41 この好きは、きっと
―――あたしの好きは、ユウにぃの好きと同じなの?
彼の事を、兄のように慕っていると思ってた。
この好きは、恋愛の好きとは違うものだと、あたしはずっと信じてた。
だけど………
相良先輩があたしにそっくりで。
胸がざわざわするくらい、おんなじで。あたしの頭の中には、今、芽生えたばかりの疑問符が渦巻いている。
あの後あたしはベンチに座り、黙々とクレープを口に運んでいた。大好きな苺が入っているのに、味がぼやけて分からない。あたしの意識は全く別の場所にいて、先輩に何度も話しかけられたけど、ぼうっとしすぎて生返事すら出来ずにいた。
かき氷の埋め合わせをしようと思っていたのにな……
結局、クレープも先輩がご馳走してくれた。
謝ると、笑ってくれたらいいよ!
なんて。
ほんとうにあたしと同じじゃない……。
あたしもそうだった。ユウにぃの、笑った顔が見たかった。
あたしの隣で、笑顔でいて欲しかったの。
「………雛? おーい、雛?」
――――ねえ。
あたしはユウにぃの事、どう想っているの……?
「それ、イチゴジャムじゃなくてキムチの素だぞ? そんなもんパンに塗ったくる気か?」
「……え? ぎゃ、からから、辛っ!」
「大丈夫か? 最近のお前、本格的におかしいぞ」
彼はもう、あたしの隣にいないのに。
こんな風に。あたしは、彼の事を考えてばかりいる。
「雛、ストップ!」
襟首をぐいと引っ張られた。
ヒヤリとする。目の前には、灰色の小汚い壁がそびえ立っていた。
「ちゃんと前見なさいよ、危ないでしょ。壁に顔面突っ込む気だったの?」
そんな痛そうな趣味はない。ふるふると無言で首を横に振る。
「ごめんね。いつもいつもありがとう、サエ」
「ったくもう……あんた最近、ぼんやりしすぎよ!」
サエの言う通りだ。最近のあたしはぼんやりしすぎてる。
ユウにぃで、頭がいっぱいで。
周りのみんなに、心配そうな顔をされることが増えた。傍目にも、あたしの様子はおかしいのだと思う。あの兄ですら、気遣うような言葉をかけてくる。
心奈が、あたしの肩をちょんちょんと軽くつついた。
「ヒナ、先輩の事考えてるんでしょ? あの猛アタックにぐらついてると見た!」
「へっ!? ちっとも考えてないよ?」
「え~! でも、デートはしたんでしょ?」
「してないよ」
先輩は相変わらずあたしに付きまとっている。
ほんと強靭な精神の持ち主だ。あたしは先輩に、ちっとも笑ってあげられないのに、めげない彼は放課後になるとあたしのクラスにやってきて、デートの誘いをかけてくる。
それも、3度目のデートはどこがいい? なんて大きな声でおかしなこと言うから! みんなに! 思いっきり勘違いをされている……
「もったいないなぁ。ちょっと強引だけど、イケメンなのにー」
ちょっとじゃない気がするんだよ?
だからそんなに、不満そうな顔しなくていいと思うな。
全然もったいなくないから。
先輩には悪いけど、あたしは……あたしが好きなのは……
「………っ!」
柔らかく笑う彼の顔が浮かんで、どきりとした。
「ねえ雛、あんたお隣のお兄さんと何かあったの? 振ったって言ってたけど、そのあと何かあったんじゃないの?」
「…………あった」
「なによ。なにがあったの?」
「ユウにぃ、引っ越しして、いなくなっちゃった……」
サエが眉を寄せた。その横で、心奈がなぜか明るい顔をした。
「そーなんだ。良かったね~」
「…………え?」
良かった……?
ユウにぃがいなくなって、良かった……?
「だってヒナ、お兄さんを振ったんでしょ。振った相手と顔を合わせるのって、正直気まずくない? 家は隣だしバイトも一緒だし、避けたくても避けれないよねえ。いなくなってくれて良かったじゃん」
呑気な心奈の声が、耳につく。
「ちっとも良くないよ……っ!」
あたしは、ずっと一緒にいたかった。
気まずかろうが何だろうが、彼の側にいたかった。
いなくなってくれて良かったなんて、ちっとも思わないよ。
こんなの。こんな状況……ちっとも良くないよ……!
