表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/68

16 追いかけっこの果ての先


「はぁ、はぁ、はぁ………」


 全力で走り抜けた、その先に、彼はいた。


「ユウにぃっ!」


 あたしの叫びに、彼が反射的に振り返る。あたしの姿を確認し、さっと困惑の色を浮かべた。

 ユウにぃの動きがほんの少しだけ停止して、でもすぐに、再びあたしに背を向ける。駆け寄るあたしを待つことなく、先を歩いて行こうとした。


「待って……っ!」


 彼の足取りが、ゆっくりしたものから早足に、やがて駆け足へと変わっていく。

 あたしは息を乱しながら、彼を捉えるべく駆け抜けていった。ユウにぃまで、あと少し。あたしから逃げようとする彼を見て、くすりと笑みが零れてきた。


 こんなの。簡単に追いつけちゃう。


 やっぱりユウにぃは、優しいんだ。いつだって、あたしには甘いんだ。

 あたしを突き放そうとして、全然しきれていないんだ。


 思いきり走れていないよ、ユウにぃ?

 

 あたしは全力で、彼に追いつこうとしてるのに。

 ユウにぃの足取りはぎこちなく、迷いがみえる。


 そんな事だから、今までずっと、あたしにまとわりつかれていたんだよ?

 

 ………ごめんね、ユウにぃ。


 それが分かっていて。あたしはためらう事なく、手を伸ばす。ユウにぃを、捕まえに行く。

 だってユウにぃが好きだから。ユウにぃの手を掴んだままで居たいから。いつまでも側にいて、あたしの優しいお兄さんで居て欲しいから。


 だから。だから……


 例えユウにぃが嫌でも、あたしは彼を離したくない――――――




 彼の服の裾に手が触れる。


「………はぁ、捕まえ、た」

「っ!」


 ほら、追いつけた。


 怯んで、ユウにぃの足が止まる。手繰り寄せるように、掴んだものを自分の元へと引き寄せた。ユウにぃの腕を、あたしはがっちりと抱え込んだ。


 追いかけっこは思いのほか距離が延びていたようで、あたし達はもう、自宅の前まで辿り着いていた。

 ユウにぃが眉根を寄せてあたしを見つめている。絡みついたあたしの腕に目を遣り、ぐっと口元を結んでいる。


 腕が、強張っている。


「ねぇ、あたしユウにぃと一緒にいたいの」

「雛ちゃん………」

「先輩とかき氷を食べに行くより、ユウにぃの部屋で一緒に過ごしたいの」

「ごめん、今日は(りん)と約束してるから、雛ちゃんとは過ごせない」

「お兄ちゃんと?」

「うん」


 麟と。麟と、麟と。

 あたしはもう、嫌になるほど聞いてきた。


 彼にとって兄は、あたしを避けるための、魔法の呪文になっている。


「じゃあ、来てよ」


 掴んだ腕に、力を籠めた。


「お兄ちゃんと約束してるなら、うちに来てよ。お兄ちゃんの部屋に行くんでしょ? おいでよ」


 ユウにぃの腕を引っ張った。彼はぎょっとしたように目を見開いた。


「約束の時間まで、少し間があるんだ。だから家で………」

「そんなの。うちで待っていればいいじゃない」

「………………」

「少しなんでしょ? お兄ちゃんも待っているかもしれないよ」


 ユウにぃの腕から力が抜けた。


 そのまま強引にユウにぃを引き寄せて、自宅の前まで連れて行く。カギを開け、中に入ると、玄関に兄の靴は置いていなかった。

 どこかに出かけていて、いない。


 やっぱり、いない。


「ねえ、お兄ちゃんおうちにいないよ。ユウにぃと約束してるのにね」


 ユウにぃをちらりと見ると、気まずそうにあたしから目を逸らした。玄関に飾られている切り花を、所在なさげに見つめてる。


「ねえ。お兄ちゃんが帰ってくるまで、あたしの部屋で待ってようよ」


 返事はない。


 抵抗する気配もないので、ユウにぃの腕を掴んだまま、階段を登っていく。あたしの部屋に、押し込めるように彼の身体をねじ込んだ。

 バタリと扉を閉めた瞬間、彼が目を細めて顔をしかめた。


 そんなに、あたしの部屋は、いや?


