9 ドキドキお泊りごっこ
時計の針が7時を指す頃、ようやく夕食の用意が出来た。
今夜のメニューはハンバーグ。それに、コーンスープとサラダが添えられている。部屋の中央に鎮座する小ぶりなテーブルの上には、2人分の食事が所狭しと並べられていた。
「ささ、適当に座って。あったかいうちに食べよう」
「うん、いっただきまーす!」
テーブルを挟んでユウくんと真向かいになるよう腰を下ろす。ナイフとフォークでハンバーグを切り分けると、中から熱い湯気と共に大量の肉汁が滴り落ちてきた。期待に胸を踊らせながらそれを口に運ぶと、想像以上の味があたしの舌に触れていく。
「ユウくんの作ったハンバーグ、すっごく美味しい……」
「ありがとう。雛ちゃんが作ってくれたスープもとっても美味しいよ」
くすぐったそうに笑う彼に、あたしの口元がピクリと歪んだ。
そのスープ……レンジでチンしただけだから!
そう。2人で作ろうなんて言っときながら、ほとんどユウくんは一人で作り上げてしまった。メインのハンバーグなんて、あたしの手は指一本たりとも介入していない。
彼の指示でアレコレ動いて、それなりに貢献したつもりで満足していたけれど……冷静になってみるとあたしのやったことって言えば、レタスを洗ってちぎったのと、ミニトマトを洗ったのと、食器を並べたのと、市販のスープをレンジで温めたことくらいなんだよね……
おっかしいなぁ。たったそれだけしかしてないのに、なんで食事が完成してんだろ。
ユウくんとあたしでは、時の流れるスピードが違うのかもしれない。首を傾げながら、真向かいで目を細めている彼を見つめ返した。
ユウくんは一人暮らしで自炊をしてると言うけれど、まだたったの3ヵ月程度しか経ってない。母や兄の不在時にお昼ご飯を作って貰ったことは過去に何度もあるし、ファミレスの厨房で働いていたから料理自体に慣れているのは知っていたけれど、まさかここまで出来るなんて……。
「ユウくんて料理上手だけど、誰かに教えて貰ったの?」
「教えて貰うっていうか、元々夕飯の手伝いでキッチンにはよく入っていたから、見ているうちに覚えたっていうか」
「お、お、お、お手伝い……」
「したことない?」
ない、と言い切るのが恥ずかしくて目を逸らした。夕飯のお手伝いなんてしたことない。ご飯よーと母に呼ばれてリビングに入ると、温かい晩御飯が食卓の上に並んでいる。これがあたしの日常なのに……ユウくんはちゃんとお手伝いしてたんだ……。
そりゃ、あたしとはレベルが違うはずだよ。
「――――あ、もしかして、お兄ちゃんも」
リビングのソファに棲みついている、我が兄の姿がパッと脳裏に浮かんできた。お兄ちゃんも料理が出来るけど、それってつまり、ユウくんのように……
ちゃんとお手伝いしてたのかな。あたしと違って。
「どうしたの雛ちゃん、元気ないね。奥の方、上手く焼けてなかった?」
「違うの。ハンバーグの出来栄えは素晴らしいの。そうじゃなくてあたしが……全然だめだなぁって思て……。今日も最初は1人で作るつもりでいたのに、結局たいしたこと出来なかったし」
「慣れてないうちはそんなもんだよ。僕なんてレタスを初めて洗った時は、台所用洗剤使っちゃったからね」
ええっ!
ユウくんでも最初はそんな失敗してたんだ。
それであたしに、『洗剤なんて使わなくていい』なんて言ってきたのかぁ。
「あれは幼稚園の頃だったかなぁ……母さんもよほどビックリしたのか、今でもたまにその話持ち出されちゃうんだよね」
いい加減忘れて欲しいんだけど、なんて言いながら恥ずかしそうに首の後ろを掻いているけれど……ユウくん。あたし高校生だから。
幼稚園児の失敗談であたしを慰めようとしないで……!
「まぁ、僕ほどじゃないだろうけど、誰でも最初は上手く行かないんじゃないかな。雛ちゃんは僕の料理を褒めてくれたけど、僕だって失敗を重ねて今に至るわけで、だから雛ちゃんもこれから色々覚えていけばいいと思うんだ」
柔らかな笑みを浮かべた彼を見て、あたしの胸がドキリと鳴った。
ユウくん……。
高校生にもなって何も出来ないあたしに対して、呆れるでもなく、嫌味を言う訳でもなく、優しく包みこんでくれるなんて……。
ああっ、大好き!
