3 ちょっぴり不満な雛ちゃん
ちゅーも出来なかった。
ユウくんとのデートを終え、家に帰ったあたしは、ふてくされながらリビングのドアを開けた。中には夕食の準備をする母と、相も変わらずソファで寛いでいる兄がいる。
あたしの姿を見て、なぜか母が眉をひそめた。
「あら。雛、もしかして夕飯おうちで食べるの?」
「食べるけど?」
「ええ……。デートって聞いてたから、てっきり晩御飯いらないと思ってたのに……。どうしよう、お魚の数が足りないわ」
ええっ!?
あたしが遅くなって心配どころか、夕食の数に入っていないんだけど!
「じゃあ、ユウくんと食べに行ってくるねー!」
「はいはい、行ってらっしゃーい」
母が笑顔であたしに手を振った。
うん。お母さん、何も心配していないよね。あたし知ってるもん。昔から、ユウくんさえいれば、お母さんはあたしの心配なんてこれっぽっちもしないってこと。
むしろ、一緒に居る方が安心している気さえする……!
スキップしながら隣の家に向かう。
チャイムを押すと、ユウくんのおばさんが扉を開けた。
「あら、雛ちゃん。侑呼んでくるわね」
「はい、お願いします……」
おばさんの顔を見て、ほんのり頬が赤らんでしまう。
先週の日曜日。
ユウくんと付き合うようになった翌日の、デートの後。家の中に入ろうとしたら、ユウくんまであたしの後からついて来た。
「んっ? あたしの部屋に来てくれるの?」
「いや。おじさんとおばさんがいるみたいだし、挨拶しておこうかと思って」
まだ夕方だし。あたしの部屋にちょっとだけ、寄り道してくれるのかな……なんて期待していたのに。予想とまるで違う答えに変な声が出た。
「へっ? なんで?」
「隠したってどうせすぐにバレるんだから。それなら初めから言っておいた方が、おじさんもおばさんも安心してくれるでしょ」
そう言って、ユウくんがにこりと笑顔をあたしに向けた。
3秒だけためらって、あたしは薄く頷いた。
ああ、こういうところ。やっぱりユウくんは、あたしより3つも上なんだなって実感する。
ユウくんに言われるまで、親に報告しようだなんてあたしは思いもしなかった。
だって恥ずかしいし。なんて言ったらいいのか分かんないし。からかわれたら嫌だし。心配されてもうっとおしいんだもん……。
あたしは当たり前のように、黙っているつもりでいた。
でも、ユウくんはちゃんと先のことを考えている。
目先のことしか考えていないあたしと違って、彼は大人なのだ。相手の親に交際宣言をするなんて、いくら子供の頃から見知ったあたしの親相手とはいえ、進んでしたいことではないだろう。見知っている分、逆に気まずいはず。
それなのに、ユウくんは真っ直ぐにリビングへと向かっていく。目の前にある彼の背中が、昼間見た時よりもずっとずっと頼もしく、かっこよく見えた。
ああ、抱きついちゃいたい!
両親に挨拶をした彼は、文句なしにカッコよかった。父と母には小馬鹿にされて腹が立ったけど、あっさりと交際が認められて、そこは取り敢えずホッとした。
まぁ、予想はしていたけどね。お母さんったら、昔っからあたしよりもユウくんを信用していたくらいだし。ところで馬鹿な娘って何なのよ。導くってどういうことよ。ほんっと、お父さんもお母さんも、あたしを不出来な娘だと思いこんでるんだから……!
「お付き合いしているのが侑くんで、ほんと安心だわー」
って。ユウくんをあたしの保護者かなんかと勘違いしている節がある。
その後、なんとなく子供扱いされたようで腹の立ったあたしは、そのままユウくんのおうちまで行き、今度はあたしの方から、彼のおじさんとおばさんに交際宣言をしておいた。
さすがユウくんの両親だ。つっかえながら話をするあたしを馬鹿にせず、からかわず、優しい眼差しで見守ってくれる。あたしの親よりもずっと優しい態度に、じわじわと温かいものが込み上げてきた。
「雛ちゃんに内緒で引っ越しするなんて、てっきり侑が振られちゃったんだと思ってたわ」
「こんなに可愛い子と付き合えるなんて、侑は幸せ者だな」
なんて言われちゃった。ふふっ。
しかし。
この前は勢いで宣言して、スッキリして帰って行ったけれど。
改めておばさんの前に出ると、ちょっと照れちゃうな。
もじもじしていると、おばさんに呼ばれてユウくんがやってきた。
「あれ、雛ちゃんどうしたの?」
「あ、ユウくんっ! ねえねえ、ご飯食べに行こうよっ!」
「ええ、ダメだよ。おばさん心配するよ?」
「へーきへーき。全然心配いらないから。大丈夫、お母さんにはちゃんと、ユウくんと食べに行くって言ってきたし」
「うーん……」
ユウくんは浮かない顔をしている。
大学の側で一人暮らしをしている彼とこうして会えるのは、週末だけなのだ。だからあたしは、ちょっとでもたくさん一緒にいたいのに……。
ユウくんはそうじゃないの?
