11 仲の良い2人
更衣室を出て、出入り口に向かうと、扉の前でユウにぃが吉野さんと喋っていた。
吉野さんがケラケラと明るく笑い、ユウにぃの肩をペシッと気軽に叩いている。こげ茶の髪に手を遣りつつ、ユウにぃは照れくさそうに笑っていた。
なんか、仲いいな……。
面白くない。ユウにぃがあたしじゃない人と楽しそうにしている。
吉野さんはユウにぃより一つ年上だ。あたしよりユウにぃと年が近くって、2人が並ぶと、ちゃんと恋人同士に見える。いいな。吉野さんはあたしみたいに、兄妹だと間違われることはないんだろうな。
こうして2人を眺めていると、彼女の方があたしよりも彼の近くにいるような錯覚さえ起きてくる。そこはあたしの居場所なのに、なんだか取られたような気分だ。
ふんっ。今日は吉野さんじゃなくて、あたしと一緒に過ごすんだから……
「ユウにぃ、帰ろ!」
邪魔をするように、わざと大きな声を上げる。2人はあたしの存在に気付き、お喋りを止めた。
「吉野さん。雛ちゃん来たので、そろそろ帰りますね」
「うん、またねー葉山くん。今日は色々喋れて楽しかったよ。今度一緒にご飯食べにいこ―!」
「あ、はい」
さらっとご飯の約束してるしー!
やだ、本当に仲良くなっちゃってる。2人の間に何があったの……
吉野さんは手を振って帰っていった。残されたのはあたしとユウにぃのはずなのに、無性に不安になってくる。
彼の隣に居るのは、吉野さんじゃない。あたしなんだ。そのことを実感したくって、ユウにぃの背中にギュッと抱きついてみた。
子どもに飛びつかれた父親のように、あたしの不意打ちに「うっ」と小さく叫んで身体をよろけさせた後、ユウにぃが身をよじってあたしをやんわり離していった。
「僕達もかえろ?」
ああもう!
ほんとうに彼は、あたしからすぐに離れようとする。
◆ ◇
「あ、雛ちゃん、どこか行きたい所とかある?」
ファミレスを出てしばらく歩いた後、ハッとした様子で、ユウにぃが慌ててあたしにそう言った。
デートだ。デートのお誘いだ。誘い方がなんだか、約束を忘れられてた感満載な気がするけれど、誘ってくれた事自体は嬉しいので、大人なあたしは目をつぶる。
でも、今日は家の中で過ごしたいな……。
こうして一緒に過ごせるのは、本当に久し振りなのだ。ユウにぃの部屋もご無沙汰だ。なにより、2人きりでゆっくり過ごしたい。
「ユウにぃの部屋に行きたい!」
「えっ……。ぼ、僕の部屋でいいの?」
「ダメなら、あたしの部屋がいいなっ。どっちか好きな方選んで」
「その2択で決まりなんだ…………。……じゃあ、僕の部屋で……」
ちょっぴり困惑気味の顔をしながら、彼は視線を、あたしではない何処かへ向けた。
……あたしはちゃんと気付いてる。
最近のユウにぃは、困った顔をよく見せるようになった。
あたしのせいだ。ワガママなあたしは、彼を日々困らせてばかりいる。
でもさ。
部屋に行くくらい、よくない?
もしかして、部屋の中散らかってるのかな。
それとも、ほんとは忙しかった?
ほんとは、吉野さんと遊びに行きたかった?
ほんとうは……あたしといるのは、いや………?
「雛ちゃんがうちに来るの、久し振りだね」
ユウにぃの顔を、じっと見つめてしまっていた。
あたしの視線に気づいた彼が、にこりと柔らかく微笑んだ。大きな手で、あたしの頭を優しくポンポンと叩く。
不安な心を、慰めるかのような、リズム。
「……うん!」
あたしはホント現金だ。
彼の穏やかな笑顔に、もやもやしたものが全て、吹き飛んていた。
ピンクの玄関マットに足を乗せた。
久し振りの隣家に、あたしの心はすっかり浮足立っていた。軽やかな足取りで2階に上がる。
「わーいユウにぃの家だー!」
「走っちゃ危ないって。雛ちゃん嬉しそうだね。そんなに喜ぶような場所じゃないよ」
「だって久し振りなんだもん! それにあたし、ユウにぃの部屋大好きだしっ」
ユウにぃが苦笑している。
いいものないよって笑ってる。いいもの、あるよ。だってユウにぃがいるんだよ。
部屋に入ると嗅ぎ慣れた匂いがした。ユウにぃがいっぱいで、相変わらずここは落ち着く空間だ。
ローテーブルの上に、情報誌が置かれていた。手に取ってパラパラと中を見る。最初の方のページには、飲食店が沢山紹介されていた。
「そういえばさ。ユウにぃ、吉野さんとご飯食べに行くの?」
「うん」
あっさりと認めつつ、ユウにぃが本棚の中から文庫本を一冊抜き取った。床の上に腰を下ろし、本をめくりだす。
一緒に過ごすといっても、あたし達は特別何かをする訳じゃない。テレビを見たり、お喋りしたりもするけれど、大抵はこうしてユウにぃは本を読んでいる。
あたしはその側で、好き勝手な事して過ごしてる。ユウにぃにベタベタしてみたり、持ち込んだ漫画を読んでいたり、ベッドでゴロゴロしながらうたた寝したり、部屋の中のものを物色してはしゃいでいたりする。
大学の教科書とか、ペンケースの中身とか、自分では絶対に買わないような雑誌とか、興味の引かれるものがあちこちに転がっていて、楽しい。ユウにぃは優しいから、あたしのする事にはいつも怒らない。
あたしの一番のお気に入りは、アルバムを眺めることだ。あたしの知らない、中学や高校時代のユウにぃがそこには写っている。隣のユウにぃは大人っぽく見えるのに、写真の中にいる彼は、なぜか幼く見えるのだ。高校3年の冬の写真なのに、ユウにぃが可愛い。なんでだ。謎だ。
ちなみに、同じものを兄も持っているけれど、兄は鬼だから見せてくれない。そもそもあたしを部屋に入れてくれないしっ!
