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1.来たのは誰だぁ!?

季節は春……肌を撫でる風が心持ち暖かく感じる、三月中旬の昼下がり。


「なぁ……」

「んっ?」

「俺たちって中学、卒業したんだなぁ」

「ああ……どことなく気が抜けた感じがするな」

「お、珍しいじゃないか。お前がそんな言い方するなんてさ」

「そうか? でも来月からは高校生になるんだから、今まで以上に気を引き締めないとな」

「ハハッ、そこんとこはお前らしいよ」

「まぁ、これでも一応は自覚しているつもりだからな。義務教育と違って必ず進級できるわけじゃないし」

「そういやそうか。俺にとっちゃ耳が痛い話だよ……ところでさ、」

「どうした?」

「これからどうする?」

「どうするって……何をだ?」

「んー……まぁせっかく卒業したんだし、何かこのまま家帰るだけってのもどうかと思ってさ」

「どこか寄りたい所でもあるのか?」

「別にそういうのもないんだけど……なんとなく言ってみただけって感じかなぁ……ハハ」

「――じゃあウチに遊びに来るか? どうせ帰ったところで何もすることないんだろう?」

「お、そうすっか。んじゃ家帰って着替えてから行くよ。せっかく卒業したのに制服のままってのも何だしさ」

「ああ、分かったよ」


 ちっとばかし自己紹介が遅くなったが……俺の名は新城伯斗(しんじょうはくと)

 この会話でご理解いただけるとおり、ついさっき中学を卒業したばかりだ。

 そして俺を遊びに誘ったのは藤崎隼翔(ふじさきはやと)

 こいつとはガキの頃からの腐れ縁で、また親友という間柄でもある。

 そして俺は、この親友の家に遊びに行くことになったというわけだ。

 ただ、今は卒業直後の開放感があるとはいえ、まだそれにどっぷりと浸ってもいられない。

 そう、それは現時点で第一希望の高校の合否が判明しておらず、来月からもこの親友と一緒に学校生活を送れるかが未定であることなのだが……ま、たぶん大丈夫でしょ。根拠なんてもん何一つないけど。


「じゃあ待ってるぞ」

「おう」

 藤崎と一旦別れ、一人自宅へと向かっていると……、

「―――んっ?」

 視界の先五十メートル付近に何か紙きれらしき物を手にした、頭に「超」をつけるのがこれ以上ないくらいしっくりとくる、とーってもバカでっかい人型の生物が妙におどおどした様子でうろついているのを捉える。

「ど、どうしたんだ……あれは?」

 遠巻きで、しかも俺からは後ろ向きってのもあって表情は窺い知れないが、辺りをきょろきょろと見回しながら妙にそわそわと落ち着かない様子を見るとたぶん、何かしら困っているんだろうってのは認識できた。

 まぁ別に助けてやってもいいかなーと一瞬、考えたには考えたが……親友との約束もあるし、もし内容的にめんどくさいと逆にこっちが困ると思い、誠にお気の毒ではあるがここはモブに徹してスルーという結論に達した。

 とはいえ、困っている人のすぐそばをを知らん顔して通り過ぎるってのも気が引ける。

『――おっ、』

 躊躇めいた思慮を巡らせながら辺りを見渡すと、前方十メートル足らずの場所に身を隠すにはおあつらえ向きの路地があった。

『ちょうどいい。あすこに折れるとすっか』

 それを見て俺は、とりあえずその路地に入って回り道することにした。

 俺はできるだけ足音を立てないよう、競歩さながらの急ぎ足で歩く……よし、もう少しで目標の路地に差しかかる。これでもう大丈夫だ……、

 などと安心しきった瞬間、無情にもその声は聞こえてきた。


「あ……あのっ!」


『――え?』

 やっべ、感づかれたか……くそおっ! あと少しだってのに何で見つかっちまうんだよっ! ったく俺のステルス機能全然だなこんちくしょうっ!

 そんな後悔の念もそこそこに、俺は呼び止める声などガン無視で路地に入り、脇目も振らず全速力でダッシュした……あ、あれっ?

 なぜか自分の足音とはまた別の足音が耳をつく。しかもその足音が徐々に大きくなってきているような気が……確か俺、走って逃げてるんだよな? そうだよな?

 でもこれ、気分はもう「〇撃の巨人」って感じだ……などと安穏な思考を巡らせている余裕などあるはずがない。

 逃げれば逃げるほどに底知れない恐怖に襲われ、たまらず後ろを振り返ろうとした……その時だった。


「うっ……うわあああああああああああああああっ!」


 気がつけば俺は、追って来たバカでかい生物に羽交い絞め(フルネルソン)で捕獲されていた。

「なぜ逃げる……?」

 耳元で囁かれた低音の、そんでもってやけに迫力ハンパない声音(こわね)

 しかもその、やけにたどたどしい口調が更に恐怖感を煽り、増長させる。

「ひいいいっ……ご、ごめんなさいっ!」

 もし家族や知り合いに聞かれでもしたら、生きているのがだんだん辛くなってくるような情けない悲鳴をあげながら、俺は思わず巨大生物さん(名前知らないからとりあえず仮名)に謝罪してしまっていた。

 にしてもこの呼び名、ヒネりも何もない全くの見たまんまじゃないかよ。俺ってホントにネーミングセンス皆無だ。

 ま、そんなのはどうでもいいとして……俺の情けない悲鳴を耳にして、「ちっ、ゴミめ」とでも思ったのだろうか、巨大生物さん(仮)はすぐに羽交い絞めを解き、地上に下ろしてくれた。

「は、はああああああああああぁー……っ、」

 極度の恐怖感と焦燥感から解放されたせいか、骨盤が粉砕骨折でもしたかのようにその場に崩れ落ちてしまった俺は、あまりの脱力感でうなだれたまま後ろを振り向くことすらできずにいた。

「き、君……大丈夫か……?」

 おいおい……その気遣い発言どの口が言ってんだ? 誰のおかげでこんななってると思ってんだよ? ったく。

 そんな心のツイートを知ってか知らずか、巨大生物さん(仮)は背後から右肩に手を添え、俺はおそるおそるそれをチラ見する。

「……え?」

 なーんかデカいなぁ……手。

 そういやさっき全身を遠巻きに見ていた時も遠近法なんかまるで無視とばかりにデカく感じたし、羽交い絞めされていた時もすっげー目線が高かったような気がしたからなぁ……そんな生物、至近距離でお目にかかったらどんななんだろ?

