紀伊藍という少女
木漏れ日の当たる頬は光を浴びたことでさらにその白さを際立たせ、対照的に明るい髪色は光輝いている。
もし、彼女と出会った場所が、ここではない別の場所だったならば、この胸の高鳴りを恋慕と捉えても良かったのだが、残念なことに今この状況においてそれはありえない。
RPGに置き換えると分かりやすいだろうか。どれだけ攻撃してもこちらの攻撃は一切通らず、一撃でも食らえば即死する。入るダンジョンの順番を間違えたような絶望が彼女と相対した瞬間に全身を貫いた。
実際は攻撃が当たれば、仮想体の身体に設定された耐久力を数値として削ることは出来るだろう。
しかし、いきなり飛びかかってくるようなことはせず、いたって冷静にこちらの動きを窺っているようだ。
「城野」
満身創痍で立っているのもやっとな新藤が、金髪の少女に聞かれないような小さな声で話しかけてきた。すでに、彼女の太刀を何度もその身に浴びている彼は身をもってその刃の鋭さを知っている。
「俺が前に出る。俺が刻まれている隙に、俺ごと斬れ」
「……」
「納得してくれたみたいだな。しくじるなよ」
一歩前に出た新藤は、天音の姿を隠すようにして剣を構えた。
妖しい紫色の光が瞬き、心なしか光の強度が増しているように見える。もしかすると、これは対天音用に隠していた光剣の力の一端かもしれない。
それを惜しみなく解放するということは、新藤もこの状況を危機的状況として捉えているということだろう。
鋭さを増した彼の目を見ていると、ただ単に負けたくないと思っているだけのようにも見えるが、さすがの戦闘狂もこの状況を楽しむことは出来ないようだ。
新藤の背中で少女の姿が隠れた瞬間に、天音も『S』のシフトを変更する。
「速度シフト」
「行くぞ」
土を蹴り上げ、一気に距離を詰める。紫色の熱線が空中を滑ると、あまりの光で向こう側が見通せないほどの光の残滓が残る。
触れればたちまち肉が焼き切られる熱線を向けられているというのに、彼女は一切表情を崩さず、いたって冷静に剣を構えた。
天音は新藤が振り下ろす剣の起動とは垂直の角度で剣を構え、タイミングを見計らう。
足に力を込め、確実に刈り取れる瞬間だけに集中する。
天音と金髪の少女までの距離は一息の跳躍で詰められるほどわずかなもの。天音よりも機動力のある新藤が、この距離を移動するのに一秒とかからないだろう。
その瞬くような間に心臓が一度だけ跳ねた。
そして、新藤の身体が彼女の姿を完全に隠した瞬間、天音は最鋭の一撃を新藤の背中越しに叩き込む。
仲間と認識したばかりの彼の身体を切り裂く感触は耐え難いものがある。しかし、天音は感情を切り離し、その先にある対象を打倒すことだけに意識を注ぐ。
斬り飛ばされる新藤の身体は赤い光を散らしながら、左肩から右脇腹にかけて裂けていく。
しかし、二人を斬ったにしてはあまりにも剣の感触は軽かった。
躱された。そう判断した次の瞬間、すでに亡骸となった新藤の身体の陰から出現した人形のような少女の姿を見て、天音は息を呑んだ。
今から剣を構え直したのでは間に合わないと悟った天音は、剣の勢いをそのままに後ろに飛びながら回転してもう一撃、横薙ぎの一閃を振るう。振った剣の勢いに、回転の勢いを押し込んで再び不可視の一撃は体勢を崩しながら放ったにしては形になっていた。
しかし、彼女はそれをまるで見えているかのような反応を見せた。
まるで高跳びでもしているかのように、見えないはずの剣を背面飛びで躱し、着地したときにはすでに天音のすぐそばまで肉薄していた。
「『見えない斬撃、解除』
寸でのところで黒刃の剣を身体の間に割り込ませ、彼女の太刀を受け止めることに成功した。
力で押し負けることはないと思っていたが、これも検討はずれで、どれだけ力を入れても剣を押し返すことは出来ず、気を抜いたら逆に押し込まれてしまう。
視界の端では新藤の仮想体が限界を迎え、光の塊になって消滅していく姿が見える。
