42 諦めたくなくて
「ねえねえ、雛ちゃん。駅前に新しく出来た喫茶店、一緒に行こうよ!」
6時間目の授業を終え、荷物をカバンに詰め込んでいると、耳の近くで聞き覚えのある声がした。顔をあげると、あたしの隣に相良先輩が立っていた。
いつの間に……。
かき氷のお詫びでクレープはご一緒したものの、その後は断固として誘いを断り続けている。それなのに、先輩は今日もキラキラな笑顔を浮かべ、あたしに声をかけてきた。
めげない人だなぁ。
「行きませんよ」
「苺のパフェが人気らしいよ。生クリームの上に大粒のイチゴがごろごろ転がっててさ、食べ応え抜群だって」
「行かないってば……」
クラスメイトから好奇の視線を感じる。いつものあれが始まった、なんて皆から思われていそうだ。2学期が始まってからというものの、先輩は頻繁にここにやって来る。そして、美味しそうなお店にあたしを連れて行こうとする。
苺のパフェか。今度、サエや心奈と行こうっと。
それにしても、先輩には羞恥心というものが存在しないんだろか。衆目に晒され、断るあたしですら恥ずかしいのに、先輩は平気な顔をしている。
「体重気にしてるの? 雛ちゃんなら大丈夫だよ」
「気にしてないしっ」
「じゃあ行こうか」
「やだ」
「それとも、もっと別の場所がいい?」
問題は場所じゃないからっ!
へらりとした笑みを浮かべる先輩を見て、あたしはふぅとため息をついた。こんなに毎日はっきりと断られているのに、しょげる様子はまるでない。
なぜだ。
『前みたいに、一緒には……いられないの?』
『……いられない』
あたしなんて、あの一言でしょげちゃったのに……。
「先輩ってすごいですね」
自嘲気味に呟くと、先輩の口元がゆるゆるに緩んだ。
「いやぁ、雛ちゃんに褒められると照れるなぁ」
「あたし、心の底から感心しています」
「まあね。自分で言うのもなんだけど、俺、3拍子揃っちゃってるからね。成績優秀だし、運動神経抜群だし、ルックスもいいし。結構すごいでしょ?」
それよりも、『めげない・前向き・楽天家』な所がすごすぎる……
薄い目で冷ややかに先輩を眺めていると、先輩があたしに手を差し出してきた。
あたしは両腕でカバンを抱いた。先輩を受け入れる自分なんてこれっぽっちも想像出来ない。自分の気持ちに気付いた今、なおさらその思いは強まっている。
あたしに構うだけ時間の無駄だと思う。早く、諦めて欲しい。
「あたしね、先輩とお付き合いする気、まっっったく、ありませんよ?」
「そっか。もっと頑張らないといけないのか」
「だから頑張らなくていいんだってば!」
ここまできっぱり言われてなお、頑張る気力は、一体どこから生まれてくるの!?
「先輩ほんとすごいですね。フラれまくってるのに、どうしてそんなに頑張れるんですか?」
「今はダメでも、押せばそのうち振り向いてくれるかもしれないじゃん」
「上手く行く可能性なんてゼロですよ、ゼロ」
「今はゼロでも、未来の可能性はゼロじゃないでしょ?」
あたしを見つめる先輩の瞳は、真っ直ぐで。
あたしと似てると感じていたのに。先輩の顔は、キラキラと輝いていて……
後ろを向いて落ち込んでいる、あたしと全然違ってた。
「……押しまくって、相手が迷惑に思ったら? 相手に嫌われるのが怖いとか、ないんですか?」
「嫌われるのが怖くてジッとするの? そんなことしても、欲しいものは手に入らないよ?」
「そうだけどっ、でも……」
この呆れるほど前向きな先輩が、羨ましい……
「頑張っても、もう無理だと思うの」
「無理かどうかは分からないよ。少なくとも諦めてたら、かき氷もクレープも食べに行けなかったしね。頑張る価値はあると俺は思うな!」
頑張ったら、ユウにぃと過ごせる未来はあたしにやってくる?
