表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/68

40 あたしが触れていたいのは


 ユウにぃと一緒には、いられない。


 そんな事は、あたしにだって分かってた。あれだけ避けられていたんだ。彼の様子を見ていたら、あたしから離れたがっている事くらい気づいてた。


 それなのに。

 はっきりと言葉にされて、ショックを受けてる自分がいる。 


 それまでは何処か、現実味のないふわふわとした悲しさを抱えていた。彼の側にはいられない、そう感じてはいたものの、彼の口から直接聞いた訳じゃない。あたしの悲観的な想像に過ぎないと、そうであって欲しいと、心のどこかで淡い期待を抱いていたのだと思う。


 ああ、ホントにユウにぃは、あたしから離れていく気なんだ……。





「さあ、頑張るぞ!」


 彼を忘れていたくって。

 あたしは溜め込んでいた夏休みの宿題を、黙々とこなすことにした。


 幸い、課題はたっぷり残ってる。これだけあれば暫くは、ユウにぃの事を考えずに済みそうだ。溜めといてよかった。憂鬱な宿題もたまには役に立つんだな。


 夏休み最後の一週間。心奈(ここな)から遊びの誘いが来たけれど、宿題を言い訳にしてあたしは速攻断った。ごめんプールとか無理だよ。水着なんて着たらユウにぃを思い出しちゃうよ。

 まぁ、出掛けている場合じゃないくらい、宿題残ってんだけど……



「ううむ……さっぱり分かんない……」


 数学のプリントを広げて、軽く絶望。


 やだ、やっぱり溜めなきゃよかった! 

 夏休み前半の、まだユウにぃが手伝ってくれそうな頃に、済ましておくべきだった!

 やばい……っ、これ、本気で胸を痛めている場合じゃない……っ!


 やってもやっても終わりが見えない。

 涙目になりながら、あたしは必死でペンを走らせるのだった。




 ◆ ◇




 気が付けば、新学期が始まっていた。


 眠い目をこすりつつ着替えを済ませ、パンにかじりつく。大学はまだ2週間ほど休みが残っているようで、リビングには兄がいた。自分の部屋で寝ればいいのに、ソファの上でぐったりと横たわっている。

 酷くお疲れの様子だ。優しい妹のあたしは、兄の身体にそっとブランケットをかけてあげた。



「おはよー、心奈、サエっ!」


 教室の扉を開けた時の、ガラリと響く音が、なんだか心地良い。


「おはよ~、ヒナ。今日もギリギリだねっ!」

「眠そうな顔してるわね。昨日夜更かししたんでしょ?」

「うう……実はあんまり寝てない……」


 休み明けの教室には、くすぐったい空気が漂っている。


 久し振りに顔を合わせるクラスメイト達に、ちょっぴり新鮮なものを感じて、妙にそわそわしてしまう。入学式のそのあとの、浮足立った気分に少しだけ、似ている気がした。


「ヒナ~、そういや宿題終わったぁ~?」

「ふふん、バッチリ完成させてきたよ!」

「えっ、マジで!?」


 2人と学校で会うのも久し振りだ。この軽快なノリが懐かしい。休み中に会ったとはいえ、学校の中と外では纏う空気が違ってる。

 ざわざわとした教室の中で交わされる会話に、日常めいたものを感じてホッとする。あたしは、にこやかに笑っていた。

 

「一週間前に、半分も終わってないって嘆いていたのに!?」

「毎日必死で頑張ったからね」

「もしかして、今年もお兄さんに手伝って貰ったの?」

「ううん、今年はお兄ちゃんが手伝ってくれたの」


 ――そう、珍しく今年は兄が手伝ってくれたのだ!


