4 お泊りが、したいです
お泊りが、したいです。
希望を聞かれたから答えたのに。ユウくんは困ったように眉を寄せ、やんわりとあたしの提案を却下した。
「そうじゃなくてさ。どこか行きたい場所とか、やりたい事とか聞きたいんだけど」
日曜日の夕方、デートの終わり際。別れを惜しむあたしを慰めるように、「来週は雛ちゃんの好きなように過ごそうね」なんて、彼が笑みながら言ってくれたから。
あたしはウキウキしながら、やってみたい事ナンバーワンの過ごし方を告げてみたのに……。
「だから。ユウくんのおうちにいって、お泊りが、したいです」
「……おばさんが心配するから、お泊りはダメだよ」
お決まりの言葉を口にして、ユウくんが咎めるような視線をあたしに向けた。
……くぅ!
おばさんが、おばさんが、って、ほんと最近そればっか!
あたしはむくれながら、ユウくんの服の裾をギュッと掴み、ブラブラと左右に軽く引っ張った。そんなあたしの頭を、ユウくんがなだめるように撫でだした。
あ、誤魔化す気だ。
あたしが頭なでなでに弱い事を、ユウくんはちゃんと分っている。だからあたしの機嫌が悪くなると、彼はこうしてあたしの頭を撫でようとするのだ。
ふん。
だって、ユウくんの大きな手のひらで頭撫でられると、なんか気持ちいいんだもん。
撫で方、すっごく優しいし。
温かな彼の手に、愛おしそうに撫でられて、満たされて胸がいっぱいになってくる。あたしのささくれ立った心が、どんどん落ち着いてきちゃう……
……くぅ。
ユウくんのなでなで攻撃が止まらない。だめだ、絆されちゃう。むすっとした顔が緩んじゃう。
つくづくあたしはこの手に弱いなぁ……。
「ユウくんと一緒なら、お母さん心配なんてしないし……」
「そんなわけないよ、絶対心配させるって」
ピシャリと彼が言い放つ。
あたしの頬が再び膨れ上がってきた。ああ、まただ。付き合うようになってから、ユウくんはずっとこの調子なのだ。
「おばさんが心配するから」ってのが、すっかり彼の口癖になってしまっている。
「おばさんが心配するから」デートは夕方までだし。「おばさんが心配するから」金曜の夜は待たなくていいって言うし。お泊りだって……「おばさんが心配するから」ダメ、なんて言っちゃうし……。
あたしたち、兄と妹じゃなくて彼氏と彼女なんだよね?
なんかユウくん……あたしの保護者みたくなってない!?
「じゃあ、あたしお母さんに聞いてみるね! 来週ユウくんちにお泊りしてもいい?って。それでオッケーして貰えたらいいんでしょ? ユウくんの言う通り『心配』なら、ダメって言うだろうし……」
「お願いだからやめてくれ」
ええ……
お伺いを立てる事すら禁止なの!?
