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休題

「詩恵ってさ、可愛いと思わないか」

「……」

「ん、どうかしたか?」

「いや、徹の口からそんな言葉が出るとは思ってなかったから」

 あまりにも意外な徹の発言に、天音の思考は一度停止した。

 詩恵の方は、彼女が思っている以上に言動などからぼろを出していることがあるが、完全に一方通行で、彼にはまだその気はないと勝手に思い込んでいた。そのため、彼の急な発現は天音の思考を真っ白にするのに十分すぎる威力を持っていた。

「それなら、俺じゃなくて詩恵本人に言ってやればいいじゃないか」

「んー、時々言ってると思うんだが、冗談だと思われてるっぽいんだよな」

 それを聞いて、天音はバスに乗る前の徹の発言を思い出した。

 たしかに、彼は詩恵に対してそういう言葉を使っていたが、まさかあれを意識して言っていたとは完全に考えの埒外だった。

 しかし、ここで俺も冗談だと思っていたとは言えない天音は、どう返した方がいいものか悩んでしまう。

「なら、もっと親密な関係になりたいとは思わないのか?」

 なにか手順が飛んでしまったような感覚があったが、それは後から気が付いたことであり、今の天音は思ったことをそのまま口にしてしまっただけに過ぎなかった。

 湯に反射した自分の顔は能面のように変化の乏しい表情で、心理状況を到底映し出しているとは思えない顔をしている。

「どうかな。考えたことないわけでもないが……なんていうか、俺じゃ釣り合わない気がするんだよな」

「釣り合わない?体はでかいのに、随分と弱気なことを言うんだな」

「体の図体は関係ない。俺はお前が思ってるよりも小心者なんだよ」

 

「詩恵って、やっぱり徹のこと意識してるの?」

「へっ!?ど、どうしてそう思うの」

 あまりにも唐突な雀の問いに、平静を保つことが出来なかった詩恵は、その慌て様だけで何かしらの感情を抱いていることを身体いっぱいの動きで表現した。

 しかし、特になにかを察しているわけでもなく、ただ頭に浮かんだ質問をしただけに過ぎない雀は、むしろその過剰な反応に対し首を傾げた。

「いや、ただ最近仲いいなって思っただけなんだけど」

「そ、そうかな……そんなでもないと思うけど」

「この間の新藤くんたちとの模擬戦くらいからかな。なんだか、徹に対しての発言が前より優しく感じたんだけど、意識してたわけじゃないんだ」

 なにか思い当たることがあったのか、詩恵はのぼせたように顔を真っ赤にして言葉を選んでいる。

 天音とは違い表情が豊かな彼女との会話は、彼と話している時とはまた違った安心感があり、とても楽しい。

 男の子に対してでも強気で自分を主張できる姿などはとても尊敬できるし、かと思えば女の子らしい一面を見せる彼女は自分には持っていないものをたくさん持っていて、雀にとってすでにかけがえのない存在になっている。

