17 あたしの『好き』は
あたしの『好きな人』がユウにぃなのだと判明したのは、中学1年の秋だった。
中学生の頃のあたしは、休み時間になると友達と集まって、お喋りをしてばかりいた。その日もいつものように数人で集まり、恋の話で盛り上がっていた。
テレビの話に、アイドルの話。嫌な先生やテストの話に、おしゃれの話。話題はいくつもあるけれど、中学生女子の集まりにおいて一番盛り上がるものは、ダントツで恋愛絡みのお話だ。
何組の誰それ君がかっこいいだとか、誰が誰を好きだとか、ほんの少しの糸口をきっかけに、みるみる話は広がっていく。
あたしを含め5人いた女子のうち、あたし以外の4人には、常に誰かしら意中の相手がいた。何度聞いても同じ男子の名前をあげる一途な子もいれば、聞くたびに名前が変わる子だっている。中には、好きな人の名前を5番目まであげるような気の多い子もいた。
様々なのだけど、みんなには共通して『好きな人』がいて、いつも楽しそうに嬉しそうに語り合っている。
好きな人と朝、下駄箱で一緒だったとか。廊下ですれ違ったとか。ちらりと目が合ったとか。ちょっとした事でみんなが騒いでいて、あたしだけが一歩離れたところから、その様子を眺めていた。
あたしにとって、それは別世界のようだった。恋がどういうものなのか、経験のないあたしには全然、ピンときていなかったのだ。盛り上がるみんなの話に、あたしは積極的に混ざる事が出来ないでいた。
疎外感を感じつつ、じっと聞き役に徹していたけれど。
ふと、尋ねられた。
「雛は、好きな人いないの?」
「ん? あたしは……いないなぁ」
いつもは聞いているだけのあたしだけど、たまにこうして話題を振られることがある。
その度に、こう答える事しか出来なくて。その度に、ちょっぴり残念そうな顔をして、みんながあたしから顔を逸らしていく。
あたしだけ仲間に入れない。
取り残されたような現状に、疎外感や焦燥感を感じつつも、あたしにはどうにも出来ないでいた。
普段は、そこで話は終わるんだけど。
目新しい話題が何もなかったせいかもしれない。
その日は珍しく、あたしを囲んでみんなが追及をし始めた。
「そんな事言って、実は隠してるんじゃないの? 雛の好きな人って聞いた事ないよね」
「ないない! いつもいないって言ってるけどほんとなの?」
「隣の席の斎藤君と仲いいじゃん。彼の事はどうなのよ」
「田山君もよく雛に絡んでるよね~。あいつ絶対雛に気があると思うな」
「ねえ、どうなのよ~!」
みんなが期待の眼差しをあたしに向けてくる。
本当も何も、斎藤君も田山君も、その他の男子みんな、ただのクラスメイトにしか思えないんだけど……。
ふるふると首を振る。振りながら、なぜか申し訳ない気分になってしまう。みんなの好きな楽しい話題に、いつもあたしだけが乗っかれない。
みんなの表情が、がっかりしたものへと変わる。
「雛って理想高すぎるんじゃない? 言っとくけどあんたのお兄さんみたいな人、そうそう居やしないんだからねっ。あんな人を基準にしちゃだめよ」
「ええっ!? お兄ちゃんなんて理想でも基準でもなんでもないよっ! あたしはね、あんなイジワルな人じゃなくてもっと優しい人がいいの。そう、ユウにぃみたいに優しい人がいいなぁ……」
「―――――え、ユウにぃ?」
ポロリと零したあたしの言葉に、みんなの顔が色めき立った。
「ねえ雛、ユウにぃって誰よ。あんたお兄さん1人しかいなかったよね。その人は従兄なの?」
「ううん、隣の家に住んでる幼馴染のお兄さんだよ。実の兄と違ってあたしに優しい人なんだ」
「雛はそのお兄さんが好きなの?」
「もちろん大好きだよ?」
「やだー、雛いるんじゃない! 好きな人」
――――――えっ!?
