17 侑の幸せなその後
「―――ほら、これ例のヤツ」
「あ、ありがと」
非常に気が進まない、といった様子で、麟は僕にそれを手渡した。
僕はそれを両手でしっかりと受け止めて、いそいそとカバンの中に仕舞い込む。
なぜか周囲には、女の子達のうっとりとするような視線と溜息が漂っている。受け取る時にうっかりとにやけてしまったから、変な勘違いをさせてしまったのかもしれない。
そんな周囲の反応は歯牙にもかけず、麟が気遣わしげな視線を僕のカバンに向けた。
「侑、無理しなくていいんだぞ」
「大丈夫だよ。最近はわりと、食べられるものになってきてるから」
僕の家でお泊りごっこをしてからというもの、雛ちゃんは積極的に僕に料理を教わるようになった。毎週末、土曜は外でデートをして、日曜は雛ちゃんの家のキッチンで過ごすのが定番になりつつある。最初はぎょっとしていたおばさんも、娘の熱意に心を動かされたのか、すっかり感動しきった瞳を僕に向けてくれるようになった。
料理に関しては彼女は素人以下の知識しか無くて、今は延々と、いろはの「い」を教え込んでいるところだ。お米のとぎ方。コンロの使い方。レンジの使い方に、包丁の持ち方。そして、料理の心得。何より大事なのは―――料理をするに当たって変に創作をしないこと。
「―――あ、おいしい」
学食のテーブルで、カバンの中から取り出したおにぎりにかじりつく。塩の効いていない白いおにぎりの中には、赤い梅干しが入っていた。
おお。普通にいける。感動の余り、僕はがつがつと雛ちゃんの握ってくれたおにぎりを食べすすめていく。麟が心底驚いた様子で「マジか」と呟いた。うん、マジだ。これは、美味しいおにぎりだ。
料理教室を始めて2度目の帰り際、雛ちゃんが僕にお弁当を渡したいと言ってきた。練習の成果を食べて貰いたいらしい。練習の成果……って、まだまともな料理まで辿り着いていないんだけど。
それでも彼女の視線が真剣なので、僕はおにぎりを作ってもらう事にした。おにぎりなら、よほどじゃない限りおかしなことにはならないはず。その僕の思惑は、思い切り外れてしまうのだけれど。
最初に食べたおにぎりは、塩の味がした。塩味の効いたおにぎりではない。「塩をふるといい」という情報だけを取り入れた彼女の作ったおにぎりは、みごとに塩の塊が混入されていた。
塩は効かさない方が好みだと伝えたら、塩の味はしなくなった。代わりに、苺の味がした。特に味のない白い部分をかじったら、そこには真っ赤な苺が丸ごと一個埋め込まれてたのだ。もちろん緑のヘタもそのまま一緒に入っていた。
そんなこんなで、僕と彼女の間で日々試行錯誤がなされていき、ついに今日、美味しいおにぎりに辿り着いたのだ。これが感動せずにいられるものか。僕はこれ以上ないほど蕩け切った顔でおにぎりを頬張った。
未来に希望が持ててくる。今はまともな料理の作れない彼女だけれど、きっとこの調子でどんどん上達するはずだ。幸い雛ちゃんはやる気だけはある。時間はかかるだろうけど、彼女はまだ高校生だ。大人になるまでにゆっくりと教え込めば、結婚する頃には……
って!
「んぐっ、ごほっ、ごほっ」
「おい、大丈夫か? 取り敢えず水飲めよ」
「あ、うん……」
目に涙をためながら、麟から受け取った水をすべて飲み干した。クリアなのど越しに、沸騰した意識がすうっと冷えていく。しかし顔のほてりまでは静められず、麟の視線から顔を背けた。
そうだ。
僕は雛ちゃんに、プロポーズもどきをした。
これは彼女と付き合う事になった当初から、ずっと心の中で想っていたことだ。僕らくらいの年齢の交際は長続きしない人の方が圧倒的に多いけれど、僕は雛ちゃんと今だけの付き合いをするつもりはなかった。子どもの頃から側にいて、女の子として好きになって、もう彼女がいない未来なんて考えられなくなっている。
このままずっと側にいたい。彼女には、永遠に僕の隣で笑っていて欲しい。雛ちゃんと結婚して、幸せな家庭を築きたい。だからこそ先手を打つようにお互いの両親にも交際を打ち明けたし、将来を見越して細やかに料理を教えていたりする。
でも、彼女はまだ高校生だ。結婚なんてピンとこない年頃だろう。重たがられるだけだと隠していたけれど、あの子の涙を前にして、ついポロっと本音が零れてしまった。
「なんだよ、なにニヤニヤしてんだよ。雛の握り飯、やっぱ変なもん入ってたんだろ」
「―――え、あっ、はは……」
嬉しそうな顔をして、頷いてくれた。
僕の思惑にドン引くことなく、雛ちゃんは一生僕の側にいたいって言ってくれた!
