夜の花畑と届かない想い。③
朝日が眩しい。
朝だ。
私は自分の頬が濡れている。
私は昨晩、タマとプールへ行った。
ぼんやりと思い出す。
そうだ。タマと小学校のプールで泳ぎ、私はタマの膝の上で眠ってしまい、どうやって家に帰って来たのか全く覚えていない。
昨晩の事も本当の事だったのかも疑わしい。
全て夢の中の出来事だったのでは無いだろうか。
そんな事を思いつつもタマの膝の感触を確かに覚えている。
仲良くなった筈なのに、タマと出掛けた後はいつももう二度と会えないような気がする。
真夜中という時間がそんな風に感じさせるのかも知れない。
私は夜中のコンビニのバイトから帰宅した時もいつも気絶したように眠ってしまっている。
私はシャワーを浴び、服を着替えて朝日が眩しい中、久々に明るい時間に外に出た。
今日は何故か抵抗無く外に出ようと思った。
幸い今日は日曜日の為か普段の朝より人通りは少ない。
朝に出歩くのも悪く無いなと思う。
ふと昨晩のタマを思い出す。
タマはいつも夜中に来るけれど、夜型なのだろうか?
一人暮しならともかく、おばあちゃんと一緒に暮しているのなら夜中出歩いて日中寝てたら怒られそうだ。
私はタマの事を、何も知らない。
知らないのに一緒に居たいと思う。
こんな感覚は初めてだった。
私は気分が良くなり散歩でもしようと堤防へ向かった。
堤防では年輩の方の散歩の時間らしい。
すれ違い際に会話が聞こえると、自分の事を話されているようで、少し嫌な気分になる。
見ず知らずの相手の話をする程皆周りに感心など無いと言うのに。
その時、どこか見覚えの有る人とすれ違った気がした。
「あれっ?西山さんの所の美春ちゃんじゃ無い?」
「!!!?」
「あっ、やっぱりそうじゃ無い!お久し振り。」
それは私の実家マンションの同じ階に住む加藤さんだった。
「散歩?若いのに朝早くから偉いわねぇ。」
「あっ、はい。。」
「そう言えば美春ちゃん、一人暮らし始めたんでしょ?色々大変でしょう。」
「いえ、。。自分のペースでやってますので大丈夫です。。父から聞いたんですか?」
「そうよ。偶然エレベーターで一緒になった時にね、最近美春ちゃん見かけないから、どうしたのかなって聞いて見たのよ。」
「そうですか。」
「美春ちゃんも居ないとお父さんは寂しいんじゃ無い?」
「父は大丈夫です。昔からずっと仕事ばかりで殆ど家に居ませんでしたから。」
「お母さんの事も有ったから、心配してたのよ。お母さん美春ちゃんの事とても大事にしてたから。お母さん、良く言ってたのよ。美春ちゃんはお父さんと同じ医者にさせてあげたいって。ちゃんとした仕事に就かせてあげたかったみたいよ。美春ちゃんも辛いと思うけどお父さんを支えてあげて。何か困った事が有ったらいつでも言って。、と言ってもおばさんに出来る事だから、大したことは出来ないかも知れないけど、困った時はお互い様よ。」
「はい。。有難うございます。」
加藤さんは昔からこういう人だ。
人の気にする事に遠慮無くずけずけと踏み込んで来る。
お母さんが私を大事にしてた!?
私には好きな事を選ぶ権利は無かった。
母の言う事が全てだった。
何も知らない癖に。
母は私を自分を映す鏡として利用してただけだ。
自分の遺伝子のせいで私が劣っていると、父や周りに言われ無い為に私に勉強させた。
私は母親の言いなりだった。
私は母親の顔色ばかり見ていた。
他人に私と母の何が分かる。
加藤さんは全く悪気が無く、寧ろ親切心で言っているのだから尚更質が悪い。
私が不快な気持ちになっている事に全く気が付いていない。
加藤さんは言いたい事をいい終えると、スッキリした顔で去って行った。
私は後悔した。
今日外に出た事に。
人と会っても何もいいことなんか無い。
会うのはタマだけでいい。
帰って布団に潜り込む。
嫌な事を忘れるように目を瞑る。
私は誰にも邪魔されない深い眠りに落ちる。
あぁ、タマに会いたい。
『ヒピピピー。』
携帯のアラームで私の願いはいとも簡単に打ち砕かれる。
バイトの時間だ。
私は重い体を起こしバイトに向かった。
どんなに重い気分の時も体を動かすと自然に気分は晴れた。
私は期待していた。タマに会う事に。
それから数日。
タマは私に会いに来ない。
私の日常はタマに会う前に戻っていた。
そんな日常を過ごしていたある日、タマは突然現れた。
「これ下さい。」
煮干し?
「あっ!!!?」
タマ!!
私は動揺を抑え、自分を落ち着かせる。
「久しぶり。」
「久しぶりだね。」
タマの笑顔を見て、自分の頬が緩むのが分かる。
色々聞きたい事が有った筈なのに、タマに会ったら嬉しくて聞きたい事などどうでも良くなっていた。
「ゴホッ。」
「タマ、風邪?」
「あ、うん。ちょっとね。」
この前のプールのせいだろうか?