あたしと一緒に、ご飯食べたくないの?
金曜の夜、待ちきれなくて家の前で待ち構えていたら、待たなくていいって言われたし。
こっちに戻ってきて欲しいのに、向こうに住み続けるつもりっぽいし。
せっかくのデートなのに寝坊するし。デートしても、夕方にはさっさと帰ろうとするし。
なんかさ。あたしと比べて愛、少なくない?
むーっとしていると、おばさんが夕食に誘ってくれた。「蕗子さんにも言っとくわ」とあたしの家に電話をかけ、それを見てようやくユウくんの態度が軟化した。
ユウくんがあたしの手を引いて、リビングに2人で入る。おじさんがあたしの姿を見て、お、と声を漏らした。おじさんの視線に、繋いだ手にじんわりと熱を感じて、頬が熱くなる。公認のカップルになったんだという事実に、言いようもない恥ずかしさが込み上げてきた。
あー。ほんとにあたし、ユウくんの彼女になっちゃったんだなぁ。
照れくさいけれど、嬉しい。2人ともあたしを歓迎してくれているのが分かって、余計に嬉しい。昔から、ユウくんに懐いてべったりのあたしを咎めることなく、優しい目で見てくれていた2人は、関係の変化したあたしのことも、当たり前のように温かく受け入れてくれたのだ。
ちらりと隣の彼を見上げる。
ユウくんも、ほんのりと照れ臭そうにうつむいていた。
頂いたシチューもポカポカと温かくて。
2人きりじゃないのはちょっぴり残念だったけど、あたしは幸せな夕食にありつくことが出来たのだった。
◆ ◇
「――――でもさあ。ちょっと素っ気ないと思わない?」
『素っ気ないっていうか、雛の分まで大人よね』
あたしの愚痴に、淡々とした様子でサエが返してきた。呆れた表情をしているのが、手に取るように読めてくる。ふふん。あたし知ってるもん。こういう時って、なぜかみんなユウくんの味方なのよね。
「ご飯の後、ユウくんのお部屋に寄ってさぁ、ちょっとくらいベタベタしたかったのに……! 食べ終わったらさっさと家まで送ろうとするんだよ? ねえ、これってどう思う?」
『その距離で家まで送ろうとするなんて、雛ったらよっぽど愛されてるのね……』
「そうじゃなくてさ。愛しているなら、チューの一つくらいしてくれたっていいと思わない? あたし抱きつく暇もなく、サクッとおうちに返されちゃったんだよ!?」
あたしは不満だった。
だって、せっかく久しぶりに会ったのに。キスも抱擁も、ろくにしないままサヨナラされちゃったんだもん……。
キスかぁ。そういえば朝、ユウくんのお腹にしたっけ。
キスというか、こそばしたというか、だけど。
ユウくんは怒ってないって言ってたけど。あれは間違いなく怒っていたよね……。
今朝の遣り取りを思い出す。ユウくんが派手に笑い転げてくれたから。調子に乗って続けていたら、首筋に彼の指がつつつと這ってきた。くすぐったくて怯んだあたしを、ユウくんが布団の上に押し倒す。
―――やばい。仕返しされる!
あたしはすぐにピンときた。ユウくんの手があたしのニットを掴み、それは確信に変化した。さっきあたしがしたことを、彼はあたしにする気でいる。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう。自分からやっといてなんだけど……
あたし、くすぐったいのに弱いんだけど……!
ピンチだ!
ビクビクしているあたしのお腹に、彼の顔が近づいてくる。
でも、ユウくんはやっぱり大人だった。ギリギリまで近づいてから、ぱっと身を離してくれた。もうこんなことするんじゃないよ、と言外に言われている気がした。
ユウくんは、ごめんと謝りながら素早く支度をしてくれて、その後外に出たけれど……しばらく、むす~っと口元、引き結んでいたんだよね……。
うん。絶対絶対怒ってた。今朝のアレ、よっぽど嫌だったんだな。だからかな。素っ気なく今日のデートが終わったの。これは、あたしへのお仕置きのつもりなんだろうか……。
『はぁ、ものすごい愛を感じるわ……。彼、雛を手離す気なさそうじゃない。幸せそうで良かったわね』
「な、なんでそうなるの………」
ユウくんとの触れ合い不足で、たまりにたまった不満を電話口にぶつけてみたけれど。
現状のモヤモヤを口にすればするほど、なぜかサエは、ズレた反応をしてあたしを羨ましがるばかりだった。