46 僕とあたしと同じ好き
3度目の蹂躙を終えた後、か細い言葉が彼の口から漏れていた。
「ギ、ギブ……」
ユウくんは右手で口元を押さえながら、ずるずると力なく床に腰を落としていく。指の隙間から覗く彼の顔は、耳まで赤く熟れていた。
あたしも腰を屈め、ユウくんと目線を合わせた。
「やっと分かってくれた?」
「…………夢じゃないよね?」
「うわ、まだそんな事言うんだ!」
「ぶっ!」
この期に及んでまだ、疑おうとするなんて……。
ムッとして、彼の頭を力いっぱい抱きしめた。柔らかな髪が鼻にふわりと触れて、ユウくんの匂いが胸いっぱいに広がっていく。
どくどくどくどく……。
彼に触れて、鼓動が速い。伝われ、伝われ。この音があたしの真実だ。
「ねえ、聞こえる? すっごいドキドキしてるでしょ」
「え、あ、うん、してる………ドキドキしてる…………」
「分かってる? これってユウくんのせいなんだから」
「分かった、分かったから放して……っ!」
「もう、放してって、そればっかり言う――――」
彼が抵抗をし始めたので、あたしは不本意ながら身を離した。分かって貰えたなら、まあいいや。なんだか歯切れの悪い返事だけれど。
あたしの腕の中から逃れて、ユウくんは荒く息を吐いてうつむいた。長い前髪が垂れて、彼の顔を覆い隠してしまう。
まるで、あたしから逃れるように。
「覚悟してね?」
ユウくんの頬に手を当てて、自分の方にぐりっと向けた。
―――逃がさないよ?
想いを伝えて、それで終わりなんかじゃない。
むしろこれからが本番だ。彼女の座を手に入れるために、あたしは彼に向かって手を伸ばす。
ユウくんと一緒にいたいから。
隣で笑っていたいから。
後悔する暇もないくらい、押して、押して、押しまくってやる……!
「ユウくんが逃げても、こうして追いかけるんだから。もう一度好きになってくれるまで、あたし、しつこくアタックするからね!」
「………、追いかけなくていいよ」
肩を軽くすくめて、ユウくんがくすりと笑った。
「僕の気持ちはずっと―――――変わっていないんだから」
春の陽だまりのような柔らかい笑顔に、どきりとしてあたしの顔が動きを止めた。そのまま真っ直ぐに見つめられて、とくとくと胸だけが忙しなく動きを速めてる。
あたしがずっと求めていたもの。
ユウくんの笑顔。
それが今、再びあたしに向けられている……
「そ、それって、もしかしてまだ、あたしのこと」
「好きだよ。離れてみたけど全然忘れられないよ。好きだから泣かせたくないのに…………触れたくてたまんない…………」
「ふ、触れてくれないと泣いちゃう!」
パッと、彼の瞳に熱が灯って。
あたしの手の甲に、大きな手のひらが覆い被さってきた。そのままゆっくりと、熱い吐息が感じられる距離にまで、彼の顔があたしに近づいてきた。
「もう――――そんな事言われたら、止まれなくなっちゃうよ?」
止まらなくていいよ。
目を閉じると柔らかいものが唇に触れた。ユウくんの温もりを感じて、眉が切なくキュッと寄る。
形勢逆転。甘くて激しい、4度目のキスにすっかり飲み込まれて、今度はあたしのほっぺたが、食べごろの苺のように真っ赤に染められてしまうのだった。
◆ ◇
「ユウくん、朝だよ! おーきーてー!」
約束の時間まであと10分。あたしは、半ば呆れながら、布団の上で気持ちよさそうに眠る彼の頬をつんつんとつついてみた。
「ん~~……」
くぐもった声を出しながら、ユウくんはくすぐったそうに頬を斜め上に逸らした。眼鏡を外した彼の寝顔はただでさえ普段よりも幼く見えて、なおかつ、そんな可愛い仕草をするものだから……
ちょっとだけ、いたずらしたくなってきた。
そろりと手を伸ばし、長い前髪を掻き上げる。露わになった額に、そっと唇を押し当てた。
ふふっ。
顔がにやけてくる。今度は頬に口づけてみた。肌の弾力を心地よく感じながら3度キスをして、すりすりと頬をすりよせた。
ユウくんがあたしの側にいる。こうして肌を寄せている。あ~幸せ!