「ねぇ、美春、次はいつ休み?」
「明日休みだよ。」
「ならまた遊ぼ。」
「いいよ。」
「いつもと同じ時間にまた公園で。」
「分かった。」
タマが帰った後も嬉しくて胸の高鳴りが止まらない。
私はその日、興奮からなかなか寝付け無かった。
深夜一時。私は公園に向かう。
いつもタマは時間を計ったように一時ぴったりに来る。
少し早く来た私はいつものようにベンチに座る。
早く会いたい。
公園の時計の長針がカチっと動く。
あと一分。
私は目を閉じる。
タマの香りが私を包む。
「美春。」
タマの腕の温もりを感じる。
後ろからギュッと抱きしめられ、私はタマの腕にそっと自分の手を乗せた。
『会いたかった。』
私は心の中で囁く。
ずっとこうしていたい気持ちを抑えて振り返る。
「行こうか。」
「うん。」
私が差し出した手をタマは当たり前のように握る。
「今日はどこ行くの?」
タマはニッコリ微笑む。
「付いて来て。」
私はタマの隣をいつものように歩く。
真夜中の夜風が肌に心地よい。
静かな道路を歩いていると、世界には私達しかいない気がする。
私はそうなったら良いのにと思いながら、タマの肩に体を寄せた。
タマが連れ行く道はどこか見覚えが有った。
この前の早朝、私が歩いた散歩道だ。
タマは堤防に向かっているようだ。
堤防に行く階段を上った。
堤防まであがると薄暗く所々家の灯りやマンションの灯りの付く私達の来た方と、川を進んだずっと先に見える都心のビルの灯りが見えた。
「綺麗。」
朝なんかより夜の方がずっと素敵だ。
隣にはタマも居る。
タマは私の手を引いて堤防から河川敷に降りて行った。
たまはそのまま河川敷の繁みに入る。
私は少し不安になるがタマに付いて行く。
自分の背丈より高い草を掻き分けて前に進んだ。
草を掻き分けた時に強い風吹き抜けて、私は思わず目を閉じた。
目を開けた時、私は目前には一面に赤いじゅうたんの様な綺麗な花畑が有った。
月明かりに照らされた赤い花畑。不気味なようでどこか美しく私は不思議な気持ちになった。
「これって。。?」
「カーネーション。」
「綺麗。」
「美春がここに連れて来てくれたんだよ。」
「?」
タマは不思議な事を言うと花畑を走り出した。
私はタマを追いかける。
どんなに花畑の間を走っても不思議と花は折れ曲がる様子は無い。
走り続け、花畑を抜けると、草原が広がっていて私達はそこに寝転んだ。
河川敷に来た筈なのにどこまでも川は見えて来ない。
来た道は一面の赤いじゅうたんで、掻き分けて来た草むらはもう見えなかった。
私は隣に寝転ぶタマに手を伸ばした。
タマもそれに気が付いたのか、私の手に自分の手を重ね、ギュッと握り合った。
「私タマとずっと一緒にいたい。タマとならどこにでも行ける気がする。」
「私もだよ。美春。」
タマは私の体に自分の頭を寄せた。
「美春の匂い。」
「私タマみたいにいい匂いしないよ。」
「好き。」
「私も。」
私達は寝転んだままお互いの体を抱きしめた。
「タマ。好きだよ。」
タマの瞳に私が写る。
私はタマにそっと自分の顔を寄せようと近づけようとした時、タマが起き上がった。
「美春さ、お母さんの事嫌いじゃ無いよね?」
「美春はさ、ほんとは好きだよね。お母さんの事。」
「。。。」
「だから、泣いてたんだよね?」
そんな訳無い。
母のせいで友達とも遊べ無かった。
可愛い服を買いにも行けなかった。
恋だって出来なかった。
全てはお母さんの理想通りの自分になる為。
それを選んだのは誰だ!?
他でも無い私自信。
最初からわかっていた。
あの日、大学受験の日、母に酷い事を言った。。
私は受験に行かなかった。
「私はお母さんのせいで自由じゃ無かった。お母さんが居る限り、これから先も、永遠に私は自由じゃ無い!」
これまで全ての時間をこの日の為に使ってきた。私も母も。
それを私はこの一言で全て捨てた。
母にずっと従順だった私がこんな事を思っていた何て微塵も思っていなかったような顔をした。
その日。母は死んだ。
元々弱い人だったのだ。
でも。私の一言で死んだ。
母だって、私の為に全てを捧げて来たのだ。自分の時間を全て使って、私もそれを望んでいると信じて。
母の遺体の側から手作りのお弁当が見つかった。
ぐちゃぐちゃのカツサンドと共に手紙が入っていた。
『美春、頑張れ。』
「美春はお母さんに伝えたいんだよ。」
タマの声がした。
私のぼんやりする頭中に浮かんできたのは幼い日、母にお気遣いで一輪のカーネーションをプレゼントした。
『母は笑顔で有難う』
と言った。
その時の笑顔を見るために、私はずっと頑張ってきた。
大好きな母の為に。
気が付くと私は自分の部屋のベッドで寝ていた。
夢?。。
カーテンの隙間から入る朝日が眩しく私の顔を照らす。
ふと見ると部屋の真ん中のテーブルの上に有るコップに一輪のカーネーションが入っていた。
私はカーネーションを丁寧に、綺麗な包装紙で包んだ。
そして、母の遺体の見つかった場所へ向かった。
もう決して届かない『有難う』を伝える為に。
その日からタマはまた店に来なくなった。