44 再会
あたしの読み通り、兄はユウにぃの家の場所を知っていた。
というか、物件選びの相談から引っ越しの手伝いまでしていたらしい。なにそれ。知っていたならあたしにこっそり教えてよ……。
「あのなあ。あいつが何も言わないのに、俺の口から言える訳ないだろ? そんな恨みがましい目で睨むなよ」
「だって……」
あの後、次の土日は空けておけ、とのお言葉を兄から頂いた。
あたしの熱意が伝わったのだ。嬉しくて、あたしは速攻ファミレスまでダッシュした。休日はいつもバイトで埋まっている。もちろん、次の土日も既にシフトが組まれている。急な休みが取れるのか、不安だけど、とにかく掛け合ってみるしかない。
幸い、吉野さんが協力してくれて、あたしは無事、休みをもぎ取る事に成功した。
そんな訳で――――
「ねね、この格好どう? おかしくない? 可愛く見える?」
今日は、ユウにぃに会いに行く。
「うるさい、黙れ、置いてくぞ」
「やだ、待って!」
乙女の悩みを冷ややかに切り捨てて、兄がさっさと玄関先へ向かって行った。
ほんっと女心の分からない鬼なんだから。
一言、可愛いよって言ってくれたらいいだけなのに!
玄関の扉を開けると、爽やかな外の空気が頬に触れてきた。今日は絶好のお出かけ日和だ。ユウにぃと再会するのにバッチリな、いいお天気だ!
兄がスタスタと、自分のペースで駅に向かって歩いていく。ただでさえ足の長さが違うのに、歩くスピードまで早いものだから、小走りにならないと追いつけない。
ユウにぃならあたしのペースに合わせてくれるのになぁ。ほんと、お兄ちゃんは意地悪なんだから。
――――でも。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
鬼だけど。意地悪だけど。
態度は冷ややかだし、腹の立つことしか言わないし、まったく気遣ってはくれないけれど。
それでも――――
ユウにぃほど優しくはないけれど。
兄は、兄なりにあたしに優しかったのだ。あたしがずっと、ユウにぃの優しさにばかり目を奪われて、気づいていなかっただけで……
相良先輩に絡まれていた時も。宿題の山に囲まれて途方に暮れていた時も。
そして今だって――――
本当に困っている時には、こうして、ちゃんと助けてくれている。
「――――言っとくけど、雛の為じゃないからな」
「そんなこと言っちゃってー、可愛い妹の為にこうして案内してくれるんだよね、ね?」
「侑の為に決まってるだろ。あいつには借りがあるからな」
思いっきり冷笑されたけど!
でも、でも、ユウにぃの為ならむしろ、あたしを連れて行かないはず……
「もしかして照れてるの? お兄ちゃんがあたしに冷たいのって、優しくして感謝されるのが恥ずかしいからとか?」
兄が凍てつく視線をあたしに向けた。
「おい、雛」
あっれー?
気のせいかな。お兄ちゃんの周囲から、とんでもない冷気をかんじるんだけど……
「お前を箱詰めして、宅配便で送り届けてやろうか?」
い、いやあああああああ!!!
前言撤回! やっぱり兄は鬼だった。
笑顔が超絶冷たいよ。まさか、本気!?
背筋を冷たいものが走る。あたしは慌ててへこへこと頭を下げ、必死で兄のご機嫌を取り、なんとか、電車で連れて行ってもらうのだった……。
◆ ◇
鬼兄の冷笑に2時間近くも耐えながら、あたし達はようやく、ユウにぃの住んでいる街の最寄り駅に到着した。
あまりにも嬉しくて、あたしは兄を放置して駆け出していた。弾む気持ちで改札口を通り抜け、駅の外に飛び出していく。
穏やかな陽の光があたしの身体に降りそそぐ。ああ、鬼と違って外の世界は温かい。ここがユウにぃの住んでいる街なんだ!
くるりと機嫌よく回転をして―――――あたしはすぐに気がついた。
――――ユウにぃがいる。
優しそうな顔つきをした黒い眼鏡の男の人。柔らかそうなこげ茶色の髪が、風で少し揺れている。
あたしのいる場所から、さほど離れていない場所に彼が立っていた。なぜか買い物袋を片手にぶら下げながら、駅の出入り口に向かって手を振っている。
どうして、とか。
どうしよう、とか。
考えるよりも先に、足が地面を蹴っていた。
「ユウにぃ、会いたかった……っ!」
目の前には、会いたくてたまらなかった人がいる。
身体が勝手に動いてる。あたしは無我夢中で彼に駆け寄って、胸の中に飛び込んでいた。あたしの勢いにぶつかって、少しぐらついたものの、倒れることなく彼の身体があたしの身体を受け止めた。
腕を回してくれないのがもどかしい。代わりに、あたしが彼の身体にぎゅっとしがみつく。何かが、どさりと落ちる音がした。
「…………え……雛、ちゃん?」
懐かしいユウにぃの声がする。そんなことですら感無量で、胸がいっぱいになってくる。
「久しぶり! ユウにぃがいなくなって、あたし寂しかったんだよ?」
「どうしてここに……」
ユウにぃの声が硬い。見上げると、長い前髪の奥から覗く瞳には、困惑の色がありありと浮かんでいる。
固まったまま動かない彼の様子に、へこみそうになってきた。分かっていたけどさ。あたしと会って、ユウにぃ、全然嬉しそうじゃない……
でも負けるもんか!