 などと悠長に構えていられる状態ではないはずなのだが、俺は脳内の混乱からか無意識に現実逃避めいたことを考えていたようだ。


「す、すまない……つい最近この辺に越してきたばかりだから……帰り道がよくわからなくなって……迷子になってしまった……」


「え、えー……?」

 な……ななな何だってえええええぇー?

 じ、じゃあそれって何だ。もしかして最初から助けてやっていれば、全力疾走で無駄に体力を消耗することはおろか、あんな恐怖を感じることもヒサンで情けない目に遭うこともなかったってのかああああああああああッ!

 この時、俺は自分の判断ミスを日本海溝よりもはるかに深く悔いていた。

「そ、それじゃ……家に帰れなくなってさっきあんなキョドってたってことですか……?」

「そ、そうだ……それに……、」

「そ、それに……?」

「自分は元々……方向オンチで……」

 へぇー、そーだったんですかぁー。全く人騒がせな……ってか、今となっては俺がスルーしようとか考えないで最初から道案内してやってればとは思うけどさぁ。

 今だ引きずる後悔の念はとりあえず置いとくとして……こうして普通の会話を交わしている限りでは、どうやら悪い人ではなさそうな印象だし、ヘタこいてまたさっきみたいな目に遭うってのもこりごりなんで、すかさず俺はこんな提案をする。

「あ、あの……自分で良ければ道案内しましょうか?」

「で、できれば……そう願いたいのだが……」

「そうですか。それじゃ……、」

 俺はゆっくりと立ち上がり、ズボンの埃を両手でぱんぱんと軽く払ってから、ひと目巨大生物さん(仮)の顔を拝もうとして、おもむろに後ろを向く。

「……えっ?」

 な、なんじゃこりゃ?

 振り向いた瞬間、俺の目の前には……なぜか胸にふくらみのようなものが見えている。しかもデカい。

 そういやさっき羽交い絞めされていた時、背中に何かやーらかい感触があったような気が……。

 それにしても何なんだこのブツ? まさか性転換でもしてんのか? もしかしたらこの豊胸、シリコン注入の産物か? そーだそーだ、そうに決まった。

 すっかりカオスってしまった頭の中をこれ以上重篤にしないために、そう勝手に決めつけてしまった俺はそのお顔を拝見するため、おそるおそる視線を上に向けてみるが……おおっ!

 何か可愛いな。

 どことなく斧〇木余接ちゃんを彷彿とさせる、ちょっとつり目でくりっとした大きな瞳いえーい、ぴーすぴーす。ショートヘアの艶やかな黒髪。

 タッパがデカくなかったら、そして何より男でなかったら間違いなくカノジョにしたいくらいに外見的クオリティ―は高い。

 それにしても……ホントでけぇなこの人。

 えーと、確かさっき振り向いた時の水平目線が、ちょうどシリコン製バストのアンダーあたりだったから……っていったい何センチありやがんだこのデカブツはよ!

 ちなみに俺の身長が百五十くらいだから……最低でも百九十は下らないだろう。

 できるものならそのタッパ、五センチくらいでいいから分けてほしいものだ。ま、無い物ねだりのつまらん冗談だけどな。


『―――――あ、』


 この時、俺はさっき巨大生物さん(仮)が手にしていた紙切れの存在を思い出した。

「そういえばさっき何か手に持っていましたよね? それ貸してもらえますか?」

「あ、ああ……、」

 巨大生物さん(仮)が尻ポッケから取り出した数枚の紙を受け取ると、さっそく目的地を確認する……って何コレ? すっげーわかりやすいじゃねーか!

 ちゃんと目的地までのルートに赤いラインが引かれていて、しかも交差点とか折れる地点には建物名やら何やらの目標物なんかも詳細にチェックされている。

 更に目的地付近は一般住宅ばかりで目標となる建物が殆どないため、住宅地図ソフトからプリントアウトした物まであったりする。

「す、すげえなこれ……」

 別にここまでしなくてもと思わせるほどの地図を目にして、この辺の住人である俺ですら思いがけず感心してしまっている。

 こんな素晴らしいモンあるってのに、なぜに迷子なって勝手に一人でキョドっちまってんだこの巨大生物(仮)はよ!

