黒瞳
静かだ。
つい先ほどまではすべての音が雑音にしか聞こえなかったのに、今はそれが遮られて世界がとてもクリアに映っている。
「安心してくれ。ようやく待ち望んだ戦いが始まるんだ、そんなもったいないことを俺がするわけがない」
「新藤はこんな戦いが楽しいのか。変わったやつだな」
「動物としての本能とでもいうのかな。自分より強いやつを見つけたら咬みつかずにはいられない」
「そうか。それではこの戦いが終わってからもう一度聞くとしよう」
ようやく本性を露わにした天音に、新藤は心の底から歓喜していた。
今の天音の目には、まるで慈悲という言葉を忘れてしまったように真っ黒な得体のしれない何かに支配されている。
光を反射して輝いていたはずの剣もどういうわけか光沢を失い、まるで使い手の感情を表しているかのようだ。
「お前は、本当にこんなものが楽しいのかと」
雀は銃を構えた。
今日一度も火を噴くこともなくほとんどの時間をホルスターの中で過ごしていた『シグレ』だったが、主の意思に反することなくスライドは滑り弾丸が銃身内に送り込まれる。
あとは引き金を引けば、鉛の弾丸が打ち出される。
しかし、雀は躊躇った。
なぜなら、見据える照準の先に立っているのはこの世でたった二人しかいない親友なのだから。
詩恵や徹も大切な友人であることに変わりはないが、やはりあの二人だけは特別視せずにはいられない。
銃を握る手が震える。
力を込めようと両手でしっかりと銃を持つが、ぶれぶれの狙いでこれでは当てることは出来ないだろう。
それどころか、指先にまったく力が入らず、この引き金を引くことすらできないかもしれない。
しかし、足を失った雀に、天音を止める手段があるとするならばこれしかない。
いま躊躇したら、今度は本当にもとに戻れなくなるかもしれない。
「あんな怖い顔をした天音はもう見たくなかった……」
古来、剣は戦における武器としては石以下の存在であり、剣を致命傷としたのは自害、処刑くらいのものであった。
その原因として挙げられるのは、その使い勝手の悪さ。日本の戦国時代で活躍した武将たちはこぞって名刀と謳われる刀を求めたが、それは自分を飾り立てるものであり、もっぱら重宝された武器は槍、弓、銃といったリーチのある武器。
フィクションの中では、騎士の誇りや侍の魂などと評される剣だが、たかだか三尺そこそこの長さでどれほどの戦果を挙げられるというのだろう。
天音は、自分の電子刃が剣だと知ったときは、それは落胆したものだ。
その後、この剣の性能を知ることになるのだが、それを知るよりも先に『剣』であることに落胆したのだ。
だが、今はそんなことは気にも留めることはない。
今はただ、対象を追い込むだけの力を有していれば、それ以上はなにも望まない。
それ以上は必要ないからだ。
切り込んでくる新藤の太刀を受け流しながら、天音はすでに彼の動きに法則性を見出していた。
新藤の太刀筋、回避行動に対する対処、空いた左手を三本目の足のように使う曲芸のような体術。そのすべてをまばたきも惜しんで観察し、すべての意識を彼の動きに集中する。
「反撃してこないのか、っていうのは無粋な問いかな」
彼は俺の戦闘スタイルを知っている。どこで知ったのかはどうでもいいが、それを知っているからこそ、彼は剣を振るおうとしない天音を不思議に思わないのだろう。
息をつく暇もなく繰り出される斬撃に、読み逃した攻撃が制服の端を斬り飛ばす。
しかし、それすらもデータとして取り込み、同じ軌道を描いた太刀を二度と受けることはない。
どの斬撃も鋭く、死角からの攻撃や重心の移動を読んだ連撃などは、おそらくどれも初見では回避が困難なものばかりだ。
先天的な超聴覚。電磁波を鋭敏に感じ取る耳と、皮膚に刺さるような信号がそれらの危険を察知していなければ、どんな反応の良さでも無傷での回避は難しかっただろう。
すでに十度以上斬りこんでいる新藤だが、まだ一度も天音にダメージを与えるには至っていない。
さすがに苛立ちを覚えたのか、天音が距離を取ったタイミングで新藤は足を止めた。
「いつまで逃げ回るつもりだ。ほら、いまこの状況も君の間合いだろう?」
