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新藤戦 Ⅳ

 チェック柄のスカートと二束の髪をなびかせて、詩恵は再びコンクリートの床へと降り立った。

 彼女の双眸には小さな涙が溜まっている。

 いつもは元気で誰よりも明るい詩恵のこんな表情はいまだかつて見た覚えがない。自分の意思を殺し、チームを優先した苦渋の決断だったのだろう。

 どうにか涙をこらえている彼女の顔は怒っているようにも見える。

 おそらく自分は彼女の意思を汲んでやることが出来なかったのだろう。

 彼女がいま、俺に怒りの感情を向けていようがいまいがそれだけは揺るがない事実だ。

「どうやってここまでたどり着いたの」

 たしかに、徹は黒尾の見張っていた出入り口からは現れなかった。もし、そんなところから堂々と突入したのでは、機動力で劣る徹は黒尾に一撃で急所を切り裂かれていただろう。

「それは……後にした方がよさそうだぞ」

 徹の視線が滑り、再び彼の両腕の筋肉が引き締まる。

 刹那、詩恵の眼前を雷槌が通過し、凄まじい風圧が詩恵の前髪を吹き飛ばす。

 大気を劈くような金属音が響き渡り、雷槌に打たれた黒尾が後方に弾き飛ばされた。

「くそ、めんどくさい展開になってきやがった」

 わかりやすく機嫌を悪くした黒尾は、さらに姿勢を低くして跳びかかるチャンスを窺っている。彼は両手両足に取り付けられた鉤爪を煌めかせ、まるで動物のように威嚇している。

