6 優しい彼と意地悪な兄
宣言された通り、あたしはユウにぃとあまり会えなくなっていた。
ユウにぃは大学が始まって、通学に時間がかかる事もあり、平日は夜になるまで家に帰って来なかった。
バイトを始めたので、土日もたいてい家にはいない。隣に行っても、おばさんの申し訳なさそうな顔を見てばかりいた。
高校生活が始まって、1ヶ月と少し。
ユウにぃと会えなくて憂鬱な日々を送る中、あたしは何故か、知らない人から告白というものをされていた。
「俺、雛ちゃんが好きなんだ。付き合って欲しい」
目の前で、見た事もない男の人があたしの名前を呼んでいる。
随分と背が高いので、恐らく2年か3年の先輩なのだと思う。クラスどころか学年まで違うのに、どうしてあたしの事を知っているのか、謎すぎる。
廊下の真ん中でこんなことを言うもんだから、周囲からの視線が痛い。人目に着く場所で告白するだなんて、この人よっぽど自分に自信があるのかな……
短く刈り上げられた黒髪に、薄っすらと日焼けをした肌。180は軽く越えるような背丈と、それに見合うようながっしりとした体格をしている。物怖じしない態度と言い、はつらつとした声といい、どこのクラスにも1人はいるような、目立つタイプの人間だ。
爽やかで整った顔立ちをしているので、なるほど、女子生徒には人気がありそうだ。
ユウにぃとは真逆のタイプだな。
ユウにぃは、教室の端でひっそりと周囲を眺めているような人間だ。大人しくて目立たないけれど、穏やかで落ち着きのある人だ。そんな彼は、遊びに行くと大抵部屋で本を読んでいる。こげ茶色の長く伸びた前髪が、いつも眼鏡にかかってる。
本を読むには邪魔そうに見えて、時折あたしは手を伸ばし、ユウにぃの柔らかな前髪を5本の指で掬いあげてみる。短く切らないから眼鏡なんだよと言うと、今更だよと苦笑されてしまった。
ユウにぃは、背は高くはないけれど、低くもない。たぶん170とちょっとくらい。ガリガリではないけれど、逞しい身体つきをしているわけじゃない。顔も、たぶん普通。普通がどういうものなのか、あたしにはよく分からないけれど。
だれどあたしはユウにぃの、穏やかで優しい顔が大好きだ。あたしを受け入れてくれそうな、温かな手のひらが大好きだ。包み込むような柔らかな笑顔が大好きだ。心の落ち着くハグも、安心できる背中も、なにもかも全部が大好きなのだ。
「あの、返事は………?」
はっとして意識が戻る。
ユウにぃの事を考えながら、じろじろ見つめてしまっていたらしい。目の前にいる名前も知らない男の人が、期待に満ちた眼差しであたしを見つめている。
うわぁ。あたしの頬、絶対緩んでた……
「ごめんなさいっ、お付き合いは出来ませんっ!」
真っ赤になって。逃げるように、その場からあたしは走り出していた。
◆ ◇
「ヒナ、さっきの人と付き合うの?」
教室に戻ると、友達の心奈が好奇心溢れる眼差しで、あたしににじり寄ってきた。
今は昼休みの真っ最中。
お弁当を食べながら、いつものように心奈やサエと3人でお喋りしていると、さっきの人に呼び出されてしまったのだ。
「付き合わないよ? だってあたし好きな人いるんだもん」
「え~、勿体ない。結構イケメンだったのにぃ!」
心奈が名残惜しそうな顔をしている。
あたしの予想通り、さっきの人はモテるタイプの人だったらしい。
「雛は相変わらず、隣のお兄さんが好きだよねー。あれから進展ないの? デート行ったんでしょ?」
「行ったけど、全然変わらずだよ……」
高校で知り合った心奈と違い、サエは中学時代からの友人だ。
あたしがユウにぃを好きな事も知っている。
そして……相手にされていない事も知っている。
「まぁ、笑い転げるデートでは、どうにもならないか」
「うっ!」
「雛、私が貸したDVD、彼と一緒に見たのよね。どうだった? ちょっとくらい、いい雰囲気にならなかったの?」
「それがその……なんかあれ見てたら……」
「見てたら?」
「すっごい睡魔に襲われて、いつの間にか寝ちゃってた♪」
「……………」
だから永遠の妹キャラなんだよっ!