両手を広げ、まるで斬りこんで来いと言わんばかりに胸を開き、挑発する新藤。
しかし、そんなわかりやすい挑発に天音が乗るはずもなく、淡々と観察を続けた。
「本当に徹しているな」
それどころか、むしろ焦っていたのは新藤の方だった。
おそらく有用だと思われる攻撃は、すでに受けきってしまった。曲芸な動きから放たれる死角への攻撃などは、本気で天音の首を取りに来ていた。その分、躱されてしまったことに多少なりとも焦りが生じたのだろう。
そう、観察が終了してもなお、天音が手を出さなかった理由はそれだ。
相手の自信の一手を正面から受け切る。
これで相手の自尊心を傷つけられ、余裕はどんどん無くなっていく。
強者であればあるほどに自信を持った一撃に固執する傾向がある。個人によってこれを複数持っているものもいるが、これを失うことは精神的にダメージが大きい。
そろそろ次の段階へ進むとするか。
剣を起動したまま一度も振るおうとはしなかった天音だったが、ここでようやく刃を向ける。
「お望み通りの状況だろう?さあ、楽しもうじゃないか」
あまり無表情の彼に似合う言葉とは思えないが、彼はあえてその言葉を使った。
再び新藤は剣を振り上げ、攻撃を仕掛けてくる。
しかし、天音は今度は躱そうとはせず、黒刃の剣を振るう。
「……!?」
振り下ろすために振り上げられたはずの新藤の剣は、彼の意思に反し振り下ろされることはなかった。
天音が剣を振るったのは、新藤が構えに入るのとほぼ同時であった。
新藤の動きの観察に徹していた天音には、モーションに入った瞬間にどういう斬り込みをしてくるのかが瞬時に理解できた。
あとは、その軌道上に刃を置くだけ。それで、新藤の腕は斬り飛ばされる。
おそらく、新藤自身がすでにそれを理解していただろう。だが、どうすることも出来ない。
すでに動きを制することは叶わず、あとは自ら敵の刃へと身を差し出すしかないのだ。
「……!?」
だからこそ、新藤の二度目の驚きは一度目を軽く凌駕した。
おそらく自分の腕が切断される状況まで想像していたのだろう。だが、その想像は現実に起こることはなく、右腕を打つ強烈な殴打だけが衝撃として新藤の身体に伝わった。
天音の剣は、刃のない側面で新藤の腕を叩き、彼の身体からはわずかに赤いダメージエフェクトが出ている。
剣を弾き飛ばそうとしたのか?
しかし、彼の手の中にはまだ光剣が握られている。天音の予見が外れたと判断した新藤は、弾かれた腕を身を捻って勢いを剣に乗せ横薙ぎの一閃を打ち出す。
「……!?」
しかし、三度目に新藤を襲った衝撃は、彼を混乱させた。
まったく同じ場所、同じ角度で叩かれた新藤の腕は再び弾かれ、光剣が空中へと放り出される。
剣を失った新藤は死を覚悟した。自分が思っていた以上にこいつは自分を理解していたのだと。
「俺の負け……か」
次の瞬間に訪れるであろう仮想体の死を静かに待った。
目はまっすぐに天音に向け、最後の時までその姿を刮目してこの目に焼き付けることにした。
「……新藤、お前は一体なにをしている」
「……」
「それではまるで、首を差し出しているみたいじゃないか。自決は認めるが、俺にそんな甘い理想を抱いているのなら、それは検討違いというものだ」
訪れると思っていた次の斬撃は放たれることはなかった。
すでに次の戦闘の想定すら組み立てていた新藤には、死よりも衝撃的だった。
勝利を確信してもなお、目の前の男はとどめを刺そうとはせず、それどころか光剣を拾い上げ新藤に差し出した。
「……なにを考えているんだ」
「言っただろう。勝利への道、それをすべて遮断して追い込むと」
彼はまだ怒っているのだろうか。
彼を突き動かしている感情は間違いなく俺に対する怒りだったはずだ。
だが、彼の表情はそれでもなお無表情で、なにを考えているのかわからない。
「今聞いてもよさそうだな。お前、こんな戦いが本当に楽しいのか」
彼の黒瞳には熱も光も感じられない。
怒りも悲しみの感情さえも察知できない彼の目から、唯一感じ取ることが出来る感情があるとするならばそれは、少しもぶれない新藤への殺意だった。