納得できない。不満気なあたしに、ユウくんは大きなため息をついた。
「はぁ。……雛ちゃん。お泊りって、意味分かってる?」
「そんなことぐらい知ってるもん」
あたしは不貞腐れながら、斜め上を見上げた。
お泊りの意味なんて、言われなくても知っている。
というか、やったことあるしね。お泊り会。
あれは中学3年の冬休み。仲の良い友達が3人ほど、あたしのおうちに泊まりに来たのだ。
楽しかった。それはもう、楽しかった。
夕飯は2種類のピザを注文して、みんなでわけっこして食べた。その後は、あたしの部屋でガールズトークに花を咲かせながら、順番にお風呂に入っていく。ドライヤーで髪を乾かしながら、誰それと誰それが付き合い始めただとか、バレンタインのチョコをどうしようだとか、乙女な話題で盛り上がりまくった。
ひとしきり喋った後は、面白い動画をみんなで見て笑い転げたり、ふざけ合ってハグ合戦からの宝塚ごっこもどきが始まったりして、ひたすら騒ぎ合っていて……
そうして疲れた頃に、そうっと屋根の上に登って、あたしたちは星空を見上げた。冬の夜空はとても綺麗で、みんなで吐息を漏らしてた。
そろそろ寝なさい、と母親にたしなめられて電気を消したのが0時過ぎ。だけどみんな興奮しているのか、中々眠れなくって。布団の中に潜り込みながら、いつまでもひそひそと喋り合っていた。
その後、みんなとは高校が離れて、あまり連絡しなくなっちゃったけど……あたしの中ではあの時に見上げた星空のように、キラキラとした素敵な思い出となっている。
だから。
その楽しい楽しいお泊りを、ユウくんともしてみたいんだけど……
「そ、それはさ。雛ちゃんは……そのつもりってこと?」
「だから最初から、そのつもりなんだってば!」
ねだるような瞳を彼に向けると、ユウくんは軽く息を飲み、あたしからおもむろに視線を逸らした。彼の手のひらが、きゅっときつく握り締められている。
とことん、あたしのお泊りには反対のようだ。ほんのりと頬を赤らめながら、「いやでもダメだろ……」なんてブツブツ呟いている。
なんでダメなのよ。どうしてまだ早いのよ。
あたし、知ってるんだから。
あたしの友達がうちに泊まりに来た日、お兄ちゃんは家にいなかった。友達が、妙にがっかりしていたのを覚えてる。
恐らく兄は、女子中学生3人の来襲に恐れをなして逃げたのだろう。兄は当日の夜、ユウくんの家にお泊りに行っていた。なんて羨ましいの……!
あの時からずっとあたしは、ユウくんとお泊りがしてみたかった。
なのになのに。ユウくんは大きく頭を振っている。
ため息が漏れる。こんなにあたしは、ユウくんとお泊りがしたいのに。屋根の上に登って、2人で星空を眺めたいのに。
ユウくんはあたしとのお泊りを渋っている。
お兄ちゃんとはしたくせに。
「ねえ。ユウくんはあたしとは嫌なの?」
「い、嫌じゃない……けど、ほら、雛ちゃんまだ高校生だし……色々覚悟がいるっていうか……」
「ん? 覚悟?」
お泊りに覚悟なんていったっけ?
もしかして、屋根の上に登るのが怖いの?
「大丈夫だよ。瓦って意外と足場が安定してて、歩きやすいから」
「は?」
「えっ?」
ユウくんを安心させるように、ドンと胸を叩いて見せたのに。
なに、その、訝しげな表情は。
「分かった。なにも分かっていない事が分かった」
何かを吹っ切れたような爽やかな笑みを浮かべて、ユウくんがあたしに手を振った。
「じゃ、また来週会おうね」
ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ~~~!
「やだっ、お泊りしたい! ユウくんと一緒に夕飯食べて、お布団の中でだらだらお喋りとかしたい! 一緒に動画見て騒いだり、屋根の上に登って星空見上げてうっとりしたい!」
「お喋りなら喫茶店でしようか。動画なんて泊まらなくても見れるよね。あぁ、深夜に騒ぐのは迷惑になるからダメだよ。屋根の上なんて言語道断だからね」
「星っ! お星さまは夜じゃないと見れないよっ!」
「それじゃあ来週は、プラネタリウムにでも行こうか」
強固な意志を感じさせられるスマイルを浮かべながら。
ユウくんがあたしの両肩に手をかけて、トントンとリズムよくあたしを家の中へと押し込んだ。
◆ ◇
「~~~なんて事があったの。どう思う?サエ。ちょっと酷いと思わない?」
『雛のカレ、本当に大人よね』
「お泊りを楽しいと思うのは、あたしが子どもだからなの?」
『雛ももう少し大人になりなよ。そのうち愛想つかされちゃうわよ』
「やだ、サエったら。お母さんみたいな事言わないで……!」
この日もあたしはサエに愚痴を零してみたけれど。
この日もやっぱり、サエはユウくんの味方しかしないのだった。
屋根の上は危険なので、登ってはいけません……