20 おかしなユウにぃ
どうしたんだろう、ユウにぃがおかしくなっちゃった。
彼を困らせる事はもう止めよう。
そう思ったあたしは、自分の行動を改める事にした。具体的に言うと、ベタベタする行為は控えようと決意したのだ。
背中や腕に絡みつくあたしを、彼は常に振り解きたがっていた。いつも困ったように眉を寄せ、止めてくれ、離れてくれとあたしに訴えかけていた。
拒否される事が悲しくて、半ば意地になって、居心地のいいユウにぃの身体にあたしはしがみついていたけれど、あれはとても迷惑だったんだ。彼はずっと嫌がっていたのに、あたしはちっとも言う事を聞かなかった。それも積もり積もっての、あの怒りだったのだと思う。
妹にベタベタされるなんて、そりゃ嫌だよね。
あたしだって鬼兄にくっつかれるとか、想像するだけで鳥肌ものだもん。もしもされたら、ぎゃーっと悲鳴を上げて、ぽかぽか手足を動かして、暴れまくって、絶対全力で逃げてやる。気持ち悪すぎる。
だから、我慢しよう。
一定の距離を保つのだ。
無闇に近寄りすぎるのは、ダメなのだ。
ましてや抱きつくとか、腕をギュッとするとか、絶対絶対しちゃいけない。今度こそ本当に嫌われちゃう。
したくなっても、我慢しないと……
我慢できなかったらどうしよう……そんなあたしの心配は、なぜかまったくの杞憂で終わった。
彼に謝ったその日、なぜか手を繋がれて一緒にバイト先まで行くことになって、その日の帰り、なぜか手を繋がれて一緒に家まで帰ってきた。その後も、なぜか彼の方からあたしに近寄ってくる。
あたしの首が、こきゅっと傾く。
………嫌なんじゃなかったの?
「雛ちゃん、お疲れさま。さぁ帰ろうか」
にっこりと微笑んで、ユウにぃがあたしに手を差し出してきた。
戸惑いながら、半分くらいの距離まで手を伸ばしたら、待ちきれない様子で、ユウにぃの手があたしの手を捉えにやってくる。
ひゃっと驚いているうちに、あっという間にあたしの手は、ユウにぃの手の中に包まれていた。
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
気のせいかな。あたしに向けられた彼の眼差しが、いやに甘い。
頬が熱もりそうになって、あたしはさっと目を逸らした。
今までと違いすぎて、なんか調子狂うな。
そう、彼の態度が今までと違いすぎるのだ。こうして一緒に歩く時に、手を繋ぐなんて珍しくもなんともない。ないけれど、幼い頃はともかくとして、こんな風に手を伸ばすのはいつもあたしの方だったのに。ユウにぃはあたしに手を握られて、ふわりと軽く握り返すだけだったのに。
それが今は、逆だ。
ユウにぃがあたしの手を、包み込むように握り締めてくる。痛くはないけれど、しっかりと掴んでくる彼の手は力強くって、掴まれた瞬間、妙にドキリとする。
ユウにぃの手って、こんな手してたっけ?
繋いだ手は、思いのほか大きくて骨ばっている。
もっと優しい手のように感じていたけれど……
なんか、男の人の手、みたい。
「もしかして雛ちゃんは、僕と手、繋ぎたくないの?」
ユウにぃがちょっぴり悲しそうな顔をした。
あたしは慌てて、空いている方の手を広げて、否定するようにぶんぶんと振ってみせた。
「ううん、そうじゃなくて……ほら、今日も暑いでしょ? だからユウにぃもあたしと手を繋いで、暑くないのかなって……」
「そんなことないよ。暑すぎる日は、逆にくっついている方が涼しいんだよ?」
「そ、そうなの?」
「だって今日みたいな日は、気温よりも体温の方が低いからね」
そんなの、絶対違うよ。
だって。繋いでいる手の方が、熱いもん。
暑さのせいで、繋いだ手がじっとりと汗ばんでくる。なんとなく、あたしはユウにぃから顔を逸らす。
……どうしよう、あたしもおかしくなっちゃった。
こうして手を繋いでいると、なんだかソワソワする。なんだか、妙に落ち着かない。むず痒いこの感じが堪らなくて、消してしまいたくなって、無理矢理口を開けて、あたしはお喋りをすることにした。
