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決別 Ⅰ

「それじゃ、そろそろ帰るよ」

「へ……あれ、もうこんなに暗くなってる」

 日増しに秋の深まりを感じる季節。

 青々しく生い茂っていた草木たちも色を失い、葉を落として来年の肥やしへと変え生命を循環させる。

 時計に目を向けると時間は大体六時前。

 そろそろ帰らないと、一人暮らしの天音には夕ご飯を作ってくれる人はいない。自分の分のご飯くらいは自分で作らないとアイが戻ってきたときになんと言われるか。

「今日ご飯炊き忘れてきたから、少し早めに帰らないと」

「それなら、今日はうちで食べていかない?」

「いいのか?」

「明日からまた学校だし、今日はゆっくりしていって。いいよね、お母さん」

「ええ、もちろんよ。最近料理が楽しくなってきちゃったから、お母さんはりきっちゃう」

 キッチンから快い雀母の返答があり、天音の答えを聞くことなく作業を開始してしまったようだ。

「そういうことなら、ご馳走になろうかな」

「やったぁ」

「それじゃ、あと一問がんばろうか」

「うん!どんな問題でも十秒で解いてあげるよ」

 子供のようにはしゃぐ雀は、本当に子どもの頃の雀の姿のままだった。

 しかし、子供のままなのはその可愛らしい仕草だけで頭の頭脳の方は異常に成長している。

「はい!解けたよ!」

「……本当に十秒かからなかったな」

 雀に提示した問題は中学生ならだれでも顔をしかめる証明の問題。

 本来ならばしっかりとした手順を踏んで一つ一つ確実に解いていく問題なのだが、仮定も結論もすべて最初から見えているという。

 彼女曰く、一度公式を覚えてしまえば応用は計算の速さでなんとかなる、らしい。

 すべての過程を確実に解いていく天音の解き方は正答率では勝るが、受験のような難問が出題される試験では速く解く力も必要だ。時間が余ればその分だけ見直しに時間を割くことが出来る。

「俺はもう少し考えながら解くことも必要だと思うけど……これで合ってるんだからわざわざ変える必要もないか」

 雀の解いた問題は過程を含めてすべて正解。

 やり方を無理やり変えて正答率が落ちても困るし、今更変える必要もないか。

「それじゃ、今日は終わりだな」

「やっぱり勉強のことだと天音は頼りになるね」

「おい、あんまりひっつくな」

「いいでしょ、勉強頑張ったんだから少し癒しを頂戴」

 背中に抱き着いた雀はぐりぐりと顔を押し当ててくる。

 小学校のころから俺や兵司、雀の両親にこういう甘え方をしていたが、中学生の体で抱き着かれると少し動揺してしまった。

「最近、兵司も嫌がるんだよ。ねえ、どうして?」

 それは俺たちとお前が成長している証拠だ、と言ってやりたかったが、雀の母がこの場にいることに加えて変に壁を作ってしまうのも避けたかった。

 単純な雀のことだ、俺たちのどちらかが意識してしまうと口にすれば、この可愛らしい仕草を見せてくれなくなってしまうかもしれない。

 幼馴染で付き合いの長い俺たちの贔屓目かもしれないが雀は魅力的な女性に成長していると思う。

 目はくりくりとして大きく、中学の校則に合わせて切りそろえられた髪はほかの女子たちが羨むほどにさらさらだ。体の方もだんだんと大人の女性の体つきになり、かなりモテるという噂だ。

 ただし、兵司という鉄壁のボディーガードが常に目を光らせているため告白に至ったという話は聞いたことがない。

 俺でもあんな怖い顔に睨まれたらさすがに委縮してしまう。俺はわかりやすく威嚇しているときはそこまで怒っていることを知っているからいいが、他の生徒たちから見るとおそらく仁王立ちする弁慶のように映っているのではないだろうか。

