暮らせばいいと言ってくれます」
「そうか」
一緒に、と。
ザフィリカルスは何か言うかわりに暖かいショールを出して彼女の肩にかけた。
「ここは冷える。気が済んだら早く眠れ」
「ありがとうございます」
ザフィリカルスが山の中に戻ったあと、フェレスは再び夜空を見上げて、ショールの端を強く握るとその中にくるまった。
白い息が夜の中に消えていく。
それは今が世界に解けて消えて行く準備のように見えた。