25 デートでも、彼女でもなくて
バイトが終わってから、約束通り2人で街までやって来た。
春休みにユウにぃと映画を見に行った、例のショッピングモールだ。あの時も人が多かったけれど、今日も負けず劣らず人で溢れ返っている。
「すごい人だな。夏休みで、しかも週末となるとやっぱり違うね」
「うんうん、今日はファミレスも混んでたもん! どこも一緒だね」
ユウにぃがにこりと笑って、あたしに手を伸ばしてきた。
「雛ちゃん、手、出して? はぐれないようにしておこう」
「うん……」
おずおずと手を伸ばす。
ためらいがちに伸ばしたあたしの手を、優しく、でもしっかりと彼が握りしめた。あたしよりも大きな、手。温かい、手。男の人の、手。
心臓が、どくん、って音を鳴らす。
こうして手を繋いでいると、堪らなくドキドキしてしまう。ほんと、あたし大人になっちゃった。ユウにぃに触れられるとドキドキしてしまうなんて、昔はありえなかったのに。
「メンズの水着って種類少ないね……」
ファッションフロアの一角に、水着関連のコーナーが特設されていた。
こうして男物の水着を見る機会なんて、めったにないのだ。どんな水着があるんだろう、ユウにぃにはどれが似合うかな……なんて。あたしは、ワクワクしながら売り場に向かい、ガッカリしながらユウにぃを見上げた。
「男の水着なんてそんなもんだよ。サイズさえ合えば、あとは色選ぶだけだね」
「えぇ……つまんない………」
「悩まなくていいから楽だよ?」
「いやっ! 面白くなさすぎるっ! デザインはどれも似たり寄ったりだし、色だって種類は少ないし……なんか、地味なものばっかりで、見ていてぜんっぜん楽しくない……!」
「まぁまぁ。僕の水着なんてオマケなんだから、なんでもいいんだよ」
「なんでもよくないよっ! かっこいいの探してやろうと思っていたのに……選ぶほどもなくてガッカリ……」
そもそも、スペースからして狭い。女性用売り場の半分もない。
なに、この差。
あたし、女の子に産まれて、良かった!
「こちらの水着はいかがですか?」
拳をぐっと握り締めていると、店員のお姉さんがやって来て、あたしとユウにぃに水着を広げて見せた。夏らしい大ぶりの花柄がプリントされた、黄色の華やかな水着だ。
「あ、ちょっといい」
「派手だなぁ……」
ユウにぃは苦笑いをしている。さっきまでの暗い群れよりは、余程いいと思うんだけど。
あたしの反応を見て、店員さんがもう一つの水着を隣に並べ出した。同じ柄の、今度はワンピースの水着だ。
って、これって、もしかして……
「この水着、ペアになっているんです。彼女さんと一緒に着ると映えますよ」
「………っ!」
さっと、顔を見合わせた。
ユウにぃの頬が、ほんのり赤く染まってる。あたしの頬もたぶん赤い。
慌てて、さっと顔を逸らし合った。タイミングバッチリだな、あたし達……
「あたしっ、かっ、彼女とかじゃないんで……」
「あれ、そうなんですか。仲が良さそうに見えたので……申し訳ございません」
「いえいえいえっ」
手と首をぶんぶんと振る。
そうか。そうよね。水着売り場に男女のペアが来れば、カップルに見えてしまうよね。兄と妹みたいな関係なんです、なんて誰もそんな目で見たりしないよね。そもそも、兄妹で水着なんて見に来ないしね。
あたしだって、鬼兄と連れ立って水着見に行くとか、ありえないもん。万が一にもありえないけど、もしも一緒に行こうって誘われたら、一人で勝手に行けば、としか言わないもんね。よっぽど豪華な報酬でもない限り、ついて行かない。
それにしても……
あたし。ユウにぃの彼女に見えるんだ……。
「あっ、あたしお手洗い行ってくる!」
水着売り場にはあちこちに姿見が設置されている。そこに映る自分の姿を見て、あたしはぎょっとして、慌ててそこから離れていった。
なに、あたしの顔、まっかっかじゃん!
