7 会いたいのは、あたしだけ
彼に会えない日々が、続いていた。
相変わらずユウにぃは忙しそうだ。毎日のように一緒に通学している兄が、心底恨めしい。
今日も隣に行ってみたけれど、やっぱり彼はいなかった。
バイト、バイト。バイトばっかりだ。この前のように、たまに兄の部屋にやって来るので、その時だけ少し会うことが出来る。
会えると言っても、鬼兄のガードが固いので一緒には過ごせない。兄は本当にけちんぼだ。廊下や階段ですれ違った時に挨拶するくらいしか、あたしは出来ないでいた。
「それで、私達が呼び出されたの?」
テーブルの上に腕をのせ、サエがだるそうな視線をあたしに向けた。
その横で心奈が、キョロキョロと忙しなく周囲を見回している。
「ここに来れば、ユウにぃに会えるかなぁと思って……」
「ホールにはいないってはっきり言われたんでしょ。厨房で働いてるのに会えるわけないじゃん」
「ぐっ……」
「えー! ヒナの好きな人ここにいないの? わたし見てみたかったのにー!」
「残念だけどいないのよ心奈……。あたしも会いたかったよー!」
あまりにもさみしいので、サエや心奈を誘って、ユウにぃの働いているファミレスまでやってきた。
もしかしたらチラリと姿が拝めるかもしれない。わずかに期待をして来てみたものの、ホールにいるのは女の子ばかりで、男の人はどこにもいなかった。
「そんなに会いたいなら、隣の家に行けば?」
「その隣にいないんだよ。バイトばっかりで」
「ふぅん………」
ストローを揺らして、アイスティーの中の氷をカラコロと回しながら、サエがあたしから視線を店内へと動かした。
「じゃあバイトすれば? そんなにお隣のお兄さんが恋しいなら、ここで働けばいいんじゃない?」
薄桃色の綺麗な爪をぴっと伸ばし、サエがあたしの後ろを指さした。
振り返るとチラシが貼ってある。バイト募集って書いてある―――!
にこやかな人物のイラストと共に、土日大歓迎という文字がでかでかとチラシには書いてあった。
土日!ユウにぃがいっつもバイトしている、土日だ!
「サエ、あたしすっごくバイトしたいっ! 土日だけここで働きたい! ……て、うちの高校バイトOKだったっけ?」
「大丈夫よ。近所のお姉さんもおんなじ高校だけど、コンビニで働いてるし、親さえ許してくれたらいけると思うよ」
「よし! 家帰ったら早速お母さんに突撃しよう……」
ぐっとこぶしを握り締める。
窓ガラスからテーブルに、眩しい春の光が差し込んできた。さっきまで泣き出しそうな空をしていたのに、雲の隙間から太陽が顔を覗かせている。
まさに、光明が見えてきた、ってやつだわ……
ふふんと得意気な顔をして外を眺めていると、道路を挟んで正面に、見知った顔が見えた。
ユウにぃだ。
なぜか、ユウにぃがそこにいた。隣には兄がいる。
「ねぇねぇ、サエは見た事あるの? ヒナの大好きなお兄さん」
「あるよ~。雛んち行った時に、何回か会った事あるよ」
「え~、どんな人なの? かっこいい? 背、高い? 足長い?」
「んー……人畜無害そうなタイプ?」
ユウにぃが、自販機の横で飲み物を口にしながら、兄に笑いかけている。隣にいる鬼は、長い指先で缶を気だるそうに揺らしながら、道路を走る車に視線を向けていた。
なぁんだ。
バイトはもう、終わってたのかぁ。
携帯に目を遣ると、15時を過ぎたとこだった。
いつもいないから。てっきり今日も、一日中バイトだと思いこんでいた。
「ユウにぃだ……」
お兄ちゃんと一緒、か。
忙しいユウにぃの、ほんの少しの隙間の時間に、会えるのはあたしじゃなくて、お兄ちゃんの方なんだ。これが現実なのだと思うと、気分がどうしようもなく沈んでくる。
あたしはユウにぃに会いたくて隣に行くけれど、ユウにぃはあたしほど、あたしに会いたいと思ってくれていない。
お兄ちゃんとはこうして会おうとする癖に。お兄ちゃんの部屋には遊びに行く癖に、あたしには会いに来てくれないんだ。
「え、例のお兄さん!?」
あたしの視線に気づき、心奈も窓の向こうに顔を向けた。
「うっそ、めっちゃくちゃカッコいいじゃん!」
心奈が興奮して声を上げた。身体を乗り出して、窓際のサエの隣に張り付いている。その反応に、自然と顔がにやけてきた。
大好きな人が友達に褒められるのって、とっても嬉しい。あたしの好きな人は素敵でしょ、なんて、胸を張りたい気分になってくる。
「正直、ここまでレベル高いとは思わなかったわ……。そりゃヒナだって、告白されても断るはずだね。あの人もイケメンだったけど、住む世界が違うレベルだわ、これは」
褒めてくれるのは嬉しいけど……心奈、それはさすがに言いすぎじゃない?