 無性にこんなツッコミを入れたくなっている俺だったが……、

 今のところは態度や口調がおとなしく思えても、ここでヘタにツッコんで心証を損ねた挙句に逆ギレされて、ガタイをフル活用された暴力沙汰とかの無用なトラブルに発展なんてことになれば最悪、さっきの羽交い絞めよりもっとひどい目に遭わされるかもなんで、とりあえずは飲み込んでおくことにする。

 それと、これは別にこいつをフォローするわけじゃないが、これほどまでに親切極まりない地図があっても慣れない土地と見知らぬ風景、しかも方向オンチともなれば自分が今どの辺にいるのか、自分が今いる場所が本当に正しいのかという心理的不安感が襲いかかり、やがては脳内がパニクッて正常な判断ができなくなるだろうという解釈にしておいてやるとしよう。

「あ、あー……ここだと俺ん家から割と近いですし、ちょうど帰るトコでしたから」

「そ、そうか……では……お願いする……」

 巨大生物さん(仮)は俺に謝罪しながら頭を下げ……いや、振り下ろす。


「うわああああああああああっ!」


 間一髪……セーフだった。

「どうした……?」

 頭の位置を元に戻した巨大生物さん(仮)はまるで何事もなかったかのように、加えてシレっとした口調でそんなとぼけた科白をほざいている。

「ど、どうしたって……あんた背高いから俺、脳天ヘッドバット喰らうとこでしたよっ!」

「そ、そうだったか……それは……すまなかった……」

「ほら、早く行きますよ」

 思いがけず傷害事件の被害者になりかけた俺は、多少の動悸を覚えながらもムッとした口調で促す。

「わかった……よろしく頼む……」

「ふうぅ……っ、」

 俺は「仕方ない」感だだ漏らしの深いため息を漏らす。

 てなわけで、ようやく道案内を開始したのだが……何だかこうしてみてみるとこの人、もしかしたら見かけによらず意外と小心者(チキン)なんじゃなかろうか?

 だって図体の割に声が小さくて発語もたどたどしい。ま、ガタイのデカさと声量は必ずしも比例するってものでもないけど。

 でも、こうしておとなしくしている限りは、さっき追いかけられた時みたいに進〇の巨人さながらの威圧感ハンパないような迫力は微塵も感じられないし、むしろ特殊性癖属性のごくごく普通の人(?)なんじゃないか……などとあれこれ自分でもワケわからん思考を巡らせている俺だった。


『んっ……?』


 何だか……道案内を始めてから着ている制服に違和感があるような……。

 更には、妙に歩くのに力が要るような気も……。

 ふと立ち止まり、おもむろに後ろを振り向く……すると、

「は?」

 後をついている巨大生物さん(仮)が制服のスソを掴んで……いや、がっちりと握りしめているではあーりませんか。

「ど、どうして……制服のスソそんな握りしめてんですかっ!」

「そ、それは……その……、」

 んー、まぁ見知らぬ土地で迷子になっている不安が先立つ気持ちは理解できないでもないから、スソを掴まれること自体は別にどうとも思わないのだが……小学生や幼稚園児じゃないんだし、どこをどう見ても俺より年上にしか見えない人間がするような行為じゃないと思うのだが?

「と、とにかく……離してくれませんか?」

「だ、だが……、」

 この反応、どうやら隙をみて逃げ出すと思っているようだ。

 ま、仮にそうしたところで絶対さっきみたいに追っかけられた挙句すぐ捕まっちまうんだろうから、さすがにもうそんな無駄な抵抗はしない。

「わかってますよ。ちゃんと家まで送りますから」

「そ、そうか……」

 ようやっと制服握りしめ攻撃から解放された俺は道案内を再開するが……それにしてもただ後ろにいるってだけなのに、何か言い知れない恐怖と迫力を感じてしまい、ずっと悪寒が走りっぱなしだ。

 あ、でもこれってデューク〇郷が背後に神経質なる理由、何となくわかるような気がするな。

 心理的にどうにも落ち着きを取り戻せないまま、俺と巨大生物さん(仮)は地図に描かれている目的地に到着した。

 見るとそこは、つい最近完成したばかりの高校生・大学生をメインターゲットにしたアパートらしく、俺の家からは百メートルほどしか離れていない。

「ほ、本当にすまなかった……感謝する……」

「いえいえ、どってことないですよ」

 喉元過ぎれば熱さ忘れる。用件さえ終わってしまえばもう後は野となれ山となれ。

 こんな軽い気持ちで少し得意げになっていた俺がすぐさま踵を返し、歩を進め始めると……えっ?


「ちょ、ちょっと待って……」

「ぐうええええええええええっ!」


 いったい……何がどうなったというのだろう?

 悲鳴を上げたと同時に、俺の身体は地面に対して後ろ斜め四十五度の体勢になっていた。

『そ、そうか、これって……、』

 どうやら巨大生物さん(仮)は、俺が歩を進め出すと同時に襟首を鷲掴みにしたようだった。

「は……離してくださいっ!」

「あ……すまない……」

「あ、いややっぱ離さないでえええええっ!」

 遅かったか……。

 巨大生物さん(仮)が襟首から手を離した瞬間、俺は受け身を取る間もなく一人バックドロップさながらに地面に叩きつけられていた。

 この時、後頭部をしたたかに打ちつけた俺は暫しの間、うつろな目で雲一つない青空を仰ぎ見ながら一言、こう呟く……。


「ついに……昼でも死兆星が見えるようになったか……」


 ――ってそんな縁起でもないモン、夜でも見えてねっての。


「あいたたた……」

「す、すまない……離してくれと言ったものだから……つい……」

 そりゃまぁ……離せと言ったのは間違いなく俺なんだけどさぁー。お願いだからちょーっとだけでも体勢(地面に対し後ろ斜め四十五度)を考慮してほしかったなぁ。

「ど……どうしたんですかっ!」

 やり場のない怒りが無性にこみあげていた俺は、思わず語気を強めて問う。

 対して巨大生物さん(仮)は、幾分申し訳なさそうな表情でこうのたまう。

「わ、わざわざ送り届けてもらって……本当に申し訳ないのだが……、」

「……まだ何かあるんですか?」

 俺はあからさまに不機嫌な顔と口調で再び問う。


「じ、自分は……小中野(こなかの)という……」


 へっ? 何その自己紹介? 俺そんなことしてくれって頼んだ覚えないぞ。

 突然、自ら名乗ってきた巨大生物(仮)こと小中野さんだったが……、正直言ってそれがいったいどうした? ってのが本当のところだ。

 と、なれば……、

「は、はぁ……、」

「ぶ、無礼は重々承知の上なのだが……君の名を教えて……くれないだろうか……?」

 う~ん……やはりそうくるか。はて……どうしたものか?

