1 ユウにぃと妹のようなあたし
「雛ちゃん、ほんとごめん………」
「もうっ……信じらんないよっ!」
日曜の朝、午前10時15分。
あたしは、花柄のワンピースにベージュのニットカーディガンを着て、お気に入りのバッグを肩から下げていた。今の自分にとって、目一杯のお洒落な格好で今、ここにいる。
当然、髪型にも気合が入ってる。コテで髪をクルクルに巻いて、後頭部の上半分を編み込んだ。その為に今朝は頑張って早起きした、のに!
目の前の彼は、スゥエット姿でぼさぼさの頭を、申し訳なさそうにポリポリと掻いている。へらりとした笑顔が妙に可愛くて、早くも絆されそうになってしまった。こんなの、誤魔化す為のものなのに!
ああもう!もう、もうっ!
イライラして、彼の胸元めがけてポカポカ拳を振り下ろした。
こんなにあたしが怒っているのに、彼の足はまだ、ベッドの中に潜り込んだままなのだ。上半身だけ起こして謝罪をするなんて……これ絶対、悪いと思ってないっ!
「わ、わ、わ! 悪かったから、ちょっ、止めて雛ちゃん? 倒れるって……」
「ふんっ、倒れちゃえ! 心配しなくてもベッドの上にいるんだから、頭打ったりしないよね」
「いや僕じゃなくて雛ちゃんが倒れそうなんだけど……」
「え……ひゃっ!」
わわわ!
夢中になって叩いているうちに、よろけてバランスを崩してしまった。
グレーのスゥエットに、顔面から勢いよくダイブしてしまう。彼の胸元に鼻をぶち当て、ごちんと鈍い音がした。
ううう……痛い。
「だから言ったのに……大丈夫?」
「~~~~~っ!」
鼻を押さえながら顔をあげた。心配そうに私を見つめる彼に指をつきつけ、ぴしりと文句を言ってやる。
「今日、一緒に映画見に行こうって言ったのに! 10時に出発って言ったのに! 今の今まで寝てるなんて信じらんないっ!」
「悪かった、僕が悪かったよ。急いで準備してくるから待ってて」
「10分っ! 10分で準備してよ?」
「10分は無理じゃないかな……」
枕元に置いてある眼鏡をかけ、のそのそと彼がベッドの外に出る。シャキッと動いてよ、もう!
むくれているあたしの頭に、大きな手がふわりと乗せられた。
温かくって、心地よい、あたしの大好きな手のひらだ。そのまま頭を柔らかく撫でられて、ついつい、口元が緩んでしまう……。
「後でお詫びするから。機嫌直して? 雛ちゃん」
「……っ! もう! 分かったから急いで、ユウにぃっ!」
あぁ悔しい。
簡単に誤魔化されてしまった。
初めて会った時から、あたしはこの手に弱いのだ。
唇を引き結ぶあたしに背を向けて、ユウにぃは階段を軽い足取りで降りて行った。
◆ ◇
ユウにぃは、隣に住む3つ年上のお兄さんだ。
たったの3つなんだけど、ユウにぃのあたしへの態度は、もっと差があるような気がしてる。あたしだってもう15歳。4月になれば高校生になるのに、まだまだ子供扱いされている。
3歳の年の差って、大きい。
大人になってしまえば、大した差じゃないのかも知れない。でも10代にとって3つ差は、とっても大きな壁なのだ。
小学生時代、毎日一緒に登校してくれたユウにぃは、あたしより3年も早く中学生になり、側からいなくなってしまった。寂しい思いを抱えて3年が過ぎ、やっと中学生になれたと喜んでいたら、彼は高校生になっていた。
そうして今。ようやく高校生となるあたしとすれ違うように、ユウにぃは大学に通うようになる。
いつまで経っても、あたしは彼に追いつけない。
ユウにぃと同い年なら良かったのに。
そうすればあたしは、彼の隣に並ぶことが出来たのに。
妹のように、思われなくて済んだのに。
◆ ◇
あの後、ユウにぃは本当に10分で準備を済ませてくれた。