「今日、吉野さんと楽しそうに喋ってたね。なんのお話していたの?」
「特にどうって事ない話ばかりだよ」
ユウにぃが口元を手で覆った。ほんのりと頬を赤くし、あたしから視線をずらす。
えぇ!? その反応、なに!?
どうって事ある話ばかりに見えるんだけど……
「ごめん、この本明日までに返さないといけないんだ。今日中に読んでしまいたいから、雛ちゃんも適当に過ごしてて」
それ、答えになってない!
なに、あたしに言えないような話なの?
答える気が無いようで、ユウにぃは黙々と本を読んでいる。
うつむいて読んでいるせいで、こげ茶の長い前髪が、眼鏡を覆うように掛かっていた。
むぅ。
こうなるとユウにぃは口を割らない。
しょうがない、諦めるしかなさそうだ。
さて、何しようかな……
「それ、どんな本?」
ユウにぃの背後に回り、後ろから読んでいる本の中身を覗き込んだ。難しそうな本だ。紙面が、文字でびっしり埋まっている。
「ミステリーだよ」
「ふぅん。相変わらず難しそうなの読んでるんだね。謎なんて、いくら考えてもあたしには解けそうにないや」
「僕も、本格的に推理して読む訳じゃないよ」
今日は、もう少し構って欲しい気分なんだけど。
彼はあたしの相手をする気がないようだ。簡単な返事だけして、すぐさま口を閉じてしまう。本に集中したいみたい。
つまんないなぁ。
ユウにぃの首に腕を回して、べったりと背中にくっついた。構って貰えないなら、しょうがない。こうしていよう。
「んー…いい匂いがする」
「…………」
「ユウにぃの服ってさ、柔軟剤の香りしないね。ユウにぃの匂いがするよ」
「…………あの、雛ちゃん」
「なぁに?」
「本に集中出来ないから、離れて?」
「ごめん、うるさかった? 黙っとくね」
「…………いや、そうじゃなくて」
ユウにぃが、へん。
身をぎゅっとすくめて、縮こまっている。もしかして首、苦しい? 覗き込むと、いつも以上に困り顔をしていた。
しょうがないなあ。名残惜しいけど、離れてあげよう。
絡めた腕を解いて、彼から離れた。ユウにぃがホッとしたように息を吐いた。
よし。今日はあたしも、隣で一緒に本を読んでやろう。
本棚から一番難しそうなタイトルの本を取り出してみた。ユウにぃの隣に座り込んで、ペラペラとページをめくってみる。中には暗号がびっしりと書き込まれていた。
ううむ……全く分からない……
「……雛ちゃん?」
「なぁに、ユウにぃ」
「それ文語体で書かれている本だから、雛ちゃんには難しいと思うよ?」
「平気平気。あたしだっていつまでも子どもじゃないの。15歳なの。大人の女はこういう本も読めちゃうの」
「まぁ、どうしても読みたいなら止めないけど……」
一文字一文字、頑張って解読を試みてみた。
ううむ。うむうむ………ふぁ、眠い……
「ちょっ、雛ちゃん!? 何やってんの?」
「ごめんユウにぃ、眠くなっちゃった」
「だからって僕の膝の上で寝なくても……。眠いならベッドで寝なよ」
「やだ、もうここで寝るぅ……おやすみぃ………」
「あれ、………もう寝ちゃった?」
ユウにぃの膝の上、あったかくて心地いい。
くっついている右頬が、ぽかぽかと温まってきた。意識が、とろりと沈んでいく。
「………もう、ほんとうに雛ちゃんは……」
ユウにぃの切なそうな声が、ぼんやりと耳に残る。
なにかがあたしに触れてきた。左の頬も、ぽかぽかと温かくなっていた。