「まずはそっちのデカブツからだ」

 数メートルを一息で駆け抜ける黒尾。

 まばたきでもしようものなら一瞬で懐に入られてしまいそうなほどの急加速だが、これを徹はなんなく雷槌で受け止めた。

「思ったより器用だな」

 二撃目は、あまりの速さに力が込められず、黒尾を弾き飛ばすことは出来なかった。

 黒尾の接近を許してしまい、次々に徹に攻撃が打ち込まれていく。

 しかし、徹も長い柄を利用して、手足で絶え間なく打ち込まれる爪撃を捌いていく。

「ふん!」

 そのうえ、一瞬でも攻撃の手が止むと、一気に力を込めて重い一撃を黒尾に浴びせる。

「ぐっ……!」

 鳩尾に徹の一撃が深く食い込み、ノーモーションで放たれたとは思えないほどに黒尾は大きく吹き飛ばされる。

 一見軽い一撃にも見える徹の攻撃も、威力を重視して作られた雷槌で食らってしまうと軽傷では済まない。

 黒尾はまるでネコ科の動物たちのように軽やかな受け身で追撃に備える構えを取るが、徹は頑としてその場を動くことはなかった。

 咬園学園内の電子刃持ちの中で一番の膂力の持ち主である彼のスピードは素直に言って速くはない。

 しかし、黒尾のような機動力を持った相手に全く太刀打ちできないかといえば、まったくそういうことではなく、むしろ得意とするほどだ。

 大抵の相手は徹の背格好と電子刃から『愚鈍』というイメージを持つ。

 だが、それはあまりに安直で短絡的な考えと言わざるを得ない。

 天音ほどではないが、徹の武器の取り回しもかなりのもので、その天音すらも異常なまでの強度を持った剣を以てしてようやくカウンターを差し込む余裕があるといった状況だ。

「たしかに厄介な相手だ。最初からここにいたのがお前だったら、俺は危なかったかもしれねぇな。さっさとそのお荷物にとどめ刺しとくんだったよ」

 皮肉と悪態を同時に吐き出し、黒尾はさらに姿勢を低く、平蜘蛛のような体勢を取った。

「安心しろ俺は逃げない。だが、せめてお前の腕か足はもらっていくぜ!」

 おそらく黒尾の仮想体はすでに満身創痍の限界に迫っているのだろう。

 心臓が潰されて、すでに血の巡りが停止して体がふらついている。

 窮鼠猫を噛むとは彼にだけは似合わない言葉のように感じるが、状況的にはその言葉が一番適当だった。

 おそらく黒尾は生存の道を完全に絶ち、あの猫のような双眸で徹の体のどこかに狙いを絞っているのだろう。

 防御も回避も一切切り捨て、速さにのみ全神経を集中させている。

「いくぜ!」

「来い!」

 片や徹も、雷槌を構え、一切回避行動を取ろうとしない。おそらく、真後ろに控えている詩恵を庇っているのだろう。

 二人の漢の命のやり取り。

 お互いがお互いの譲れないもののためにこの場所に立ち、武器を取って相手に武器を突き付ける。

 なんの前触れもなく黒尾が床を蹴り、全神経を研ぎ澄ませた超速突進で徹に接近する。

 二人が接触する瞬間、まるで時間の流れが止まってしまったかのように詩恵の目には映った。

 二振りの電子刃から発生するプラズマと違う別の光。詩恵が何度も見たことのある光が徹の背中に突き立てられた。

「ぐっ……!」

「おらぁ!」

 ほとんど同時に打ち込まれた爪撃を徹は弾くことが出来ず、彼の右足が半ばから切り落とされた。

 唯一、光の飛来した方向を視認することが出来た詩恵は、その方向へと焦点を合わせる。

「椎名……」

 詩恵の予想は正しく、視線の先には詩恵と同じ弓を構えた椎名が隣のビルの屋上に立っていた。

「くっ……おおぉ!」

 胴に矢が貫通し、右足を斬り飛ばされた徹だが、それでもなお腕の力だけで雷槌を振り回し続けた。

 その姿は、かの武蔵坊弁慶を彷彿とさせる迫力があり、さすがの黒尾も気圧されたのか大きく後ろに飛び退いた。

「……ん、あの矢は、楓か。余計なことを」

 徹の胸に突き刺さった矢を見て黒尾も気が付いたようだったが、なぜか不機嫌な顔を見せた。

 しかし、状況は最悪と言っても過言ではない。

 詩恵は遠に戦力外。頼みの綱の徹も決定的なダメージを負ってしまい、これでは黒尾か椎名の次の攻撃で戦闘不能に陥ってしまう。

「デカブツ、悪いが俺たちの勝ちだ。荷物を庇って、そのうえ二対一。俺としちゃ勝ちとは認めたくないが、そもそもお前が遅ぇのが悪いんだ。恨むなよ」

 徹は顔を伏せていた。

 しかし、それ以上に詩恵の胸中は嵐のように荒れていた。

 私のせいだ。

 私が弱かったせいで、自分どころか徹の命まで袋小路へと導いてしまった。

 顔を背けてはいけない。それはわかっていたが、今の徹の顔をまっすぐに見つめることが詩恵には出来なかった。

 彼はいま、どんな顔をしているのだろう。


「……そうだな」

 正直、徹の心は今にも折れてしまいそうなほどにギリギリの状態だった。

 たしかに、俺は頭の周りも遅いし、こんなだから詩恵をここまで追い詰めてしまったのだろう。いつも、俺が追い付くころには一段階状況が発展して、出遅れているのだ。

 いいことも悪いことも、俺がその場に居合わせることがあまりない。

 だがな、

「俺くらいどっしりと構えて笑ってねえと、前で戦ってるやつらの背中、誰が守ってやるんだ!」

 顔を上げた徹の表情はかなり無理をした作り笑顔だった。

 しかし、それはどんな形であれ笑顔以外の何物でもない。この絶体絶命の状態で笑っているとは、我ながら正気の沙汰ではないと思った。

「……それでお前がそいつの前に立ってるんだから世話ねえよな」

「それは違うな。前に立ってるやつは強い風に当てられすぎて気が滅入ることだってある。そんなときは、俺が前に立って風よけになってやるのさ」

「へぇ、おもしろいやつだな」

「おもしろくねぇよ。盾になるのも楽じゃないんだぞ」

「そうか。ま、俺はいつでも無敵の矛だからな。盾の気持ちなんて一生わからねぇだろうぜ」

 強がってはいるが、二人の仮想体の命は会話をしている今この時も摩耗し続け、すでに風前の灯となっていた。

「さあ、最後まで盾は盾の役割を全うするとしよう」

「もういい」

 徹は背中になにかの触れる感触で黒尾から視線を離してしまった。

 しかし、彼は不意打ちなどはせず、それを許してくれた。

「詩恵……」

 後ろに立っていたのは今まで徹が守り通してきた小さな少女。

 体格差はまるで大人と子供のような本当に小さな女の子だが、いつも対等に接してきた大切な仲間だ。

 そして、その仲間は諦めるという言葉を誰よりも嫌う負けず嫌いだということも、徹はよく理解していた。

「もう盾は要らない」

 字面ではわかりにくい言葉であるが、あるべき場所に目玉の付いている徹は彼女の意思を間違えるはずもない。

 こんなに真っすぐとした目で諦めを決断できるような器用な人間でないことを知っているから。

「私も、まだ諦めない」


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