「そっかそっか、雛はお隣のお兄さんが好きだったのか―」
「うわー、斎藤も田山も可哀相に。奴らまさか学外にライバルが居るなんて、思ってもいないんだろなー」
「ねえ、いくつなの? そのお兄さんての」
なんだかみんなが、よく分からない盛り上がり方をしている。
「お兄ちゃんと一緒だよ。三つ上」
「高校生かぁ。いいなぁ年上の彼。憧れちゃうなぁ」
「家が隣って、もしかして部屋の窓から出入りしてたりするの?」
「えー部屋の窓からとか、それ漫画の見過ぎじゃない? ……でも実際のとこどうなの?」
よく分からないけれど、みんながとっても嬉しそうな顔をしている。
みんなの大好きな『好きな人の話題』の中心に、あたしがいる。
「ユウにぃの部屋は、あたしの部屋と真向かいだけど、窓から出入りなんてしてないよ? いつも、ちゃんと玄関からお部屋に入ってるよ」
「え――――! 彼の部屋に行ったりするんだ?」
よく分からないけれど、みんなのはしゃぐ様子を見て、自然と頬が緩んでくる。みんなの仲間入りがやっと出来たようで、この時、あたしはとても浮かれていた。
「行きまくってるよ? 平日は向こうが忙しくてあんまり会えないけど、休みの日はいっつも遊びに行ってるよー」
「え? え? 休みの度に彼の部屋行ってんの? すごい積極的じゃん!」
「だって一緒に居たいんだもん」
「え――――ラブラブじゃん! お兄さんのこと、めちゃくちゃ好きなんだね、雛」
「うん、大好き♪」
そっか。あたしの『好きな人』はユウにぃだったんだ。
そっか。あたしは気付いていなかっただけで。
『好きな人』って。『好き』って、こういうことで良かったんだ。
嘘は何処にも無かった。
意味はさておき、あたしはユウにぃの事は心から――――大好きだったのだから。
「こんにちは、雛ちゃん」
隣の家に住む、優しい優しいお兄さん。
彼は、実の兄のように意地悪な事は言わない。あたしに、冷たい目を向ける事もない。
「ひっさしぶり、ユウにぃ!」
「久し振り、今日も雛ちゃんは元気だね」
「ユウにぃに会えたから、元気になったの!」
くすりと笑いながら、あたしの頭を優しく撫でてくれる。
「僕も雛ちゃんに会えて元気が出てきたよ。じゃあ今日は何をする?」
「それがね。久し振りなのに、月曜から中間テストがあって遊べないの……」
「ああ、それでカバン持ってきたんだ。小学生と違って、中学生になると勉強一気に難しくなるよね。分からない所があれば教えてあげるから、頑張りなよ」
「うん……ありがとユウにぃ、大好きっ!」
「ふふっ、どういたしまして。僕も大好きだよ」
穏やかに笑ってくれる。
頼れるお兄さん。温かなお兄さん。あたしは、鬼のような実の兄よりも、ユウにぃの方がずっと好きだった。ユウにぃが、あたしのお兄ちゃんなら良かったのに。何度そう思ったか分からない。
大好きで大好きで、いつも隣の家に押し掛けていた。
幼い頃から側に居続けて、自分でもよく分かっていなかったけど……
「どうしたの雛ちゃん。僕の顔をじっと見て、なにかついてる?」
「ううん、なにもついてないよ。ユウにぃの顔見てるだけ」
「そんな、じっと見るようないいものじゃないよ」
「ユウにぃは、お兄ちゃんとは違うよね」
「全然違うよ……。僕はさ、麟のようにカッコよくないからね。あんまり見ないでよ、雛ちゃん」
困ったように笑って、ユウにぃがあたしのノートをトントンと指で叩く。
慌てて勉強に取り掛かった。所々つまづいては、彼が丁寧に教えてくれる。一緒に居て居心地のいい彼が大好きで、あたしはいつまでも、この関係が続けばいいと願ってた。
ああ、そうなんだ。あたし、ユウにぃが好きなんだ。
今まで、ピンと来ていなかったけど。それは小さな頃から毎日のように側にいたからで。自分でも気づかない内に気持ちが育っていたからで。当たり前のようにずっと好きだったからで。
あたしの初恋はとっくの昔に訪れていて。だからこんなに彼の事が大好きで、一緒に居たくって、あたしはこうしてここに来てるんだ。
お兄ちゃんになって欲しかったんじゃない。
あたしは、ユウにぃに、彼氏になって欲しかったんだ。
「あ、この問題解けたんだ。すごいね、これはちょっと難しいやつだよ。頑張ったね、雛ちゃん」
この笑顔も。あたしの頭を優しく撫でるこの手も、全部、あたしの大好きなものだから。
誰にも取られたくないし、ずっと側にいて欲しい。
うん。あたしはユウにぃが、好きなんだ………
「どうしよう、違ってた………」
ユウにぃは、きっと本当の事に気付いてた。
だからあたしの好きを流してた。だからいつも、困ったような顔をして―――
分かっていたから、あたしを受け入れようとはしなくって。
だからあんなにも、あたしを止めてくれたんだ。それなのに、あたしは彼の言う事を聞かなくて、困らせて、ばかりいて。
「キス、しちゃった………」
どうしよう。
あの時のユウにぃは、本気であたしに怒ってた。だからあんなに強引で、強い力であたしを引き寄せて、無理矢理………
あたしの目を覚まそうとしたんだ。
「う……ごめんね、ユウにぃ……」
ユウにぃの事なんて、あたしには何も言えやしなかったんだ。妹のように見られているだなんて、不満を込めていたけれど。あたしだって、彼とおんなじだったんだ。
涙がぼたぼたと溢れて、止まらない。
鬼兄の態度も。サエや心奈の態度にも、相良先輩にも吉野さんにも、あたしは憤っていたけれど。みんな、みんな正しくって。みんなはちゃんと分っていて。分かっていなかったのは、あたし一人だけで……
そう。
――――あたしはユウにぃの事を、兄のように慕っていただけだった。