 単純に考えたら、ただ単に通りすがりの人間が道案内(ま、最初はめんどくさがってスルーしようとしたけれど)してやっただけなんだから、別に教える必要なんてないと思うんだけど……。

 でもこの人、先に自分から名乗ってるから(もう一度言うが、別に教えてほしいと頼んだわけではない)根はきっと礼儀正しい人なんだろうし、それにぱっと見そんな犯罪っ気がある雰囲気もなさそうだしなぁ……まあ、いいっちゃいいか。

 などと我ながら何とも安易、且つ無防備に結論づけてしまったが、もしここで断ったりなんかしたら何かとんでもない目に遭わされるのではとも考えた俺は、仕方ないという念を抱きつつ真向かいにいる巨大生物(仮)こと小中野さんに名前を教えてやることにした。

「ぼ、僕は……新城といいます……」

「そ、そうか……わかった……では……また何かあったら……その時はよろしく頼む……」

 おいおい「また何かあったら」って……これ以上まだ何かがあるってーのかよっ!

 正直言って、もうこの巨大生物とは関わり合いにならないことを心の底から切に祈りたい。

 しかもこの、上から目線的な物言い。

 ――てか視覚的にもナチュラルに上から目線なってるから余計に腹たってくるなぁおい!

 まぁそれはお互いの身体的事情が違い過ぎるのだから、ひとまずそれは置いといてやるとして、とにかくそれぞれ家が近いから、またこの近辺で出くわす可能性はあるかもしれないが、その時は最低(最悪)でも会釈くらいで済ませていただきたいものですな。

 それに名前が「小中野(こなかの)」ってのも何だかなぁ……その体躯からして「大中野(おおなかの)」ってトコじゃないか? 名は体を表さない代表格だろう。実際は苗字だけど。

 でもそれは、そういう姓の家に生を受けただけのことで、本人には何をどうすることもできん話だ。ま、そんなのはどうでもいいんだけど。

「はぁ……そ、それじゃまた」

 などと、一応は承ったような返事をしながらも、俺はこいつともう二度とエンカウントしないのを切に祈りつつ、少し早足で逃げるようにこの場を後にしたのだった。


 ◆   ◆


「おいおい。ずいぶんと遅かったじゃないか。すっかり待ちくたびれたぞ」

 あからさまに藤崎は不機嫌な顔つきで迎え入れる。

「あんまり遅いから電話するとこだったんだぞ。何やってたんだ?」

「わりぃわりぃ。あれからちょっとトラブってしまってさ」

「トラブったって? 何かあったのか?」

「それは……まぁここじゃ何だから、お前の部屋で話してやるよ」

「それもそうだな。じゃあ俺はお茶の用意するから先に部屋行っててくれ」

「ああ、わかった」

 自分に分の悪いこんな会話を交わした後、俺は足取りも重く二階にある藤崎の部屋に向かう。

 冒頭でこの親友とは幼少の頃からの腐れ縁と言ったが、その起源は約十年前にさかのぼる。

 初めて出会ったのは近所の幼稚園で、同じ組だった。

 家が近所というのもあって、俺たちはよくお互いの家で遊ぶようになり、その流れでいつしか親同士の付き合いにも発展していった。

 ちなみに俺の家族構成は父母、それと二つ下の妹がいる。

 藤崎は両親と三つ上の姉がいて、つい半月ほど前に俺たちが通学する予定の高校を卒業し、ちょっと遠方の大学に通うことになっていて、ちょうど今は高校時代の友人と卒業旅行中だ。

 俺の父親は某準大手ゼネコンに勤めるサラリーマンだが、転勤で二年前から北海道に単身赴任中、藤崎の父親は地元の県庁勤務だ。

 俺たちの母親はお互いパートタイマーで、平日の昼下がりという今の時間帯は基本、家にいないことが多い。

「ふうぅ……っ、」

 部屋に入り、ベッドの(ふち)に腰かけると同時にひと息ついた俺は、中をひととおり見渡してみる。

「十年……かぁ」

 これまではこの空間にいても特に何も思うところなんかなかったが、こうして改めて眺めてみると、俺たちの付き合いの長さを実感する。

 俺の部屋と同様、ここには俺たちの十年分の思い出が詰まっている。

 ここだってもう何十回、いや何百回出入りしたのか数えきれない。

 今にして思うと十年ってのは本当にあっという間なんだなぁ……つくづくそう思う。

 そして今日……俺たちは中学を卒業した。

 よく卒業式や入学式なんかで校長先生や来賓とかが「ここが一つの節目」などとよく口にしたりするけれど、中学卒業くらいになると何となくその意味が理解できそうな気がする。

 今日で九年間の義務教育が終わり、これからは進学にしても就職にしても基本的に自分の意思と責任で進路や将来を決めていかなければならない。

 俺と藤崎もいつまでこうやってお互いの家を行き来できるのだろう……などと、こんなガラにもない未来予想図的感慨に耽っていると、コーヒーを手にした藤崎が部屋に戻って来る。

