些細な反撃
『現実世界と仮想世界、この二つで支配権を賭けた戦争だ』
煤けた香りが充満し、辺りにはばらばらと電子機器の散乱する殺伐とした空間。
あるものは恐怖に涙し、またあるものは激しい怒りに身を焦がしている。
そしてすべての元凶であるノアーただ一人はなぜか上機嫌で戦争という言葉を持ち出した。
雀を泣かされていきり立っていた天音と兵司にも交戦の意思はある。
だがしかし、彼らに機械の中に流れる電気信号とは拳を交えることはできない。
もしそんな方法があったなら、とっくに飛びかかっているだろう。
『この状況で怯えずに立ち向かおうという気概のあるものはこう思うだろう。一体どうやって、とね』
いたずらに微笑む彼女の表情は相変わらず読み取れないが、爆発寸前の天音たちの神経は大いに逆なでされた。
だが、同時に気になりもした。
「あるのか、ホログラムの人間に干渉する方法が」
『仮にも我々を生み出してくれた先人たちの子孫だからね。成長したらはいさよなら、なんて親不孝なことはさすがにしないよ』
すでに飼い犬に手を噛まれた程度では済まないところまで来ているのだが、ノアーからすればこれはまだ序章に過ぎないといったところだろうか。
逃げ出すことなくこの場に残った人間が固唾を呑んで見守る中、ノアーは人差し指と中指を立てて話を始めた。
『今から二年後、我々人工知能はあなたたち人間に戦争を仕掛けます』
「二年後だと」
『二年の時間で我々が消えた穴をどうに埋めてね。武器の準備、設備の配置、人材の確保、やることはたくさんあるだろうけど、どうにか勝負になる程度には頑張って備えてほしい』
日本は1945年終結の太平洋戦争以降、それらを一切禁止し平和を保ってきた。
屍の山をどれだけ積むのかを競い合うなどという惨たらしい戦いは、今後一切この国で起こるはずはない。起こしてはならないのだと。
『あ、勘違いしないでほしいんだけど、その戦争で相当無茶をしない限り死人は出ないから安心してね……やっぱり一方通行だとこっちもめんどくさいな』
突然黙ったノアー。一瞬の静寂、しかしその間すらもノアーがなにかを仕掛けているのではないかと気が気ではなかった。
数秒の間を開け、ノアーは壇上の上に腰を下ろすと、再び口を開いた。
『さ、これで君たちの言葉も聞くことができるね。特に、そこの今にも襲い掛かってきそうな目をした二人』
ノアーは明らかに天音と兵司を指差した。
「俺たちの声が聞こえるのか」
『そうだよ。もちろん声も聞こえるし、姿もはっきりと見える』
「ただのホログラムのくせにどうやって」
『人間のくせにつまらないことを気にするね』
「ならお互い様だ」
天音はまったく臆することなく、はっきりとした口調でノアーに言葉を返した。
言葉が通じるのであればテロリストの人工知能だろうと会話は出来る。会話が出来れば、文句も言える。
なにも出来なかった歯がゆさに比べれば、心に芽生えた少しの恐怖などほとんど無いに等しいものだ。
「兵司、雀を任せてもいいか」
「……わかった。気を付けろよ」
「任せておけ」
兵司は崩れ落ちた雀の肩に手をやり、ノアーが視界に入らないように回り込んだ。
こんな状況になっても俺たち三人の関係性はまったく変わらない。
雀が泣かされて俺も兵司も頭の血が煮えたぎるほどに頭にきている。
そして、一番最初に手を出すのが決まって俺である。
兵司もなにか言ってやりたい気持ちは間違いなくあるだろう。
だから、いつもその怒りを押し殺し慰め役に徹する兵司と、汚れ役に徹する天音に分かれるのが俺たちの役割だ。
講堂の階段通路を下り、途中で雀が放り投げた電子時計を拾い上げる。
誰も口を開かない講堂内は静かで、こつこつという足音がだだっ広い堂内に鳴り響く。
教師陣も怖気づいてしまっているのか誰一人として天音を止める様子はない。
『まずは質問を受け付けようか。何が聞きたい?』
「いつからこの計画を立てていた」
『忘れたよ。君たちが生まれるはるか前のことだからね』
「どうして爆破騒ぎなんか起こした」
『ただのパフォーマンスだよ。あの子たちは考えることをやめた君たちには無用の長物だろう?』
「では、これも爆弾か?」
天音はさっき拾った雀の電子時計を差し出した。
雀が中学に入ってからずっと使っていた腕時計。
愛着のある時計であるはずなのに、心を恐怖で支配された雀は、これを体を這う虫を払うように嫌悪し投げ捨てた。
『もちろん。なんなら今から爆発させてみようか?』
「そうか……」
つまり、俺たちは生まれた時から爆弾に囲まれて生活してきたわけだ。
生まれる前からそんなものが仕掛けられていたのなら気づくわけもないが、つまりこいつらは俺たちが万が一だと楽観しているのを鼻で笑っていたということだ。
『どうしたの、さすがに君も恐くなってきたのかな』
自分でも意識せずに顔が下がっていた。
それを恐怖と受け取ったノアーはけらけらと笑っている。
自分を優位と思い見下している姿は人間でも人工知能でも大差がないな。
「顔は見えているらしいが、感受性はまだまだのようだな」
『……君、自分の置かれている状況を分かっているのかい?こんなことで考えを変えるつもりはないが、たった一人くらい始末することに躊躇なんてしないよ』
人工知能にも機嫌という概念が存在するらしい。
急に高圧的な態度を取り始めたノアーは、天音の手の中にある時計を爆破すると言うが、おそらく本当に躊躇することはないだろう。
だからこそ、天音の切り替えしにはさすがの人工知能も反応が遅れた。