頬をペチペチと叩いて。何度も深呼吸をして。太ももを思い切りつねり上げて、涙目になって。目を閉じて、夏休みの課題を必死で思い浮かべて気分を沈めてから、あたしはようやく、彼の元に戻れるようになるのだった。
◆ ◇
結局、ユウにぃは紺の水着を買った。
無難なヤツだ。海に行けば、同じ格好の人がざっと10人は見つかりそうな、ありふれた水着だ。人ごみに紛れてしまえば、どこにいるのか分からなくなってしまいそうだ。
あたしも水着を買う事にした。ユウにぃと同じくあたしもここ数年、海もプールもすっかりご無沙汰してたのだ。小学生の頃のものとか、さすがにサイズが合わなくなっている。
スクール水着なんて論外すぎるしね。
女の子用の水着は色もデザインも豊富だった。たっぷりと目の保養を楽しんだ後、あたしは3着ほど厳選して、水着を試着室に持ち込んだ。
一つ目はグリーンのワンショルダー。肩から胸元のラインに沿って、大ぶりなフリルがついている。大人っぽい雰囲気の水着だ。
二つ目は花柄のワンピース。両肩には小袖が付いている。ギャザーとフリルがたっぷりとあしらわれていて、可愛いけれど、ちょっと子供っぽい感じ。店員さんには、お似合いだと言われちゃったけど。
楽しみながら2枚試着をして、それから少しためらった後、3枚目を手を取った。
ドット柄の水着。上はシンプルなビキニタイプで、下はひらひらのスカートになっている。
「彼氏さん呼んできましょうかー?」
ドキドキしながら鏡に映る自分を見つめていたら、カーテンの向こうから、店員さんの明るい声が聞こえてきた。
わわ、だから彼氏じゃないんだってば!
訂正しようと声をあげようとして、止めた。あんまりムキになって否定し続けるのも、なんだかあたし一人だけ過剰反応しているみたいだ。
下を向くと、カーテンの隙間からこげ茶の靴が見えた。
どきりとした。ユウにぃがすぐそこにいる。
カーテンを少し開けて、隙間から顔を覗かせた。ユウにぃが照れくさそうな顔をして、あたしを見ている。あたしも、彼に負けず劣らず照れくさそうな顔をして、カーテンをゆるゆると開けていった。
「これ、どうかな?」
「…………」
スカートの裾をつまんで、こてんと首を傾げてみせた。ぶわわわわ、と、顔が赤く茹であがる。ユウにぃが無言のままあたしをじっと見つめていて、恥ずかしい。とてつもなく恥ずかしい。
ちょっとユウにぃ、黙ってないで何か言ってよ!
「やっぱり、似合わない?」
「………すごく似合ってる、可愛いよ」
しゅわわわわ、と、頭から湯気が出た気がした。
うっ。黙ってて貰う方がまだ、マシだった。
ユウにぃも真っ赤になっている。なんか今日のあたし達、こんなんばっか。お互い、調子狂いまくってるな。
誤魔化すようにへらりと笑い、無理矢理口を開いた。
いつもの調子に戻さなくちゃ……
「彼氏さんだって。今日、間違えられてばかりだねー」
「そうだね。そう見えるのかな……」
ああっ! なに言っちゃってんのあたし!
言っといて、更に照れてきた。両手をぐぐっと握り締めながら斜め下に視線を向ける。ユウにぃもあたしと同じ事してる。ほんと、今日息、ピッタリ!
「ご、ごめんね、着替える……」
うう、もはや涙目だ。さっさと引っ込もうと思い、カーテンを閉めようとしたあたしの手が、止まった。
頬に、温かなものが触れている。
あたしよりずっと大きな手……ユウにぃの手だ。
どっくんどっくん、心臓が荒い音を立て始めた。
「雛ちゃんが、どうして謝るの?」
「だ……だって、ユウにぃの彼女に間違われちゃって……迷惑でしょ?」
「僕はちっとも、迷惑なんかじゃないよ。雛ちゃんは嫌だった?」
「あ、あたしは……」
「僕の恋人だと思われるのは、嫌……?」
ユウにぃの目が。
じっとあたしを見つめる瞳が、心なしか熱を帯びていて。妙な色気を感じて。頬に添えられた手がいやに熱くって。あたしの脳はショートしたまま、ちっとも動いてくれなくって。
固まっていたら、彼がふっと優しく笑って、添えていた手を離してくれた。
「ごめんね、困らせちゃったね」
「…………」
「その水着いいね。雛ちゃんの白い肌に、紺色がよく映えてるよ」
違うから。
これはデートじゃない。あたしは彼女なんかじゃない。
繰り返し自分に言い聞かせながら、カーテンをピシャリと閉める。更衣室の壁にゴンゴンと頭を打ち付けた。
水着を買いに来ただけだから。
こうして一緒にいるのも、あと少しだけだから。
彼は、あたしじゃない人と、デートをするんだから―――
打ち付けた頭よりも、なぜか胸がキリキリと痛んできて。
火照りを感じていた頬は、いつしか熱が落ちていた。