 嫌だよね。全然、来てくれないもんね。あたしの部屋。


「ユウにぃがあたしの部屋に来るの、久し振りだね」

「………そうだね」

「お兄ちゃんの部屋には行くのに、あたしの部屋には遊びに来てくれないもんね」

「………そうかな」

「そうだよ」


 そうだよ。全然来てくれないよ。

 あたしは休みの度に会いに行こうとしてるのに。

 ユウにぃはあたしに会いに来てくれない。


 今だって。全然、あたしを見ようとしていない。


「ユウにぃ」


 腕を伸ばして、彼の両頬を手のひらで挟んで角度を変える。無理矢理、あたしに顔を向けさせた。

 泣きたいのはあたしの方なのに、なぜかユウにぃが泣きそうな顔をしていた。


「ねえ、ユウにぃ。あたしユウにぃが好きだよ」

「……僕も、雛ちゃんが好きだよ」

「じゃあ、どうして先輩と付き合っちゃえなんて言うの!」


 悲しいのはあたしの方なのに。

 どうして、あたしよりも悲しそうなの。どうして。

 そんなに、あたしを見つめる瞳は、切なそうなの。


 ユウにぃの口元が震えている。


「あたしはユウにぃが好きなんだよ?」

「………」

「あたしは、彼氏にするならユウにぃがいいの。先輩じゃなくて、ユウにぃと付き合いたいの」


 今までに、何度も好きだと言ってきた。

 そのたびに彼は取り合ってくれなかった。あたしの言葉は、そっと消されてばかりいた。


 でも、今度は。


 今度は、かき消せない言葉を投げつけてやる。


「ねぇ、ユウにぃ。あたしをユウにぃの彼女にしてよ」


 真っ直ぐにユウにぃの目を見つめた。彼は怯えたようにこちらを見つめ、そっとあたしの手首を掴む。そのまま、あたしの手は彼の頬から放たれた。

 ユウにぃが首を軽く振り、目を伏せる。絞り出すように言葉を発した。


「雛ちゃん、そんな事言うんじゃないよ」


 どうして!?


 ここまでしてるのに。

 あたしの想いをかき消そうと、しないでよ。


 あたしを、ちゃんと見てよ。


「あたし、そんなに子どもっぽい? どうしても妹にしか見えない? ユウにぃはあたしを、女の子としては見られない?」

「そうじゃ、なくて」

「ユウにぃは、あたしと付き合うのは嫌なの?」

「雛、ちゃん………」


 ユウにぃの目が、ぎゅっと切なげに細められて。

 それから、彼のものとは思えないような、甘い声が聞こえてきた。


「そんなに言うなら、僕と付き合う?」


 ――――え?


 ユウにぃが、いやに熱っぽい瞳をして、あたしをじっとりと見つめている。


 無意識に、あたしは一歩下がっていた。後退したあたしに彼が詰め寄って、彼のものでは無いようながっしりとした右腕が、あたしの腰に伸びてきた。そのままぐるりと絡まって、気が付けばあたしは、彼に抱き留められていた。


 ひゅっと息を飲む。


 こんなことは、初めてだ。だっていつも抱き着くのは、あたしからで。ユウにぃはいつだって、あたしにくっつかれている、だけで。

 ユウにぃに抱きしめてもらう事も、あるけれど。それはこんな、突然なんかじゃなくて。強引なんかじゃなくて。こんなにも強い力じゃなくて。もっとふんわりと、ゆるやかな、穏やかな、もので。