 宿題の、山に埋もれて一週間。暇を持て余しているのか、兄が毎日のように、あたしの所にやって来た。あたしを馬鹿にして、からかって、ついでに何故か勉強を教えてくれた。


 どんな裏があるんだろう。兄が宿題手伝ってくれるなんて、初めてなんだけど。それも一週間みっちり付き合ってくれるとか、ありえなさすぎて、慄くんだけど……。




「ただいまー。あれ、まだ寝てたんだ?」


 今日は始業式。半日で学校を終え、家に帰ると、朝と同じ体勢のまま、リビングのソファで兄が寝転んでいた。

 

 あたしの声で目を覚ましたようだ。頭に手を当て、気だるげな瞳をあたしに向けながら、兄がゆっくりと身を起こした。


「もうお昼だよ? お昼ごはんの時間だよ?」

「誰かさんのせいで眠いんだよ。あー、頭いってぇ……」


 ほんと憎らしい兄だけど、今日だけは、さすがのあたしも何も言えない。

 ごめんね。結局、明け方まで付き合わせちゃった。


 おかげで宿題終わったよ、ありがとう。

 超スパルタの鬼教官だったけど。


「お兄ちゃん、ありがとね」

「なんだ、雛にしては珍しく素直だな」

「お礼に今日のお昼ごはん、お兄ちゃんの分もあたしが作ってあげるね」

「はぁっ? おま、恩を仇で返す気か!」

「大丈夫、あたしだってお湯なら沸かせるんだよ?」

「焼きそばでも作るか。3玉入りだし雛も食え」

「ひどい、あたしの好意がスルーされている……!」

「焼きそば、食わねーの?」

「くっ…! 悔しいけど食べたいっ……!」


 いつもと同じ毎日。変わらないやり取り。


 ただ、ユウにぃだけが側に、いない。




 それでもあたしは心のどこかで、元に戻ることを期待していたんだ。

 だからまだ、あたしは笑っていられたのに。


 それから数日後。ユウにぃが、隣の家から姿を消した。




 ◆ ◇




「雛ちゃん? おーい雛ちゃん、聞いてる~?」

「え、すみません先輩、ちっとも聞いてませんでした……」

「最近ずっとぼんやりしてるよね。葉山さんが辞めちゃったから?」


 新学期が始まって一週間が過ぎて。

 週末、バイトに行くとそこにユウにぃはいなかった。土日両方ともシフトが合わないなんて珍しい。疑問に思いつつ次の週末バイトに行くと、やっぱりユウにぃは来ていなかった。

 あたしの知らない内に、彼はバイトを辞めていた。


 それだけじゃない。

 ユウにぃは引っ越して、隣の家からいなくなっていた。あたしが学校に行っている、平日の昼間に事を済ませていたらしい。あたしは何一つ、知らされていなかった。

 おばさんと母が喋っているのを聞いて、初めてその事を知った。


『―――え? あの子、雛ちゃんに何も言ってなかったの?』


 知らない知らない。なんにも聞いてない。


『侑、一人暮らし始めちゃったのよ。ここから大学に通うのが、思ったよりも大変だったみたい』


 なにそれ。なにそれ。そんなにあたしから、離れたかったの……?



 ユウにぃに、笑って欲しかった。


 手を繋いで欲しかった。頭を撫でて欲しかった。背中に飛びついて、腕に抱きついて、こげ茶の髪に、彼に触れていたかったのに。ユウにぃの温もりを、側で感じていたかったのに。


 触れるどころか、もう、見る事すら叶わないなんて―――――


 




「ほんとうに、一緒に居られなくなっちゃった……」


 ユウにぃが何処にもいなくって、あたしの心に、ぽっかりと穴が開いてしまってる。

 

 笑顔が上手く作れない。バイトもミスしてばかりいる。授業中もぼんやりして、昨日も先生に怒られた。こんなんじゃダメって分かっているけれど、どうにも気力が出て来ない。


「雛ちゃん……」


 おかしいよね。こんな状態なのに、なぜか涙も出てこない。ただただ頭がぼんやりしてるだけ。

 ぼーっとし続けているあたしの肩を、先輩がポンポンと叩いた。


「その寂しさを俺が埋めてあげるよ。バイト終わったら一緒にクレープ食べに行こう、雛ちゃんの好きな苺のクレープがあるんだよ!」

「苺のクレープ……いらない……」

「そんな事言わずにさぁ、かき氷の埋め合わせしてよ」

「うっ……!」


 そういえばあたし、先輩を誘っといて途中で抜け出したんだっけ。

 お金も払ってなかった気がする……


「うう、ごめんなさい。クレープ行きます、今度はあたしが奢ります……」


 ほんと、今のあたしはダメすぎる。



 

