32 あたしの好きとは違ってる
2度目のキスは、溶け合うような感触がした。
最初は探るように、ささやかに重ねられた彼の唇が、次第に強く激しいものとなっていく。角度を変えて、何度も何度も、飽きることなく彼があたしに口づける。
唇の隙間から荒い息が漏れてきて、触れ合うと同時に、彼の匂いが媚薬のようにあたしに襲い掛かってきた。
眩暈を、起こしそうになる。
2度目だからだろうか。初めての時のような違和感は、不思議と感じてこなかった。
ユウにぃとのキス。あの時は膝の震えが止まらなくて、あたしは必死になってもがいていたのに。
なぜだろう。今のあたしは身体から、すっかり力が抜けている。抵抗する気がまるで起きてこなくって、静かに彼を受け止めている。
あたしの様子を敏感に感じ取っているのか、彼の唇はどんどん遠慮がなくなっていく。
ユウにぃの口が少しだけ開いて、隙間から赤い舌が顔を覗かせた。
あたしの唇を、絡め取るように舌で撫で上げる。驚いて、少しだけ開いたあたしの口に再び覆い被さった後、彼が器用に下唇だけを優しく口に含ませた。
まるで、食べられているみたい。
とろけそうなキスに飲み込まれて、あたしはされるがままでいた。なにも、考えられなくて……
「雛ちゃん……」
声が、聞こえてくる。
降りそそぐキスとキスとの合間に、細切れにあたしは名前を呼ばれていた。
「好きだよ、雛ちゃん……」
ああ、もう言い訳なんて出来やしない。釈然とはしないままだけど、あたしは理解せざるを得なかった。彼の好きは、過去の好きとは違ってる。彼の言う通り、この好きは妹に向けられるような類のものじゃない。
この熱い眼差しも。甘い声色も。激しいキスも。何もかもが。
彼の好きは――――恋する相手に向けるもの。
「雛ちゃんも、僕が好きだよね……?」
じゃあ、あたしの好きは……?
記憶の中で、小さなあたしが笑ってる。
学校からの帰り道。ユウにぃを見つけて、パッと表情を変えている。駆け寄るあたしに、微笑んで右手を差し伸べてくれたのは、まだまだ幼い頃の彼。
隣の家のお兄さん。
いつも穏やかに微笑みながら、あたしの手をしっかりと受け止めてくれた、優しい優しいお兄さん。
記憶を辿る。
あたしより、3つ年上のお兄さん。
温かな彼の手のひらは、あたしのお気に入りだった。
初めて出会ったその日から、あたしは彼が好きだった。
好きだから、一緒に遊んで欲しくって、べったりと彼に纏わりついてばかりいた。その好きが、どういう意味の好きなのか、深く考えないままあたしは成長していった。
やがて時が流れて、お互い幼い子供ではなくなって、中学生になり、高校生になっても尚、想いは変わらず、あたしは彼が好きなままで……
この好きは恋なのだと、あたしは信じるようになっていた。だから闇雲に、彼に近づき迫ってた。大好きなユウにぃの彼女になる、それが自分の望む形なのだと、あたしは疑いもしなかった。
思い込んで突き進んで、彼にはっきりとした意思表示を向けてみて。そうしてあたしは気づいてしまったのだ。あたしは、ユウにぃに恋をしていない。あたしは彼を兄のように慕っているだけだった。
そう、あたしの好きは―――……
ぼんやりとしていた頭が、徐々に、徐々に冷えてきた。
――――そうだ。
あたしの好きは、あの時に結論が出たはずだ。
それなのにどうして、あたしは自分の好きに疑問を感じていたのだろうか。あれから、たったの1ヵ月程度しか経っていないのに。普通に考えれば、あの時の答えがそのまま、今のあたしの答えのはずじゃない。
そうだよ。あたしの好きは、恋じゃない。
この好きは、彼の好きとは違ってる。
熱の落ちたあたしの唇に、再び熱いものを送り込むかのように、彼の唇が被さってくる。ユウにぃとのキスは心地よくて、あたしはもっと触れ合っていたいと思ってしまった。
でも、ダメだ。
あたしは彼と、キスをしてはダメなんだ。
だってあたしの好きは、恋愛の好きとは違うから―――
泣きそうになって、緩みかけた唇をあたしはぐっと引き結ぶ。自分に向けて駄目だよと呟きながら、彼から顔を逸らそうと試みてみたけれど、後頭部をしっかりと支えている大きな手が邪魔で、上手く彼から逃げ出せない。
暫くそうしてもがいていると、あたしの様子に気が付いたらしい。波が引いていくように、彼の温もりがあたしの上から去っていった。
暑い、夏のはずなのに。
空気に晒された唇が、急激に冷えていくのを感じる。ひやりと、心にも冷たいものを感じた。
「雛、ちゃん?」
ぎこちない表情のあたしを見て、ユウにぃが戸惑いの声を漏らした。
不安げにぎゅっと眉を寄せている。
こんな顔を見たい訳じゃないのに……
胸が苦しくなってきた。ユウにぃの唇を、拒否したかったわけじゃない。しなくては、いけなかったのだ。だって、あたしの好きは違うから。彼の好きとは違うから。
「ごめんね、あたし、ユウにぃの事は、お兄ちゃんとして好きなの……」
ユウにぃの事が好きだけど。好きだけど。大好きだけど。
あたしのこの想いは違うから。兄のように慕っているだけだから。恋の好きとは違うから。
だからあたしは、応える訳にはいかないんだ。
ユウにぃに触れたいけど。触れて欲しいけど。
それは兄に対して求めるようなものじゃないから、妹なあたしは、伸ばしかけた手をそっと引っ込める。
もう、間違えちゃいけない……
ぽたぽたと涙が零れていく。
あたしの涙を見て、さっきとは逆に、ユウにぃがあたしから完全に身を離した。冷えゆく身体を温めようと、あたしは自分で自分を抱きしめる。全然温かくなんてならなくて、涙がちっとも止まらない。
彼が苦しそうな声をあげた。
「ごめん。もうこんなこと、しないから」
ユウにぃがうつむいて前髪を垂らし、あたしから表情を隠した。彼の手は強く握りしめたまま、ボートの上に置かれている。
あたしの頭は撫でられる事がないまま、潮風に吹きつけられていた。
それから砂浜に戻るまで、あたしも彼も、ずっと黙ったままだった。