急いでくれた事に、少し気を良くしたあたしは、ユウにぃが朝食を食べ終えるまで待ってあげる事にした。
映画は、最初に予定していた午前の放映には、当たり前だけど間に合わなかった。
「本当にごめん……」
「いいよもう。午後からもやってるみたいだし、後で来よ?」
この春、あたしは高校、ユウにぃは大学に、それぞれ無事合格した。
合格祝いに何が欲しい? と聞かれたので、映画が見たいと言ってみた。見たかったのは本当だけど、半分以上は口実だ。そう、あたしはユウにぃと、ご褒美デートがしたかったのだ。
ずっとウキウキしていて。昨日の夜だってなかなか寝付けなくて、今朝だって早くから起きて準備してたのに、それなのに。
ユウにぃは寝坊するなんて………
分かっていたけれど。
ユウにぃは、あたしほど今日を楽しみにしていないんだ。あたしにとってこれは、大好きな人とのわくわくするデート。でも、彼にとってはそうじゃない。
隣の家に住む妹みたいな子に、せがまれて仕方なく付き添ってる程度の事なんだ。
ため息が出そうになる。
映画館から、ショッピングモールの方に歩き出した。
日曜で、なおかつ春休み中でもあるせいか、今日は人がいっぱいだ。賑やかなモールの中をキョロキョロしながら歩いていると、ユウにぃがにこりと笑いながら、あたしに手を差し出してきた。
「雛ちゃん、人が多くなってきたね」
「そうだね」
「手、繋いでおこうか?」
むぅ。
はしゃいで、はぐれちゃうとでも思ってんのかな。
いくらなんでも、そんなにお子様じゃないのに……
「ユウにぃっていっつもあたしを子供扱いするよね。あたしもう、15歳なんだけど?」
「子供扱いなんてしてないよ。これでもちゃんと、15歳の女の子扱いしてるつもりだよ?」
穏やかで優しい大人の微笑み、いつものユウにぃスマイルだ。この余裕たっぷりの笑顔に、あたしは簡単に誤魔化されてしまうんだ。
ちょっと面白くなかったあたしは、ユウにぃの手のひらをスルーして、腕にしがみついてやった。
「ふーんだ。手なんか繋がないもーん。腕組んでやるんだもーん」
「ひ、雛ちゃん? ちょっと……腕は止めよう?」
チラリと見上げると、ユウにぃが困ったような顔してる。
しがみつかれると重いよね。歩きにくいよね。うん、邪魔だよね。
……でも、腕の抱き心地、いいな。
ユウにぃの腕は、ぎゅっとするとあったかくって、顔を寄せると落ち着くいい匂いがした。
気紛れでやってみた事だけど、あたしは、もう少しこうしていたくなった。
「寝坊した罰として、腕はこのまま離しません!」
「えぇ……」
「このまま……あたしの見たいお店に、ユウにぃ連れ回してやるんだから」
「……分かったよ、雛ちゃんの好きなとこ回って。どこでもついていくから」
ユウにぃの口から、軽く息が漏れた。
しょうがないなぁ、って、きっとあたしに呆れてる。
ユウにぃは優しいから。本当は嫌だと思っていても、あたしを無理やり引き剥がしたりなんて、しないんだ。わがまま言って振り回してばかりいるのに、ユウにぃはあたしを怒らない。
うんと年下の妹を、甘やかしてる兄みたい。
―――そう。たった3つの年の差なのに、あたしは女の子になれていないのだ。
ユウにぃは、あたしを妹みたいに思ってる。
もやもやして横を向く。腕を組んだあたしとユウにぃは、周囲にはどんな風に映っているのだろう。モールの壁は所々ミラー仕様になっていて、あたし達の姿がちらりと映って見えた。
―――あ、見なきゃよかった。
大人っぽくて、落ち着いた雰囲気のユウにぃの腕に、お子様っぽいあたしがまとわりついている。これって恋人というより………兄妹みたい。
これが現実かぁ。
肩を落とす。あたしとユウにぃは、とてもカップルには見えてくれなかった。