 バイトが終わって用意を済ませ、廊下に出ると、先輩があたしに駆け寄ってきた。


「雛ちゃん、記念すべき2度目のデートだね! さぁさぁ美味しい苺のクレープ食べに行こ!」


 先輩にとってお出かけは、なんでもデートになるらしい。

 突っ込む気力も出て来ない。もうなんでもいいよ……


「ほら、手、手!」

  

 脱力するあたしの目の前に、先輩が手を突き出してきた。掴めと言わんばかりに、パタパタと元気よく手を振っている。

 海でもそうだったけどさ。先輩ってやたらあたしと手を繋ぎたがるよね。この手の、なにがいいんだろう……


「おぉ? やった、雛ちゃんが俺と手を繋いでくれた!」

「おおげさだなぁ。先輩って手を繋ぐの好きですよね」

「そりゃあ……好きな子に触れたいと思うのは普通でしょ?」

「え……」


 好きな子に、触れたい……


「それは……お姉さんにも……?」

「え?」


 心臓がどくりと跳ねる。


『雛ちゃんは僕にどうして欲しいの?』


 ユウにぃが好きだから、触れたい。触れて欲しい。


 それは当たり前の感情だとあたしは思っていたけれど。大好きな『お兄さん』への、普通の望みだと思っていたけれど……


「先輩、お姉さん大好きなんですよね。お姉さんにも触れたいの……?」


 ねえ、あたしのこの願いは、『お兄さん』に求めるようなことなの……?


「やだなぁ、そんなこと思うワケないじゃん。俺、ねーちゃん好きだけどさぁ、触りたいとは思わないよ」

「お姉さんには、触りたいとは思わない……」

「当然でしょ。なに雛ちゃん、(りん)さんに触りたいの?」

「………お兄ちゃんに?」


 首をふるふると横に振った。


 兄は綺麗な顔をしているけれど。背が高くて、すらりとしたモデル体型をしているけれど。手触りの良さそうなサラサラの髪をしているけれど……

 笑いかけて欲しいだなんて思わない。手を繋ぎたいとも、抱きしめて欲しいとも思わない。もちろん、飛びつきたいとも思わない。

 兄に触れたいとか、一度も思った事、ない……


 先輩が嬉しそうに微笑んでいる。


「だろー? 俺がこんな風に触れたいと思うのは、雛ちゃんだけだよ」

 

 あたしは……あたしは……


 あたしが触れたいと思うのは、ユウにぃだけだ……




 9月の半ば。まだまだ明るい時間帯。セミはすっかり姿を隠し、トンボが辺りを彷徨っている。地獄のような夏の暑さは和らいで、程よい熱気を携えている。


「こう見えても俺、今、結構ドキドキしてんだよ?」


 あたしと手を繋いでいるだけなのに?


 先輩、まるであたしみたいだね。あたしもドキドキしていたの。ユウにぃと手を繋ぐと、すごくドキドキしていたの。ねえそれって。それって……



「あ~、もう店着いちゃったなぁ。残念」


 クレープ屋は空いていた。手が離れて、先輩はすごく残念そうな顔をした。そんな先輩の様子を、あたしは冷めた頭で眺めてた。


 繋いでいた手に視線を落とす。あたしはなんにも思わなかった。

 やっぱり、ユウにぃだけだ。

 先輩と手を繋いでも――――


 あたしはちっとも、ドキドキなんてしてこなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雛の兄・麟のお話です♪
いじわる王子
バナー/楠木結衣様

雛の友達・紗英と蓮のお話です♪
可愛くない
バナー/楠木結衣様
― 新着の感想 ―
[一言] たまに見せる優しさがいいんですよなぁ、こういう意地悪兄貴キャラってのは(ぇ さてさて……これは起承転結の『転』辺りでしょうか(2828
[良い点] 実の兄なんて雑なものですよね(*´꒳`*) 兄は英語がめっちゃ得意で面倒見がいいと評判だったそうですが、妹の私にはそっけなかったですもん。 まあなんだかんだ教えてくれるので聞いてましたが、…
[良い点] イケメン兄、宿題手伝ってくれたんですね。優しい……♪ そこからの「恩を仇で返す気か!」で笑ってしまいました♪ 相変わらず、面白い兄妹! [一言] ああ、ユウにぃが離れていっちゃう……! …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