新藤戦 Ⅴ
一瞬でも疑ってしまった自分を殴ってやりたい。
徹が顔を下げたのはたった数秒のことではあったが、おそらくその間も彼の顔は府の感情に歪むことはなかったのだろう。
対して私は、情けないことに彼の敗北を疑わなかった。
自分だけでなく、命を賭して助けに来てくれた仲間のことまで信じることが出来ないとは本当に恥ずかしい。
「徹、黒尾が突っ込んできたら私諸共、容赦なくかち上げなさい。おそらく次にあいつはあんたのもう片方の足を取りに来る」
「詩恵諸共って、そんなこと……」
さすがに仲間ごと大槌で打つのは抵抗があるのか、彼の表情は少し曇っていた。
それでも、黒尾達に勝つ方法が今の詩恵にはこれしか思いつかない。
「お願い、私を信じて!」
虫のいい話だと自分で言っていて思った。
自分も、自分を信じてくれた仲間すらも信じることが出来なかったくせにこんな言葉を口にできるとは自分でも驚いた。
関心ではない。軽蔑にも似たような驚愕だった。
どう返されたとしても、詩恵に反論する資格はない。
ここで下がれと言われたら詩恵にそれを否定することは出来ない。
けれど……。
「詩恵……」
「私は!」
徹は口を開いていた。
もしかすると、私を信じることが出来なかったのかもしれない。
それはしょうがないことだ。私にそれを否定する権利はない。
だから、これだけは、
「もう絶対に諦めたりしない!」
怒りで頭に血が上っていたから、黒尾が予想外の動きを見せたから、調子が悪かったから、どんな言い訳があったとしても自分を疑うことはしてはいけなかった。
だから、後ろに立っている彼にこんな情けない姿を見せるのはこれが最後だ。
どんなことがあったとしても前を進む私たちが立ち止まることはもう金輪際ない。
途端、静寂が訪れる。
しかし、その間、徹は一度も詩恵と交わす視線を千切ることはなくまっすぐに私を見つめていた。
「詩恵……」
徹が口を開き、彼の決断が言葉になる。
反らしてしまいそうになる視線を彼の双眸に縫い付ける。
「……悪い、一瞬でも腕を失ったお前には無理だって言っちまいそうになった。俺としたことが、傲慢だったな」
頭に手を当てて申し訳なさそうな彼の笑顔には、いつもと変わらない安心感のようなものがあった。
そして、なにより詩恵が先に謝らなければならなかったことを徹に謝られてしまったことは詩恵の胸に鋭く突き刺さった。
「俺は後ろでしっかりと支えてやる。なにをやらかしてくれるか楽しみにしてるぞ」
「……うん!」
詩恵は徹の前に出ると、それ以上彼に顔を向けることはしなかった。
なにも確かめる必要はない。
私はただ、信じて進むだけでいいのだから。
「そこの女」
「なによ」
「いや、お前のこと見くびってたみたいだな。お前はちゃんと、強い」
乱暴ではあるが彼の言葉にはたしかな感情が乗っていた。
彼の仮想体の命もすでに限りあるものとなっている。
彼の身体からは、ダメージを負ったときに発生する赤いポリゴンが漏れ出し、もういつ戦闘不能になってもおかしくない状態だ。
今度こそ、彼と……いや彼らとの最終決戦だ。
「ありがとう。絶対に私たちが勝つから」
「行くぜっ!」
チーターという陸上において最速のネコ科動物。彼の動きはまさにそれだった。
ほんの数メートルの距離を一瞬で埋め、彼の爪が詩恵の脇腹に抉りこむ。
地肌に刃物を突き付けられるというのは、痛覚が遮断されているといっても気持ち悪いものだ。
おそらく、あと一秒も待たずに、後ろから大槌が叩き込まれるだろう。
ここで、跳ぶ!
思い切り両足に力を込め、ほんの少しだけ身体を丸めて真上に跳躍する。
「おおぉ!!」
気合の入った雄叫びと共に足元から大槌が振り上げられる。
「っぐ……!」
低い声を上げ黒尾の仮想体は限界を迎える。
『仮想体損傷甚大、戦闘不能』
「うっ……おらあぁ!」
徹の背中に再び矢が撃ち込まれる。今度は心臓を捕らえたのか、肺を圧迫したときのような息苦しさを感じる。
だが、詩恵は俺を信じて前に出ている。これで答えなきゃ、
「誰の背中も守ってやれねぇ!」
全神経を尖らせ、この一振りにすべてを込める。
「行ってこい、詩恵ぇ!」
詩恵の両足の裏を雷槌の打面が捕らえ、軽々と彼女を空中高くへと放り出す。
「ぐっ……!」
立て続けに矢が撃ち込まれ、徹はもう一度大槌を振ることは出来ないだろう。
そうだ、俺を撃て。
俺にできることはもう、あいつの代わりになって攻撃を受けきることくらいだ。
いや、もう一つあった。
背中を預けられたのだ。最後まで俺は、あいつの戦いを見届ける義務がある。
空中を舞う彼女の姿は、まるで翼を得たイカロスのように美しく、自由だった。
「……ありがとう」
雲一つない空、煌々と輝く太陽を背に宙を舞う。
実際はここが最高到達点であるだけで、もう直に落下が始まるだろう。
はるか下で今まさに仮想体が限界を迎えようとしている。しかし、彼は最期のその時までまっすぐと詩恵を見守っていた。
彼は胸を何度も貫かれた。足を失ったのもすべて私の招いた失態の一部だった。
それでも、あいつは最期まで疑わず、どっしりと構えていてくれた。
「これで決めなきゃ、弓折って自決してやるわよ、神様」
詩恵には弓の弦を引く腕がない。
だが、ここは両足の支えが必要ない空中。ならば、その両足を使って弓を引くことは可能だ。
足で引いている分安定しないが、今の詩恵は外す気がまったくしなかった。
「いっけえぇ!」
徹を仕留めることに夢中になっていた椎名もようやく詩恵の存在に気づき、詩恵と同じメテロを彼女に向ける。
詩恵にとって幸運だったのは、背中に向けた太陽の光が逆光となり、椎名の視界を奪ったこと。
詩恵の放った矢はいつもより余計に弦を引いた分威力が増し、弾丸のような速度で椎名の心臓を撃ち抜いた。
ちらりと赤い光が見え、自分の放った矢の着弾を確認する。
もがきながら倒れる彼女の姿を見届けると、詩恵は満足したように力を緩めた。
天を仰ぎ見ながら詩恵は重力に引っ張られて徐々に加速していく。
「やっったあぁ!」
おそらく詩恵はこのまま地面に叩きつけられてしまうだろう。
しかし、そんなちっぽけな恐怖は今の詩恵の充足した気持ちに簡単に押しつぶされてしまい、顔を見せることはなかった。
『仮想体損傷甚大、戦闘不能』




