徹と詩恵
桜の木に青々とした葉が生い茂る季節。
まだセミは出てきていない中庭のこの場所はいつも人気のランチスポットになっていて今日も人が多い。
ひときわ大きい桜の木の下に、雀たちはすでに弁当を広げて昼食を楽しんでいた。
「おかえり、天音」
近寄ってきた天音にいち早く気づいた雀が声をかけた。
「お、現れたな十連敗」
「よしてくれよ、徹。三宮先生が不憫だろう」
天音を待っていたのは雀とあと二人。
大きく口をあけて笑っている大男の名前は大島徹。
夏服に移行してしまったことで盛り上がる筋肉を隠しきれていない。そのたくましい肉体とおおらかな性格が彼の持ち味であり、人当たりもいいため入学してすぐに仲良くなった。
「本当に運が悪いよね、天音君。学科試験であんなに点数取ってるのにどうなってるの?」
「これが今の実力ってことだろうな。ここからどうにでもしてやるさ」
「さすが天音くん。まったく嫌味にどうじない」
「わかって言っているだろう?」
「うん!せっかく元気付けてあげようかと思ったけど必要ないみたいだね」
こっちの元気のいい女子生徒が薙野詩恵。
華奢とまでは言わないが、細身の身体と低い身長のせいでよく中学生と間違われている光景をよく目にする。
こちらも徹と同じく一年生の時からの仲で、少し抜けている雀と相性がいいようだ。
二つにまとめられた髪を垂らしけらけらと笑う彼女はなんだか楽しそうだが、二人の一見不謹慎ともとれる笑い声に雀が狼狽えている。
「気にするな、雀。こいつらなりに励まそうとしてくれているんだろう」
悪意を持った人間の言葉には特有の波長がある。
最近、理由があってその波長はよく耳に入ってくるので、彼らの言葉に棘がないことはすぐにわかった。
もちろん彼らは俺がそれを理解できることをわかってこういう言葉をかけてくれているのだから、いちいち目くじらを立てるのは不毛というものだろう。
天音は雀に預けておいた弁当を受け取るとその隣に腰を下ろした。
「それで、三宮先生はなんて言ってた?」
「ランク戦十連敗おめでとう、だそうだ」
「さすが三宮先生、天音のことを理解してるな」
「学科試験学年一位、ランク戦戦績学年最下位だもんね。あの成績でどうしてこんなことになるのかな?やっぱり、あのフォトンのせいかな」
「フォトンもそうだが、やはり俺自身の能力の低さが問題だと思う。素早さが圧倒的に足りないせいで反応が遅れる。網羅型の計算は正答率は高いが速さという面においては手間がかかる分後れを取ってしまう」
仮想体に変換される主な力は、速度、膂力、耐久だ。
それらはそれぞれ、計算速度、正答率、集中力から変換される。
この中で、計算速度がほかに比べて低い天音は必然的にこういう能力値になってしまう。
「一度、雀みたいな解き方でテストを受けてみるのはどうだ?」
「……それも考えてみたんだが、やはり性に合わないな。これで合っているという確証が欲しい」
「まあ、それだけ確かめが出来るんだから、計算速度が遅いってことはないんだろうけどね。そもそも私らもそろってDランクだったんだから、あんまり偉そうなことは言えないね」
詩恵はポテトサラダを口に運び、まだ聞いていなかった彼らのランクを平気な顔で暴露した。
「一応、三宮先生がフォトンの交換が出来ないか確認を取ってくれるそうだ。網羅型の俺としては、それまでに、なにか有効な使い方ができないか色々と試してみるつもりだ」
「うん、応援してる。模擬戦やりたかったら、いつでも声かけてね」
「ありがとう、雀」
「むぐむぐ……俺たちも手伝うぜ」
口になにかを入れたまま話す徹。
「こら、行儀悪いでしょうが。もちろん私も手伝うけどさ」
叱られている本人の徹はちらっと詩恵の顔を見たが、性懲りもなく口を開く。
「気にするなって。洋食を食べるときは会話を楽しむのがマナーの一つなんだぞ」
「ここは日本だし、そもそもあんたが今食べてるのは唐揚げでしょうが。はあ、もうまったく」
詩恵にどれだけ注意されてもあっけらかんとしている徹にさすがの詩恵も音を上げてしまったようだ。
「二人もありがとう。そういうことなら、今日の放課後さっそくお願いしてもいいか」
「うん、もちろん」
「俺もいいぜ。もちろん、詩恵もだろ?」
「それはいいけど。具体的になにをするつもりなの?」
「とりあえず、思いついただけの方法を試してみるつもりだ」
「思いついたって……いま?」
「ああ、そうだが?」
「いや、それを考えるのを手伝うっていう話なのかなと思ってたから」
「目的も定まっていないのに時間を取らせるわけにはいかないだろう」
「……そうだけど」
高校生らしからぬ大人びた至極真面目な返答に違和感を覚える詩恵だったが、今更そんなことを気にするのは馬鹿らしかった。
「天音ってホントに理屈っぽいよね」
「そうかな。結構、天音は感情的に動くこと多いと思うけど」
「そうなのか?俺たちは見たことがないな」
一斉に三人の視線が天音に集まる。
しかし、理屈っぽいというのも感情的な行動が多いというのも自分にはあまりしっくりこないので本人はなんとも言えないようだ。
「中学生の頃まではすぐ手を出して、兵司によく怒られてたよね」
「そうだったかな」
「へえ、意外」
「その兵司ってのはだれなんだ?」
突然現れた知らない名前に徹が首を傾げた。
「前に詩恵には話したことあると思うけど、私たちのもう一人の幼馴染なの。違う学校に進学したんだけど、今頃どうしてるかな」
空に浮かぶ雲を眺め穏やかな表情の雀は、兵司と決別したあの日の辛さは残っていないようだった。
決別といっても完全に縁を切ったわけではなく、お互い言葉を交わすことなく理解できてしまったことによって起こった勘違いのようなものだ。
もし、次に顔を合わせることがあれば、その時あいつは自分で俺たちの隣に居ていいと判断してくれたということだろう。
「あいつは馬鹿だからな」
「うん、馬鹿だね」
「この二人を相手にできるってことは相当面倒見がいいやつだったんだろうな」
「よくわかったな」
「いや、なんとなくわかるって」
この場にいない、そもそも姿を見たことがない兵司の人間像を予想することは、天音と雀の普段の行動を見ていれば容易なことだった。