彼の温かさにじわじわと胸が熱くなってくる。身体の前で両手を組みながら、あたしは感動で潤みきった瞳を彼に向けた。
「あたしもそのうち、美味しいハンバーグが作れるようになれるかな?」
「何度も何度も練習すれば…………お、おそらくは」
「いっぱい練習すれば、ユウくんみたいに料理上手になれるかな?」
「僕程度でいいのなら、年月を重ねて行けば…………たぶん、遠い未来には……」
なぜだろう。ユウくんの笑みがどんどんぎこちなくなってきた。
「ねえユウくん。あたしに今度お料理教えてよ」
「えっ……」
「お願い! お母さんもお兄ちゃんも、あたしが台所に近寄ろうとすると嫌な顔するの。ユウくんだけが頼りなの」
ごくりと喉を鳴らして、ユウくんがぐっと拳を握り締めた。
「……分かった。雛ちゃんに少しずつ料理を教えてみるよ。確かに、将来を考えるとこのままでは危ういしな……。僕達の明るい未来のためにも、例えゆで卵一つでもいい、食べられるものを作れるように一緒に頑張ろう!」
料理を教わるだけなのに大げさだなぁ。
ユウくんはいやに真剣な眼差しで、あたしを見つめるのだった。
◆ ◇
「あ、もうこんな時間」
夕飯を食べ、後片付けをした後、テーブルの上にパソコンを広げて、あたしはユウくんと一緒に動画を見て楽しんでいた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていくようだ。愉快な映像を見て、ケラケラと笑い転げていたけれど、ふっとチェストの上に目を遣ると想像以上に時間が経っていた。もう後10分ほどで9時になる。
マウスで動画を一旦止めて、ぴょんと立ち上がる。
「そろそろ、お風呂いれてくるねー」
「ああうん。………ん?」
浴室に向かおうとしたあたしの腕を、ユウくんがパッと掴んだ。
「ちょっと待って雛ちゃん、お……お風呂入るの?」
「入るよ? だってお泊りするんだから。ご飯の次は、普通お風呂だよね?」
「え、でも、まだ昼の……」
「夜の9時だしっ!」
あたしはふんっと鼻を鳴らした。
そりゃ、ほんとは昼かもしれないけどさ。お泊りごっこの設定としては、今は夜の9時なんだもん。
ユウくんが困惑した様子であたしをじっと見つめている。ユウくんは恐らくあたしを舐めていたのだ。あたしの言う「お泊りごっこ」というやつが、ちびっ子のごっこ遊びのようなものだと思っていたに違いない。
「あのねユウくん、あたしだってもう高校生なんだよ。もう、子供じゃないの」
ふふん。そんな訳ないじゃない。あたし達、いい年をした大人なんだから。そんな、上っ面だけ真似るような子供のお遊びで満足していてどうするの。どうせやるなら大人らしく、遊びも本格的にやらなくちゃ。
だってほんとはお泊りしたかったんだもん。それが叶わないから、「ごっこ」でお茶を濁している訳で……泊まる以外は、ほんとのお泊りとそっくりそのままなぞってやるとあたしは最初から決めていたのだ。
今日はね。一緒にご飯食べて、動画見て楽しんで、お風呂入って、星空はさすがに諦めざるを得ないけど、あとは布団の上でだらだらお喋りをして、寝るの。これぞお泊りってやつだよね!?
まあ。タイムリミットの関係上、次の日の朝までは演出できないだろうけど……
「……雛ちゃん。その気もないのに、さらっとすごいこと言うの止めようね」
「ふん。ユウくんと違って、あたしはやる気なんだから」
「ちょっ……ほんとそういう事言わないで欲しいんだけど……」
ユウくんの顔をジッと見据えると、たまらないと言った様子でぱっと視線を逸らされた。掴んでいた手が離れ、あたしの腕が自由になる。
「大丈夫、あたし下着の替えもちゃんと持ってきたんだよ?」
それどころかパジャマも、明日の朝の着替えまで持ってきたんだよ?
ふっふっふ。準備万端、すごいでしょ。
「そっ、そういう意味じゃないってちゃんと分かっているけどさあ……ほんと、その言い方って反則だからねっ!?」
手を腰に当てて得意気にしていたら、今度は顔を逸らされた。明らかに狼狽えた様子で、ユウくんが意味の分からない事を叫んでいる。その横顔は、なぜか耳まで赤い。
「あ、そうそう。あたし時間かかると思うから、お風呂沸いたらユウくんお先にどうぞ」
「はあ、やっぱり入る気なんだ……。いやいいよ、そんなに入りたいなら、もう後でも先でも好きなように入りなよ。大丈夫、誘ってる訳じゃないってことくらい、僕はちゃんと理解してるから」
溜息をつきながら改めてこちらを向いたユウくんの顔は、どこか寂しげなものだった。
―――え、もしかして一緒に入りたいの?
ちなみに水着も持ってきてるから、一緒に入れなくもないけど……さすがにそれはちょっと……ううんちょっとどころじゃなくて、かなり恥ずかしいかも……
ちらりと想像して、ドキドキと心臓が音を立てだした。不思議。おんなじ水着でも、プールや海なら平気なのに、場所が違うだけでこんなに緊張するなんて。
水着で入るんだし、スパって思えば平気かな?
でもこういうトコの浴室って狭いし。普段は裸で入るような場所だし、なんか、変に意識しちゃいそう。湯船も狭いだろうから、一緒に入ると、ぴったりくっついちゃうだろし……
思案しながら、ユウくんの顔をチラチラと見ては逸らしを繰り返していると、彼の瞳に切ない影が落ちている事に気付く。
そ……そんなに一緒に入りたいの?
そりゃあたしだって、大好きなユウくんの喜ぶ顔が見てみたい。そもそも、夕飯を作ろうと思ったのだって、ユウくんに喜んで欲しかったからで……。あたしが彼にネックレスを貰って嬉しかったように、ユウくんにも嬉しそうにして欲しかったのだ。
ようし。これは、あたしも腹を括らなきゃ……
「一緒に入る?」
「…………っ!」
「背中流してあげよっか」
「~~~~~~~~っっっ!」
かなり勇気を振り絞ってみたのに。
喜ぶどころか声にならない声をあげ、ユウくんがくるりとあたしに背を向けた。
「ぼっ、僕に構わず先に入って来なよ……僕はその…………ベランダで、涼んでるからっ!」
へっ? ベランダ?
お風呂、一緒に入りたいんじゃなかったの?
ユウくんがダッシュでベランダへ向かっていく。
取り残されたあたしは、拍子抜けた心地で浴室へと向かうのだった。