 何かが、違う。


 戸惑うあたしに構うことなく、今度はユウにぃの左手が、顎を掬い上げるように、あたしの頬に触れてきた。

 ぐいっと、顔が持ち上げられる。


「ユウ、にぃ?」


 とっさに離れようと、もがいたけれど。

 腰と頬に回された彼の手に、しっかりと固定されていて、逃げられない。


 ユウにぃの顔があたしの顔に、暗い影を作る。

 唇に、ぐにゅりと奇妙な感触がした。汗なのか呼気からなのか、男の人の匂いがむっと立ちこめてくる。なぜだろう。何もかもが、あたしの大好きなユウにぃのはずなのに。


 何もかもが、あたしのユウにぃじゃないみたい。



「ん……っ」


 膝が、ガクガクと震えている。意味も分からずあたしはもがいていて、でも彼の唇は押し付けられたまま、離れない。涙が、なぜか頬を伝っていく。


 隣の家に住む、優しい優しいお兄さん。

 あたしの大好きなお兄さん。

 いつもあたしには甘くって。いつだって困っているあたしを助けてくれて。どんな時でも温かくあたしを受け止めてくれる人。


 幼い頃から、ずっと憧れていたお兄さん。

 あたしの理想のお兄さん。

 いつも笑顔でいてくれて。優しく頭を撫でてくれて。心細い時にはギュッと抱きしめてくれて、側に居てくれて………


 ………ねぇ。

 あたしは今、この人と、キスをしているの?

 

 じわじわと、唇に違和感が広がっていく。

 



 それはあたしの中で何かが違っていた。





 


 ぷはぁ、と口から空気が吹き出して。自分が息を止めていた事を知る。


 唇がようやく解放され、彼の顔があたしから離れていった。腰に回されていた腕も、頬に当てられていた手のひらもいつしか解けていて、あたしは覚束ない足取りで2歩、後退した。

 顔を上げて、目の前の誰かを見ようとした。涙で視界のぼやける中、ようやく目の当たりにした彼の顔は、ひどく辛そうなものだった。


 ユウにぃの指先があたしに伸びて、頬に触れようとする。


 瞬間、身体がびくりと反応して、肩が竦む。彼は、はっとして伸ばした手を元に戻し、傷ついたような表情をして、顔を伏せた。


 どうして。


 どうしてあたしは、こんなにも身構えているのだろう。


 目の前にいるのは、あたしの大好きな人のはずなのに。

 今のあたしは。好きな人に抱きしめられて。キスをされて。あとはもう、頷くだけで好きな人と付き合える、幸せな女の子のはずなのに。


 ………どうしてあたしは、口元を手で覆っているのだろう。



「ごめん雛ちゃん、もう帰らせて。頭冷やしたい……」



 なにも、返事が出来ずにいた。



 辛そうな顔をして去って行く彼を、引き留める事すら出来ずに。あたしはただ、その場でうずくまって頬に雫を垂らしてた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雛の兄・麟のお話です♪
いじわる王子
バナー/楠木結衣様

雛の友達・紗英と蓮のお話です♪
可愛くない
バナー/楠木結衣様
― 新着の感想 ―
[良い点] 少女漫画! 中学生女子が部活終わりに単行本読み回してキャッキャッするやつ! 可愛いです! 子どもの頃を思い出しつつ、雛ちゃんの親目線で微笑ましい気持ちになります。 雛ちゃんの子どもの…
[良い点] ユウにぃがやっと動いた! と思いきやのすれ違い…… 雛ちゃんが押しまくってた割には、ユウにぃがちゃんと(?)はぐらかしていてくれたがゆえに、押すことだけに夢中であんまり先のこと考えてなかっ…
[一言] ふぅ。 拗らせすぎるのもいい加減にせェよあんちゃん(# ゜Д゜) ここまで強引な子は逆に怖いのだ。 こうなったら雛ちゃんはサディスト女王系ヤンデレ堕ちしないと今の彼とは釣り合わないの(ぇ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