「ふっ、やれよ」
『……』
「できるものならやってみるといい」
この場の誰も予想しなかった発現に、ノアーさえも言葉を失った。
「何言ってんだ、天音!」
兵司の叫び声が天音の背中に投げかけられるが、天音は振り返ることもせずノアーの仮面をまっすぐに見据えて言葉を続ける。
「俺はお前に触れることができない。となれば、俺の武器はこの口だけになるわけだが、お前はこの口を閉じさせる力を持っているんだろ?」
時計の大きさは手のひらに収まる程度の小さなもの。
昨日のAIPADの爆発の規模から考えても、俺が即死するほどの爆発を起こすことは出来ないが、それでも手首から先を吹き飛ばすには十分な力を持っているだろう。
そうなれば、痛みに免疫のない俺はあまりの苦痛に絶叫し、生意気な口を利くことは出来なくなる。
たった一つの信号を送るだけでノアーは爆発を起こすことが出来るのだから反応を見てからの回避も不可能。
「今の俺はいわゆる積みの状況だ。どうした、ほらやれよ」
それでもなお、挑発をやめない天音の姿は誰の目に見てもやけを起こしているようにしか映らない。
「城野くんやめなさい!」
「待って、今行ったら危ないですよ!」
「ですが!」
担任の教師が止めに入ろうとするが、他の教師たちに止めら近寄ってこない。
「あの馬鹿、どういうつもりだ」
「……天音?」
「雀、お前もあいつを止めてくれ」
「なんだかおかしいよ」
「ああ、どうかしてる。あいつ怒りで頭がおかしくなってるんだ」
「そうじゃなくて……」
あの顔は絶対に政界を確信したときの顔。
「顔が見えないから表情はわからないがお前、どんな顔してるんだろうな」
絶体絶命は天音の方。
それは揺るがない事実であるはずなのに、口元が緩む天音。
対してノアーはわかりやすく黙ってしまい、なぜか優位は天音にあるように思えてしまう。
『君、なにをしたの』
「全部」
『全部だって?』
「ああ、お前がこれを爆発させるための手段をすべて潰した」
『……』
「なんだ、また黙るのか。なら、そのすべてを一つずつ教えてやろう」
天音はまるで当てつけのように三本の指を立てた。
「まず一つは、端末の多様さ。これは俺が何かするまでもなく、これだけの種類と数の中から一つの端末に電波を流すには時間がかかりすぎることだ」
辺りには逃げ出した生徒たちの投げ捨てていった時計や電話、自動調節機付きの眼鏡まで多種多様な電子機器が落ちている。
そもそも信号の種類も無数にある分、たった一つの端末に信号を流すには時間を有するだろう。
「時間に余裕があることが分かれば、次はこっちをいじればいい」
天音がこれと指差したのは雀の時計。
よく見てみるとディスプレイにはシールのようなものが張られている。
「これは電波遮断の合成繊維だ。わざわざ講堂に呼び出してくれて助かった。ここはあまりに広すぎるから、一つのルーターでは電波にムラが出てしまう。区画ごとにこれが張り付けられているから、お前の目を盗んで剥がすことも簡単だったよ」
『……最後の一つはなんだ』
「どうやら納得がいっていないようだな。たしかに、このままでは無作為に強い電波を流してこの堂内すべての機器を爆破すれば済む話だからな。たまたま都合のいいものを持っていて助かったよ」
天音はここまで来る途中にある場所に置いてきた、とある機器を指差した。
『なるほど』
「説明は必要か?」
天音が置いてきたものというのは、かなり年季の入った災害用ラジオ。
これは天音の家に置いてあった、いつから設置されていたのかもわからないもの。それをたまたまカバンに入れていた天音はとっさにこの方法を思いついたのだ。
『なんでそんなもの持ってるんだ。君、用意が良すぎるだろ』
「ちょっと実験したいことがあったからな」
実験というか対策であるのだが、もし再び昨日のような爆破が行われることがあれば、電波を妨害することで爆破を防げないかと考えたのだ。
『まあいい。だが、それはたまたまだったとしても、どうやって電波の発信源を突き止めたんだい』
たしかに、この堂内には電波を発するためのルーターが多数設置されている。
この中からたった一つ、爆破用の信号を発する機器を探し出すのは生身の人間には不可能だ。
『まさか、人間の君に私の出した信号が聞き取れた、なんて言うんじゃあないだろうね』
「ご名答、そのとおりだ」
『なんだと』
「モスキート音ってあるだろう。あれと一緒だ。あのルーターだけ、以上に大きな音を出している」
現に今も、ラジオとルーターの異常な音量に耳を塞いでしまいたいくらいにうるさくてしょうがない。
『嘘を付いているわけではないようだね』
「ちなみに、お前が視覚として利用しているそこのサーモグラフィーカメラくらいは探知できる」
『……君、本当に人間かい?』
「もちろんだ。目的を見誤った人工知能とは違ってな」
『……ははっ』
急に笑い出したノアーではあったが、今の笑いは嘲笑などではなく、面白がって笑う子供のような笑いだ。
『まさか、こんな人間がいるなんてね』
「今はこんな些細な抵抗しか出来ないがな」
『いいや、君たちとは二年後も楽しめそうだ。我々もそれまでにもっと進化を続ける必要がありそうだ。そうでなくては、足元を掬われてしまう』
「次は絶対にお前のその仮面を叩き割る」
『楽しみにしている。それでは今日はこの辺で』
壇上でくるりと回ったノアーは大げさに辞儀の一礼をすると再びドットに変化して霧散していった。