「お待たせ」

「お、悪いな」

 カップを受け取ると、藤崎はやおら学習机の椅子に座り、こちらに視線を向け続けている。

 それを見ても俺は何食わぬ顔でコーヒーを口にしていたが……、

 するとどういうわけか、藤崎の表情が徐々に訝しげなものに変わっていく。

「―――――で?」

「は?」

 正直俺は、藤崎が何を訊きたいのかが理解できないでいた。

「『は?』じゃないだろう? お前さっき帰り道でトラブったって言っていたじゃないか」

「あ、そ、そうか……そういやそうだったな……」

 下校途中からここに来るまで何かと慌ただしかったこともあってか、この部屋で思い出に耽りながらひと息ついている間、どうやら俺の記憶は一時的な喪失状態に陥っていたようだ。

 と言うよりは心の底から消去(デリート)してしまいたいなぁ……あんな悪夢のような出来事は。

 藤崎の問いかけで我に返った俺は、手にしているカップのコーヒーを三分の一くらいまで減らした後、ようやっと一人になってからの帰宅途中で起こった出来事を隈なく話してやった。


「ふぅーん……そんなことがあったのか。そりゃあ災難だったな。あっはははははっ!」

「おいおい笑いごっちゃねえよ! マジで怖かったんだからな!」

「ははっ、わかったわかった……で?」

「『で?』って……何だよそれ?」

「それで終わりかってことだよ」

「あ……当たり前だろが! み、道案内しただけだし……」

「そうか……」

 まだ少しニヤけた表情をのぞかせつつ、何か含みのありそうな問い返し方をする藤崎だが……、

 この長年の親友がこのような言い回しをするのは今に始まったことではないので、敢えて俺からは何も発言しないことにした。

 でもまぁ、あいつがまだ女だってんならその後の展開もアリっちゃアリっていう可能性無きにしも非ずってモンだが……、

 あんだけ背がバカ高くて、しかも胸に闘魂ならぬシリコン注入した特殊性癖野郎じゃなぁ……そんなのとその後の展開があったりなんかしたらこの俺まで特殊性癖野郎の仲間入りだ。

「でも……、」

「何だよ?」

「そんな背が高くてしかもご近所様なら、いずれは俺もお目にかかれそうだな」

「それは……まぁ何とも言えないけど、あんなデカい生き物なんて近所にそうそういるわけないから、すぐそれとわかるぞ」

「それもそうだな。ただ、もしも俺の視界に入ったら、お前みたいになるのは御免こうむりたいから絶対無視するけどな」

 他人事と思っているのか、こんなことをシレっと言ってのける藤崎だが……あの時、決して足は遅い方ではない、むしろ早い方の部類に入る俺が全速力で逃げたにもかかわらず、ああも簡単に追いつかれたくらいなのだから、こいつが同じシチュになったら絶対同じ目に遭ってしまうはずだ。

 ま、その前にこいつなら危険予知スキル高いから、無視するとか何とか口にしていてもそれ察知して、自分から「めいあいへるぷゆー?」しちまうんだろうが。

「それにしても……何なんだろうな? その人って」

「どういう意味だよ?」

「いや、普通に身元のことだけどな」

「あ、そっか……」

 まぁ普通に考えりゃそれもそうか。

「確かあのアパートって学生専用だったよな? どこか近くの大学生か何かかなぁ?」

「それはわからないけど、もしそうならきっと実家が遠くて通学に時間がかかるから近くに住み始めたんだろう」

「そうかもな」

 そう言って俺は藤崎に相づちを打つが……、

 でもさっき自分で方向オンチって弱点晒していたくらいだから、また迷子になっている最中にエンカウントしたら今日と同じ目に遭ってしまうのだろうか?

 それじゃ俺、特殊性癖大学生とつるんでる特殊性癖高校生としてご近所中から風評被害を受けてしまうのか? しかもそれだけで心理的打撃受けかねないってのに、かてて加えて同性愛者と思われてしまうまであるのか?

 そんなわけわからんネガティブ思考を巡らせていた俺は、それをかき消す意味合いを込めて、すっかり冷めきってしまった残りのコーヒーを一気に飲み干した。

「それじゃそろそろ始めるか?」

 カップが空になったのを見た藤崎は、おもむろにテレビ台の収納部分からゲーム機を取り出し、セッティングを始める。


 中学卒業という束の間の解放感と安堵感、そしてさっきの悪夢のような出来事を払拭したいという思いもあったのだろう。俺は藤崎と時間を忘れるほどに心ゆくまでゲーム三昧と相成ったのだった。


 ◆   ◆


ピンポーン


 月が替わり、迎えた入学式の朝。

 俺は親友である藤崎の家に立ち寄る。

「おっす藤崎」

『おう、おはよう。すぐ行くから待っててくれ』

 インターホン越しに返事があってから俺は、どういうわけか玄関先で暫く待たされることになる。

 こいつの「すぐ行く」って返事、口先だけもいいとこだな。

 結局のところ、玄関ドアが開くまで約十分の時間を要していた。

 どうやら藤崎家の「すぐ」の基準は最大十分まで許されるらしい。

 ちなみに残り時間が三分を切ると「間もなく」という表現になるらしい。余談だけど。

「どうした? せっかくカギ開けていたんだから中入って待っていればよかったのに」

 明らかに不機嫌顔の俺を見て藤崎は、更に火に油を注いでくるかのようにこうのたまう。

 ――っつーかお前さっき「すぐ行く」つったじゃねーかよ!

