13 近寄れなくて
「避けられてる気がする………」
ユウにぃの部屋で一緒に読書を楽しんでから、早2週間。
あれから一度も、彼の部屋に入れずにいる。
お互い、明るい時間にバイトが終わる日も何度かあって、その度にあたしはユウにぃに誘い掛けているけれど、いつも断られてしまうのだ。
『ごめん、麟と約束してるんだ』
なんて言って。お兄ちゃんといてばかりだ。
平日ずっと一緒にいるくせに。休日くらいあたしといてくれたっていいのに!
……………。
もしかして、膝枕で寝ちゃった事、怒ってんのかな……
まさか、ジーンズによだれがついていた……なんて事、ないよね?
まさか、まさかね。ないと思いたい……。
「雛、なにやらかしたの?」
サエが、同情するような瞳をあたしに向けた。
正確に言うと、あたしの向こうに見えるユウにぃの影に、憐みの目を向けている。兄といいサエといい、揃いも揃ってあたしには手厳しいくせに、彼には同情的なのだ。
あたしは頬杖をつき、わざとらしくふぅと溜息をついてみた。
「押し倒しちゃった」
「は!?」
というか、抱き着いたら、倒れちゃった。
ユウにぃはあたしを避けているのかも知れない。実は、心当たりがもう一つ、あたしにはあるのだ。
あの日、ユウにぃの膝の上で眠りこけた後の出来事を、あたしは思い浮かべていた。
そう、あの時あたしは―――
肩を揺り動かされて、目が覚めた。
頬の温かな感触に、気持ちよくまどろみながら、ゆっくりと目を開けていく。
「もうすぐ夕飯の時間だよ。雛ちゃん、もう起きなよ」
「んん……」
優しい声が聞こえてくる。
むくりと上半身を起こした。腕や頬から、温もりがすうっと消えていく。ヒヤリとした空気が、触れるもののなくなったあたしの肌を掠めていった。
なんだか、寒いな。
「わ!」
すぐ側に、温かそうなユウにぃが無防備な状態で座っていた。
丁度いい。腕を伸ばして、彼の正面から、ぎゅーっと抱きついてみる。
やっぱり彼はあったかい。調子に乗ったあたしは、そのまま彼の胸元に、ふるふると顔を擦り付けた。
「ちょっと、雛ちゃん起きて……!」
ユウにぃが焦った声を出したけど、いつものようにスルーした。寝ぼけたふりをして、そのまま甘えてぎゅうぎゅうに抱き着いていたら………勢いのまま、彼を倒してしまった。
とっさに手のひらを床についたらしい。頭は打たなかったものの、勢いに耐えきれず、ユウにぃの背中がカーペットの上に着いた。
「ごめんね、ユウにぃ。あったかくてつい」
「そんな事言って、また寝ようとしてない!? 雛ちゃん、僕の身体はベッドじゃないからね」
「だってなんか気持ちいいんだもん。もしかして、あたし重い?」
「重くはないけど……」
ドッドッドッドッ
胸元に耳を当てていると、ユウにぃのはっきりとした鼓動が聞こえてきた。なんだか落ち着く、心地よい音だ。
母親の心臓の音は、赤ちゃんを安心させる効果があるらしい。
はっ! ということは、この音を聞くと落ち着くあたしは、レベルが赤ちゃんと同じってこと!?
やばっ。15歳からどんどん遠ざかる……
がばりと胸から飛びのいた。あたしはユウにぃにお似合いの、大人の女性を目指すのだ。
顔を上げるとユウにぃは、眉を寄せ、唇の端っこを噛みしめていた。
手のひらを強く握りしめている。
吐息混じりの小さな呟きが、聞こえてきた。
「勘弁して……」
!!!!!
