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決別 Ⅱ

幸いにも時間ギリギリに受付を終わらせた天音には雀と話すような時間はなかった。

 学科試験が一科目しかないことも幸いし、試験終了まで兵司の件が雀の耳に入ることはなかった。

 ただし、一人で抱え込むことになってしまった天音は試験中に兵司のことが脳内にちらつき、いつもなら絶対に間に合うはずだった試験がチャイムのなる寸前まで時間を使ってしまった。


「天音、兵司は間に合ったの」

「あいつはここに来てなかった」

「え、なんで!?」

「わからない。だから、今から直接兵司に聞く」

 試験を終えるや否や学校を飛び出した天音たちは、すぐさま兵司の元へと向かった。

 すでにメールを送って中学校に来るように指示をしているが、それに対する兵司からの返信はなかった。

 電車に乗り、席に腰を下ろすとようやく冷静な判断をできるようになってきた。

「雀、どうして兵司は来なかったと思う」

「遅刻……とかじゃないよね」

「ああ、あいつは今、中宮高校の受験を終えている頃だろう」

「中宮高校って、なんで私たちに言ってくれなかったんだろう」

 俺たちに予想できる理由としては、単純に学力の問題。

 兵司は夏休みに入る前から数学だけに絞って学習に取り組んではいたが、年末に図書館で会ったときはあまり結果が出ていない様子だった。

 それならば、俺たちに一言言ってくれてもいいではないか。

 志望校を変えることに対し、責任を感じてこんな行動に出た。

 もし、そんな単純な理由だったとすれば俺は兵司と顔を合わせた時に平常心を保っていられるだろうか。

「天音、怒ってるの……」

「……もしかしたら、何か事情があるのかもしれない。俺たちに相談できないような、そんな事情が……。でも、もし、ただ単に落ちるのが恐くなったなんて陳腐な理由だったなら、俺はあいつを許すことは出来ないかもしれない」

「……天音」

 どんな理由であれ、俺たちに相談してほしかった。

 いつも俺たちの世話ばかり焼いている兵司が弱みを見せたがらないのもわからなくはないが、そんなに俺たちは頼りない存在なのか。

 電車に揺られながら、何度も兵司に会った時のシミュレーションをしてみたが、そのどれも穏便に解決することはなかった。

 

 今日も中学校は平常運転で授業が行われている。

 受験を控えた三年生以外の生徒たちにとって、この日はさほど重要な日ではない。

 いつもなら自分たちも席に着いている時間に廊下を歩いているのは不思議な気持ちだった。

 岩田先生への受験の報告を後回しにして、俺と雀は一組の教室へと向かった。

 もし、兵司が俺のメールの通り学校に来てくれているのなら、中宮高校は咬園学園よりもここから近いためすでに教室で待っているはずだ。

「……」

 雀も黙り込んでしまい、なにが起こるのか不安そうにしている。

三階までの階段を一段飛ばしで登り、二人は三年一組の教室の前にたどりついた。

 鍵は……かかっていない。

 扉を開くと、いつもの席には奴が座っていた。

「兵司……」

「待ってたよ、天音、雀」

 兵司は殺風景な曇天を眺めていた。

 思ったよりも穏やかな表情をしている兵司に、天音はすぐさま飛びかかることはせずゆっくりと彼に近寄って行った。

「どうして俺たちに黙って志望を変えたりした」

 もはや俺たちの間で遠慮など必要ないだろう。

 それだけ信頼していたからこそ、天音は怒りを覚えた。たった一言、俺たちに弱音を吐いてくれていれば、それさえあったなら俺は親友に対しこんな感情を抱かずに済んだのに。

「……俺、気づいたんだ」

 兵司のその声にはいつものような元気はない。

 いつも天音に説教をしてくれていた兵司の面影はなく、壮年のような異様な落ち着きを感じる。

「俺とお前たち二人、同じ高校の同じ電脳科に進学して、俺はいつまでお前たちと肩を並べていられるんだろうって」

 兵司の数学の成績は最終的に咬園学園のボーダーラインを超えることが出来ていた。

 本当にぎりぎりではあったが、三倍を超える倍率の咬園学園であっても勝負できるほどの力を付けることはなんとか叶った。

「別に落ちることが怖かったわけじゃない。ただ、面倒を見てやるといった俺が、どれだけどれだけ頑張っても、お前たちと同じレベルには俺はなれない。そう思ったら、なんか急に俺、いる意味ないんじゃないかって思えてきてさ……」