 そうやって心の中でツッコんでいる俺は、何か急激にめんごくさい感に襲いかかられてしまい、もはや反論する気も起こらないでいる。

 藤崎家を出てから数分が経った頃、

「それにしてもいい天気だな」

 高校生活初日、それも朝からスカされた感がどうにも否めないでいる俺は、それを少しでも鎮めようとするかのようにこんな他愛のない話を投げかける。

「そうだな。まさに晴れの門出って感じだよ……ところで、」

「んっ、何だ?」

「あれからどうだった?」

「どうって……何がだよ?」

 藤崎の問いに、俺の脳内には何一つとして思い浮かぶ事象がない。

 ホント俺ってこういうのニブイから、こんな問われ方をされるともうお手上げだ。

「お前、高校生になっても本当にニブい奴だな」

「へっ、そりゃ悪かったな」

 そんなんお前にいちいち言われなくたって自分でも嫌んなるくらいわかりきってるんだし、高校生になったからって急に直るもんじゃないんだからもうほっといてくれよ。

「ほら、例の巨大生物さん(仮)だよ。あれから一度でも遭遇したのか?」

 あ、そう言えば……、

 お互い近くに住んでいるのに、卒業式の日以降昨日までの間に一度も遭遇していないどころか、姿さえも見たことがない……というか日が経つにつれ、その存在すら忘れかけていた。

 俺ってホント、熱さが喉元過ぎるの早っ! てな感じ。

 そしてこの時、いらん過去を思い出させてくれやがった親友にしかめっ面で答える。

「そういや……一度も見てないな」

「そうか。ま、俺もそれらしき生物は目撃も遭遇もしてないからな」

 何だ? そのツチノコみたいな扱い?

「もしかしたら……、」

「な、何だよ……?」

「本当はアパートなんて借りていないんじゃないのか?」

「ま、まさか……、」

 そうなのか……?

 でもあの時、巨大生物(仮)こと小中野さんはアパートの階段を上っていたように見えたが、どの部屋に住んでいるかがわからないし、部屋に入っていく姿を確認したわけでもない……ってそんなことしたら俺、ストーカーや性的犯罪者の(そし)りを受けても何一つ反論できねーけどな。それ以前に同性愛者かって思われちまうかもしれないが。

 そんな不毛で心が(すさ)んでしまいそうな想像はどうでもいいとして……もしこれが藤崎の言ったとおりだとしたら、いったい何のためにあのアパートまで来たのだろうか?

 ひょっとしたらあすこに友人や知人がいるのだろうか? それも特殊性癖持ちの奴が。

 まぁ確かにあのアパートに来たのが来訪目的で、あの時だけってんなら藤崎の理屈は充分に考えられる話だが。

 でも……確か引っ越してきたばかりだって言っていたしなぁ……はっ!

 いかんいかん。あろうことかあの悪夢がまた俺の脳を完全に支配しようとする……。

 俺の脳内に奥深く眠っていたフォルダは、藤崎の要らぬ検索によって見事に探し当てられてしまったようだ。

 そんなことを考えているところに、


「おおーい新城ぉー! 藤崎ぃー! おおっすうー!」


 背後から聞き覚えのある声で、ムダに元気のいい挨拶が耳をつく。


「「おはよう、長峰」」


 俺たちは揃って振り向き、やおら挨拶を返す。

 この、朝っぱらから全身をフルに使って走り寄って来たのは、これも十年来の付き合いである俺たち二人の幼なじみ、長峰亜樹(ながみねあき)だった。

「あ、そっか。お前も同じ高校受けてたんだっけな」

「あっれれぇー! 新城ってばひどいんだぁー! 合格発表ん時カオ合わせてたっしょもー!」

「あれ? そうだっけか?」

「そーだってー。先月のハナシなのにもー忘れてんのー?」

「わ、わりぃ……恥ずかしながらすっかりだよ」

「ええぇー! それガチヤバイってー!」

 俺の高齢者並みの記憶力に、長峰は完全に呆れ顔だ。

「っんとにもー新城マジ忘れっぽいんだからー。超バッカでー」

 そう言って呆れ顔から即座にブンむくれ顔に変えているこの幼なじみは小柄な俺が言うのも何だが、ちっちゃな頃からちっちゃくて、高校生になった現在もめっちゃ小さいが、そんな体型に似合ってとてもすばしっこい。

 これまでの会話でもご理解いただけるとおり、昔から口のきき方はなっていなかったがなぜか憎めなく、笑顔なんかは妙に愛嬌があって人に好かれやすいタイプだ。

 髪はやや茶色がかったショートボブ、目はぱちっとくりっとしていて、巨大生物(仮)こと小中野さんが図体デカくて黒髪ショートヘアの斧乃〇余接なら、こいつは髪の毛以外八〇寺真宵がまんま高校生なった感じで本当に可愛い。ついでに言うと無駄に口達者で活舌も良く、「失礼、噛みました」にはならんけど。

 小学生並みの身長と相まって、きっとロリっ娘好きとか大きな男のお友達連中にはもう辛抱たまらんといった存在だろう。ランドセル背負(しょ)ってそこいらへんのJSと一緒に歩いていても全く違和感ないくらいに。

 更に長峰は身長順に並ばせると小学一年から中学三年までの九年間、一度たりとも最前列クィーンの座を譲らなかったのは言うまでもない。

 などと他人事のように言っているが、かく言う自分も男子の中では小柄な方で、身長順に並ぶとだいたいは前に近い方だった。

 だから新学期でクラス替えになると俺より背の低いヤツがいなくなるか、俺より背の低いヤツがいないクラスに変わったりすれば、当たり前だが自ずと最前列になってしまう。

 この状況で長峰と同じクラスになると、朝礼とか全校集会ともなれば必ず隣同士になったりしたものだ。

 ただ、今は三人とも高校の制服姿だからまだいいようなものの、もし私服姿だったら周りから見ればどう映るのだろう? たぶん高校生と中学生の男子生徒に小学生の女子児童がくっついてるって感じ?

