16 幕間 母達の憂鬱
蛇足回です。
【side雛ママ】
ああ、大変だわ……っ!
バカな娘がついにやらかした。そろそろ見限られてもおかしくない。せっかく、せっかく奇跡的にも、侑君のような素敵な子と付き合えているっていうのに、あの子ってば。
ああ、どうしたらいいの……
葉山さん達にも、すっかり呆れられちゃったわよね。高校生の娘がこんな夜分遅くに、それも熱を出して寝込んでいるっていうのに、家まで押しかけていくだなんて……。
雛の株、駄々下がりよね。まあ元から高い株じゃなかったと思うけれど。それでも今回の件で、地を這うレベルにまで落ちてしまったに違いないわ。
侑君は、葉山さん達にとって大事な大事な一人息子なんだもの。表向きは2人の交際を歓迎してくれていたけれど、本音はどうだか分からない。家族ぐるみで仲がいいだけに、私たちの手前、何も言えずにいただけかもしれない。だから今回の件は、恐らくとどめの一撃になったはず。
あんな非常識な娘、うちの息子にはふさわしくない!
なんて言われちゃったら私、どうしよう。反論できる自信が全くないんだけれど。
やだわ。侑君に見捨てられたら、あの子は一体どうなっちゃうの……。
金曜日の夜10時。辺りはしんと静まり返っている。夫は会社の飲み会で、明日になるまで帰って来ない。ついさっきまで、私は浮かれながら取り溜めしていた恋愛ドラマを堪能していたというのに。
一本の電話が、私の幸せな週末を脅かす。
「麟。あなた今なんて言ったの?」
『―――だから。雛が、こっちに来ているんだよ』
ちょっと待って。麟は今、確か侑君ちにいたわよね。昨日、高熱を出した麟が侑君のお世話になって、そのせいで侑君に風邪をうつしちゃったから、お返しに今日は泊りがけで侑君のお世話をするとかなんとか、そんな話だったはず。
そこに雛が……侑君のお家に雛が、いるのっ!?
『母さんは、このこと知ってた?』
「そんな訳ないでしょ。知ってたら、全力で止めていたに決まってるじゃない」
『やっぱりな。……あいつ、俺たちにも黙ってここまで来やがった』
……そういえば8時くらいだったかしら。
お風呂に入ろうとしたら、雛が外に出ようとしていたのよね。問い詰めたら、侑君ちに行くって言ってたから、私てっきり隣の家だと思っていたけれど……
あれって、侑君の下宿先のことだったの!?
「こんな時間にあの子ったら……。ああ、絶対、絶対絶対絶対、侑君に迷惑かけちゃうわ。麟、病み上がりのところ悪いけど、雛を連れて帰ってきてくれる?」
『それなんだけど、あいつ今、風呂場で立てこもってんだよな……。たぶん、終電切れると思う』
「ええっ……!」
あ、眩暈が……
軽く目の前が暗転しかけて、気合を入れて意識を元に戻した。電話の向こうからは、優しい息子が私を心配して声をかけてくれている。
「はあ。それはもう、申し訳ないけれど泊らせてもらうしかないわね……。頼むわよ麟。くれぐれも、侑君の安眠の邪魔だけはしないように、雛をしっかり見張ってて頂戴ね」
『分かってる。あいつの暴走は、俺が全力で止めるつもりでいる』
どうしよう。どうしよう。
どうすればいいの?
―――ああもう。こうなりゃ、隣の家に行って謝って来るしかないわよね。
「すみません。うちの雛が、侑君の下宿先まで押しかけて行っちゃったようで……」
◆ ◇
【side侑ママ】
ひゃあああ、どうしよう!
侑が、雛ちゃんを下宿先まで呼び寄せてしまった。なんてことだ。まだ高校生の雛ちゃんを、こんな夜遅くに、しかもあんな遠いところまで行かせてしまっただなんて……
蕗子さんは私に遠慮して、雛ちゃんが押し掛けただなんて言ってくれたけれど、絶対に違う。どう考えても、熱を出して気弱になった侑が、雛ちゃんに会いたくて呼んだとしか思えない。だってあの子、雛ちゃんが大好きだもの。今週は熱が出ていて帰れない、と私に告げたあの子の声の、しょぼくれていたことったら。あれは絶対に体調のせいだけじゃない。
そういえば昼間に電話を貰った時に、私も少し心配になったから侑のところまで行こうとしたのよね。今夜は夫も飲み会でいないことだし、泊って面倒みようとしたら……きっぱり断られちゃったのよね。
それって、雛ちゃんと2人きりで過ごすつもりだったからじゃ……
ああだめだめ、黒い疑惑しか湧き起らない。ごめんなさい蕗子さん。頭下げてるけど、本当にいけないのはこっちの方だと思うの。たとえ双方合意の上だとしても、侑は3つも年上なんだから、雛ちゃんの行動をたしなめなきゃいけないってのに。それをこれ幸いと、受け入れちゃってどうするのよ。
まったく侑ってば。雛ちゃんに風邪がうつったらどうするつもりなのかしら。夜道を一人で歩かせて、何かあったらどうするつもりだったのかしら。
そもそも。そも、よ。いくら寝込んでいるとはいえ、2人きりで夜を過ごすだなんて……何か間違いでもあれば、蕗子さん達になんて言って謝ればよいのやら……
ううん。間違いの有無は問題じゃないんだわ。たとえ何もなかったとしても、状況だけで疑われてもおかしくないのが現実ってもので……侑の、たぶん雀の涙くらいはあったはずの信頼は、恐らく今夜、綺麗に解けて消えちゃった。
高校生の女の子を連れ込んで、泊らせるだなんて。あんな非常識な息子、うちの娘にはふさわしくない!なんて言われちゃったら私、どうしよう。反論できる自信が全くないんだけれど。
やだ。雛ちゃんに見捨てられたら、あの子は一体どうなっちゃうの……。
あんまりメンタル強い子じゃないもの。きっと深海よりも深く落ち込んで、年単位で浮上してこれないわ。現に一人暮らしを始めたときのあの子、この世の終わりみたいな顔してたもの。
どうしよう。どうしよう。
どうすればいいの?
―――ああもう。こうなりゃ、ひたすら謝るしかないわよね。
「いえいえ、こちらこそごめんなさい。大事なお嬢さんをこんな夜遅くに呼び寄せるだなんて、本当にどうしようもない息子ですみません……」
◆ ◇
「雛ちゃん、さっきの電話、おばさんから?」
「うん。ものすごく怒られちゃった」
「僕もさっき母さんから電話がかかってきてさ。今回の件について、散々小言を言われたよ」
「―――え、ユウくんも? なんでユウくんまで怒られちゃうの?」
「理不尽なんだけど、世の中ってそういうものなんだよね」
「連帯責任ってやつ?」
「……かなぁ?」
まあ、どちらかというと僕の方が、批難されるんだろうけど。
世の中は、年上と男に厳しいものなのだ。
ちらりと彼女に視線を向ければ、頬を染めて目を潤ませながら、上目遣いでじっと僕を見つめている。
え。なんでこんなに照れてるんだ……
さくらんぼのような可愛い唇が、僕を誘い込むようにそっと開いてく。
「それって、ふ、夫婦ってカンジだね……」
――――ああ。
ああもう、もう、もう!
どうしてこんな時に風邪をひいてるんだ僕は、くそっ!
その潤んだ唇にキスをして。華奢な身体を、思いっきり抱きしめてやりたいってのに。
今の雛ちゃんは目の毒だ。
僕は思い切り顔を逸らして、彼女の代わりに枕をぎゅっと抱きしめた。