たった一人の女の子に対し、有効な手札はすべて切ったはずだったが、それでもなお、彼女の技はそれを軽く凌駕した。
彼女が身に纏っているのは、戦闘服ではなくどこかの学校の制服。見たことはないが、間違いなく天音たちと同年代の女の子だ。
計算能力が身体能力に変換されるこの世界では、体格や性別は仮想体の能力に一切関与しない。
だから、こんな腕の細い女の子が相手でも力でねじ伏せられてしまうことはありえない話ではない。
天音の中では今、目まぐるしく思考が回転し、この状況をどうにか出来ないかとあらゆる可能性を探っている。しかし、それらすべてはことごとく否定され、すでに自決の二文字が頭の中をちらついている。
「どうしてあれを使わないの」
機械のような冷たい口調だったが、彼女が発した可愛らしい声に天音は少し驚いた。
静かな森の中で、金属同士の刃を削る音にかき消されそうなほど細い声だったが、天音の耳にはしっかりと彼女の声が届いていた。
「あれ……だと」
しかし、それよりも、彼女が天音に対して放った言葉の意味が彼には全く理解できなかった。
すでに自分が持ち得る中で最善の手を打っているつもりの天音からすれば、今日初めて会ったばかりの少女にそんなことを言われるのは不思議でならなかった。
「なんのことだ」
彼女の剣を握る手に少しの緩みが出たのを、天音は見逃さなかった。
弾かれたように後ろに飛び退いた少女は、首を傾げながら天音をまっすぐに見つめている。
「まだ、気づいてない……?」
「ああ。君の言っていることはまったく覚えがない」
「ぴりぴりする感じ……わからない……?」
なおも意味の分からないことを言う彼女に、記憶を探ってみるが、この少女の姿も言っていることもまった思い当たるものはない。
天音の無言をノーと勝手に判断したのか、無表情ながらも肩を落としたのが分かった。
「そう……」
残り時間はおそらくもうあまり残されてはいない。
それは彼女も理解しているはずで、早く天音にとどめを刺さないとポイントにはならない。しかし、彼女はなにかを悩んでいてそれどころではないようだ。
彼女がなにを考えているのかは、天音には知る由もないがこの状況で彼女が大人しく見逃してくれるとは思えない。
結局、彼女の出方を窺うしかないか。
「しょうがない……今日は諦めるよ」
「諦める?どういうことだ」
「今のあなたでは、まだあの人に認めてもらえない……。だから、この試験中に私があなたをもっと強くしてあげる」
金髪の少女はなにを思ったのか、剣を交えた相手を目の前にして剣を腰に帯びた鞘に納めた。
「なんのつもりだ」
「まだまだ時間はあるもの。焦る必要はない」
彼女が本気で攻めて来たならば、おそらく天音にこの距離で打つ手はない。
しかし、剣を納めたどころか背中を向けた彼女はもうすでに、天音と剣を交える気はないようだ。
「どうしてとどめを刺さない」
「それを問うのなら、どうしてあなたは私を斬らないの……。あなたこそ、考えが甘いんじゃないの……?」
「……なら、せめて名前だけでも教えてくれないか。必ず、この試験中に君が満足する力を示して見せる」
試験はたったの五日間しかない。
天音はあまり勝負ごとにこだわる方ではないが、なぜか彼女に失望されたままであることだけは許すことが出来ない。
初めて感じる対抗心に天音自身も驚いているが、少女も満足のいく答えだったのか、この時初めて薄い笑みを見せた。
「紀伊藍……楽しみにしていますよ、天音さん」
『第一試験終了、この時点でポイントは確定しました。あと十秒で現実世界へ戻ります』
試合終了のアナウンスが流れ、一瞬ウインドウに気を取られた隙に、紀伊藍と名乗った少女は姿を消していた。
最後の彼女の表情に既視感を覚えたが、どれだけ頭を捻ってもそれを思い出すことは出来なかった。
仄かな光が天音の頬を撫で、木々の騒めきだけがその場に残る。
数秒後、天音の視界は閉ざされ、次に目を開いたときには現実世界の天井がぼんやりと視界を埋め尽くしていた。