「あぁ、あっついなぁ! 早くおうちに帰って、エアコンの効いた部屋で涼みたいなぁ!」
「ほんと暑いよね。帰ったら僕の部屋に来る? うち、夏場はずっとエアコン回しっぱなしだから、すぐに涼めるよ」
「え……行ってもいいの?」
「雛ちゃんならいつでも歓迎だよ。そういえば、冷凍庫にとっておきのアイスがあるんだ。食べにきなよ」
「アイス嬉しい! あ、でもお兄ちゃんと予定とかあるんじゃないの……?」
「麟と? 何もないよ。麟と約束なんて、何もしていないよ」
あんなにあたしを避けていたのに。
『麟と約束がある』とばかり言って、あたしを部屋に入れようとしなかったのに。
なぜか急に、真逆の行動を取るようになっている。
謎すぎる。
ふっと隣の彼を見た。
ユウにぃは口元を緩めながら、あたしをじっと見つめていた。
◆ ◇
「お邪魔します……」
あたしはそっと、ピンクの玄関マットに足をかけた。
「僕の部屋で待ってて」
「うん」
妙にドキドキしながら2階にあがる。目を瞑っていても辿り着けるような場所なのに、なんだか知らない場所に行くみたいだ。なぜかあたしは緊張していた。
訳わかんない。
ユウにぃの部屋に入って、あたしはぐるりと周囲を見回した。子供の頃から使い続けている勉強机に、ローテーブル。ぎっしりと中身の詰まった本棚に、掛布団のめくれたままのベッド。
見慣れた光景のはずなのに、妙に落ち着かない。
ほんと、訳わかんない。
「お待たせ。どっちのアイスがいい?」
後ろからユウにぃがやって来て、びっくりして、身体がびくりと跳ねあがった。振り返ると、2本の棒アイスを持ってユウにぃが立っていた。
「え……なにこれ、どっちもすっごく美味しそう!」
バニラ地に、フルーツが豪快に乗っている、なんともお高そうな豪華なアイスだ。片方は、半分に切ったイチゴが規則的に並んでいて、その上から練乳らしきものが格子状に掛けられている。もう片方のアイスには、サイコロ状のマンゴーがびっしりと乗っかっていた。
「でもやっぱり、イチゴがいいな」
「そう言うと思った」
くすりと笑って、ユウにぃがあたしにイチゴのアイスを差し出した。それを無意識で受け取って、それからハッとして、受け取ったアイスを彼の目の前に突き出した。
「ユウにぃはマンゴーでいいの? あたしに遠慮してない?」
そうだ。あたしばっかりワガママ言っちゃいけないんだ。
ユウにぃの希望も聞かないと……
「遠慮、しなくていいの?」
「いいよ! あたしばかりワガママ言わないって決めたの」
「じゃあ一口貰おうかな………」
―――えっ?
流れるような動作で、ユウにぃがあたしの手ごと棒を掴み、そのままイチゴのアイスに口を寄せた。かぷりと一口かじってから、口角をにっと持ちあげる。
「イチゴ美味しいね。ありがとう、あとは雛ちゃんが食べなよ」
「う、うん……」
「お礼に僕のマンゴー、一口あげるね」
「うん……」
あたしの口元に、今度はユウにぃのアイスがにゅっと突き出された。
ぎこちなく口を開いて、かじりつく。
冷たくって、甘くって、口の中にごろりとしたマンゴーの果肉が残る。
「んー、マンゴーも美味しいな」
あたしのかじり跡のついたアイスに、彼が口をつけた。
くすんだ色をしていたユウにぃの唇が、アイスに触れて、次第に赤みを帯びていく。真っ赤に濡れだした唇を見ているうちに、あたしの頬がイチゴ色に染まってきた。
ダメだ、思い出しちゃう……
慌てて目を逸らし、イチゴのアイスを頬張った。イチゴの甘酸っぱさと、バニラや練乳の甘さが、口の中で混ざり合っていく。
うん、美味しい。
ユウにぃがかじっていない部分をちょこまかと食べた後、少し息を飲んで、それから目を閉じて一気に残りの部分にかぶりついた。
果てしなく甘い甘い、イチゴのアイス。とろけるような甘い味が、あたしの口の中に広がっていく。
再び目を開けると、ユウにぃがあたしの目の前にいた。アイスよりも甘い顔をして、あたしを見て微笑んでいる。
ユウにぃのせいだ。
落ち着かないのは、きっとユウにぃのせいだ。
今までと何かが違う、ユウにぃのせいなんだ。