ナターシャの過去(前編)
帰り道、リザとアイラが女王陛下と言い争いをしていたが、本気の喧嘩にはならなそうだったので、止めなかった。
というより、疲れているので喧嘩の仲裁なんてやりたくない。
「そういえば…………」
いつもなら、ちょっかいを出してくるナターシャが何も言わない。
視線を向けるとナターシャは目を逸らす。
その理由は分かっている。
分かっているつもりだ。
でも今は頭が働かない。
こんな状態で何かを言うべきではないと思った。
取って付けたような言葉では、ナターシャをさらに傷付けるだけだろう。
今は休息が欲しい……
俺は宮殿の部屋に戻るとすぐに寝てしまった。
そして、変な時間に目を醒ます。
体は汗と埃で気持ち悪かった。
風呂に入ろうか、と俺は浴場に向かう。
この宮殿の浴場は常に温水が流れている。
乾燥地帯では考えられないほど水を贅沢に使っていた。
もしかしたら、何らかの魔法の力なのかもしれない。
この街は砂漠のど真ん中だというのにそれを感じさせないほど豊かだ。
「もし、蛇人族と友好が結べれば、こういった技術を教えてもらえるかもしれない。そうなれば、西方連合が活性化して、戦争の傷も癒えるかもしれない。……って、俺が西方連合全体のことを考えても仕方ないか」
そう言ったことは国政を預かる人間の領分だろう。
俺が出る幕じゃない。
風呂を出て、部屋に戻る。
また寝ようかと思った時、ナターシャがいないことに気が付いた。
リンクのことがあったので気になる。
俺はナターシャを探すことにした。
そして、宮殿の庭で人影を見つける。
「ハヤテ…………」
ナターシャは気まずそうな表情をする。
彼女のこんなにぎこちない表情を見たのは初めて会った時以来だった。
「こんなところで何をしていたんだい?」
「星を見ていたの」
ナターシャは空を見上げた。
「西方連合で見る星空とは違って面白いよ。ハヤテと出会わなかったら、こんな遠くまで来ることはなかった。今まで本当にありがとう」
「俺の方こそ、お礼が言いたいよ。こうやって長旅を出来るのはナターシャがいるからだ。それに今回のゲームはナターシャがいなかったら、勝てなかったよ。君は本当に多彩な知識を持っているね」
「これでも元貴族令嬢ですから」
ナターシャはさらっと宣言した。
「うん、そうだね」
リンクし、ナターシャのことを知った。
「全部、バレちゃったんだね。ハヤテには私がどう見える?」
ナターシャを顔を近づけた。
いつもみたいにからかうつもりかと思ったが、違うことにすぐ気付いた。
彼女はとても不安そうな表情をしている。
「もう知っていると思うけど、私ってね。貴族令嬢として、育ったの。上流階級の作法を身に着けて、いずれは同等か、それ以上の階級の貴族の家に嫁ぐものだと思っていた。自由はなかったけど、贅沢な生活は出来ていたから、不幸だと思わなかった。ハヤテの周りには魅力的な女性がたくさんいるから、私なんて目立たないかもしれないけど、昔は結構、評判だったんだよ。色々なところから婚姻の話が来ていたみたい」
ナターシャは芝生に座り込み、それを見上げる。
そして、大きく息を吸った後にまた語り出す。
「でもね、お父様……お父様だった人は私の容姿に疑問を持っていたの。私のお母様も美しい人だった。だから、私にもその面影はあったけど、お父様には似ていなかった。私は女だし、お父様も子供の頃はあまり気にしていなかったけど、大人になるになるに連れて、お父様は私に不信感を持つようになったの」
空を見上げていたナターシャは俯いた。
「お父様は私のことを自分の娘じゃないかもしれない、って思うようになったの。顔立ちとかは似ていなくても気にしなかったかもしれない。でも、二つのことは誤魔化せなかったの。一つは私に魔力が無かったこと。お父様もお母様も魔力があったのに、私にはなかった。そしてもう一つは瞳の色。私の青い瞳は両親、どちらのものでもなかったの。それでもお父様はお母様を愛していたから、深くは追及しなかった。それなのに…………」
ナターシャの声が震える。
「お父様は旅の商人から血縁を調べる魔具を買ったの。それで血縁を調べて、そして…………やっぱり、私とお父様には血縁が無かった。お父様は、私の前でお母様を激しく問いただしたの。お母様は寂しかったのね、お父様が仕事ばかりだった時、身分の低い年下の男性と密会をしていたことを話した。皮肉だよね、お父様が仕事を頑張ったのは、お母様の為だったのに…………それでお母様は全てを自供した晩に自殺して……」
「ナターシャ……」
「その後、私はお父様に襲われて、犯されて……」
「ナターシャ! もういいから! 全部、分かっているから!」
俺はナターシャを抱き締める。
彼女は泣いていた。
俺よりも年上のナターシャが幼く見えてしまった。
「お父様、私のことをお母様の名前で呼んでた…………お父様は壊れてしまったの。お母様が死んだことを受け入れられなかった……私が何も反応しなくなるまでお父様は……」
「だから、もういいって言っているだろ!」
「いいから、言わせて!」
ナターシャは涙を流しながら、叫んだ。
「ハヤテが全部分かっているのは知っている! 全部知られちゃったのは知ってる! でも、暗黙の了解みたいに、触れちゃいけないことみたいにしたくない! 私の自己満足だってことは分かってる! でも、私の言葉でハヤテがどんな顔をするか知りたい! ハヤテが私のことをどう思うか知りたい。その上でハヤテが私のことを汚いと思うなら……ハヤテの前からいなくなる」
ナターシャは俺の服をギュッと掴んだ。
彼女は今後、腫物のように扱われたくないんだ。
もし、そうなるくらいなら、出て行くつもりだ。
俺たちとの時間を奇麗なままで終わらせたいのだろう。
「……続きを聞くよ」
俺はナターシャが満足するまで、話を聞くことにした。




