14 空回りの週末
明日こそは、たっぷりとお世話をするからねっ!
昨夜は固く決意して、眠りに就いたはずなのに……
眩しい朝の光に目が覚めて、身を起こすと、テーブルを囲んでユウくんと兄が仲良く朝食をとっていた。
「どうだ? 食えそうか?」
「うん、大丈夫。昨日よりはずっといいよ。ありがとう、麟」
あ、ああ……
朝のお世話まで、兄に先を越されてしまっている……。
ユウくんが穏やかな笑みを浮かべながら、兄にお礼を告げている。
その笑顔、昨夜のシミュレートでは、あたしのものだったのに……!
がっくりと頭を垂れていると、兄が嫌味ったらしく声をかけてきた。
「やっと起きてきたのか、雛」
ふんっ。お兄ちゃんたちが早すぎるだけだしっ。
「おはよう雛ちゃん。昨日は疲れたんでしょ。休日なんだし、ゆっくり寝てなよ」
えへっ。鬼と違って、ユウくんは優しいな。
でも……
(雛ちゃんは寝てていいよ、僕の世話は麟がしてくれるから)
ああっ。ユウくんの、心の声が聞こえてきそうっ。
だめだ、いつまでも寝ている場合じゃない。
今日こそは頑張らないと……!
あたしは急いで布団から抜け出して、ボストンバッグを抱えながら洗面所に移動した。着替えと洗顔を終え、髪を整えて、決意新たに2人の所に戻ると、テーブルの上にはあたしの朝食が用意されている。バタートーストと、ホットミルク。
頑張るどころか、お世話されてるし……。
「バターだけど文句言うなよ」
言わないしっ!
あたしは、トーストにはイチゴジャムをたっぷり塗って食べる派だ。母もそれを分かっていて、うちの冷蔵庫の中にはイチゴジャムが常備されている。
だからっていくらなんても、ユウくんちでイチゴジャムが欲しいだなんて、駄々こねないしっ!
兄はあたしをなんだと思っているんだ。ぶすっとした顔をして、もそもそとトーストにかじりついていると、シンクの方から水音が聞こえてきた。
振り返ると、兄が朝食で使用した食器類を洗っている。あたしでも頑張れそうなことが、お仕事が、また一つ兄に越されてしまっている……。
肩を落としながら朝食を終え、食器を流しに持っていくと、兄があたしに手を伸ばしてきた。
「それ、洗うからかせ」
あたしが断ろうとするよりも早く、手にしていた食器を兄が素早く奪い取っていく。その側で、ユウくんが冷蔵庫から額に張り付けるジェルシートを一枚取り出していた。
貼り替えてあげようとしたものの、サクッと断られ、彼は手際良く自分で新しいものと付け替えた。一方シンクでは、兄があたしの使った食器を洗い終え、手を拭いている。
あたし、なんにもやる事ない……。
「ねえねえ、ユウくん。何かして欲しいこと、ある?」
「ん~、特にないかな……」
「あるよね? あるでしょ? 言ってくれたらあたし、なんでもやっちゃうよ?」
「それよりも雛ちゃん……ご飯食べて落ち着いたら、もう帰りなよ」
え――――
「僕のことはもういいから。1人が不安なら麟に付き添ってもらって、明るいうちに家まで帰るんだよ」
そんな……
心臓が、どくどくと不穏な音をたてだした。ユウくんの表情は真面目なもので、本気であたしを帰らそうとしていることが伝わってくる。
ユウくんは、あたしがいらないんだ。
あたしが役立たずだから……
「やだ」
「そんなこと言わずに、帰ろう。ね?」
「まだ帰らないもん。そうだ、お買い物に行ってくる! 今日のお昼は、あたしがお粥作ってあげるね!」
「ひ、雛ちゃん!?」
そうよ。朝は寝過ごしちゃったけど、昼はあたしがお粥を作るんだ。
あたしにだって出来ること……まだまだあるはずなんだから……!