そりゃ、ユウにぃの笑顔は最高だけど。他の誰の笑顔とも、レベルが違って見えるけど。あたしの中では、圧倒的にナンバーワンだけど。
「背高いし、足長いし、さらさらの黒髪も素敵……」
…………。
あのね心奈、ユウにぃの髪は、こげ茶なの………
「クールでかっこいい……! ヒナが騒ぐのもわかるわ、わたしも騒いじゃう!」
「心奈それ……兄は兄でも実の兄の方だから……!」
心奈はユウにぃではなく、鬼兄を見て騒いでいた。
なんか腹立つな。褒められてもちっとも嬉しくない。
昔から、見た目だけはいい兄はひたすらモテていた。そのおかげか、ユウにぃにはずっと彼女がいない。鬼兄もたまには役に立つ。中身はどうであれ、外見だけはいい兄は、こんな風に女の子除けをしてくれるのだ。
ユウにぃはあっち!と、彼を指さすと、ふーんと気のない返事が返ってきた。心奈の視線は鬼兄にくぎ付けで、ユウにぃを視界に写そうともしない。
見たいって言ったくせに……!
じろりと兄を睨むと、向こうもあたしに気が付いたようだ。切れ長の瞳をぱっと見開いてこちらを凝視している。なぜだろう、頭には角、背景にはブリザードが見えるんだけど……
心奈が、きゃあと黄色い悲鳴をあげた。
あたしはひっと声を漏らすのだった。
◆ ◇
夕方になって帰宅すると、兄はすでに家に帰っていた。
時計を見ると18時を越えている。この時間からお隣に行くのは、さすがのあたしも遠慮してしまう。首を振って、自分の部屋に入ろうとしたら、扉の前で鬼兄が腕を組んで立っていた。
切れ長の瞳が、あたしをつんざくように見据えている。
なんか、怖いんですけど?
目の前の鬼が、綺麗な口元を開けて、冷ややかなブレスをあたしに吐き掛けた。
「雛。お前、相変わらず侑にまとわりついてんのな」
「別に、まとわりついてなんかいないもんっ」
「嘘つけ。昼間、侑のバイト先まで押しかけてただろ。知ってるか?そういうのストーカーって言うんだぞ」
「ストーカーだなんてひどい! 最近のユウにぃ、バイトばっかでまともに会えないから、寂しかったんだもん……」
兄が眉間にしわを寄せた。組んだ腕の上を、指でトントンと叩いている。
「おっまえなぁ。いい加減、侑にベタベタくっつくのやめろよ。いつまで小学生気分でいるんだよ」
「だって……ユウにぃと一緒に居たいんだもん」
「ユウにぃユウにぃって、お前昔からそればっかりだよな。もう高校生だろ? そろそろ、彼氏でも作って侑離れしろよ」
「彼氏ならユウにぃがいいもん。あたし、ユウにぃが好きなんだもん……」
「……お前、それ本気で言ってんの?」
兄の眉間のしわしわが取れた。なぜか、呆れた顔をされている。
あたしに向けて、はあ、とわざとらしくため息をついた。
え―――…どうしてっ!?
「本気だもんっ……! ユウにぃはあたしの事、妹みたいに思ってるけど……」
あたしの気持ち、冗談だと思われてるのかな。
きりっと視線を強めてみる。真剣な眼差しで、兄の目をじっと見つめてみた。
なぜか、今度は肩を竦められた。
どうしてそうなるのっ!?
乙女心の分からない、冷徹な鬼がここにいる……
「可哀相に……」
「そう、あたし可哀相なの。だからもっと、優しくしてくれたって良いんだよ?」
「いや、侑が可哀相」
「なんでそっち!?」
あたしに好かれて、ユウにぃが可哀相って事!?
ひどい……この兄、ひどすぎる……!
ショックを受けるあたしを、鬼兄がせせら笑った。
「早く大人になれよ、雛」
「なに、その、馬鹿にした言い方……!」
ひどい。ひどいひどいひどい。
サエも、心奈も、……お兄ちゃんも。
どうしてみんな、みんな、あたしの恋を応援してくれないんだろう。
あたしはそんなに、ユウにぃと釣り合ってないのかな。
ユウにぃに――――相手にされてないように、見えるのかな。
あたしはもう15歳で。子どもなんかじゃなくて。妹なんかじゃないと思っているのに。
そう思っているのは、きっと。あたしだけしかいないんだ。