ああ、幸せだなぁ……
クリスマスを目前に控えた週末。僕はいつものように雛ちゃんを連れて、街へと繰り出した。クリスマス仕様に飾られた街はいつになく華やかで、自然と気分が盛り上がってくる。通りのお店を当てもなくブラブラと見て回りながら、僕は思い切って彼女に告げてみた。
「ねえ、雛ちゃん」
「なに?」
「指輪を贈りたいんだけど、受け取ってくれる?」
「指輪?」
婚約指輪を贈るのは、まだまだ遠い未来になるけれど。それまでの間、僕のものだという印代わりのようなものを身に着けて欲しいんだ……。こんな行為は、僕のささやかな我儘だって分かってはいるけれど。
懇願するように彼女を見つめた。雛ちゃんの白い頬がだんだんバラ色に染まっていき、それから嬉しそうに声をあげた。
「あたしも贈りたい!」
「え」
「あたしもユウくんに指輪を贈りたいな。ねえ、クリスマスプレゼントにして贈り合いっこしようよ!」
「僕にも指輪を?」
うんうん、と大きく頷いてから、雛ちゃんが僕を見上げてはにかんだ。
「どうせなら、ペアリングをつけたいの。結婚指輪みたいにさ。その方が……ユウくんはあたしのものですよーって感じがするじゃない……」
「雛ちゃん……」
ああしまった……。
僕は自分の迂闊さを呪った。こんな道端で、こんなこと言うんじゃなかった。どうして僕は朝、部屋で2人きりの時にこれを言わなかったのだろう。こんなに気分が盛り上がっているって言うのに、これっくらいしか出来ないじゃないか!
雛ちゃんの小さな手に自分の手を重ね合わせて、ぎゅっと握り締める。もちろん全然足りてない。こみ上げる想いを手のひらに乗せすぎたのか、雛ちゃんが痛そうに顔をしかめた。慌てて手の力を緩める。
落ち着け、自分。クリスマスの時を楽しみにしておけ。きっと今以上に気持ちが盛り上がるんだから。いいか覚えておけよ。プレゼントを渡すのは、絶対に2人きりの時にするんだぞ。部屋だ。どちらかの部屋がベストだ。間違ってもリビングなんかで交換しちゃいけないぞ。
下心だらけの思惑を脳内で繰り広げながら、手を繋いだまま雛ちゃんをじっと見つめていたら、彼女の顔が高い位置まで上がってきた。
僕と目の高さが同じになっている。雛ちゃん、背伸びでもしたのかな―――なんてぼんやり思っていると、温かなものが唇を掠めた。
目を丸くしていると、雛ちゃんが頬を染めながら恥ずかしそうに肩をすくめている。
「ごめんね、我慢できなくて」
ひ、ひ、雛ちゃん……!
なにしてくれたの今。僕だってキスしたかったけど、めちゃくちゃ我慢してたのに。待って、ほんと待って、こんなことされたら……さっきよりも気持ちが盛り上がっちゃうんだけど!
やばいだろ。ちょっと可愛すぎるだろ。
半端に唇に触れられて、堪えきれないものが指の先までせりあがってくる。僕は慌ててぎゅっと拳を握りしめた。
が、我慢だ我慢……。道の往来でこれ以上のことは、さすがに恥だ恥……。後で……って、18時になったら家に帰さないといけないよな……。どうしようか、今日は少し早めにデートを切り上げて、僕の部屋に呼ぼうかな……。
雛ちゃんは軽い触れ合いで満足したらしく、すっきりした顔をしている。
アクセサリーコーナーでペアリングを見て回る中、僕の意識はすっかり夕方のお楽しみにばかり飛んでいた。