 もし長峰の風貌が成人しても今と大して変わらないようなら、こいつの夫になる野郎は合法ロリ状態なっちまう。

 などと、いまいちワケわからんことを考えていると、

「ねーねー新城ってさー」

 小悪魔チックに顔をニヤけさせている長峰が、すっと俺の前に回り込んで後ろ歩きしながら声をかけてくる。

「な、何だよ……?」

 こいつがこんな顔をしてくるときは、必ずと言っていいほどロクなことをほざいてこないのを知っているので、何とか平静を装おうとする俺。

「何かさぁー、卒業式の帰り道でめちゃおっきいオカマさんに追っかけられてー、捕まってからオカマ掘られたんだってー?」

「ぶっ!」

 何だよそりゃ!? 確かにそんなヤツに追っかけられてとっつかまったのは正真正銘事実だけど、それ以上の行為まで至った覚えはこれっぽっちもねーぞ!

「しかもさー、そんですーっかりそっちに目覚めちゃったってハナシらしーじゃーん」

「ば……ばっきゃろ! んなの全然掘られてねーし目覚めてもねーよ! 俺はノンケだ! てか何でお前がそれ知ってんだ!」

「あははー、それってこないだ藤崎がねー、すっげー笑いながら教えてくれたしー」

 むう……やはりそうだったか。ま、そりゃそうだ。

 その忌まわしき事件はまだ藤崎にしか話してなかったから、よくよく考えなくてもわかる話だ。

 しかも、悪いことに箝口令を()くのを忘れていたものだから、話が俺たち以外に拡散したって何らおかしくはない。

 ホント俺、肝心なところで肝心なことを忘れてしまうから、いらん後悔ばかりしてるんだろうな。

 俺は、たったひとつの事実から話を好き勝手に膨らませやがった藤崎を睨みつけようと、おもむろに横を向くが……あれっ? いやがらねえな。

 突如として視界から消えた親友を探し出そうと、辺りをきょろきょろと見渡していると……、

「どしたの新城?」

 目の前にいた長峰が、何やら不思議そうな面持ちで俺の顔をのぞきこむように見ている……って近い近い近い! お願いだからあんま顔近づけんな! 照れてまうやろー(笑)!