「相変わらず仲がいいわね」

 前掛けを外しながらキッチンから現れたのは雀の母だった。

 雀と同じくいろいろと抜けているところも多いが、雀と同じく大抵のことはそつなくこなすことが出来る。

「さ、雀、天音くん、熱いうちにいただきましょう。今日はお父さん遅くなるらしいから」

 テーブルに並べられている料理の出来栄えは、言うまでもなく見事なもので、見ただけで空腹の胃袋が刺激される。

「今日は肉じゃがだぁ。おいしそう」

 人工知能の消失で火加減の調節や加熱時間などはすべて人の力でやることになり、生活はかなり後退したといえるが、雀母は特に苦労することはないらしい。

 メインの肉じゃかのほかにも、コーンスープやシーザーサラダなど多数の皿が並びかなり気合の入った料理の数々には舌を巻く。

 ノートとタブレット端末を片付けると天音と雀も夕飯の準備を手伝った。

 とはいっても、料理自体はもう出来上がっていたため、俺たちにできることは食器の準備くらいのもだったが、それでも雀母は慎ましくありがとうと言ってくれた。


 兵司は焦っていた。

 ほとんどすべての自由時間を数学の問題を解くことに割いてもなお、テストの点数は咬園学園のボーダーラインを超えることは一度もなく、年を越えようとしていた。

 入学試験は一月の後半。年内に七割くらいは解けるようになっていなくては、県内屈指の進学校である咬園学園の合格は厳しいだろう。

「……少し、休憩するか」

 あまり根を詰めすぎても良くない。八月から天音と雀もいろいろと気を使ってくれている。電子機器に対しまだ恐怖心の消えない雀も電磁波に敏感な天音も今この時努力しているはずだ。頑張っているのは自分だけではない。

 二人はここにはいないが、そう考えるとさらにやる気が湧いてくる。

 窓の外を見てみると曇天の空からちらちらと雪が降っている。

 師走も終わりが近づき、世間は人工知能の騒動の最中であるにも関わらず、年末の忙しなさがそれを上回っている。

 置きっぱなしにしておいたせいで、すでに冷えてしまったコーヒーを口に含む。生ぬるさと苦みが口いっぱいに広がり、ぼけてきた頭にカフェインが回る。

「……よし、もう少し頑張るか」

「頑張ってるみたいだな、兵司」

「ん?」

 この世界で、親兄弟の次に聞いた声が自分の名前を呼んだ。

「お、天音と雀」

「兵司、なんか久しぶりな感じだね」

「冬休みに入ってからまだ三日しか経ってないけどな」

 本日は十二月二十四日。

 二学期が終わって以来会っていなかった幼馴染たち。

 勉強の邪魔をしないためにと言って距離を取ってくれていたのだが、その二人がどうしてここに。

「邪魔しちゃ悪いと思ったんだが、このまま一度も会わないまま年を越すのも寂しいと思ったんだ」

「そうか」

「兵司夏からずっと勉強ばっかりだったでしょう?たまには息抜きもしないとだめだよ」

 外を動き回っていたのか、二人の肩は雪で濡れていた。

「今日は、二人でどっか行ってきたのか?」

「ああ、ちょっと買い物にな」

「今から行くんだけど、兵司もいかない?」

「買い物……今からか?」

「ああ、勉強もなんとか目途が立ったからな」

「聞いてよ、兵司。昨日やった過去問で天音満点取ったんだよ」

「……っ!そうか、すごいな天音」

「時間ギリギリまで解き直しをしたからな。解くスピードを雀に合わせてたら自然と早くなったんだよ。そういう雀も過去問三年分の平均が90点を超えていたじゃないか」

「前よりは慎重に解くようになったからね。これも天音のおかげだね」

「……二人とも頑張ってるんだな」

 目の前の二人は自分と違って成績の向上が顕著に出ているらしい。

 ただでさえ自分よりレベルの高かった二人でさえも伸びしろが存在しているとは、やはり才能というものは付け焼刃では太刀打ちできないのか……。

「……やっぱり、遠慮しとくよ。俺、まだまだ圏内に入れてないし」

「でも、今日もずっとここに座ってたんだろう?雪に当たれば頭も冷えて冴えるかもしれないぞ?」

「いいから。今日、この後荒れるらしいから、買い物行くなら急いだほうがいいぞ」

「……そうか。それじゃ、頑張れよ」

「じゃあね、兵司……」

「おう、悪いなわざわざ来てくれたのに」

 この時、兵司は出来る限りの笑顔で彼らを見送った。

 無理に作った笑顔で顔が引きつりそうな感覚があったが、彼らの姿が見えなくなるまでどうにか保つことができた。

「俺は、もうあいつらと対等じゃいられないのか……」


 あの後、結局年内に兵司と顔を合わせることはなかった。

 次に会ったのは冬休み明けの一月七日、登校日の朝。

 あの日の兵司はなぜか機嫌が悪く、俺と雀は二人で雪の降る曇天の中買い物へと向かった。あまり勉強の調子が良くなかったのだろうか、俺たちにあんな顔を見せるのは一年に何度もあることではないため、雀も驚いていた。