彼の拒絶が受け入れられなくて。
財布を握りしめて―――あたしは、ユウくんの家から飛び出していた。
◆ ◇
目的地はもう決まっていた。
前回、ユウくんと訪れたスーパーだ。あそこでお昼のお粥に使えそうなものを買って行こう。
「あたしだって、少しは役に立つんだから……」
自分に言い聞かせるように、言葉にする。
奮い立たせる為の発言だったのに、逆にじわりと涙が滲んできた。
「なに、生意気なこと言ってんだ」
あたしの隣に人影がスッと入ってきて、陽の光が遮られて暗がりになる。横を向くと、兄が腕を組みながら目をすがめてあたしを見下ろしていた。
「侑が心配してたぞ」
あたしを連れ戻しにきたんだ……
「まだ帰らないもん。これから買い物するんだもん」
身体をキュッと強張らせた。兄の威圧的な視線から逃れるように目を伏せて、暗いアスファルトをじっと見つめていると、頭上から大きなため息が聞こえてきた。
「しょうがねーな。買い物終えたらさっさと戻るぞ」
―――あれ。
いつものように、無理矢理連れ戻されると思っていたのに……。
兄はそのまま黙って、あたしの隣を歩きはじめた。
◆ ◇
「卵でしょ、苺でしょ、ゼリーにプリンにヨーグルト……」
「おい、雛」
「ああそうだ、ジェルシートの予備も買っておかなくちゃ。……なによ、お兄ちゃん」
黙々と歩くこと約10分。あたしを監視するつもりでいるのか、結局、兄はスーパーの中にまであたしについてきた。
「なにステーキ肉なんてカゴに入れてんだよ」
「ああそれ? 決まってるじゃない、ユウくんの快気祝い用のお肉だよ!」
「治ってもいないうちから、よりにもよって消費期限の近い肉なんて買うなよ、この馬鹿っ」
「ってやだ、なんで棚に戻しちゃうのっ!」
さっきからこんな感じで邪魔されてばっかりだ。さっさと帰ればいいのに。お兄ちゃんと一緒だと、まともに買い物できないよ。
それに……
やたらと、視線をかんじるんだけど………。
それも1人や2人じゃない。すれ違う女子大生らしきお姉さま達みんなが、じろじろとこちらに視線をむけてくる。お兄ちゃんと同じ大学の人たちなのかな……。
彼女達の視線は明らかに兄に集まっていて、それから時折、訝しむようにチラリとあたしに向けられる。居心地の悪さに、あたしは肩をすくめて兄を見上げた。
「あたし達、見られてるね」
「間違いなく見られてるな。まぁ、いつものことだ」
お兄ちゃん、見た目だけはいいからなぁ……。
中身は意地悪で冷たい鬼なのに。兄の本性を正しく理解しないお姉さま方は、あたしを恨めしそうな目つきでじっと見つめてくる。
そんなに羨ましいなら変わってあげるのに。
「はっ!! まさか、あたし彼女と間違えられたりしていないよね!?」
「さあな。勘違いするやつも中にはいるかもな」
「ええ……気にならないの? 気になるでしょ? ほらほら、今すぐ帰っていいんだよ?」
「気にしていたらきりがないからな。どうでもいい相手にどう思われようが、俺は知らん」
やだ、あたしは気にする!
だって、間違えて刺されたりしたら、嫌じゃない?
背中に妹と書いたシャツでも着てくれば良かった……
持ってないけど、そんな服。
「それよりさっさと買い物して帰るぞ。もうレジ向かっていいよな?」
「あ、待って! お米買わなきゃ!」
「いらん」
「いるでしょ。お米もなしに、どうやってお粥を作るのよ」
「あのなあ。わざわざ買わなくても、米くらい普通常備してるだろ」
冷たい視線をあたしに浴びせ、兄が容赦なくカートをレジに運んでく。
結局、思ったものが半分も買えないまま、あたしたちはスーパーを後にした。
「……なぁ、雛」
スーパーを出て、横断歩道を渡ろうとすると、丁度あたし達が辿り着いたタイミングで信号が赤に変わってしまった。つくづく今日のあたしはついてない。何台もの車が、目の前で勢いよく通り過ぎていく。
「なに?」
「買い物して少しは気が済んだだろ。もうやることなんてないから、家に帰れよ」
風が吹き抜けて、12月の冷たい空気が頬を撫でていく。
買い物をしていてすっかり忘れていた嫌な感情が、あたしの中で再び首をもたげてきた。
「や、やだ。まだ全然、ユウくんの役に立っていないのに……」
「お前さぁ。役に立つっていうけど、逆だからな? 現状、役に立たないどころか侑に迷惑かけてんだから、あいつのためにも大人しく家に帰ってやれよ」
「…………っ、そんなこと、ないもん……」
役に立つどころか、迷惑をかけている……
はっきりと否定がしたいのに。さっきのユウくんの態度を思い出して、言葉が詰まる。視線を彷徨わせていると、兄がぴしゃりと現実を突きつけてきた。
「侑が頼んだのか? 世話してくれって言ったのか? あいつが雛に求めている事は、そんなんじゃねーんだよ。侑の役に立つだなんて、そんなのはただのお前の自己満足だ。勝手に押し付けんな」
「……………っ!」
そんなの。
あたしだって、とっくに気がついてるよ。
だってユウくんは昨日からずっと……、あたしを見て、笑ってくれてない……。
最初っから帰れって言われてたもんね。
お兄ちゃんと違ってあたしは求められてない。そんなことくらい……あたしは最初っから、言われなくても分かってる。
それでも、ここに居続けていれば。彼のために何かが出来れば、喜んでくれるかなって。あたしのこと認めてくれるかなって。あたしが、辛い時の彼の支えになれるかなって。
ずっと、期待をしていたの。
「―――ちっ」
兄が舌打ちをした。
スーパーで買った荷物を、何も言わずにぐいっとあたしに押し付ける。突然の行動に理解が出来なくて、兄の顔をまじまじと見返した。普段は冷ややかな兄の顔に、珍しくも焦燥の色が広がっている。
「雛。お前、先に戻れ。いいか、これ以上、侑に迷惑かけんじゃねーぞ」
「え、お兄ちゃんは?」
「俺は後で戻る」
え?
2人きりにしてやるから、ユウくんに、謝れってこと―――?
戸惑うあたしにさっさと背を向け、兄がどこかへ走り去っていく。
そっち、ユウくんのおうちとは全然違う方向なんだけど……
こてりと首を傾げたものの、信号機はまもなく青に色を変え、あたしは重たい食材を抱えながら、1人で横断歩道を渡っていった。