「たしかに、あの時はあいつのおかげで私は戦いに参加することが出来たけど、それで意識し始めたかと言われると……」

「でも、前はもっと言い合いとかもしてたし、お互いに何か通じ合うものがあったんじゃない?」

 こういう話を雀が特別得意にしているというわけではない。

 中学卒業までは天音と兵司の二人とほとんど行動を共にしていたため、雀には浮いた話の一つもなく、またあとの二人もそれらの話は基本的にスルーしていた。

 だからこそ、雀はどこまで踏み込んでいいという線引きが全くと言っていいほど出来ない。

「そ、そういう雀は天音とはどうなのよ。かなり付き合いは長いんでしょ。そういう対象としては見れないわけ?」

「そういう対象?」

「この話の流れで普通それを聞き返す?……恋愛対象としてどうって話よ」

「……?」

 なおも首を傾げる雀に対し、詩恵は何とも言えない歯がゆさを感じたが、こればかりは雀だからしょうがないで済ませるしかない。

「……天音とつ、付き合ったりしたいとか思ったりしないわけ。キスしたいとかずっと一緒に居たいとか」

「でも、私、幼稚園の頃から天音と一緒にいるしキスもしたことあるよ?」

「え、まじ!?」

「うん。小学校一年生の時」

「あ……なるほど……」

 この手の話が、雀相手だと全く通じないことを痛感した詩恵。天音も相当だが、彼女もそうとうな朴念仁だ。

「ずっと一緒にいるっていうけど、どうしてそんなに天音と仲がいいの?私、あんたらが喧嘩してるとこ一回も見たことないんだけど」

「そうかな?兵司がいないから、結構厳しくしてるつもりだったけど、まだまだ甘かったのかな」

「そう。その兵司って人のこともあんまり知らないのよね。聞いている限り、中学までは三人で行動してたってことらしいけど、その人は今どうしてるの?」

 一瞬、彼女の表情に影が差したような気がしたが、すぐにいつも通りの雀に戻ってしまった。

 ちゃぷちゃぷとお湯を足で蹴ると、宙を舞った水が音を立てて水面を叩く。

 水面に映った自分の姿が波紋で歪み、それを両の手で掬い上げて自分の顔に打ち付ける。

 そんなことをしても、反射した自分の姿が変わるわけではないが、それでも少しはましな顔に変わった。

「兵司はね、今は中宮高校の電脳科にいるんだけど、受験当日に志望校を変えちゃったの。本当は三人とも咬園を受けるはずだったのに」

「落ちるのが怖くなったってこと?」

「そんなんじゃない……と思う。あの兵司がそんなことで簡単に諦めるなんて思えないもん」

 彼のことを責めているわけでも、まして恨んでいるわけでもない。

 それでも、本音を言えば、同じ高校に進学したかった。天音もそれは同じ気持ちのはずであり、だからこそ彼はあの時、兵司に対し激高した。

 思えば、彼が感情を露わにするのは私たちが傷つきそうになったときばかりだ。

 子供の頃から一番最初に手を出していたのは、一見大人しそうにしていた天音だった。

 誰よりも雀と兵司が傷つくことを嫌い、絶対にその相手を許そうとはしない。だからこそ、私たちが彼から目を離してはいけないと誓ったはずだったのに、

「あ、なんか腹が立ってきたかも」

 あまりにも急な感情の変化に、話を聞いていた詩恵は「え、なにに?」と焦っていたが、彼女の脳内にしか存在しない兵司に対する怒りをぶつけることは不可能だと気づき、湧き上がるものをぐっと抑え込んだ。

「なんか、その兵司って人にちょっと会ってみたくなってきたわ。この二人を御し切るってことは相当人間が出来てる人だろうし」

「そんなことないよ。運動できるけど勉強できなくて、でも一生懸命頑張るだけど結局ダメだから落ち込んでて、けどそれを私たちに心配させないように強がるようなアホなんだから」

「なにそれ。勉強できないこと以外めっちゃいい人じゃん」

「そんなことない!」

 嘘を付くことが出来ない性格だとわかっているからこそ、雀が彼のことをどういう風に思っているのかは、詩恵にも簡単に理解することが出来た。

 何にを思い出して兵司に対して憤慨しているのかはわからなかったが、悪口でさえもこの評価ならば、本気で褒めさせたら日が暮れるほど長くなりそうだ。

 空を見上げてみると、本当に日が落ちかけていて、空が藍色に染まった空には月がぼんやりと浮かんでいる。

「さ、そろそろ出ようか。少しのぼせてきたみたい」

「えー、もっと愚痴聞いてよ」

 恋バナだったはずの話がいつの間にか雀の愚痴になっていたのには驚いたが、話が切り替わっているのは詩恵にとっても好都合だった。

「はいはい、話は聞いてあげるから部屋でね」

 心が揺さぶられ過ぎて、この湯を堪能することは出来なかったが、まだこの湯に浸かる機会はある。

 頭に血が上った雀を強引に引っ張り上げ、石製の床を濡らして脱衣所へと向かった。


祝五十話達成

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