「い、いや……藤崎がいないなぁーって思って……」

「藤崎?」

 なぜか心臓の鼓動が少し早まるのを禁じ得なくなっている中、長峰はようやく身体を反転させ、はるか前方を指さした。

「あすこにいんじゃん。ほら」

 指さした方へ視線を送ると、ここから約五十メートルほど前を何事もなかったかのように歩いていた。

「はあぁ……っ、」

 昔からそうだったが……相変わらず危機回避能力に長けた親友だ。

 なんだかもう怒る気も無くしてしまった俺だった。ま、これも昔からお決まりのパターンなんだけどさ。


 そんなこんなで更に歩を進めること五分。

 これから俺たちが三年間お世話になる高校の門が見えてきた。

 いよいよ俺のハイスクールライフがスタートするんだなぁ……何だか感慨深い。

 藤崎と長峰も俺と同じ思いでいるのか、俺たちは少し神妙な面持ちで校門を通る。

 敷地内に足を踏み入れるとそこには当然の如く二・三年生の姿もあるが、ぱっと見男子にしても女子にしてもやはり上級生としての風格が感じられる。

 逆に上級生から見れば、新入生なんてものはつい先月まで中坊だったガキんちょにしか見えないだろうし、おそらく来年の今頃は俺たちがそんな目で新入生を見るのだろう。

 それでも俺と長峰に限って言えば、今の身長では新入生から同類に見られてしまうかもだけどさ。

 こんな、鬼が腹かかえて笑い出しそうなことを考えながら校舎に入り、生徒玄関で上履きに履き替える。

 玄関横のエントランスホールには、俺たちと同じ新入生と思しき人だかりができている。

 見ると、そこには新一年生のクラス編成表が掲示されていた。

「俺たちも行ってみようぜ」

「そうだな」

「あーあたし何組かなぁー?」

 期待と不安が入り混じった感覚を抱きつつ人だかりをかき分け俺は一組から、藤崎は逆から編成表を追っていく。

「さーてと……何組だ?」

 俺は目を皿のようにして、ひとつひとつ名前を確認する……お、あった。三組だ。

「おっ、お前も三組か?」

 そしてそれは、藤崎も同じだった。

 お互い同じクラスなのを確認した俺たち二人は、喜悦と安堵感からその場で原〇徳監督ばりのグータッチを交わす。

 そうなると……後はもう一人。

「長峰、お前は?」

「あたし……二組だった……」

 俺の問いかけに、登校中の陽気さはどこへやら、長峰は顔をうつむかせると同時にこう呟いていた。

「「そ、そうか……」」

「ちぇーっ! 残念だなーもーマジでバリムカー!」

 慰めの言葉がすぐに見つからなかった俺と藤崎を見て気を遣ったのだろうか、長峰は作り笑顔にも似た表情で大声を張りあげる。

 いったい誰に向かってバリムカっているのかは知らないが、強がりにも似た態度を取る長峰を見ていると、顔で笑って心で泣いてという表現がしっくりくる感じに映る。

 俺と同様、それを感じ取っているであろう藤崎にしても、心の底から残念に思っているようだ。

「そ、そうか……でも何か教室隣みたいだからさ、クラス違うってもまだいい方じゃないか? な、なあ藤崎?」

「そ、そうだな……でもほら、二年生になったら同じクラスになるかもしれないしな」

 俺と藤崎が何一つ慰めになっていないフォローをしていた……その時、


「「「え……………っ?」」」


 採光用のグラスエリアから差し込んでくる春の陽光が(まばゆ)かったこの場が突然、まるで暗黒世界にでも飲み込まれたかの如く闇に包まれている。

 俺たち三人が恐々としながら、おもむろに後ろを振り返ると……何と、

 眼前には女子の制服に包まれた、豊満なバストが展開されていた。

「あ、あれ? これって……、」

 確かこれと同じようなシチュ、一度どっかで体験したような気がするなぁ。それも割と最近だったような……だって目線があの時と同じバストのアンダーだし。

 俺は、これもあの時と同じく、おそるおそる視線を上に移動させる……。


「う、うっ……、」


 この時……俺の脳内フォルダは、あの恐ろしくも忌まわしい卒業式の日の出来事が瞬時にフラッシュバックしてしまい、まるで鳳凰〇魔拳でも喰らったかのように恐怖感が止め処なく上昇するのを禁じ得ない。

 まさに今の俺は「ヘビに睨まれたカエル」か「マングースに睨まれたハブ」、あるいは「グ〇ンに捕食されそうなツイン〇ール(ちなみにエビ味)」という表現がどハマりの状況に陥っている。

 すると……これもまたどっかで耳にしたことのある、低音でたどたどしい口調の声が頭上目がけて放たれてきた。


「ひ、久しぶりだな……」


 え、ま、まさか……そんなバカな……。

「お……お久しぶり……です……」

 脳内がすっかり真っ白になっている俺は、無意識にこんな呆けた返事をしてしまう。

「あ、あの時は本当に……すまなかった……」

 このたどたどしい物言い……卒業式の帰り道で耳にした時と全く変わっちゃいない。

 先月、道案内した礼を言われているにもかかわらず、なぜか俺の身体はすっかりへなへなになり、気がつくと床に尻を着いてしまっていた。

 ――っつーかそれよりも……お、女……女だあ!

 自分の目の前にある光景がどうにも信じられず、再度その全身を凝視するが……いくら目尻が裂けそうなくらい目を見開いてみても、巨大生物(仮)こと小中野が女子の制服を身にまとっている姿にしか見えない。

 一方で、より一層の上から目線で床にへたり込んでいる俺の姿を凝視する巨大生物……いや小中野は、その大きな手を眼前に差し出してくる。

「つかまれ……」

 全く身動きが取れなくなっている俺は、その言葉に何も反応できないままだ。

「さあ……早く……」

「うっ、あ、ああ……」

 先月中旬に味わった、下手に逆らえばどんなひどい目に遭うかわからないという恐怖からか、俺は無意識のうちにその手を握っていた。それは卵から孵ったばかりの雛鳥が、生まれて初めて目にしたものが親であると刷り込みされててもいるかのように。

 すると、まるで腕が抜けるんじゃないかと思うくらい力の限り引っこ抜かれる……ってこいつ、俺をダイコンかニンジンとかの根菜かなにかとカン違いしてんじゃねーか!?

 一切の抵抗が効かない、あまりの力強さに為す術もないまま勢い余ってしまった俺は……、


 ざわ……、ざわ……、ざわ……、


「カ〇ジ」に出てくる脇キャラに囲まれているかのようなざわボイスの中、気づけば巨大生物(仮)こと小中野の豊満な胸に顔面を(うず)めていた……って野菜は土から抜けば死ぬけどな! これじゃ俺は社会的に死んだも同然だぞ!

「あ、す、すまなかった……」

 そう謝罪した小中野は、卒業式の帰り道で俺の制服の襟首をいきなり離したのと同じく、今回も掴んでいた手をすばやく離す。

 その一方で俺はというと、その衝撃的且つ官能的な出来事に思いっきり顔を真っ赤にして、またもその場にへたり込んでしまう。

 俺にとっては僅かながらの至福のひととき(?)だったが……自分の豊満なバストに男子が顔を埋めていたというのに、それを全く意に介すそぶりなど微塵も見せず、顔色も全く変化がないどころか眉一つ動かしていない。

 でも……あの胸、とーってもやーらかいだけじゃなくて、弾力性や衝撃吸収性も素晴らしかったなぁ……。

 間違いなくこれはシリコンとかの人工物では絶対に得られない感触だ……っていやいやいやいや! 何知ったふうなコト思ってんだ俺はっ!

 コ、コホン……まぁ誤解のないよう言っておくが、物心ついてからは母親を含めて女性の胸など触ったり揉んだりしたことなどないし、ましてや顔を埋めるなどということもしたことがない……ってそんなモン自慢にもなんねーがな!

 あと、ついでに補足しておくけど、シリコン胸の感触も確かめたコトなんてないぞ。

 それはともかく俺は、小中野が間違いなく女性であることをやっと認識できたようだった。

 結果としてあの時の俺は、彼女を胸にシリコン注入した特殊性癖持ちの男だと勝手に思い込んでいただけであり、とりあえずこれで脳内に僅かながらくすぶっていた自分の特殊性癖疑惑は晴れたというわけだ。

 ただ、その代わりと言っては何だが、いくら事故とはいえ晴れの高校入学初日にJKの胸の谷間に顔を埋めてしまうという、ラッキースケベというかラッキー変態という表現がしっくりくるような貴重且つ人生最高(?)の体験をしたおかげで、正式に変態DK認定されるのはもちっと後の話だ。

 しかも、更に追い打ちをかけられるかのように彼女が俺と同じクラスだと知ったのは、この出来事から少しして同じ教室内にその姿を発見した時だった……そして、


 クラス内オリエンテーションの自己紹介で知った彼女のフルネームは……、


小中野詩愛瑠(こなかのしえる)」といった。

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