あたしはユウにぃに、想いを告げるた為にここまでやってきたんだ。
勇気を出して、言わないと―――!
「あたし、ユウにぃが好きなの!」
「え?」
「それがどうしても言いたくて、ここにきたの!」
……やっと、言えた。
口元が緩んでしまう。嬉しい。嬉しい。あたしは、ほんとはずっとユウにぃに、こうして『好き』って言いたかったんだ。
あたしの好きも、ユウにぃの好きと同じなら良かったのに。
こんなことを、心の何処かでずっとあたしは願っていたの。あたしも好きだよって答えて、彼に飛び込んでいけたらなって、ほんとうは、ずっとずっと思っていたの……
ユウにぃは眉を寄せ、あたしからそっと視線を逸らした。
「………知ってる。雛ちゃんが僕の事をどう思っているのかなんて、言われなくてもよく分かっているよ」
あたしの両肩にユウにぃの手がかかる。そのまま、彼はゆっくりとあたしの身体を押し返した。
「お兄さんとして好きなんだよね。そんなこと言いにわざわざ、ここまで来たの?」
「え、違う……」
「ごめん……もう一緒にはいられないんだよ。ほんとごめん……!」
「あ!」
ユウにぃがあたしから逃げるように走り去って行く。
とっさに追いかけようとしたものの、あたしの腕は、後ろからいつの間にか追いついていた、世にも恐ろしい形相の鬼に引き留められていた。
◆ ◇
「ユウにぃに、本気にして貰えなかった……」
「今までが今までだからな。自業自得だな」
道端に取り残されていたエコバッグを、兄が無表情で拾い上げた。
ユウにぃの落とし物だ。中には、鶏肉と玉ねぎ、油揚げに三つ葉が入っている。すごい。ちゃんと自炊してるんだ…………。
「どうして邪魔したのよ、お兄ちゃん。あたしユウにぃを追いかけて、分かってもらうまで頑張るつもりだったのに……」
「そう焦んなよ。追いかけっこなんて無駄なことしなくても、あいつの家行けばいいだろ。道端でこれ以上、恥を撒き散らすような真似すんな」
「ぐっ………!」
ほんと腹が立つ。ほんとのことを言われているだけに、腹が立つ……!
「ほら、面白い顔してないで、行くぞ」
ぐぐぐぐぐ。腹が立つけれどしょうがない。あたしは大人しく、兄の後をついて行くのだった……。
黙々と、兄の後をつけていくこと約10分。
あたし達は、小ぶりなアパートの前に到着した。
古びた2階建ての建物だ。横には等間隔で、玄関の扉が4つ並んでいる。エレベーターなんてものは当然のように備わっておらず、建物の横に備え付けられている鉄製の階段を登っていった。
「ここだ」
2階にあがり、階段側から数えて3つ目の扉の前で、兄の足がピタリと停止した。
表札は真っ白だ。アパートとはそういうものなのか、どの家にも何も書かれていなくって、まったく同じ見かけの扉がずらりと横に並んでいる。この中に、ほんとに、ユウにぃがいるの……?
ドキドキしながらチャイムを鳴らしてみたけれど、扉の奥は静まり返ったままだった。
「ユウにぃ、まだ帰ってきてないのかな?」
「どうだろな」
兄がポケットから携帯を取り出して、おもむろに電話を掛け始めた。程なくして、扉の向こうからコール音が聞こえてきた。
「やっぱりいるんじゃねーか、中に」
お兄ちゃん、ユウにぃにかけてるんだ……。
「あぁ、俺だ。すまんな。今、雛と一緒だ。そうだ、お前の家の前にいる」
ユウにぃ、この中にいるんだ。
いるのに出てきてくれないのは、あたしに会いたくないからか……
「知ってるから連れてきたんだよ」
心臓がズキリと痛みだす。
さっきのユウにぃの様子から、歓迎されていないと感じてはいたけどさ。ここまで、嫌がられていたなんて……。
「話聞いてやってくれ。それだけでいい。その後、侑がどうしても嫌だって言うのなら、遠慮なく追い出せばいいからさ」
お兄ちゃんがあたしの為に、ユウにぃに交渉してくれている。
ああ、撤回の撤回!
やっぱりお兄ちゃんは、ほんとうは優しかったんだ……。
でも、追い出されるのは、やだな。
「じゃあ、雛はここに置いてくな。俺もう帰るわ」
「えっ――――!?」
ユウにぃとの話は終えたのか、兄が携帯を耳から離し、ポケットにしまいこんだ。あたしの手に、中身の入ったエコバッグを押し付ける。
「え、お兄ちゃん、帰っちゃうの!?」
「案内は終えたんだ。これ以上、俺がここにいる必要ないだろ。あとは自分で何とかしろ」
「そんな………」
「感謝しろよ。じゃあな!」
兄は迷いもせず、あたしを置いて階段を降りて行った。
撤回の撤回の撤回! やっぱり優しくないし!
この扉だって、まだ閉まったままなんだよ?
このまま中に入れて貰えなかったら、あたし、どうしたらいいのっ!?
「おっ、お兄ちゃんの、意地悪―――――!!」
冷たい後ろ姿に向かって、あたしは大声で叫んでやった。
聞こえているだろうに、振り返ってすらくれない。兄は足取り早く去っていき、すぐに姿が見えなくなった。
あっさり見捨てられたし………
しばらく呆然としていると、背後で扉の開く音がした。