彼はあたしから離れたくて隣の家から消えたのに。
会いに行けば、あの穏やかな顔が曇るんじゃないだろか。想像して、ぶるりと震えてきそうになる。そう、あたしは怖いんだ。もう一度、ユウにぃに拒否されるのが怖いんだ。
「今更会いに行っても、拒否されるとしか思えないのに?」
「ちょっとやそっと拒否されるくらいじゃ俺、諦めないなぁ」
「どうして諦めないでいられるの……?」
どうしてそんなに、迷わず真っ直ぐ、向かって行けるの……
「だって、後悔したくないじゃん? 何もせずに諦めたら、絶対後で後悔すると思うんだよね」
「………っ!」
涙が出そうになった。
あたしは今後悔している。ユウにぃに告白された時に、OKしておけば良かったと思いまくっている。あの時は自分の気持ちが恋なのか思慕なのかよく分からなくて、考えた末にあの結論を出していた。
馬鹿みたい。考える必要なんて、何もなかったのに。
あの時のあたしはユウにぃが好きで、側にいたくって、彼と触れ合っていたかった。
それが全てだったのに。
自分がしたいと思う通りに動けば良かったんだ。ユウにぃの気持ちに応えたいと思う心があたしの中にはあったのだから、迷わずに進んでいれば良かったのに。
このまま諦めて、ユウにぃと離れ離れのままで終えて、それでほんとにあたしはいいの?
――――そんなの。答えなんて決まってる。
「先輩、ありがとうございます!」
「ん?」
いいわけないよ。
そんな未来、後悔しかしないに決まってる!
「あたしも先輩を見習って、頑張ります!」
「え? あれ、雛ちゃん?」
カバンをしっかりと胸に抱いたまま、ぺこりと頭を下げた。小首を傾げた先輩を放置して、あたしは教室を飛び出した。
視界が、クリアになる。
廊下の窓からは、澄み渡る青い空が見えた。下駄箱には、数人のクラスメイトがたむろっている。あたしはみんなに元気よく挨拶をして、傍らを通り過ぎていく。
グラウンドでは沢山の生徒達が部活動に勤しんでいた。心奈の姿を見つけ、大きく手を振ってからあたしは学校を後にした。
心臓が弾む音を立てている。さっきまで、ボーっとしていたのが嘘みたいだ。今のあたしは、早速、自分が何をするべきか、考えを巡らせていた。
「ユウにぃに、会いに行ってやる……!」
このまま何もしなくても、ユウにぃはあたしの側にはいないまま。
それなら、それなら……
せめて後悔しないで済むように。
嘆く前に。やれるだけの事は、やってみよう。
ユウにぃにもう一度会って、せめて自分の気持ちを伝えよう。
拒否されるのは怖いけど――――………
『嫌われるのが怖くてジッとするの? そんなことしても、欲しいものは手に入らないよ?』
先輩の言う通りだ。
目を背けていたって始まらない。怯えてジッとしていても、欲しいものは手に入らない。
上手く行く可能性は――――きっと永遠に、ゼロのままじゃない。
◆ ◇
「お兄ちゃん。あたし、お願いがあるの」
思い立ったら即行動。
あたしは、その日のうちに兄に頭を下げることにした。
「帰宅早々なんなんだよ」
「あたし、ユウにぃに会いたいの」
「おい雛、ちょっと邪魔だからどけ。まずは家に入らせろ」
「ねえ、ユウにぃに会わせて! お兄ちゃんならユウにぃの家、知ってるでしょ?」
「………雛?」
兄のシャツの裾をしっかりと掴んだ。
そうだ。あたしにはまだ、ユウにぃに会う手段が残されている。
ユウにぃと仲のいい兄なら、彼の居場所を、家を、知ってるはず……!
兄の眉根がはっきりと寄った。兄は基本的に、あたしよりもユウにぃの味方だ。でも、ここで諦めていたら、あたしはユウにぃに想いを伝えるどころじゃない。
「俺お前に言ったよな。これ以上あいつに付きまとうなって」
「言ったよ。兄としか思えないのならって、お兄ちゃんあたしに言ったよね」
「分かってんなら、そっとしてやれよ」
「無理だよ! だってあたし、ユウにぃのこと兄だなんて思ってないんだもん」
「…………は?」
「あたし、ユウにぃが好きだもん。ユウにぃに恋しているんだもん!」
鬼兄の威嚇になんか、負けるもんか。
「やっと分かったんだから。自分の気持ちに、やっと気づけたんだから!」
「…………おい、雛?」
「このまま離れ離れなんて嫌なの。ユウにぃはもうあたしに会いたくないかも知れないけれど……」
兄の表情が、声が、態度が、あたしを拒否するユウにぃの姿と被る。
ああ怖い。でも、このまま引き下がりたくない。
ユウにぃを、諦めたくないよ………!
「ユウにぃに、好きってちゃんと言いたいの! 先輩みたいに、振り向いてくれるまで押したいの! あたし、もう2度とキムチ味のパンなんて食べたくない。お願いお兄ちゃん、あたしをユウにぃのところまで連れてって……」
ふっと兄があたしから視線を逸らした。前髪をサラリと掻き上げて、天を仰ぐ。兄は忌々しそうな表情をしていて、けれど……
「お前………今更かよ」
呆れたように呟く兄の声からは、剣呑さが消え失せていた。