冷ややかなサエの目が、そうあたしに告げている。ううう。
「ヒナさぁ。そんなに好きなら告白しちゃえば?」
「告白?」
「彼、大学生なんでしょ? うかうかしてると、同じ大学生の彼女作っちゃうんじゃない?」
心奈の言葉に、あたしの口から大きなため息が漏れる。
サエが心奈の制服の裾を、つんつんと引っ張った。
「あのね心奈、告白はしまくってるの。大好きとか、両手じゃ収まりきらないくらい、言いまくってるの!」
好き好き言ってるし。ぎゅーぎゅーくっつきまくってるし。ユウにぃも、あたしの気持ちはちゃんと知ってるはずなのだ。
「そうなんだ。それで彼の反応はどうなの?」
「昔はさぁ、笑って僕もだよって言ってくれたんだけど、最近ではちょっと困ったような顔されてばっかりで……特に、なにも」
「僕もだよって、それ両想いなんじゃないの?」
「ううん。あの反応は、妹としてってかんじ。だって、だからって恋人っぽくなるわけでもなく、今までと全然変わらないんだもん」
「スルーされちゃってるのか………」
そう、あたしの好きは軽やかにかわされてばかりいる。
ユウにぃのあたしへの態度は、この9年間ちっとも変わらない。
どこまでも――――年下の妹扱い。
「雛、もうそろそろ諦めたら? 向こうはアンタの事、妹としか思ってなさそうじゃない」
「サエ、ひどい……」
「そうそう、さっき告白してきた彼に乗り換えちゃいなよ!」
「心奈まで……!」
「ヒナ、可愛いのにもったいないよ。望みの薄そうな彼より、さっきのイケメンにしちゃいなよー」
「2人ともっ。それ以上、言うの禁止―――!」
両耳を塞いで、机に突っ伏した。
目を閉じるとユウにぃの笑顔が浮かんできて、会いたいなぁとあたしはひたすら思うのだった。
◆ ◇
えっ………?
しょんぼりしながら家に帰り、玄関に置いてある靴を見て、あたしの目がぱっちりと見開いた。
兄のものでも父のものでもない男物の靴が、玄関に綺麗に揃えて置いてある。
これは……ユウにぃの靴だ!
ユウにぃは兄と仲が良い。
気が短くて荒っぽい兄なのに仲良くしてくれるなんて、ユウにぃは本当に優しい人だ。口も悪いし意地悪なのに、愛想つかされない兄は本当に幸せ者だ。
久し振りに、ユウにぃに会える。
弾む気持ちのまま、軽やかに階段を駆け上がった。我が家の2階は、左があたしで右が兄の部屋になる。自分の部屋に鞄だけを放り込んでから、制服のまま兄の部屋の扉を開けた。
会いたくてたまらなかった人が、ベッドの上に腰を下ろして座ってた。
「こんにちは、雛ちゃん」
あたしを見て、にこりと彼が微笑んだ。久し振りのユウにぃの笑顔に、あたしの頬がゆるゆるに緩む。
「ユウにぃ、久し振りっ!」
両手を広げ、ユウにぃの元に駆け寄ろうとして、つっかえた。喉が苦しい。襟元を後ろからぐいと引っ張られている。伸ばした両手がパタパタと、空を泳いだ。
「なにすんのよ、お兄ちゃん。離してよ」
「何すんのじゃねーだろ、雛。勝手に人の部屋入ってくんじゃねーよ」
横を向くと、突き刺すような冷たい視線の兄がいた。
「だって久し振りに会えたんだもん。バイトばっかりで、最近ユウにぃ全然部屋にいないんだもんっ」
「そんなの知るかよ。お前邪魔だから今すぐ出て行け」
「ひどっ!」
「麟……。僕は構わないから、入れてあげなよ」
「ほら、ユウにぃだって良いって言ってるし!」
「侑はコイツに甘過ぎんだよ」
無慈悲にも部屋の外に引きずられてしまった。抵抗するも、兄のバカ力には敵わない。
ああ……ユウにぃが、遠ざかる……
隣のお兄さんはとっても優しいのに、実の兄はめちゃくちゃ意地悪で冷たい。
口は悪いし、乱暴だし、良い所って言えば……顔しかないっ!
そう、お兄ちゃんは顔だけはいい。
黒いサラサラの髪に、通った鼻筋。切れ長の瞳にキリリとした眉は全て、完璧なバランスで配置されている。あたしから見ると意地悪にしか見えない兄は、整った容姿のおかげで、クールでカッコいいと女の子達にもてはやされているのだ。
みんな騙されてるっ!
中身はこんなに意地悪なんだけどなぁ……。
「ねえ邪魔しないから! 大人しくするから追い出さないで、あたしも部屋に入れてよー!」
「ほら、ギャーギャー煩いしな。もう来んなよ」
「ひどっ、冷たすぎ~~~~!!」
冷ややかな笑みを浮かべ、兄が部屋の扉を閉めた。
久し振りに会えたのに、挨拶しか出来なかった……。
肩を落とす。あたしの兄は、綺麗な顔をした鬼だ。