あの後、2人でいっぱいキスをした。
キスとキスの合間に、付き合ってくれる?と囁かれていて、あたしは夢心地のまま首を縦に振っていた。
彼が嬉しそうな顔をして、あたしをギュッと抱きしめる。胸がいっぱいになってきて、気付けば涙が零れてた。
あたしはユウくんの彼女になれたのだ。
ああ、諦めてしまわなくて本当に良かった。
今更だとか、無理だとか、そんな言葉で後ろを向いてあのままジッとしていたら、こんな未来はあたしにはやって来なかった。
ぐずぐずと泣き出すあたしの頭を、優しく撫でる手のひらがある。
この温かい手は、もうあたしのものなんだ。
あたしを慰める彼の声に焦りが混じり始めたので、嬉し泣きだからね!と慌てて弁明しておいた。
あまりにも嬉しくて、いつまでも彼の側に居たくって、泊まろうとしたらそこはサクッと拒否された。おばさんが心配するから帰ろうね、って、あたしはもっと一緒に居たいのに。
僕もだよと言ったあと、あたしを駅ではなく家まで送り届けてくれたから、渋々納得したけれど。
そんな訳で、彼は今、殺風景な実家の部屋ですぅすぅと気持ちよさそうに眠っている。今日は1日こちらで過ごし、月曜の朝、ここから直接学校に通うそうだ。
ちなみに今日はデートの約束をしている。10分後に出発の予定なんだけど、なに、この、デジャヴ感……。
まあ、こうしておうちでベタベタしているのも悪くないけどさ。一緒に居られるならどこでもいいんだし……。
「ひゃっ!」
頬を寄せたままジッとしていると、あたしの背中に二本の腕が絡みついてきた。びっくりして顔を離す。
「雛ちゃん……」
眠そうな声をあげて、腕の主があたしの首元に顔をぐりぐりと押し付けてきた。くすぐったくて、おかしな声が漏れそうになる。
「ねえ、放して!」
「いやだ」
わ、わ、わ!
逃げようとしたあたしを、ユウくんは楽しそうに布団の中に引きこんだ。熱もるキスが、あちらこちらに降ってくる。
それからきっかり1時間ほど寝坊して、彼はようやく目を覚ましてくれるのだった。
◆ ◇
「あれ、雛ちゃんと……葉山さん!?」
支度をして街に出ると、知ってる人に出くわした。
相良先輩だ。
あたしとユウくんを見て驚いている。
「葉山さん引っ越ししたんじゃ……。こんなところでどうしたの?」
ちなみに昨日の夜、ユウくんと別れて自宅に戻った後、サエと心奈の2人には事の経緯を伝えておいた。あたしと入れ違いに兄が隣の家に行ったので、そっちはユウくんから話を聞いたはず。
何も知らない先輩は、首を傾げてあたしの側に近寄った。
「休日だけこっちに戻ることにしたんだ。彼女に会いに」
そう言って、ユウくんはあたしの肩を抱き寄せた。
「今、デート中なんだよ。僕達、付き合ってるんだ」
「え、え……?」
「だから相良くん、今後一切、雛ちゃんにちょっかい出さないでね。君は諦めたくないだろうけど、僕だって彼女を譲る気はないから」
ひゃあ――!
ユウくんが先輩に鋭い視線を投げかけた。先輩に牽制する彼の姿がかっこよくて、じ~んと感動してしまう。
ユウくんが、付き合ってるって言ってくれた。
先輩に、あたしを譲る気はないって、はっきり宣言してくれた……!
先輩は、彼とあたしを交互に見比べて、ぽかりと口を開けている。
「付き合ってるって……雛ちゃん、ほんと?」
「う、うん」
うう……照れる……。
付き合ってる、って改めてユウくんの口から言われると、こう、くるものがあるなぁ……。
「そっか……分かったよ」
「え?」
「雛ちゃんの事は諦めるよ」
「ええええええ!?」
あのしつこい先輩が! とことん前向きな先輩が!