ユウにぃが、好きだから。
彼に笑いかけて欲しかった。彼の側にいて、温もりを感じていたかった。
ユウにぃが、大好きだから。
触れ合うたびに、あたしはドキドキしてばかりいて。距離を感じると辛くて、胸が苦しくて……
心臓がざわざわと音を立てる。
ねえ……
あたしのこの想いは……
あたしの好きは、もしかしなくても……
「あたし、ユウにぃに恋………してるのかな……」
「雛……?」
ポツリとあたしが呟いた。サエが眉をわずかに上げた。
心奈がハッとして口をつぐんだ。
「サエ。あたしね、ユウにぃにドキドキするの」
「うん」
ぽつぽつと、想いを口にする。
「ユウにぃが他の女の人と仲良くしていると、胸が苦しいの」
「うん」
「ユウにぃに触れられると、真っ赤になっちゃうの」
「うん」
あたしの、ユウにぃへの気持ち。あたしの、想いを形にする。
「ドキドキがすごくて、変なあたしになっちゃうの。おかしい自分が嫌なのに……もっと触れていたいの。抱きしめて欲しいって、思っちゃうの」
「うん」
口にするとどんどん、想いが溢れて、止まらない―――
「ユウにぃの側にいたいの。ユウにぃに笑いかけて欲しいの。ユウにぃに可愛いって言って欲しいし、手を繋いで一緒にお出かけしたいし、ユウにぃの部屋にも入り浸りたいの……」
「雛、あのさ、雛」
「背中に飛びつきたいし、腕だって組みたいし、膝の上でごろごろしていたいし、他の人に取られたくないし、ずっとずっと、あたしだけのユウにぃでいて欲しいの……」
「ちょっと、ちょっと雛」
「あの時は押しのけたけど……キスだって……ほんとうはもっとしていたかった……」
「はぁ? キ、キス……?」
「ねえサエ、あたしの好きは恋愛の好きなのかな? ユウにぃの事、男の人として、ちゃんと好き………なのかな?」
縋るようにサエを見た。
サエは髪を掻き上げて、ものすごく呆れた顔をした。
「雛……あんた、それが恋じゃなくてなんなのよ…………」
なぜか心奈が頬を染めながら、うんうんと深く頷いていた。
◆ ◇
「ねえ。ところでキスって何よ。いつの間にそんな事してたのよ、私、聞いてないわよ」
「うっ……!」
「わたしも聞いてない! ねえねえ、真っ赤になってないで教えてよ~!」
「2人とも詰め寄らないで!」
女子高生は、恋バナ好きな生き物だ。
あたしがうっかり漏らしたキスという単語に、2人はしっかりはっきり食いついて来た。
うう、恥ずかしい……!
「その、告白された時に、ついでにちょこっと……」
ちょこっとでもなかった気がするけど……
「ちょこっとって、ほっぺに?」
「ううん、くくくく……お口に」
「ひゃあ! やるじゃん、お兄さん……!」
「ちょっと、雛すごい顔してるわよ。あんたほんと変ったわね」
「え………」
サエが、穏やかに微笑んだ。
「雛って中学の頃からお隣のお兄さんが好き好き言ってたけどさあ……。なんていうか、アイドルの追っかけみたいな類のものかと思ってたのよね」
「あたし、そういう風に見えてたんだ……」
「うん。照れとか恥じらいとか、まったく感じられないし。ファンがキャーキャー騒いでる姿と似てるなーって」
あたしは中学の頃、ユウにぃを好きだと思い込んでいた。
ユウにぃが好き。あたしの想いは友達みんなが知っていて、当然、サエだってそれを知っていた。なのに、いつも、どこか一歩離れたところから、冷めた目で見られていると感じてはいた。
サエはあたしに、助言めいたものをしてはくれるものの、本気で応援していない。
それにあたしは苛立っていたけれど……そっかぁ。
本気に見えていなかったのか。
妙に納得して、笑えてきちゃった。
サエの方が、あたしの事よく分かってたんだね。
「でも最近の雛見てたら、以前とは違うように見えてさ。もしかしてお兄さんに本気になったのかな……って思ってたのよね」
「え? それ、それ……いつから……?」
「うーん、夏休み入る前くらい?」
「…………っ!」
あの時のあたしは、ユウにぃの変わった態度にドキドキが止まらなくて……
―――ああ、今思えばあの頃既に、あたしはユウにぃを意識してたんだ。
ユウにぃに恋、してたんだ……。
「たぶん……サエので合ってる……」
「それなのに振っちゃうとか、あんた鈍すぎよ。……もう、やっと気づいたのね、雛」
サエ、ほんとにあたしよりあたしのこと、分かりすぎ!
「じゃあ、あんたのぼんやり、もう解決ね。とっととお兄さんに気持ち伝えちゃいなよ」
「…………できないよ」
「どうしてよ」
「だって今更だもん………っ!」
そう、今更だよ。
だって隣の家に、ユウにぃはいない。いないんだよ…………
ユウにぃに告白されて、あたしは振ってしまってる。
彼がそばにいるうちに。
……自分の気持ちに。気づいていれば良かったのに。