あたし、ユウにぃを怒らせちゃったんだ。
きっと、そうだ。あたしを部屋に入れると、ろくな事にならないって思われちゃったんだ。上にのしかかられて、ものすごく迷惑だったんだ。重くないってユウにぃは言ってくれたけど、あれは優しい嘘だ。膝枕も重くて痛くて、足が痺れて大変だったに違いない。
だからあたしの誘いを断るんだ。一緒に居たくないから。
だからお兄ちゃんとばかり、一緒にいるんだ。
知ってる。兄と相合傘をしてしまったあの日、本当は2人は約束なんてしていなかった。だってあの時ユウにぃは、兄を見て少し驚いたような顔をしていた。なのに、兄の嘘に乗っかって、2人で連れ立って本屋へ行こうとした。
それは、あたしと居たくないからだ。
「雛、もう少し大人になろうよ」
「サエ、あたしも反省はしているの。どうしたら許して貰えるのかな」
「しばらく、そっとしておいてあげるといいんじゃないかな……」
サエはなぜか、遠い目をして窓の向こうを見た。
ふふっと、あたしにはよく分からない笑みを浮かべるのだった。
◆ ◇
「え、旅行!?」
家に帰ると、母がウキウキした様子で、旅行カバンに荷物を詰めていた。
「そうよー。明日明後日と、お父さんが社員旅行でいないでしょ。だから私もこの隙に、ちょっと女子会して来るわ」
「もしかして、ユウにぃのお母さんと?」
あたしのお父さんとユウにぃのお父さんは、同じ会社で働いている。だから、飲み会や社員旅行など、家に居ないタイミングが双方ピッタリと同じなのだ。
父がいない日、母はいつも浮かれている。おばさんと一緒に過ごせるのが楽しいらしい。
「そうよー。麟と2人で留守番、よろしくね。いい、インターフォンが鳴っても絶対に出ちゃダメよ。コンロは危ないから触らないでね。お兄ちゃんの言う事、よく聞くのよ?」
「お母さん! あたしもう高校生………!」
なにその、小学生の留守番みたいな心配は!?
面白くない。ぷくっとむくれていたけれど、冴えてるあたしはピンときた。
ユウにぃん家も、明日は、ユウにぃ以外誰もいない。
これはきっとチャンスだ。
迷惑ばかりかけた彼に、お返しをするチャンスだ。
あたしの手料理を振舞って、見直してもらうのだ………!
「ん!? なにこんなとこで突っ立ってんだよ、雛。さっさと家の中入れよ」
夏場の夜は、陽が沈むのが遅い。
薄暗い中、家の前でじっと待ち構えていたら、ユウにぃが兄と連れ立って歩いてきた。
大学からの帰りだ。
2人して、楽しそうに笑いながら喋り合っている。悔しい。あんなユウにぃの顔、あたしは最近、まともに拝めていないのに。
ユウにぃがあたしに気付き、目を見開いた。
家の外であたしが待っているとは、これっぽっちも思っていなかったようだ。
「あのね、お母さん、明日からおばさんと旅行行ってくるんだって」
「それがどうした」
「でね、ユウにぃも明日一人なんでしょ? おばさんの代わりに、あたしがユウにぃの夕飯作ってあげようと思って! ね、明日は一緒に食べよ」
「え……雛ちゃんが?」
ユウにぃが戸惑いの声をあげた。
あたしの料理の腕を信用していないようだ。ふふん。大丈夫。あたしだって、頑張れば、カレーくらいなら作れるはず………
「いや、明日は俺と侑で飲みに行くから。雛は一人でお留守番な」
「え~~!!」
鬼め!
あたしの野望をことごとくぶち壊そうとする、鬼め!
「ごめんね雛ちゃん。気持ちは嬉しいけど、麟と約束してるから」
ユウにぃまで………。
「そんなぁ……。じゃあ、あたしも連れてってよ」
「何言ってんだよ、高校生なんて連れて行けるわけねーだろ」
「お兄ちゃん達だって未成年じゃん!」
「誰も酒飲むなんて言ってねーだろ。大学の奴らとみんなで居酒屋に行くんだよ。雛なんて場違いもいいとこだから連れてけない。大人しく留守番しとけ」
「っっっっっっ!!!!」
嘘だ!
これも絶対、嘘だっ!
大学のみんなとなんて、嘘だ! あたしの邪魔をしたいだけだっ!
その証拠に、兄が口の端をにんまりと持ち上げている。この上なく愉快そうだ。
「意地悪っ! お兄ちゃんの意地悪っ!」
「なんとでも言え。俺は侑のように、お前に甘くないからな」
「ユウにぃ………」
縋るように、ユウにぃの目を見た。
「雛ちゃん………」
ユウにぃの口元がぐっと詰まる。すかさずあたしは、ユウにぃの腕を掴んだ。
「あたし、ユウにぃと過ごしたい……」
掴んだ腕がびくりと動いた。
お願い、お兄ちゃんの誘いを断って、あたしと過ごして………!
しかし鬼は黙って見ていなかった。
べりりと無情にも、ユウにぃからあたしを引き剥がす。そのままずるずると、家の中に引き摺られていった。
「ひどい、放して!」
「侑に手料理を食わせようとするお前の方が酷いって事に、いい加減気が付けよ」
それ、どういう意味!?
次の日。あたしは結局、一人寂しく夕飯を食べるのだった………。