あたしのこと諦めてくれるの……!?
驚いて目を見開いて、上から下までまじまじと先輩を見回した。そんなあたしに、先輩が心外そうな顔をした。
「どうしたの? 諦めて欲しくないの?」
「ううん、今すぐ諦めて欲しいけど、ちょっと、びっくりしちゃって……」
「やだなぁ。俺さすがに、カップル壊してまで手に入れようとは思ってないよ」
「うそ、女の子と付き合っても諦めないって言ったのに!」
「そりゃ、相手が女の子じゃね、納得できないからね。でも……」
先輩が悔しそうな顔をして、ちらりとユウくんに目をやった。
「相思相愛じゃあね……」
ユウくんの頬にさっと赤みがさす。抱かれていた肩の手にキュっと力が込められて、あたしも釣られて真っ赤に染まる。
「は~、葉山さんがいなくなったから、上手く行くかと思ったんだけどなぁ。残念」
「え?」
「雛ちゃん葉山さんのこと、結構前から好きだったでしょ。そのまま気付いてくれなければ良かったのになぁ」
「えええええええ!?」
衝撃に次ぐ衝撃だ。
サエだけじゃなくて相良先輩も、あたしの気持ちに気付いてたんだ……
「驚くこと無いでしょ。これでも雛ちゃんのこと、ずっと見てたからね。すごい残念だけど……まぁ、しょうがないかぁ。はぁ、良かったね」
「…………ありがとう」
「じゃね! 俺もう行くよ。お幸せに」
先輩は笑って手を振り、あたし達に背を向けた。
小さくなっていく後ろ姿を眺めながら、ハッとした。
「ねぇ、ユウくん。そういえばあたし達の事、先輩に言ってよかったの?」
「なんで? むしろはっきり宣言しておいた方がいいかなと」
「だってだって! ユウくんがお兄ちゃんと付き合っていないって事、バレちゃったよ……?」
そうだ。先輩にはほんとのこと、言っちゃダメなんじゃなかったの?
焦るあたしに、ユウくんがにっこりと微笑んだ。
「ああ、それなら麟が、もういいって」
「そうなんだ。良かった、もう大丈夫なんだね!」
「侑は幸せになれよ、って笑ってたよ」
ユウくんが笑顔のまま固まった。しばらくしてから、急に心細そうに首を傾げた。
「大丈夫……なのかな?『今まで迷惑をかけて済まなかったな、俺は覚悟を決めた』なんて、清々しい笑顔で言ってたけど……」
「…………それって……」
ユウくんと顔を見合わせた。
ひんやりとした風が一筋吹き抜ける。頑張れ、お兄ちゃん。諦めずに頑張れば、素敵な未来が待っている……はず!
あたしはそっと祈りを捧げながら、澄み渡る秋の空を彼と見上げた。
「大丈夫だよ、だってあたしのお兄ちゃんだもん」
「かなぁ……?」
「それより! デートの続き、しよ?」
「うん……」
ユウくんが浮かない顔して頷いた。
んもう! まだお兄ちゃんの事考えてるな!
あたしといるのに………!
「それとも嫌なの? 今日も寝坊したけれど、あたしとのデートは楽しみじゃない?」
「そっ、そんなことないよ! その、昨夜はさ、布団に入っても色々と思い出しちゃって全然寝付けなくて……て、雛ちゃんはちゃんと眠れたの?」
「眠れたよ? ユウくんと仲直りできて、スッキリしてぐっすり眠れたよ!」
「……なんだよ、それ」
ほんと雛ちゃんは、と苦笑して、彼があたしの頭をくしゃりと撫でた。
あたしは目を細めて彼を見て、ちょっぴり頬を赤らめた。
ぎゅっと手を繋ぐ。2人で、くすりと笑い合う。
店の並ぶ通りを歩いた。ガラス窓にぼんやりと映るあたし達の姿は、幸せそうなカップルにしか見えなくて………
「ユウくん、大好き」
「僕もだよ」
絡まる視線が、熱を持つ。
あたしの好きは、彼の好きと―――――ようやくぴったり重なった。