20 雛のささやかな不安
――――あたし、ユウくんにペロリと食べられてしまうのかも。
穏やかに微笑む彼の姿を見て、あたしはそう思わずにはいられなかった。
◆ ◇
ユウくんは、お外のデートが大好きだ。
おかしいな……。昔のユウくんは、公園で駆け回るよりも部屋で静かに本を読む方が好きな大人しいタイプだったのに……なぜか彼氏と彼女になった途端、毎週のように外に出かけるようになってしまった。
日曜はあたしの家でユウくんに料理を教えて貰っている。うちでやると、眉間にしわを寄せた母や、しかめっ面の兄がもの言いたげにこちらを見ていることが多いので、本当は嫌なんだけど。でもユウくんちで教わるのは絶対にダメだと母と兄にきつく言い渡されてしまっている。
そんなこんなで……なぜか付き合う前よりも、2人っきりの時間が減っていた。
デートもいいけれど。
昔みたいにユウくんのお部屋に上がり込んでさ。
ユウくんの膝の上に乗ってのんびりテレビを見たりとか、読書をしているユウくんの背中にぺったりと貼り付いて、何を読んでいるのか後ろから覗き込んでみたりとか、ユウくんの匂いのするお布団の中で気持ちよくお昼寝をしてみたりとか。
そういう休日もたまにはいいと思うんだけど。
付き合う前はやんわりと拒否されていた数々の行いを、彼女になったら堂々と出来るようになると期待していたのに……思ったより好き勝手出来ずにいるのがもどかしい。
土曜の朝、彼を起こす僅かな時間くらいしか、ユウくんとベタベタ出来ていない気がする……。
ううん、デートは自体は良いの。嬉しいの。
以前は憧れていたユウくんとのデートだもん。手を繋いで街を一緒にブラブラするだけで幸せだし、いいんだけど。問題は……
「雛ちゃん、あっちで美味しそうなジェラート売ってるよ。食べる?」
ユウくんが、期待を込めた眼差しであたしを見つめている。彼の言うジェラート屋さんをあたしは知っていた。クラスの子達の間で話題になっていた、最近できたお店のことだ。
もちろん、あたしも気にはなっていた。
「食べたい!」
「じゃあ行こうか」
即答すると、満足げな顔をしてユウくんがあたしの手を引いた。迷いのない足取りに、事前にリサーチしてくれたのだと知る。
話題になるだけのことはあり、ジェラートはとても美味しかった。迷いに迷って、あたしはイチジクのジェラートを選び、ユウくんはミルクのジェラートを注文した。ユウくんはあたしに「食べてみる?」と自分のジェラートを差し出した。
これだ。
これなのだ。
ユウくんはデートの度にこの調子なのだ。
あたし好みのスィーツのある喫茶店に必ず1度は入ろうとするし、それ以外にも魅惑的なスィーツをあたしに勧めまくってくる。それも自分の分まであたしに食べさせようとする。
ユウくんの誘惑は止まらない。
「雛ちゃん知ってる? この裏の通りにクレープのお店があるんだよ」
「あ~、そういえば心奈におススメされたことがある! 皮がもちもちで美味しいって言ってた」
「行ってみる? 苺のクレープもあるみたいだよ」
「い、行きたいけど……」
「じゃ、行こう!」
ためらうあたしの手をやや強引に引きつつ、ユウくんが晴れやかな笑顔で路地裏にあたしを連れて行った。目的のお店の周りには、女の子達がたくさん群がっている。
苺のクレープ、美味しい。
ユウくんはキウイフルーツのクレープを選んでいた。自分が食べるよりも先に、あたしの口元にクレープをにゅっと突き出してくる。
「食べる?」
「…………」
生クリームの甘ったるい匂いとキウイの甘酸っぱい香りに、のけぞろうとした顔がゆるゆると引き寄せられていく。あたしはそれに無言でかぶりついた。
もぐもぐと口を動かすあたしを見て、ユウくんは蕩けそうな笑みを浮かべている。
とっても美味しい。
お返しにあたしのクレープも一口差し出してみる。ユウくんは遠慮して、ほんの少しだけ口の中にいれた。
分かってるの。
食べなきゃいいだけってことぐらい、あたしにも分かっているの。
でもね……
悔しい。誘惑に、どうしても抗えない自分がいる。
「だいぶ歩いちゃったよね。雛ちゃん、ちょっとここで休憩していこうか」
「うん、あたしのど乾いちゃった」
「この喫茶店、美味しそうな苺のパイがあるんだよ」
「…………」
ちょっとユウくん、いい加減にして!
今のところ体重にも体型にも変化はないけれど……この調子で食べ続けていたら、あたし絶対絶対太っちゃう!
満面の笑みを浮かべた彼に手を引かれ、あたしは魅惑のお店に連れ込まれてしまった。
もう、こうなりゃ耐えてやる。
苺のパイね。ふふん、その手には乗らないんだから。そりゃ美味しそうだけど。パイ、サクサクしていそうだけど。苺があたしににっこりと微笑んでいるけれど、打ち勝ってやる!
「苺のアイスティー下さい。苺のパイはい、いら、いらな……」
「パイのいいにおいがしてくるね。―――あれ、雛ちゃん注文しないの?」
「…………。いります…………」
ああっ。
この美味しそうなスィーツの誘惑に、あたしはどうやって勝てばいいのっ!?
はぁ、今日も食べてしまう……。
グレーテルにでもなった気分だわ。ユウくん魔女はあたしを食べるつもりなんだろか。
「美味しい……っ!」
そして悔しい事に、ユウくんの勧めてくれるスィーツはどれもこれも絶品なのだ。
苺のパイ、めちゃくちゃ美味しい。みずみずしい苺に歯触りの良いパイ生地、さいっこう!
「そう、良かったね」
ほくほくしていると、ユウくんが極上の笑みをあたしに向けてきた。
ううっ、すっごくいい笑顔……
フォークを口に入れたまま、ぼーっと見とれてしまう。
そう。あたしが美味しいものを食べている時のユウくんは、最高の笑顔を見せてくれるのだ。
これが一番やめられない原因なんだよね……
「どうしたの、ぼーっとして」
「なんでもない! ユウくんこそ全然食べてないよ?」
「僕? ああ雛ちゃん食べる?」
「ユウくんのケーキなのに、だからどうしてそこであたしが食べる流れになっちゃうのっ!?」
「―――――いらない?」
うううっ。
曇った顔しないでよ。しゅんとするなんて卑怯なんだから。「やっぱりちょうだい」って言いなおして、食べた途端にぱあっと晴れやかな顔するなんて、ほんと反則なんだから!
あたしは、平日限定のダイエットを固く決意するのだった。
◆ ◇
「あれ、ヒナ食べないの?」
心奈がキョトンとした顔をした。
そりゃそうだ。普段のあたしなら飛びついているとこだもん。
彼女の右手には、イチゴソース入りのチョコレートの箱が握られている。魅惑的なパッケージから目を逸らすように、あたしは首をぐるりと横にねじ曲げた。
「これ新製品なんだよ? ヒナの好きな苺だよ?」
「いらない……」
「苺なのに雛が食べないなんて……まさか、ダイエットでもしているの?」
「そのまさかだよ。このままだとユウくんに、美味しく頂かれてしまいそうな勢いなの」
「ヒナ……大人の階段登りそうなんだ……」
すこし遠い目をして、心奈はそっとお菓子の箱をカバンにしまってくれた。