 しかし、今朝は何事もなかったかのように兵司と雀はそろって我が家に現れた。

「……兵司の様子どうだった」

「……それが、なんにも変わらないの。あの日だけ虫の居所が悪かったのかな」

 前を行く兵司に気づかれないようにそれとなく雀に探りを入れてみるが、彼女にもいつも通りの兵司に映っているらしい。

「どうした二人とも?」

「いや、なんでもない。兵司、この前元気がなかったみたいだから少し心配だったんだ」

「今まで風邪も引いたことなかったし、ちょっとね」

「なんだ、俺は風邪を引かないほど馬鹿ではないぞ?」

 前とは違った屈託のない笑顔。

 やはり、あの時はただ調子が悪かっただけなのだろうか。

「俺もあの後はあんまり無理をしないようにしている。勉強し過ぎて頭が沸騰しそうだったからな」

「そう?ならよかった。もう、あんまり無茶しないでよね」

「ははっ、気を付けるよ」

 今の兵司は普段と変わらない、いつもの兵司だ。

 マイペースな天音と少し抜けた雀を世話してくれる、同い年ながらも頼りになる存在だ。

 ただなぜだろうか。

 今の兵司の話す言葉の一つ一つに、なにか覚悟のようなものを感じた。


 試験当日。

 岩田先生の盛大な応援を受け、俺たち四十名はこの日、それぞれの受験会場へと向かった。先生の尽力もあり、不登校になりつつあった生徒たちも冬休みに入るころには全員がそろいそれぞれの進路を定めることが出来たそうだ。

 俺たち三人はかなり前から咬園学園を受験することを伝えていたため、難関ではあるが先生も手放しで応援してくれていた。

「兵司、遅いね」

「そうだな」

 現在の時刻は八時半、試験開始の三十分前である。

 兵司が出来るだけ緊張感をもって挑みたいとのことだったので、現地集合になったのだが、いつもなら一番最初に到着しているはずの兵司の姿が見えない。

「早くしないと、受付間に合わないよ」

 雀も焦り始めているが、さっきから兵司は電話にも出ず、今どこにいるのかもわからない状況だ。

「どうする、先に入ってようか」

「そうだな。雀は先に入っててくれ、俺はもう一回電話をかけてみる」

「わかった。じゃあ先行くね」

 雀も一人で行くの心細かっただろう。一人で行かせてしまったことに多少の罪悪感を感じる。

 しかし、それでも天音はこのなにかが引っかかっているもどかしさが気持ち悪くてしょうがなかった。

 電源を切っているのか、さっきから何度電話をかけても兵司は応答しない。

 しかし、最後の一回と思って賭けた電話に兵司は案外すんなりと通話に応じた。

『もしもし』

「おい兵司、今どこにいるんだ」

『大丈夫、もう到着してる』

「到着してるって、どこだ」

 辺りを見渡してみるが兵司の姿は見えない。

 裏門は受験生が使えないようになっているし、正門前のここからしか学園内には入ることはできないはずだ。

『天音』

「なんだ」

 いやな予感は加速する。

 電話口ではざわざわとしたほかの生徒たちの声が聞こえてくる。校舎内に入ると電話は電源を切るように指示されるそうなので、校舎内にいる可能性もない。

 すべての可能性は否定し終えた。

 これ以上、潰さなけれないけない項目などないはずだ。

 絶対にありえない可能性を除いて……。

『俺、今、中宮高校の前にいるんだ』

「中宮って……」

 中宮高校は電脳科が設立された県内の高校。こちらも普通科がベースである程度のレベルに位置する学校であるが、合格の難易度は咬園学園と比べると少し下がる。

「お前、なんでそんなところにいるんだ」

『第一志望を変えたんだ。岩田先生にはもちろん話を通してる』

「そういう話じゃないだろう。どうして俺たちに黙って志望校を変えたんだ」

『……そろそろ受付終わらせないと間に合わなくなるぞ』

「今はそんなことどうでもいい。……おい!」

 結局、兵司はそれ以上何も口にすることはなく、一方的に通話を終わらせてしまった。

 兵司が何を考えているのか理解が及ばず、試験を直前にして脳の容量は兵司のことで埋め尽くされてしまった。

「どういうことなんだよ」

 天音が一番最初に否定し、唯一可能性として残ってしまった最後の危惧。

 雀にはこのことを言うべきではない。

 俺でさえもこれだけ動揺しているのだ。

 試験の直前にこんな話をしたところで雀を狼狽えさせてしまうことはわかり切っていることだった。

 そう考える天音自身も、それを飲み込むことが出来ないまま試験に挑むことになってしまった。

 今日の天気はあの日の空模様によく似ている。

 黒く濁った雲が漂い、そこから降り注ぐ雪が天音の肌に触れて水へと還る。

 いっそ溶けることなく、今のぐちゃぐちゃになった俺の心を真っ白にしてくれたらどれだけ楽になれたのだろうか。


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