 兵司は震える声で、絞り出すようにそんな言葉を口にした。

 そんなことで、と口にしようとしたところで、天音は口を閉じた。

 そんなことで、と思ってしまったのは天音の本心からの言葉だ。

 そんなことで、俺も雀も兵司に対しての態度を変えるつもりはまったくないし、そもそも勉強について彼にそんなことを彼に求めていない。

 いつも俺たちを引っ張ってくれる存在。

 それが、風下兵司。

「……そんなこと、気にする必要ないだろ。俺たちにはお前が必要なんだ」

「そうだよ。私たちだけじゃ、学校にもたどり着けないかもしれないし」

 すがるような二人の発言に、言うべきではなかった言葉が口から漏れ出した。

「なら……三人のためにも俺はやっぱりいるべきじゃないんじゃないか?」

「……どういう意味だ」

 案の定、天音はこの言葉に眼を釣り上げた。

 しかし、一度出た言葉に連結してさらに余計な言葉は流れ出る。

「俺がいたら、お前たちは成長しない。俺がいたら、成長の邪魔になる。ほら、俺がいる理由がなくなった」

「本気で言っているのか……」

 天音は兵司の襟首に掴みかかると、かなり低い声を出した。

「俺たちがどんな思いでこの半年間お前を待ち続けたと思ってる」

 天音は必死に声を荒げた血気持ちを抑え込んでいる。

 普段、怒りの感情を我慢することを知らないこいつにしてみれば相当頑張っているのだろう。

 表情から感情を読み取ることが難しいと周りの連中からは言われているらしいが、俺からすればこいつの考えていることなんて手に取るようにわかる。

 だから、こんなとき、何を言えばさらに怒るのかも俺は知っている。

「俺なんかに時間を使わせて悪かったな。だが、これでもう俺たちは同じ高校に行くことはない。無駄な時間を使うこともなくなるんだ。よかったじゃないか」

「……」

 この時点でいつもの天音なら手が出ていてもおかしくないのだが、今日の天音は思ったよりも忍耐力があるようだ。

「違うな。お前はそんなことのために、俺たちにそんなことを隠していたわけじゃない」

 一瞬、考えを読まれたのかと思い体が強張ったが、気づかれることはなかっただろう。

「俺に嘘が通用すると思うなよ、兵司」

 今度は大きく体が揺らいだ。

 さらに、詰め寄ってきた天音は雀には聞こえないほど小さな、ただしはっきりとした声でこう兵司に告げた。

「頭の中がわかっているのが、お前だけだと思うなよ」

「……っ」

「じゃあな、兵司。卒業式くらいはちゃんと間違えずに来いよ」

 最後にそれだけ言い残すと、天音は一人で教室を出て行ってしまった。

 あとに残された雀は言葉を選んでいるようだ。

「あのね、兵司」

 なにを言うか迷った挙、私はなにかを言葉で伝えることを諦めた。

「私、二人みたいに鋭くないから兵司がなにを考えてるのかもわからないし、今でも信じられないよ」

「そうだな……すまなかった」

「うんうん、誤ってほしいわけじゃないの。ただ、私も天音も兵司が悩んでいるときに力になれなかったのが悔しかっただけ。だから、これだけは受け取ってほしいの」

 雀が差し出した手の中に納まっていたのは、小さな赤いお守り。

「本当はあの日、兵司も一緒に行きたかっただけどね」

「ああ、買い物ってお守りを買いに行ってたのか」

 天気も悪く雪まで降って外は相当に寒かっただろう。 

 なんでわざわざあんな日を選んでと、天音と雀のセットに対して不毛なことを考えていた。

「今日の朝渡したかったんだけどね。試験、調子はどうだった?」

「あれだけ勉強してランクマで落としたんだ。これで受からなかったら、さすがに自分の不器用さが嫌になるよ」

「そっか」

 雀は微笑んでいた。

 嘘をつき、勝手な行動ばかりをとる兵司に対して雀は屈託のない笑顔を見せてくれた。

「学校が違うのは寂しいけど、私たちにそんなの関係ないからね」

「……」

 胸が痛かった。罪悪感に押しつぶされそうになったが、ここまできて俺が折れてしまうわけにはいかない。

「それと……」

 この教室にはもう、兵司と雀以外に誰もいない。

 しかし、いたずらっぽく笑った雀は兵司に顔を近づけると小さな声で耳打ちした。

「私、兵司も天音も嘘ついてるかどうかくらいはわかるからね」

「え……」

「じゃ、またね」

 最後まで笑顔を絶やさなかった雀。

 いつもはその可愛らしさも含めて天然という言葉で片付けることが出来たのだが、あんなことを言われてしまっては彼女の評価を改めなければならない。

「なんだ……二人のことを一番理解できてなかったのは俺の方だったのか」

 兵司に後悔はなかった。

 嘘を付いてしまったこと。

 二人を裏切って、違う高校へと進学すること。

 勝手な行動ばかりをとってしまったが、俺はこれが彼らの力になるための最善の策だと今でも信じている。

「でも、こんなことされると揺らいじまうよな」

 兵司の手に納まっている赤い巾着のお守り。

 覚悟を持って決めた道であるはずなのに、後ろ髪を引かれてしまうのは、あまりにいい友人を持ってしまった幸運の反動なのかもしれない。


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